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2009年04月17日

『情愛と友情』『ブライヅヘッドふたたび』そしてベン・ウィショー

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BRIDESHEAD REVISITED

またこの映画について、というかベン・ウィショーのセバスチャンについて書いているのだが、何度書いても書き足りないしこれで満足できるわけでもなさそうだ。
少し前から本作『情愛と友情』の原作小説『ブライヅヘッドふたたび』吉田健一訳をちょびちょびと読んでいるのだが自分のいつもの癖で流し読み飛ばし読みである。なので今から書くことが的外れだったり読み落としだったりすることは大いにあるので勘弁していただきたい。
などとしょうもない言い訳を先にして書いていくが、この小説を読んで驚いたのは大まかな筋だとかとても印象的な場面、台詞は使われているものの全体から受ける雰囲気だとか感情、情熱のようなものはまったく違う、ということだった。
原作及び原作に忠実だといわれているかつて作られたドラマのファンの方には本作が「あまりに違いすぎる」ということで不評のようなのだが当たり前だと思う。
はっきり言って原作と映画はまったく違う作品である。
まず最も違うと思ってしまうのはどうしたって映画で鮮やかに表現されている同性愛を表す場面である。
イーヴリン・ウォーの名前は聞いていたが何故こんな映画(つまり同性愛の)の原作を今まで読もうと思わなかったんだろうと疑問に思っていたのだが、なるほど原作小説は「同性愛的」なまでの深い友情を描いたものではあるが映画ではそれがニュアンスではなく明確なものになっている。この映画での二人の表現はカソリックで且つゲイであるセバスチャンとそんな彼に惹かれていくチャールズの物語である。
チャールズは芸術家であり多感な青春期に出会ったセバスチャンの家柄、性格、行動などに強い魅力を感じる。だが彼の場合はそれが同性愛ということではなかったために次第に彼の妹ジュリアに恋をしてしまう。ゲイであるセバスチャンはチャールズこそが自分の伴侶ではないかと期待したのにその願いは崩れ平行してカソリックと母親の重圧に耐え切れなくなっていく、という物語になってしまっている。
原作ではこういう描き方はされていない。
映画で表現されているのはチャールズという相棒を得たセバスチャンの喜びだ。そうしたセバスチャンの心の動きを表情だけで雄弁に語ってくれるのがベン・ウィショーなのだ。
原作と映画はまったく違う、がそれは台詞によるものではなくベン・ウィショーとマシュー・グードが作り出す二人の仕草や眼差しや二人の間の雰囲気から来るものなのだ。
非礼を謝るためにチャールズを招いた昼食の席で彼の魂に触れたセバスチャンは恋をしてしまう。それからの二人の感情の表現は小説では味わえないほど極めてセクシャルなものである。
ベンが演じるセバスチャンはやや女性的なところがあり、チャールズを独り占めしたいという欲求を抱いている。おかしいのは原作では「家族に合わせると君を取られてしまう」という台詞があるのに映画では逆になくなっている。
ブライヅヘッドで二人が過ごした夏のひと時はどちらも素晴らしいものだ。小説でも青春期の青年たちの友情を眩しく感じられる。
「いつまでも夏だといい、いつまでも二人で」そして「Contra Mundum=世間は敵だ」という二人だけの美しい言葉は両方で使われているものであり、この言葉のために映画は作られたのではないかと思えるのだ。
すでに酒びたりであったセバスチャンがこの時まではチャールズの愛情を頼りになんとか正気でいられたのだ。チャールズに寄り添うセバスチャンはその肩を指先で味わっているしチェスで負けた時は甘えるように駒を落としてしまう。夕暮にワイングラスをずらりと並べて味を確かめる二人の映像が美しい。その後の静かなキスを境に二人の友情とセバスチャンの人生は大きく崩れ始める。
夕食の席でブライディが言う「酒は男の絆を深める」という言葉に目配せをする二人。ワインが彼らにどんな愛を表現させたか。
ベンの表情は実に豊かで母親に対してチャールズに対してと心の中がはっきりとわかるようだ。
ベネツィアでベンが父親に寄り添う場面は酷く愛らしい。セバスチャンはチャールズに父親代わりを求めているのかもしれない。
そして前にも謎だったカーラがチャールズに言う「あなたにとっては一時的なことでもセバスチャンにはそうではない」というのは原作にはない台詞だ。この言葉は何を意味するのか物語としてはわからない。ただ原作と違って映画が同性愛を描くためのものだった、とすればこの言葉はそこを指しているのだろう。小説としてはゲイという話ではないのだからこういう台詞は必要ない。映画ではチャールズがジュリアに心を移すことをここでカーラの口を借りて咎めている。
原作どおりマシュー・グードが演じるチャールズが主人公で彼の目からみたセバスチャンそしてブライヅヘッドという物語になっているが監督が表現したいのはあくまでもベンのセバスチャンなのだ。
モロッコにチャールズがセバスチャンを訪ねる箇所を最後に映像は輝きを失ってしまうように思えるのは私がベンに惹かれているだけのせいではないはずだ。
髪を切ってもうこの世の人ではなくなってしまったセバスチャンの悲しげな眼差しが彼らの青春の終わりになってしまったのだ。
(ここでセバスチャンが坊主になっているのは原作でセバスチャンがこの後、「髪が薄くなって」という描写があるのだが薄くなった髪のベンを見せるのが嫌で坊主にしたんじゃないかと思う。優しい気配りだなあ。

前回でも書いていたが、ここまで原作と違うならセバスチャンが主人公の物語にしてくれたらよかったのに、としょうがないことを願ってしまう。セバスチャンはチャールズだけでなくクルトだけでもなくその後も色々な関係を持ったと思うのだが。
想像する楽しみ、ということなのだろうか。

原作「ブライヅヘッドふたたび』:イーヴリン・ウォー 映画監督:ジュリアン・ジャロルド 出演:マシュー・グード, ベン・ウィショー, ヘイリー・アトウェル, エマ・トンプソン, マイケル・ガンボン
2008年イギリス



posted by フェイユイ at 23:18| Comment(2) | TrackBack(0) | ベン・ウィショー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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