映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2009年06月01日

『12人の怒れる男』ニキータ・ミハルコフ

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本作は1957年製作のアメリカ映画『12人の怒れる男』のリメイク(このシドニー・ルメット版映画もTVドラマのリメイクなのだね)で数年前に日本でも三谷幸喜脚本・中原俊監督で映画になった『12人の優しい日本人』というのがあったし、どちらも面白く観た記憶がある(内容は例によっておぼろげにしか覚えてない(-_-;)
で今回ロシア版ニキータ・ミハルコフによる『12人の怒れる男』を観たわけだが、正直観る前は「ロシア映画って退屈で死ぬかも」と怯えていたのである。借りたものの観るのが億劫だったのだが観始めたらこれが面白いのなんの。いかにもロシアの作品らしく小説を読むとやたらオーバーなことをやったり話したりするものだが(ってドストエフスキーくらいしか知らんのだが)映画でもやっぱり大げさで退屈などまったくすることなく長さも感じなかった。
もうひとついけなかったのは多分今これを観る日本人って多くがやがて自分にもやってくるかもしれない始まったばかりの「裁判員制度」に備えて観ようか、なんていうのを思ってしまいそうだが自分もそうだったということ。別に何を思おうと自由だが、この作品を観始めてすぐこれは裁判員(陪審員)としての知識だとか心構えだとかいう映画ではないことに気付いたのであった。

そうだった。12人の人々が「一人の犯罪者を裁く」という場面に立った時、そこで人々が思うのは謎解きのことではない。
確かにこの作品のなかでも被告である少年に対しての謎解きの部分はある。だがここで描かれる大切なことは今までなかった「一人の人間の生命もしくは人生」を自分が変えてしまうかもしれないという局面に出会った時に自分自身を裁くのだということなのである。
「自分を裁く」という言い方が厳しすぎるなら「自分を振り返って見る」でもいい。
それは単なる茶飲み話でもできなくはないがやはりそれでは見る目も甘くなる。「人の生と死」という局面を突きつけられるからこそぞっとするような気持で見つめなおすことができるのだろう。
それでも彼らが最初からそういう気持ちになったわけではなかった。
彼らにとってはチェチェンなんていう自分たちには全く縁もないような言葉も通じない場所からやって来た少年の運命より追われている仕事・生活・遊びのほうが大切である。さっさと有罪にして早く帰ろう、というのが本音だった。だがその中の一人たった一人が「彼は無罪だ」と言いだす。彼になにか判ったわけではないが彼は過去に道を誤った経験がありその時彼を救ったのはたった一人の女性の優しさだった、と話すのだ。
早く帰りたい他の者たちはいきなりの感動話にやや戸惑い、うんざりしたり憤ったりする。
だが彼の一言から少しずつ無関心だった彼らが「単なる野蛮人であり言葉も通じない少年に」対し何故だったのかどうしてこんなことが起きたのか彼はどう思ったのか、と考え始めるのだ。
それは同時に自分自身を見つめることだった。
彼らは自分もまた罪を犯したことがある、身内にそういうものがいた、ということに気づいていくのだった。

この話をそのまま裁判で活かす、というのはまた違う話になるだろう。
この物語は被告も入れて13人になるがその数の人間がいればまたそれだけの物語があり、それぞれが罪も罰も悩みも苦しみも悲しみも背負って生きている、ということを告白していく、と表現なのであり、どんな国でもいかようにも作っていけるわけで今まで閉ざしてきた心の奥を見せてしまう、という話だから面白くならないわけがない。
しかもロシアの問題もまたさまざまに暴いてしまうのである。
12人の男たちも個性的でユダヤ人、少年と同じ地域の出身者、旅芸人、頑固なタクシー運転士、などを演じて皆迫力ある。
彼らは次第に心の闇をさらけ出していくのだが、一人最後まで心を見せなかったのがニキータ・ミハルコフ監督自身が演じる元将校で芸術家という男である。彼は最後まで少年を有罪と言うのだがそれは彼を無罪放免にすれば彼の身に危険が及ぶからという配慮からであった。だが少年の面倒をずっと見続けるわけにはいかない、という他の人たちの意見に折れやっと無罪を告げる。だがその後彼は少年を引き取って世話をする、というのである。元将校である彼の秘密とは何だったのか。告白することができない重い過去。その代償として少年を世話することにしたのだろうか。
幾度となく紛争後の街と見える場所を子犬が何かを咥えて走ってくる映像が入る。
物語の流れからそれは少年が持っていたというナイフを咥えているのか、と思ったのだが、実は小指に指輪が光っている人間の手首だったのだ。
これはどういう意味なのだろう。
最初は光るもの=ナイフ=少年が殺人を犯した、と思っていたものが指輪の光る手首だった、ということで「よく見ないと真実はわからない」という謎かけなのかと思ったのだが、それにしては答えが不気味すぎる。
陪審員長になった元将校の過去にも重なる場面なのだろうか。

監督:ニキータ・ミハルコフ 出演:セルゲイ・マコヴェツキー ニキータ・ミハルコフ セルゲイ・ガルマッシュ ヴァレンティン・ガフト セルゲイ・マコヴェツキイ アレクセイ・ペトレンコ ヴィクトル・ヴェルジビツキイ
2007年 / ロシア

作品中に日本と関係ある言葉が3か所。津波とカラオケと「日本に出張なんだ」とかいうセリフ。ま。それだけだが。


ラベル:裁判 犯罪 人生
posted by フェイユイ at 21:35| Comment(0) | TrackBack(1) | ロシア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アルチュールなベンとベッドの上の彼

ふぇでり子さんからベン・ウィショーの素敵な画像をいただきました!!!

これも隠しておくのは勿体ないので

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これは『I’m Not There』でアルチュール・ランボーになったボブ・ディラン=ベンが記者たちに捕えられている場面で映画ではカットになってしまった貴重な画像です。

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こちらは映画『パフューム』でカットされてしまった一場面の撮影現場ですね。リックマン・パパがグルユイユを息子のように感じて家に連れ帰ったというところですと。これも映像として観たかった!!
なんだかベンが小さな少年みたいで可愛いゾ。

こんなお宝な写真を送っていただいて、ふぇでり子さん、ありがとうございます!!!!感謝します!!!

posted by フェイユイ at 15:49| Comment(9) | TrackBack(0) | ベン・ウィショー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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