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2009年03月14日

『銭ゲバ』第9話・最終回 松山ケンイチ

やっと終わった。毎週一時間弱を九回なかなかの苦行であったがついに終えることができた。

最終回はこれをやりたい、という気迫を感じるものはあったがなにしろこれまでが惹きつけられる魅力に欠ける物語だったのでいくら最後頑張っても説得力というものがない。
それに今回の話でもやはりどこか素直に頷けないものがある。製作者の考えはどういうものなのか。
幼い頃から貧困に苦しみ愛する母を失った風太郎が銭の為ならなんでもする、という一念で何度も殺人を繰り返して大金持ちになるがただ一人心惹かれた緑の目前で爆死する決意をする、というラストである。
腹に爆弾を巻きつけた風太郎は導火線の火が近づくのを見ながらもう一つの人生を思い描くことになるのだが(これが風太郎が考えたものなのかどうかは別段関係ない)この中の風太郎の家庭が裕福で従って彼にはあの深い頬の傷がない。
三國家はやや控えめなお金持ち程度になっていて緑はそのままだが茜は足も悪くないし、顔には痣がない。
風太郎と茜は同じ大学に入って恋愛し風太郎は就職して茜と結婚し子供も出来ていい家庭を築く、という筋書きである。
これは一体どういう考えでもう一つの人生として表したのか。
つまり結局風太郎が裕福な家庭で両親に見守られていれば自殺などする結末にはならなかった、と言いたいのか。
茜が足が悪くなくて痣もなければ大学で恋愛し結婚したんだと言っているように見える。
この仮定の物語は最悪だ。これまでで最も酷い演出ではないか。
それともこんな物語だったら幸せだと言えるんですか?と疑問を問いかけているのか。誰でもそう思うだろう。しかし現実にはそうでないし、貧乏に生まれ、容姿や健康や身体に恵まれず劣等感を持つこともある。
そういった同じ状況でこういう違う人生もあった、つまり風太郎が貧乏のままでも茜が同じ容姿でも違った人生を歩んでいることもある、という話ならわかるがこれでは言いたいことがあやふやになってしまう。

そう、これは原作に合わせているつもりなのだろうが、原作の持つ意味とかけ離れている。
原作では同じ容姿の風太郎が緑と(茜ではなく)結婚し幸福な家庭を築く夢を見るのだ。こちらなら判る。
微妙に内容を変更した為にまったく意味が違ってしまったのだ。茜との愛情にこだわってしまったからだろう。
原作ではあくまでも風太郎と緑の関係が主体になっているので無理に茜にする必要はなかったのだがドラマでは茜の出番が多かったのでこうなってしまったのだろう。
原作に無理に合わせなくてもいいのに帳尻を合わせようとして失敗してしまった。

そして衝撃の自殺シーン。
もしこれまでの物語で風太郎に共感を持っていたら確かに衝撃だったのだが、もうどうでもよくなっていたので何の恐怖も感じないという冷血漢と化してしまった。
おまけについこの前ルイ・マルの『鬼火』を観てしまっていた。あの時は本当にショックだったのに。
おまけに今日ドラマを観る前に田中優子著『カムイ伝講義』を読んでいた。
もう真剣に働こうよ。ぐちばっかり言ってんじゃねえよ。という気持ちになってしまう。「豊かさとは贅沢をすることではなく日々働き収入を得ることだ」という言葉を風太郎にも知って欲しかった。
あー、こういう真面目なことを言いたいわけじゃないのだけどね。
『鬼火』には参ったんだけど。たとえぐちでも。

もう一つ残念なのは始まった時、原作当時の時代設定ではなく現在にしたことでより今の不況期に共感を持てる内容になっているのではないかと期待したのだが、結局それほど現状に即した内容に変更されたわけではなかったことだ。
例えばラストなども「今の銭ゲバならこうだ」という違いを出してもよかったかもしれない。というか何らかの違いがないのなら時代設定を今に変えた意味がない。死なせることだけが衝撃とも限らない。
原作どおりでもなく原作を壊すほどもなく中途半端でしかも悪く変化してしまったとしか思えない。
物語だけでなく設定でも緑が男だったらとか(それなら風太郎自身女だったらてのもあるが。したら松ケンじゃなくなるが)でも物語が変わって面白かったかもしれない。
どうせ緑とのセックスシーンというかレイプシーンがなくなったのだから男性であってもよかったのでは。(男性でレイプシーンだったらそれこそ衝撃だが)
原作にある映像化は困難なのでは、と思った部分は全部割愛されてたし(女子高生殺害、乳児殺害、薬害問題、風太郎が中年になって太っていく状況なんかも松ケンがどうなるのかと思ったが)
結局甘い甘〜い『銭ゲバ』にしかなりえなかった。仕方ないとは思うが。

とにかく終わってくれた。酷いドラマの中で松ケンは頑張ってくれたと思う。(今日久し振りにまたジェイに似てると思ってしまった。あの大学生のとこ)爆死する場面はそこだけ取れば迫力ある場面だった。でも思わせぶりに行ったり来たりする過剰な演出は逆効果。昔みたいにただ最後にアップの顔とか台詞を言わせるだけでもいいのに。
そして蒲郡パパの椎名桔平、最後までかっこよかった。彼だけが極めていたな。

松ケンは『デロリンマン』のほうが絶対似合うと思うんだがなあ。


posted by フェイユイ at 22:51| Comment(2) | TrackBack(0) | 松山ケンイチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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