映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2009年03月17日

『チュ・ジンモ 悲しい誘惑』

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チュ・ジンモは間違いなく申し分ない美形ではあるし、『MUSA』を観た時から印象強く残ってはいたが、あんまり好みのタイプではないのでさほど気にかけてはいなかったのだった。(キム・ギドクの『リアル・フィクション』も観たが)
それがDVDレンタルの新入荷を観てたらこれがあってイントロダクションが「男同士の切ない愛を描いた禁断のラブロマンス」だと。
うわいつの間にこんな映画が、と思ってたらこれは2回連続のTVドラマなのだった。しかも後で気づいたんだが1999年作品。まだ初々しいといっていいチュ・ジンモだった。『ハッピー・エンド』に出演した年なのである。

え〜、韓国ってちょっと前までゲイって全く御法度だと思ってたのに。しかもTVドラマ。一体どんな胡散臭いものか。陳腐な作品なのか。馬鹿馬鹿しい奴か、とかなり疑心暗鬼で観始めたのだが、これがなんと意外にも渋い大人のドラマなのだった。

とはいえ、これは「禁断のラブロマンス」というようなものではなく、ゲイの青年と会社から邪魔者扱いをされている中年男が互いの苦しみを語り合うといういたって地味なドラマでセクシャルな描写を求めている方はお勧めではないし、さほど驚くような発見があるというわけではない。
ただ軽佻浮薄で煌びやかな設定だけで見せ付けるようなことがなく地道な物語なのがこういう物語としては結構驚きなのである。
若い頃は野心に満ちて会社の為にと働き続けた結果、年を取って会社から追い出されるはめになった男が妻に弱みをみせたくないというプライドと戦い続ける。その妻は夫婦なのに話し合いもない生活に悲しみを感じている。
そんな二人の前に登場するのがチュ・ジンモ演じる若者で、中年男は伸び盛りの青年に反発とかつては自分もそうだったという懐かしさを覚える。
男が青年に感じた気持ちは一体なんなのだろう、という物語である。

繰り返しになってしまうが、さほど新鮮味があるという話でもないのだが、それでもじっくり観てしまうのは設定、物語、台詞が地道で現実味のあるものだからだろう。
こういうドラマが10年も前に存在していて主役をチュ・ジンモが演じていたとは、驚きである。
妙なアクシデント(どちらかが突然死んでしまうとか)なんかがなく自然な感じで終わるのも渋いのである。
奥さんが単なる飾りではなく悩みや優しさを持っている女性で最後に彼女が二人を見つめているので終わっているのもなんだか文学的ではないか。

脚本:ノ・ヒギョン 出演:チュ・ジンモ キム・ガプス
1999年韓国

同じくチュ・ジンモ主演の『双花店』もますます気になるところである。こちらはもう本当に危ないシーンが観られそうだし。


ラベル:同性愛
posted by フェイユイ at 23:14| Comment(2) | TrackBack(2) | 韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『オアシス』イ・チャンドン

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また前日に観た映画とつながってしまう偶然に会った。
昨日観た今村昌平『うなぎ』とイ・チャンドン『オアシス』
『うなぎ』のように主人公が犯罪を犯すシーンはないが(といってもそれが後で意味があることがわかる)どちらも刑務所で数年の服役を終えて出て来たところから物語が始まる。
どちらも素直に好きとは思えない男である。そして同じように「可哀想な境遇の女性」と出会い関わることになる。
ここから日本と韓国の違いになるが『うなぎ』では女が押しかけてくる、というのがいかにも日本の男女関係である。韓国では無論男性が女性の家へ押し込んでいく。『うなぎ』では女性がとことんつくしていて『オアシス』では男性がつくし抜いている。
どちらの男女もなんとも冴えない境遇と人格であり他人から煙たがられる存在なのは同じなのだ。
それでどちらが好きかと言うのなら全く躊躇することなく『オアシス』のほうだ。
同じような設定と物語とは言ったが『うなぎ』に感じた嫌悪感が『オアシス』にはない。なにやら教訓めいた語り口の『うなぎ』と違い『オアシス』には情感だけがあるように思えるのだ。

『オアシス』の主人公ジョンドゥは重い脳性麻痺の女性コンジュを好きなる。彼女はその為に体を動かすことも話すことも思うようにならない。表情はいつも強く硬直し、その手も空をかいているように見える。
ジョンドゥもまた人に自分の考えを明確に話すことができない人間である。彼は前科を持つのだがその一つは兄の罪を被ったものだし、もしかしたら別の罪も上手く釈明ができなかった為の濡れ衣のようなものだったのではないかと思えてくる。
自分たちもまたジョンドゥやコンジュのように自分の思いを話せない人間なのではないだろうか。
ジョンドゥは何をっやっても不器用で佇まいもさまにならず人から蔑まれるような人間だ。コンジュはまた彼以上に人から迫害されてしまう存在である。
誰が観ても羨ましくもない二人だがジョンドゥがコンジュを外に連れ出してはしゃいでいる様子はなんて楽しそうなんだろう。
誰からも疎外されている二人が互いを「姫」「将軍」と呼び合っていることがおかしくてちょっと悲しくて笑えてしまう。
普通の恋人同士ならロマンチックなはずのラブシーンが二人だと障害者を強姦する犯罪者ということになってしまう。そして二人にはそれが「恋愛」だという釈明をする言葉を出すことができないのだ。
ジョンドゥは何も言えず、コンジュは興奮するばかりで体を打ち付けて悲しみを表すが他人にはそれが何の意味をもつのか理解できない。

コンジュは夜の闇の中で「オアシス」の絵にさす木の影が怖くてしょうがない。ジョンドゥはそんな彼女におどけて魔法の御まじないを唱えてみせる。それを嬉しそうに笑うコンジュが可愛い。
コンジュとのセックスが強姦だと間違われまたもや留置場に入れられそうになったジョンドゥは隙を見て逃げ出す。それはコンジュが怖がる窓からはいる影を作る木の枝を切り落とす為だった。それは彼がコンジュに「愛している」という言葉なのだ。
コンジュには彼の思いがわかった。声を出せないコンジュはラジオのボリュームを最大にしてジョンドゥに伝える「私も愛している」と。

重度の脳性麻痺で話すことも動くこともままならない彼女が彼女の想像の中では普通の女性となってジョンドゥに話しかける。
映画の魔法である。
二人に間違った嫌疑がかけられた時、もしかしたらコンジュが突然彼女の夢の中のように話し出すのではないかと願ってしまった。
しかしコンジュはそのままだった。
ジョンドゥはそのまままた刑務所にはいることになりコンジュに手紙を書く。
「姫、お元気ですか」と。「出られたら食事をしましょう」
コンジュは明るい日差しの中で部屋を懸命に掃除している。

ふたりがどんなに愛し合っていたのかを誰も知らない。二人が愛し合っているのを見ても誰もそれが本当の愛だとは気づかない。
そんな愛というのがあるのだ。

監督:イ・チャンドン 出演:ソル・ギョング ムン・ソリ アン・ネサン チュ・グィジョン リュ・スンワン
2002年韓国



posted by フェイユイ at 00:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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