映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2009年04月05日

『昼顔』ルイス・ブニュエル

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BELLE DE JOUR

いつも同じことを書いてしまうのが申し訳ないのだがまた今回も「昨日とどこかでリンクする」作品であった。

というのはまるきりこれは『胡蝶の夢』ではないか。
というよりこの映画の目的は最高に美しい時のカトリーヌ・ドヌーブを最高にエロチックに撮る為にブニュエル監督が仕掛けたセクシャルな「プレイ」なのである。
妄想とごっこ遊びでこの上なく上品な美貌の持ち主であるドヌーブをいかに貶め辱めを与えるかの羞恥プレイを裏テーマとして持ちながら表向きは貞淑な人妻の懊悩を描いていくという、まあそれもまたセクシャルなので2重に楽しめるということなのだろう。

裕福な結婚をした貞淑な妻という存在のセブリーヌはハンサムで優しい夫とどうしてもSEXができないでいる。彼女を愛している夫は寂しさを感じながらもそんな妻を許し慰めている。
だがある日、女友達から「娼館」というものがあることを聞き、彼女は突然そこを訪ねていくのだった。
とはいえセブリーヌはいつも性的な夢を見続けていたのだ(この夢がドヌーブへの羞恥プレイなのだが)夫とのSEXを拒否しそのことを嫌っているかのような彼女が夢の中では淫らな体験をしていく。
実際に売春を始めてからさらに彼女の夢も屈辱的なものになっていく。

しかしどこまでが夢で現実なのかも本当のところよく判らなくなってしまう。
一体、彼女は本当に娼婦になったんだろうか。それすらも彼女の妄想か夢だったのかもしれない。彼女が次第に明るくなったからといってそれもただ妄想による変化だったともいえなくもないし。
が、そうなってしまうと映画自体が妄想、ということになってしまいそうである。
売春をしたことから妄想なのか、マルセルという変な客と関係を持つことからが妄想なのか、或いはマルセルが自宅に来たことか、夫が撃たれたことか、どこからが妄想なのか、現実なのか。
夫が撃たれたことも現実だったとしてもセブリーヌの秘密をしった男友達の見舞いは妄想だと受け止めていいのか。
夫と抱き合い語り合うラストシーンはどちらなのか。すべてが彼女の夢だったのか。

すべてはお客様のお好みで。ということでもあるかもしれない。

キム・ギドクの『うつせみ』も思い出させる。
このどこまでが夢か現実か、というあやふやさがまた作品の不安定な主婦の精神とも重なり合い、ドヌーブの美しさが清純にも淫らにも見え、何ともいえない妖しい艶かしさではないか。
上品だからこそ男心を誘う、というエロチシズムの極みである。
夜に咲く花ではなく、昼にその色香を漂わせるというこれも意味深な名前である。

フランさんから教えてもらったマルセル役のピエール・クレマンティ。うーん、凄いキャラクターだ。
ギラギラの差し歯に仕込みステッキ。只者ではない雰囲気。なんかこう爬虫類的に気持ち悪いところが目が離せない不思議な魅力。暴力を加える事に何のためらいもない様子とか。
この存在もセブリーヌの妄想なのだとしたら彼女の性体験の相手の異常さが彼女の欲望の異常さも物語ってるわけで。
是非彼の他の出演作も観てみたいところなのだが、パゾリーニは全然レンタルできないのだよねー。残念。

監督:ルイス・ブニュエル 出演:カトリーヌ・ドヌーヴ ジャン・ソレル ジュヌヴィエーヴ・パージュ ミシェル・ピッコリ フランソワズ・ファビアン
1966年フランス


ラベル: エロチシズム
posted by フェイユイ at 22:10| Comment(6) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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