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2009年06月08日

『ナチュラル・ボーン・キラーズ』オリバー・ストーン

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NATURAL BORN KILLERS

これも本当に偶然なんだけど、昨日に引き続き観たこの映画、リンクしていると思えるほど似た設定のようでいて本作『ナチュラル・ボーン・キラーズ』は『気狂いピエロ』に対して自分が持った反感・嫌悪感をすべて吹き飛ばしてくれる作品であった。

時代が違うからと言ってしまえばそれまでだが、『気狂いピエロ』でむかついたいじいじした言い訳で誤魔化しながらさも絶望し苦悩している様を見せつけ自暴自棄になって自殺するという蹴飛ばしてやりたいフヤケ男と違いこちらのミッキーの生まれつきの殺し屋さ、と言いきって少しも哀れぶったりしない姿は爽快と思えるし、何よりかっこいいのは『ピエロ』での小悪魔ぶった何もしないくせに男によっかかってるだけの女と違いマロリーのかっこよさ、女っぷりのよさには参ってしまうではないか。
マロリー&ミッキーの愛に満ちた逃走劇には痺れてしまう。至る所にTV風映像やら詩句などもちりばめられていることもあり本当に『気狂いピエロ』を下敷きにしているのかもしれない。
だがしかしそれこそ時代のせいで映画手法の発達のためか入り乱れ交錯する映像の面白さ小気味よさは断然こちらが際立っているし(自分は時代のせいだけとは思ってないが。昔の映画でも今より凄いものも多くあるから)変に難解に見せるような勿体ぶり方はなしでいかにも判りやすい娯楽ものに仕上げた点もこちらの方が上等というものではないか。

若干、二人が逮捕され投獄された後のTV報道キャスターの浮かれた部分がやや冗長になってしまったように思えるのだが、そこらへんに本作の皮肉がこめられているのだろうか。
何といっても本作はタランティーノの脚本をオリバー・ストーンが監督したわけで変更されたのがクウェンティンは気に入らなかったらしいが確かに何やら社会派映画になってしまったところなのであろうか。
クウェンティンならもっとぶっ飛ばしてしまいたかったのかもしれない。

『ピエロ』になかった主人公たちの愛もここでは溢れるほどに描かれている。
マロリーとミッキーの愛と行動は無論肯定できる代物ではないのだが、他の誰とも代えようのない愛によって結ばれているのである(いや、反論したいのは判るがね)
絶対絶命にも希望を見出し、何とか生き抜いて見せた二人には公にはできないが喝采を送りたいものだ(私もしがない小市民なので善良であるふりをしないといけない)
おまけに二人は別れるだの破滅だのすることもなく子供たちに恵まれなおもマロリーが妊娠中で家族で車旅行(?)中という最後で締められる。ここではもう家族内の暴力はない幸せな一家になったということなのだろうか。そう願いたい。

ところでこのミッキーは先日観た『ヘンリー ある連続殺人鬼の記録』のヘンリーがモデルのような気がする。同じようにヘンリーにも愛する女性がいたのだがその彼女はヘンリーによって殺害されてしまう。
本作では生まれついての殺人者であるミッキーが愛するマロリーだけには愛を貫くことになっている。
愛だけは信じたいのだ。エンディングの歌でも「悔い改めよ、という意味はなんだ」とか言いながらも「愛だけが生きる力」だと思うわけだ。
ホントはそこが難しいのだろうけどね。

監督:オリバー・ストーン 出演:ウディ・ハレルソン ジュリエット・ルイス ロバート・ダウニー・Jr トミー・リー・ジョーンズ トム・サイズモア
1994年 / アメリカ


posted by フェイユイ at 23:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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