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2009年06月03日

『イン・ザ・カット』ジェーン・カンピオン

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IN THE CUT

この映画は『ミスターグッドバーを探して』から導かれた作品なのだろうか。

『ミスターグッドバーを探して』は映画も観たが小説を何度となく読み返したものだ。
都会で独り暮らしをする若い女性教師というのが共通の設定である。『グッドバー』の時は多分女性教師というお固くて真面目であろうしあるべきだと信じられている人間がセックスの相手を求めクスリを楽しむという物語が衝撃的だったのだと思う。少女であった自分はそれほどそのこと自体に衝撃を受けはしなかったが映画ではダイアン・キートンが演じた若い女性教師が小説を書くという精神的な部分とセックスだけが目的で男を求める、というそれまで露骨には描かれなかっただろう表現が面白かった。映画より小説での記憶だが真面目で優しいボーイフレンドにはうんざりしセックスだけがうまい危ない男に惹かれていく様子と小説をどんな風に書けばいいのか、というテキスト的なものがあって興味深かったものだ。
本作でもヒロインである女教師フラニーは英語の教師であり作品中何度も文章・詩について考えるシーンがある。電車内に書かれている詩を読む場面は印象的だ。特に日本語で「今ここに かへりみすれば わがなさけ 闇をおそれぬ めしひに似たり」(与謝野晶子『みだれ髪』)と書かれている言葉が彼女自身の状況を示しているようだ(ただし日本人ならどうしても右から読んでしまうがこの電車広告は左から読まねばならない。右から読むと「めしいに似たり 闇をおそれぬ わがなさけ かえりみすれば 今ここに」になってしまう。右側から読むアジア人は却って間違ってしまうのだ)

こういった物語の相似にはきっと意味があるはずだ。
過去の物語である『ミスターグッドバーを探して』は面白い作品ではあったがそうして学問と性欲の狭間で思い悩み続けるヒロイン・テレサは(ネタばれで申し訳ないが)悲しいラストを迎えることになる。
独身女性にとってこのラストは不満の残るものではないだろうか。どうしてただセックスを求めていただけの罪のない女性教師にこういう結末が待っているのか。それとも彼女の行動・生活は罪だというのか。この結末は当然の罰なのか。
『インザカット』ではヒロインは同じように思い悩み、しかもすべての男が自分を殺しに来た殺人者なのではないかとさえ思いこんでしまうが彼女は彼女自身で戦ってかつて性を求めて彷徨った女性教師を死に追い込んだ「男」をここで殺害する。
遠い時間を経て「女教師」は復讐を果たしたのだ。
そして自分に気持のいいセックスを与えてくれる男のもとに戻り寄り添うのだ。
彼女は「暴力をふるう男」という恐怖と見事に戦って勝ち、「気持のいい男」を手に入れた。女性はこうあるべきだという作品なのである。
『ミスターグッドバーを探して』からこういう一つの答案が出たということなのだろう。

私はおおいに溜飲を下げた、というものだが、ここまで戦わなければならないのか、と反感も持たれそうでもある。
女の戦いというのは血塗られたものなのだなあ。
確かにどの男だって正体がなんなのか、なんて判りはしない。とはいえ男性側からもどの女の正体もわかりはしないから怖いはずなんだけどね。

「変な男」の役でケビン・ベーコンが登場。確かに変な男には見えるけど、私自身はとても好きなのでどうしても毛嫌いできないなあ。犬のフンを触らせることで何とか嫌な感じを出してみた、って気がする。脱ぐとかっこいいし、とても「セックスしたくない男」には思えないぞ。

フラニー役のメグ・ライアン。ここでも熱演なんだけど、また「彼女らしくない」ってだけ言われてるような。気の毒である。私は彼女のラブコメは全く観てなくて他には『戦火の勇気』を観たのだけどあれもファンのブーイングが酷くて。何故彼女だったのか、っていうのはあるのだろうけど清潔感のある女優のほうがインパクトがあるだろうし、ダイアン・キートンにも似てる気がする。そこが大切だったと思うのだが。
そう思っているのは私だけかもしれないけど。

監督:ジェーン・カンピオン 出演:メグ・ライアン マーク・ラファロ ケビン・ベーコン ジェニファー・ジェイソン・リー マーク・ラファロ ニック・ダミチ
2003年 / アメリカ


ラベル:女性
posted by フェイユイ at 23:21| Comment(2) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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