映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2009年03月11日

『ブレイブ』ジョニー・デップ

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THE BRAVE

ジョニー・デップが34歳の頃に監督した作品だということでも驚くがその内容がどうも一筋縄ではいかない不思議な味わいを持っている。

映画を観ているだけではジョニー・デップ演じるラファエルが車椅子に乗った謎の男と何の契約をしているのかよく判らない。
この年老いた男(なんとマーロン・ブランドだが)は貧しくて家族を救いたいが為に「仕事」を探しにきたラファエルに激しい苦痛を与えた後、殺害することを求めているのだ。
(『スナッフムービー」という殺人を撮影した映画を撮るためだという説明を後で知ったが映画の中では言われてなかったような)
とにかくラファエルは5万ドルという裕福な者からすれば大した金額でもない報酬を得る為に拷問の末殺される、という仕事を引き受けるのだ。
そして映画は依頼人がラファエルに与えてくれた3分の一の手付金で彼が使った1週間という猶予の出来事を映していくのだが、その貴重な金と時間を傍から見てる分には物凄く勿体無いことで浪費していくようにしか見えないのだ。
だがその中で今まで人生を台無しにしていたラファエルが家族の愛を知り幸せを感じていくことになる。契約を果す為に謎の男のもとへ行くラファエルはむしろ希望を持っているかのようにすら思えるのだ。

一体これはどういう物語なのだろう。こんなに悲しく空しい話なのにどこか酷く気になってしまう。単なる馬鹿馬鹿しい話だとは思えない。
これはもしかしたら『ファウスト』を下敷きにしているのではないだろうか。
そういえば謎の男はメフィストフェレスと同じく足が悪い。ひと時の幸せと引き換えに彼の肉体と共に魂までも奪おうとする悪魔。拷問の末殺害しようとするなどまさしく悪魔としか思えないではないか。
突然襲い掛かるなどということでなく契約をした上で、ラファエルが幸せだと感じて、契約を履行する、という筋書きは『ファウスト』そのものだ。

インディアンの血を引くと同時にドイツ人の血も併せ持つジョニー・デップがインディアンを主人公にしながら『ファウスト』をテーマにした、ということなのだろうか。

そのせいなのか、ありきたりのネイティブアメリカンの物語ではない微妙に不思議な感覚がある。
ラファエルはキリスト教神父に告白をし、スピリットと深いつながりを持つ父親にも会ってインディアンとしても目覚める。
妻子がどんなに自分を愛してくれていたかを感じ、彼らへの愛を感じながらラファエルは死へと向かうのだ。

と言ってもその最期は映されてはいないのだから彼がどうなったのかは判らない。
この部分で終わりにしたのはジョニーの主人公への幾ばくかの希望、願いがあったのではないだろうか。

無論この映画を理解するにはアメリカにおけるネイティブがどんなに迫害されているかをせめて想像する必要があるだろう。どんなに働きたくてもいい場所に住みたくてもかなえられないことへの怒りと苛立ちでラファエルのような若者がますます自分を追い詰めていってしまう現実があるに違いない。
悪魔との契約で魂を売ってしまう、そんなこともあるのだろう。
そしてまたラファエルという名前は大天使の一人の名前でもあり『癒しを司る』天使だという。ここにもジョニーの願いが込められているのではないだろうか。

監督:ジョニー・デップ 出演:ジョニー・デップ マーロン・ブランド エルピディア・カリロ マーシャル・ベル フレデリック・フォレスト
1997年 / アメリカ

理屈はどうでもとにかくジョニデがかっこいい〜!という見方もできる(笑)いやもう30代前半とも見えない若々しいジョニーなのである。
筋肉も盛り上がっていて何とも眩しく美しい。長い髪もバンダナも小汚ない格好すらも凄くかっこいいのだ。

それにしてもこの映画、俳優が第1作目に作ったものとは思えない。


ラベル:家族
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2009年03月09日

『ベジャール、バレエ、リュミエール』マルセル・シューバッハ

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B comme Bejart

バレエのドキュメンタリーを幾つか観て来たが、これもやはりダンサーたちの美しさに見惚れてしまうばかり。
練習風景が主なので舞台自体を観たい向きには不満かもしれないが、私はこの練習風景というのを観るのが凄く好きだ。もしかしたらバレエそのものよりこういう練習している彼らを見るのが好きなのかもしれない。
練習風景でのダンサーたちは男女ともまだ化粧もなく衣装もなく素顔で簡単な練習着だけなので却って美しい肉体を素で見ることができるし、作品を生み出そうとして振付師と汗を流しながら苦悩している様子は緊張感がある。
練習着もそれぞれの個性もあるしさっと髪を束ねたりしているのが衣装以上に素敵なのだ。懸命に動きを掴もうと何度もダンスを繰り返している仲間をじっと見つめている周りの若者達のポーズもなんだかかっこいいのである。

ベジャールといえばやはり『ボレロ』である。
この作品は『リュミエール』という新作のドキュメンタリーなのだが冒頭ではやはり『ボレロ』の音楽が流れてきたので素人としては嬉しくなってしまった。通の人ならまたかというところだろうが。
なにしろ殆どバレエ生鑑賞の経験がない私の数少ない鑑賞の一つが若い頃観た『ボレロ』だったのである(前にも書いたかもしれないが)
無論それはあの『愛と哀しみのボレロ』を観たからであり、ベジャールというよりジョルグ・ドンに参った私は貧しい財布からなけなしの金を出して天井に届くくらい高くて墜落するんじゃないかというような席のチケットを手に入れて観にいったのだった。
あの激しく心を揺さぶるベジャールの『ボレロ』は今でも比べることのできない踊りだろう。
私のような素人にはベジャールのバレエといえば『ボレロ』のような激しいものを観るのかと思っていたのだが、このDVDに収められた『リュミエール』はそれとはまったく違う明るい軽やかなものだった。

本作の中でベジャール氏が「私は創造者ではない。創造というのは無から有を作るが私は有から有を作るだけだ。私はいわば産婆のようなものでダンサーが踊りを生み出す手助けをしているだけだ」と言うのだが、私には無から生み出しているとしか思えない。
勿論、優れたダンサーとの共同作業だからこそできるのだということはわかる。ベジャールがこう、と言えば彼らはまだ難しい顔をしながらも信じられないほどの動きを見せる。
とはいえ、私には何もそこになく(つまり脚本だとか、マニュアルだとかがあるのでもないのに)まだ存在しない踊りを作り出していくベジャールとそれをさらに美しく見せるダンサーという奇跡のような作業は創造と言っても間違いではないだろう。

ある時は怒りながら(こちらの方が多そうだが)ある時は笑顔で次々と魔法のような踊りを作り出していく。
ベジャールの『リュミエール』は映画の創始者と言われるリュミエール兄弟を描いた舞台で「光」がテーマとなっている。
ベジャール氏は大好きな映画と最も大切な光というテーマを交わらせてバレエにしていくのである。
旧約聖書で第1日目に神によって作られたのが「光」であり太陽や星や月は後から作られたというのがベジャールにイマジネーションを与えているようだ。「光」というのは様々な意味があるのだ。

一体どうなるのだろうと思えたバレエを生み出す仕事もベジャールと言う優れた振付師と卓越したダンサーたちによって完成されていく。
ダンサーたちも様々な人種がいて皆美しい。私も名前を知っている小林十市さんのハンサムな顔も観れてうれしかった。
 
監督:マルセル・シューバッハ 出演:モーリス・ベジャール ジル・ロマン エリザベット・ロス 小林十市 クリスティーヌ・ブラン ジュリアン・ファヴロー オクタヴィオ・スタンリー
2002年 / スイス
ラベル:バレエ
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2009年03月08日

『でんきくらげ』増村保造

でんきくらげ.jpg

久し振りの増村作品。この『でんきくらげ』という不思議なタイトル、昔うっすらとなにやらエロテッィクな映画だということで話題になっていたような(さすがに自分の記憶は公開当時ではないと思うが)うっすらとした記憶だけがある。DVDの表紙もちょっとためらわれるきわどさである。

とはいえ無論そこは増村保造作品。いつもどおりの物凄いハイスピード展開の乾ききった映像でたちまち引き込まれて観終わってしまった。
映画の中で起きていく出来事は正直神経が逆撫でされるような嫌なことばかりなのだが日本的情緒の欠落したような(つまりめそめそする余地がまったくない)突き放した語り口なので意外にあっさり観てしまえるのだ。ま、逆に言えばどろどろ感を求めたい向きには不満かもしれないが。
それは主演の渥美マリの持ち味なのかもしれないが、まるきり棒読みの台詞回しがまるで感情のない人間のようにも思えるし、とんでもない事が起きてもすべてさらけ出してしまい隠し事をするということがない。それでこちらはイライラすることなしにどんどん物語が進んでしまうのである。

なにしろこの物語というのが中年ホステスが仕事の間に自分のヒモである男に大事な娘をレイプされ怒ったところ「お前みたいな婆には飽きた」などと言われたあげく娘を連れて行かれそうになったのでかっとなって刺し殺してしまう、という怖ろしく滅入る話から始まる。
真面目だった娘は仕方なく母親が働いていた店のホステスになりやくざから手篭めにされそうになったり嫌な中年社長たちと関係を持ったりしながらとんとん拍子に出世していく、というまあある意味よくある話なのだがテンポがよくてちょっとおかしいのであっという間に乗せられてしまうのだ。

主演の渥美マリという女優は名前は聞いたことがあるがどういう人なのかまったく知らないしこれもうっすらとセクシー女優であった、と言われていたような記憶があるだけだ。出演作品のタイトルを見てもいかにもそれらしいし「軟体動物シリーズ」などというこれまたいかにもな企画名で人気になったらしい。本作はその3作目で監督は入れ替わりで撮影されていて増村監督は6作目の『しびれくらげ』で再監督となっている。またきわどいタイトルだ。
で、多分本作が渥美マリ初見だと思うが、なるほどエロチックで作品中でも言われているように「男好きのする女性」なのだろう。そういう女性が増村監督によって実にあっけらかんとした素直で自由な言動をして男達を魅了していくのだから観ていても凄く楽しい。
結末の彼女の決心にも驚くがそういえばマット・デイモン主演の『レインメーカー』のラストが気に入らなかったのを思い出した。夫から暴力を受け続けている女性を弁護士のデイモンが助け出し弁護士が辞めて彼女と結ばれる、というようなエンディングである。まあ、弁護士デイモンはそれでいいのだろうが、夫の暴力から助けてくれた弁護士と結婚するその女性というのはまた男の支配下に置かれるわけで結婚後その男がまたDVをやらかすかもしれない。なんでこう男に頼らないと生きていけない女なのかとうんざりしたのだ。
渥美マリ演じる由美はそうしたうじうじをぶっちぎってくれた。堕胎というのはさすがに怖気づく決断だったが。

今、松山ケンイチ主演『銭ゲバ』を観てて今のところどうも迫力がないのだがこの由美の生き方こそ『銭ゲバ』の称号を与えてもよさそうだ。
松ケン演じる風太郎よりよほど徹底したゲバっぷりではないか。

監督:増村保造 出演:渥美マリ 川津祐介 西村晃
1970年日本
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2009年03月07日

『銭ゲバ』第8話 松山ケンイチ

銭ゲバr.jpg

偶数回でもあるし多分次回最終回というクライマックスなのにも関わらずなんだか萎んじゃった感が。

意気込んで「現在に『銭ゲバ』を」と始めたがどうも収集がつかず、というか無理矢理適当に収めていったような気がする。ほんとに原作の筋にこだわらず暴走していってもよかったと思うし、だからといって原作のさわりの部分ほどしかやってないし。

やはり風太郎の親父だけがぶれてなかった。金より自由な人生を選択した。いや、だからって偉いわけでもないが。
映画にするんだったらこの回から始めて欲しい。顔に瑕のある若い男。豪邸で美女と暮らしながらも死ぬことだけを考えている。もっとも美女は男を忌み嫌っている。一体何故、というような物語。あまり面白くもないかな。

風太郎爆死することを計画しているが何か企みもあるらしい。
だが今回を見終わったところでは風太郎の死に大した興味が持てない。
以前、司馬遼太郎氏の『人斬り以蔵』を読んだ時、主人公の人格と物語を記すあまりの惨さに空しさを覚えたものだが(とはいえあちらは素晴らしく面白い)風太郎の死にも一抹の悲しみも覚えないとしたらやはりそれはそのことが悲しいことだ。

「結局人間の本質は思ったとおりだった」と納得しているがリサーチとしては件数が少なすぎてもう少し掘り下げてみるべきだろう。
実際イライラするほど善良なお方もいらっしゃるのだ。

『銭ゲバ』というドラマの目的が寒々とした思いをさせたいということなら今のところある程度成功しているのかもしれない。ただ面白くないだけで。
昔観た『淋しいのはお前だけじゃない』は毎回ぞくぞくと面白かったんだけどなあ。
ラベル:松山ケンイチ
posted by フェイユイ at 22:55| Comment(4) | TrackBack(0) | 松山ケンイチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『マッドマックス4』は3Dアニメで製作

『マッドマックス4』は3Dアニメで製作

ジャパニメーションスタイルですか。ちょっと気になりますねー。どんなキャラクターになるんでしょ。
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2009年03月06日

『アヒルと鴨のコインロッカー』中村義洋

アヒルと鴨.jpg

とても凝った演出構成で非常に楽しんで観ていた。観ていた間は。少なくとも途中までは。
観終わってみるとこれは嫌な話だったのに騙されたような気がしてきた。
特に女性の描写に反感を覚えてしまう。

全体にゆるい雰囲気があって特に前半はコメディな感じが強く出ている。こんな風に可笑しなタッチで巧妙に仕掛けている日本映画は珍しいと思う。
大変愉快に観ていったのだが観終わるとあまり感動はなかった。「神様この話は見ないで」という考え方もしっくりこない。
原作は評価の高い人気小説らしいので原作では納得できるのかもしれないが映画はどうしても端折らねばならない部分が出てくるのでその辺が原作を知らない者にも疑問になってしまうのかもしれない。

前半のとぼけた風采の主人公椎名が大学入学の為にアパートに越してきたら両隣になんだか不思議な住人が住んでいた、というところから始まりなんかねじが弛んでいるようなそして突然に事件に巻き込まれ狐につままれたというような展開はとても面白い。
馴れ馴れしい隣人は自分の事、反対側の無口なブータン人、突如出会ったペットショップの主人である美女などに関わる色々な物語を椎名に話して聞かせる。
椎名は河崎と名乗るその男の言動に面くらいながらもつき合うことになる。
だが河崎が「あのペットショップの女の言うことは信じるな」というその女レイコもまた「河崎くんの言うことは信じるな」と言うのだった。
前半のゆるく可笑しな話が後半がらりと緊張感のある悲しい話へと変化していく。そして前半に椎名を迷走させた謎が解き明かされていくのだが。
観ている間はとても楽しんでいたのでそれはそれでいいのだが河崎=ドルジの人格設定には破綻が感じられる。どこか実はブータン人だから謎の男なのだ、という意識も感じられてしまう。ドルジは石を投げた相手にもあやまるような善良な人間なのにガールフレンドを殺した男に復讐しようとするのだがそのやり方が残忍である。ブータン人という設定だと殆ど観ている日本人はその性格を思い浮かべることもできないのでそんなものかと思ってしまいそうだが、イメージ的にも非常に温厚そうなブータン人がこんな日本人がやりそうな復讐を実行するのだろうか。考えたのは本物の河崎のほうかもしれないがドルジにはやれないかもしれないし、もっと違った展開になったほうがよかったと思う。
というか前半ののんびりさに騙されてうっかり後半を観ていったが実際にこういうことが起きるのだとしても動物虐待が扱われた映画だけだったら絶対観たくないし、それを止めようとした女性の顛末も苛立たしいものでこんなに嫌な話もない。助けを呼んだ警察の間抜けで意地の悪い描写もいただけない。警察官がこれを観てたら相当嫌な気分になりそうだ。
そして登場する女性の扱いというのがどれも酷すぎる。
男性陣3人はとても魅力的に描かれていると思うのだが、この監督は女性嫌いなのだろうか。
特に動物虐待に怒ったために暴行されそうになり最後は自ら轢き殺されてしまうなどとあまりに馬鹿馬鹿しい行動ではないか。こんな描き方をする、ということに苛立つし、ペットショップ女主人も「自首しなさい」とか一人善良ぶった言い方をさせているのが気に食わない。
動物虐待の一人の女も河崎の浮気相手の女性も全部女性は嫌な存在でしかない。

ここまで女性が醜く描かれている映画もない。
反面、河崎とドルジと椎名の関係はとても深く美しいつながりとして描かれていて何故男性同士の関係だけこんなに綺麗なんだ?と文句をつけたくなってしまう。
確かに凝った内容は面白く観れたけど。
男同士の深い友情物語はいいものだけど。
それを描く為に女を哀れに利用しないで欲しい。

凝った物語、というのは得てしてこういうところに作り手の本音が出てしまうものか。
観終わって残るのはドルジのことみへの愛情より河崎と椎名との友情のほうだ。
ことみを殺したのはあくまでも製作者なのだからそこに何か意味がなければならないのに、彼女の死はなんだったんだろう。

ボブ・ディランの歌だけが空しく心に残る。一見上手い映画、と絶賛されそうな所が悲しい。

配役は申し分ないものだったと思う。椎名役の濱田岳はとても可愛くておかしいし、瑛太はさすが最近特に目立っているだけあって魅力的だし、松田龍平氏はいつもながらに素晴らしく、出演時間は短くても印象に残る。
だけに余計この技巧的な作品の底にあって欲しい人間性がなかったのは残念だ。話の為に登場人物を殺す、というのはげんなりする。犬が助かってよかったねー、って問題じゃない。そのために本当に自分の命を犠牲にするか?嘘だ。
本当に大切なものがこの物語にはないと思うのだ。現実を見せたようなつもりの虚構の為の虚構、これもまた。

監督:中村義洋 出演:濱田岳 瑛太 関めぐみ 大塚寧々 松田龍平 田村圭生 関暁夫
2006年日本
posted by フェイユイ at 23:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月05日

『ダーク・ハーフ』ジョージ・A.ロメロ

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STEPHEN KING'S THE DARK HALF

ロメロ監督作品ということでゾンビなイメージなのかとやや戸惑ったが主役がティモシー・ハットンだったので「一体どういう作品になるんだろ」と気になって観てしまった。

スティーブン・キング原作なのでまず興味は惹かれるし、結構地味で落ち着いた雰囲気から始まるのですんなりと入っていけた。
こういうかっちりとした作り方はアメリカならではで、味気ないが非常に判り易い。
ティモシー・ハットンといえば『普通の人々』で知ったのだが、アメリカの人気俳優なのにどこか派手さがない。とてもハンサムなのだが印象が薄いように思えるのが却って印象的だった。
『タップス』『ロングウェイホーム』までは観て、その後を知らずにいたがこういう映画に出ていたのだ。とはいえ、さすがに変わらない落ち着いた2枚目であり、人間の持つ「善の顔」と「悪の顔」をくっきりとうまく表現している。最初「悪」になった時は他の人かと騙されていた。

キングらしい物語、というのか。善良で知的なイメージで売っている小説家が別のペンネームで残虐な殺人鬼の物語を書いている。サッド・ボーモントの名前の善の作家は評価は高いが売れているのは殺人鬼の作家であるジョージ・スタークのほうだ。
ある悪質なファンがその秘密を知り公表するぞと脅したためにサッドは仕方なく自ら公表しスタークを葬り去ることにした。
だが善良なはずのサッドは心の奥でスタークに強く惹かれていたのだ。架空の存在であるはずのスタークが実在化してサッドの関係者を次々と殺害する。警察はすべての犯罪の犯人はサッドだと疑う。

さらにサッドには双子の兄弟がいたのだが、胎内にいた時、もう一人がサッドの体内に入り込んでしまっていた。
サッドが少年になった時、激しい頭痛がして脳内から兄弟の遺物が見つかったのだ。
果たして怖ろしいジョージ・スタークはサッド自身なのか、それとも本当に存在するのか。
もうどっちにも転がれる話のようにも思えるがそこはキングなので単に想像だとか、本人が無意識にやっていただとか、性格異常者が犯人だったなんていう落ちで終わらないのである。
つまりジョージ・スタークは存在するのだ。(といっても原作がどうなっているのかは知らないが)
いつも柔らかで優しげな表情のティモシー・ハットンが怖ろしい顔に豹変するのを見ると「本当にこんな風に性格が変わってしまうんじゃ」とビビッてしまう。態度も粗野で乱暴で信じられないほどだ。
最後スタークが雀の大群に食べられてしまうのだが(といきなり書くとなんのこっちゃだが)サッドは犯人だという容疑をかけられているのにこいつが食べられたらどうやって立証するんだ、とはらはらした。
というか保安官が見たのはもうあらかた食べられて肉片のようになった状態だったのに大丈夫だったのかな?奥さんの証言だけでは無理だろうし。でもなんだか落ち着いてた。

驚くほどでもないし、わりかし低予算な仕上がりに思えたが役者さんがたの演技で楽しんで観ることができた。
サッドに助言する大学教授の女性がかっこいい。

監督:ジョージ・A.ロメロ 出演:ティモシー・ハットン エイミー・マディカン ジュリー・ハリス マイケル・ルーカー ロバート・ジョイ
1993年 / アメリカ
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故ヒース・レジャーの遺作『パルナッサス博士の想像力』配給が見つからずDVD化?

故ヒース・レジャーの遺作『パルナッサス博士の想像力』配給が見つからずDVD化?

そりゃ私はどうせDVD鑑賞しかできないので却って早く観れる、ということなのかもしれませんが残念ですね。(日本版は関係ないか?)

どちらにしてもテリー・ギリアムの映画が好きなので早く観たいです。

この写真のヒースもかっこいい。
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2009年03月04日

『悪夢探偵』塚本晋也

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続編『悪夢探偵2』もすでに公開され早く観たいと思っているのだが、あれ一作目がどんな内容だったか思い出そうとすると何も浮かばない。
強烈な印象があってよさそうなのに困った。しかし大変面白かったという記憶だけはある。これは塚本監督に非があるのではなくまったく私の記憶力のせいであるからして再び鑑賞することにした。
再度面白く観れたからある意味お得な人間だ。うん。実に面白かった。

お父さんは『探偵物語』というのでさっそうとしてかっこよかったのに、息子さんは『悪夢探偵』ってなあ。しかもいつも顔をしかめている苦しい探偵だ。他人の夢の中に入ることができるのだが、だからと言って何かできるわけじゃない、と彼は言う。それに辛くて危険だからもう頼まないで欲しいという探偵である。
いつも画面が暗くてびちょびちょしてて気持ち悪いし、包丁が嫌だし、血や内臓がどんどん出てきておっかない。
かなり陰鬱な作品なのだが、それでも悪夢探偵の松田龍平は凄くいい。「いやだいやだ」という決め台詞もとてもいい。
女刑事のhitomiも棒読みの話し方が気になる感じでこれもまたいい。
いつも不気味な役の塚本監督も相変わらず殺人鬼な風貌である。
いつも江戸川乱歩世界を思わせる塚本作品だがこれは見直しているとむしろデヴィッド・リンチ的な感じがして、フランシス・ベイコン風の顔ぶるぶるなんかは特にそうかもしれない。
警察の裏の捜査というのもなんだかありそうな、というかあったら面白そうである。

こういうダークヒーローというのに凄く惹かれてしまう。2もできたわけだが、連続TVドラマにして欲しい。松田龍平じゃないと嫌だからちょっと無理かもしんないが。
松山ケンイチでもいいんだけどなあ。

監督:塚本晋也 出演:松田龍平 hitomi 安藤政信 大杉漣 原田芳雄 塚本晋也
2006年日本
ラベル:松田龍平 ホラー
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2009年03月03日

『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』押井守

The Sky Crawlers.jpg

戦争を肯定するかのような台詞があり、戦闘機に乗り込む兵士たちがいずれもハイティーンほどの子供達であるということも含めてやや不評気味のアニメーションだが、何故か非常に観たくなってしまい、相当ぶりに日本のアニメ映画をマジで観ることになった。

などと言っても自分は元々はアニメしか観ないというくらいのアニメ人間であったのだが、ガンダム1代目が終わり、宮崎駿が単一で目立ちだした頃から離れていったものだ(一体いつのことだか^^;)
そういう人間にとってはこのアニメはある一つの疑問の答えを出してくれたような感慨深いものがあった。
大体戦争ばかり繰り返しやっているアニメ、戦士もしくは兵士が子供であるアニメ、というのは殆ど目新しいものじゃあなくそれどころか私が子供の時からアニメと言うのは「地球を守る為に常に戦い続ける」のであって命を懸けて戦う主人公はいつも子供であった。
アメリカのマンガは『スーパーマン』だとか『バットマン』だとか太々とした「大人の男」であって少女の目からは気持ちの悪い存在にしか見えなかった。それに比べ日本アニメのヒーローは常にほっそりとりりしい少年なのであってまだ幼いと言っていい彼らが命をかけて怖ろしい敵と戦う姿を食い入るように観たものだ。若い仲間達が死んでしまってもそれは地球を守る為なのだから「潔い戦死」として子供心に納得していたわけである。それは『マジンガーZ』であり『ガッチャマン』でありその他多くのそういう戦う少年ヒーローたちである。時は移り『宇宙戦艦ヤマト』『機動戦士ガンダム』と続いても状況は同じであった。
そして自分がもう観なくなった昨今でも『エヴァンゲリオン』などという作品もまったく同じなのである。
子供の時は疑問でもなかったそういう状況がさすがにこの年齢になってくると「はあ、なんで子供ばっかりで戦争ごっこやってるわけ?」という目で件のアニメに侮蔑の眼差しを送ることになってしまうのだ。
ではこのアニメ映画はどうなのか、というと見事にその辺を暴き出してくれたのであった。
「私たちは永遠に子供で永遠に戦い続けなければならないの。それを止めるには死ぬしかない」
これは日本アニメで永遠に繰り返される子供戦士たちの悲痛な声じゃないか。(←いや笑ってるんですが)
ワカメちゃんは永遠に子供だが近寄って見ると小じわがある、という小話である。
一体何故日本のアニメの戦士は子供なのか、馬鹿な女にうつつを抜かしているデブいスーパーマンなど見たくないからである。つるりとした丸い頬の細い足首の少年少女が戦士でなければ「萌え」ないのである。
さらに少女戦士は言う「私たちは生まれた時からこの姿で本当は子供時代もないのでは」
そしてこの作品の中で年老いた少女である草薙は繰り返される戦争の中の永遠の少年兵士である反逆として煙草を吸い、酒を飲み、少年をセックスに誘い、子供を産んでいる。
今までの「永遠の少年少女ヒーロー」像としてはあってはならない反抗なのではないだろうか。
何故日本のアニメ(だけではなく他の分野でもそうだが)では子供が命懸けで戦わなければならないのか。他の国では「大人の男、大人の女」であるのに。
たとえそう反論されてもその伝統は続いていくんだろうと思う。永遠に彼らは子供であり戦い続けるのだ。「それを観たいから」
この作品の中で「私たちに戦争をさせ続けることで彼らは安心できるの」と言われている「彼ら」は日本のアニメおたく(最近は外国おたくもみたいだが)のことじゃないか。

「キルドレ」の永遠のライバルである敵のエースが「大人の男」だというのは面白い。しかもティーチャだというのがおかしい。

『エヴァンゲリオン』あたりで大いに不満を感じむずむずとした疑問がしこりとなっていたものがこの作品でやっと解けてほっとした感がある。
この作品、実際の戦争と重ねて考えるより今までの日本のアニメの解答として極めて明快に表現してくれている面白い作品だった。
ラストのラスト、やっぱり永遠に続くのだね。

背景がリアルでも人物は日本のアニメらしいマンガの絵である。頬のこけたアメコミでは嫌だからである。
あくまで可愛いマンガの絵でなければアニメじゃないのだ。(←アニメおたくとしてはそういうことでしょう)

ところでこの作品、あの『エヴァンゲリオン』をよく知らないのでなんとなくだが意識して対抗しているような気がするのだがどうだろう。
あの作品が酷く嫌いな自分としては『スカイクロラ』には非常に頷いてしまったのだった。

アニメ論だけで終わってしまって本作の感想を書いていないようだ。
はっきりとした設定説明をしないぼんやりとした物語であることやどこの国かわからないやや廃れた街のような雰囲気がとてもいい。
昔のアニメで満足していた私にはやや描きすぎくらいの感じがするが技術の高さには感心してしまう。
キャラクターも媚びてなくて適度に可愛らしさがあって文句の付け所はないキがする。
こんなに面白いならまたアニメ世界に戻ろうかな、と思ったほどだが、なかなかここまで凄い作品はないだろうな。

監督:押井守
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2009年03月02日

『王妃の紋章』張芸謀

王妃の紋章.jpg
満城尽帯黄金甲

絢爛豪華な画面を眺めながら何かを考えたいと思うのだが何も思い浮かばないのだよねえ。

やはりこれも観て感じる映画ということなのだろうか。
何故邦題が『王妃の紋章』なのか?ということもよく判らない。原題の
『満城尽帯黄金甲』であればなるほど黄金の鎧を身につけた反逆者たちが王の城を埋め尽くすようなあの黄金の場面にうなづけるし、まだしも英題『Curse of the Golden Flower』黄金の花の呪い、ということでこれも判る。
まあこの物語は王妃の復讐譚であり、最後の毒薬で焼けた痕が紋章ということなのだろうか。
黄金に埋め尽くされた映像が凄い。コン・リーの化粧も黄金色である。
ギリシャ神話で手に触るものが皆黄金になってしまうミダス王というのがあるがあれと同じくこの物語の王も大事なものをすべて失ってしまう。
コン・リー演じる王妃の復讐心というのはどこから生まれたのだろうか。王は地位を得る為にだけ彼女と結婚したがその心は皇太子の母親である女性にだけ向けられていた。
コン・リーは皇太子と肉体関係を持つことで王にもその元妻にも腹いせをしたのだろう。そして何故か王は長年王妃に飲ませていた薬に10日前からトリカブトを少量混ぜることにし少しずつ弱らせて殺すことにしたのだ。
王妃の復讐心はより強いものとなり皇太子と恋仲になっていた少女とが同母の兄妹であるとばらし、皇太子を死に追い詰め、三男は無視される苛立ちで父王に反抗する。可愛がっていた我が子である第二王子も結局は復讐の為に利用したに過ぎない。だが第二王子は父王に苦しめられる母を見て「力が及ばなかった」ことを嘆き自害する。王は愛する女性も3人の息子も一度に失くしてしまう。
愛のない結婚をして女性を貶めた男はこうなるのだという怖ろしい話なのだ。

王妃のコン・リーの美しさは目を奪われる。息を飲んで震える唇が魅惑的である。
第二王子を演じたジェイ・チョウは自身も有名なマザコンであるからしてこの役はまさにぴったり。母親のために身を投げ打って戦う姿は彼自身の姿とも重なってしまう。母后を心配そうに見つめる眼差しには切なくなるものがあった。
皇太子を演じたリウ・イエは情緒不安定で頼りない風情が痛々しく見捨てられた状態の第三王子と共に憐れな存在だった。

遠い昔、このような物語がありました、というような雰囲気で語られている気もするし、現在でも同じような物語はあるのだとも思う。

監督:張芸謀 出演:周潤發 鞏俐 周杰倫
2006年中国
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2009年03月01日

『ザ・フォール/落下の王国』ターセム

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The Fall

これは凄く上手い映画だなあ、と感心しながら観てしまう。
大体ちょっとブスくれた女の子(わーごめんなさい、単純な美少女ではない、ということなんだけど)が語り手となっている作品は殆ど面白いのではないかと思い込んでいるところがあるのだが、これは語り手ではなく聞き手だが病院の一室で傷心の車椅子の青年が腕を骨折した5歳の少女にお話をしてあげる、という形式で作られていて要するに男の作り話なのでどんな不思議世界になったとしてもそれは許される、というわけで色んな国々のイメージが交錯した冒険ファンタジーとして映像化されていくのである。

なんだかね、これを観てると少女時代、手当たり次第に色んな外国の小説を読んでは空想の世界に浸りこんでしまっていたのを思い出してしまう。
いわばこの物語は子供が考えてしまいそうな考証めちゃめちゃな世界観をあえて作りたくてこういう風に女の子に語って聞かせるという方法をとったのではないだろうかと。現実とファンタジーが微妙に入り混じってしまうのも子供らしいことなわけで。

ブスくれた、なんて失礼なことを言ってしまったが、ちょっと太めなだけでとても可愛いアレクサンドリアちゃん。
みかん畑で収穫の手伝いをしていて落下し腕を骨折して入院。
同じ病院に入院していたスタントマンのロイは落下するスタントで大怪我をしている。それだけでなく失恋にも苦しむロイは自殺する為無邪気なアレクサンドリアにモルヒネの壜を盗んできてもらおうと作り話を聞かせて喜ばせるのだった。
『アラビアンナイト』では「面白い話を聞かせなければ殺す」だがこれは「面白い話を聞かせて自殺する」という変てこな設定である。
ともあれ優しいお兄さん(ファンタジーの中でお父さんになってしまうが)のわくわくする冒険物語を楽しみにして「退院すると会えないから寂しい」なんてじんとする台詞を言ってくれるアレクサンドリアを騙す為にロイは話し続けるのだった。

世界各地の信じられないほど美しい遺跡風景を舞台にして絢爛豪華なファンタジーが繰り広げられる。とにかく口からでまかせだと最初から言ってるんだからどんな奇想天外な展開にしても滅茶苦茶な設定でもいいのである。
現実に側にいる人々がファンタジーの中では謎の人物やお姫様になる。アレクサンドリアも途中からお話の中に入ってしまう。子供なら(大人だって)わくわくせずにはいられない話ではないか。
突然中国風ファッションのお姫様が登場し、まるで張芸謀の『英雄』みたいに矢が飛んできたり、カンフーチックなアクションがあったりと大いに楽しませてくれる。
マーカス・ウェズリーの肉体もこういう物語には不可欠ですな。

ロイの作り話と辛い現実もまた交錯していく。薬中毒になったロイは死ぬことしか考えられず、登場人物を次々と死なせ、アレクサンドリアを悲しませる。
最後にロイ自身が投影されている山賊が殺されようとした時、アレクサンドリアの「死なせないで」という願いと涙でロイは自殺しようとすることをやめる。この場面はもう泣けて泣けて「あーよかったよー」という感じでありました。

その後、無論二人は退院して別々になってしまうのだが、それまで映画を観たことのなかったアレクサンドリアは映画を観て色んな作品にロイが出演していると知る。と言っても彼女が観た映画ははっきりと違う人(バスター・キートンだったり)してるのでこれはアレクサンドリアの勘違いなのかもしれない。
でもきっとロイが映画の中で活躍している姿をアレクサンドリアは観たに違いないのだ。きっと立ち直ってどんどん飛び落ちるロイの姿が彼女には見えるのだろう。
「ありがとうありがとう」という最後の台詞も実に効いてるし、これは上手い映画だったなあ。

監督:ターセム 出演:リー・ペイス カティンカ・ウンタルー ジャスティン・ワデル ダニエル・カルタジローン レオ・ビル カティンカ・アンタルー
2006年インド・イギリス・アメリカ
ラベル:ファンタジー
posted by フェイユイ at 21:58| Comment(2) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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