映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2009年04月07日

『情愛と友情』ベンとセバスチャン

情愛と友情v.jpgベン8.bmp

また性懲りもなく観てる馬鹿である。しかもベンの出演部分だけとかじゃなく通して観てしまったし、ベンの場面は繰り返し観た。無論あの部分とかあの場面とかね。
前回記事で色々文句もつけたが何度観ても面白いのだから嫌になる。やはりその面白さの原因は何と言ってもカソリック・ママにあるわけだが。

エマ・トンプソン演じるママの凄まじいパワーに参ってしまう。実際目の前に彼女がいたらチャールズと同じく反発することは確かだがそれでも彼女の得体の知れない力についこちらも引き込まれてしまいそうになる。
それにしてもセバスチャンはほんとにどうしてチャールズを家に連れて来てしまったのか。最初にあれほど家族と関わらせたくないと言いながら彼を怖ろしい罠に誘い込んでしまった。
家とママのパワーを恐れながらどこかでチャールズが突破口を開いてくれるのでは、と期待してしまったのだろうか。
彼にとって夢のような美の世界であるブライズヘッドとその権化である美しい家族を見たチャールズがその罠から逃れることはできないと感じていたはずなのに。
 
平民で無宗教なチャールズと敬虔なカソリック貴族の思考が最後まで交わることがないところがこの作品のリアリティなのだろう。
セバスチャンがなんとかブライズヘッドから逃げ出したもののやはり落ち着き先はカソリックの懐のようであることが彼らの生き方なのだ。

セバスチャンがモロッコに逃げる、というくだりがいかにもこの当時の流行みたいに思われる。古い制度のヨーロッパから逃げ出すには彼らの概念を壊すアフリカの土地が必要なのだ。チャールズもまたジャングルの絵を描く絵描きになっている。
貴族でいつも優雅な様子でいたセバスチャンがモロッコの古びた病院で坊主頭になっている様は彼らには酷く悲惨な姿に思えるのではないか。もうすでにこの世の人ではないようなイメージなのかもしれない。

憧れの貴族社会と家族、美しい城の中に入り込み、友人と恋人になった兄妹を助けだせる気持ちでいたチャールズだが、巨大な力を持つ宗教と制度に勝つことはできなかった。だがその力も歴史の流れに飲み込まれてしまう。
かつて憧れた城に再び訪れたチャールズは「時」が破壊していったブライズヘッドと思い出を懐かしむのだ。

最初に感じたより観るごとに深みを増していく。
ベンのセバスチャンにも観るごとに溺れてしまう。
『パフューム』の時もそうだったけどとにかく彼は感情を目で語る。台詞よりも表情や眼差しがすべてを物語っている人である。
チャールズを招待した初めての夕食で家族とチャールズのそれぞれを見る彼の視線の意味を察するのが楽しい。(「酒は男同士の絆を深める」とブライディが言った時、セバスチャンがチャールズを意味ありげに見るところ!)
チャールズと妹の逢引を見る目、再訪してくれたチャールズの手を見る目などどれも心に訴えてくる。
ストレートの髪はかつらのようで、セバスチャンの魅力をさらに引き立てている。マシュー・グードよりかなり小柄なのでより繊細で壊れやすく思える。それでもどこかしたたかに生き抜いていく強さも持っているセバスチャンになりきっている。
ベンの本名はベネディクトだと書いてあったが彼自身、カソリックなのだろうか。


posted by フェイユイ at 23:10| Comment(7) | TrackBack(0) | ベン・ウィショー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『スリーパーズ』バリー・レビンソン

Sleepers.jpg
SLEEPERS

この作品で一番印象的なのはどうしてもケビン・ベイコンになってしまうんだろうけど、それが何故かっていうと彼だけは己の欲望をさらけ出してしまって観る者に衝撃を与えるけど、他の登場人物は心を閉ざしているからなんだろう。

物凄く長くたくさんのことを描いている作品で『スタンドバイミー』と『ショーシャンクの空に』を混ぜて法廷サスペンスを加えたてんこ盛りの映画なのだが、肝腎の主人公達が「本当はどう思っているのか」がいまいち伝わってこないのである。
無論少年期に少年院で性的虐待を毎日受け続けたという怖ろしい体験はトラウマとなって彼らの精神を破壊しているのだろうがその実彼らの性に対する意識というものが描かれてはいない。
ブラピ演じるマイケルが彼を慕う女性がいながら結婚をせずイギリスで孤独な生活を送っている、という後書きは彼の思いをうっすらと表現してはいるのだろうか。では主人公シェイクスは。彼もこの映画の中で女性と関係する話がなくぼんやりと彼らが性的に屈折した人格となったことが匂わされているようだ。
抱き合う4人の男達を見てキャロルが「ここはゲイバーなの?」と聞く箇所はぎょっとしてしまうがもし彼らがあの体験からゲイになったという展開にしてしまうと物語としては少々まずいかもしれない。
復讐劇という面白さが彼らの心の奥を誤魔化してしまっているようにも思えてしまうのだ。特に最後、4人が最後の友達の夜を過ごす場面が何か欺瞞を演じているようで無理して笑っているとしか思えないのだ。

構成としては二人のやくざが看守である男を射殺する場面から始めてもいいような気がするのだが、監督としてはあの場面を記憶を起こす、という演出ではなくあくまで「少年たちが過ちを犯して入れられた少年院でレイプされる」という経緯を描きたかったのだろう。
ケビン・ベイコンが演じる看守の悪辣さ、惨たらしさが最も印象的な場面になっている。具体的に少年たちがどういう目に遭わされたかの映像はないのだが彼らの表現する恐怖と台詞だけでも痛々しいものである。少年の中にブラッド・レンフロが少年の危うい美貌を見せつけているのも一種のサービスなのかもしれない。

怖ろしい性的虐待に耐え出所し大人になったマイケルが検事となって過去の復讐をした仲間の裁判に立つがその目的は彼らの無罪と少年院の虐待の告発である。彼は友人を救うために大博打をうつのだ。
院での虐待と法廷での攻防が見所となる本作である。
非常によくできた映画ではあるが同時に大切なことは描いてないように思えてならないのだ。

監督:バリー・レビンソン 出演:ジェイソン・パトリック ブラッド・ピット ケビン・ベイコン ダスティン・ホフマン ブラッド・レンフロ ビリー・クラダップ ロン・エルダート ロバート・デ・ニーロ ミニー・ドライバー
1996年 / アメリカ
posted by フェイユイ at 01:13| Comment(2) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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