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2009年06月26日

『フレッシュ・フォー・フランケンシュタイン 悪魔のはらわた』ポール・モリセイ

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Flesh For Frankenstein

崇高なるマイケル・ジャクソンが亡くなった夜に関係なく娯楽映画を観る自分に引け目を覚えてしまったが、どうしてもこれを観ないと予定が狂うのである。しかもこれまったく偶然借りたものだが観始めて暫くこれじゃマイケルのことみたいじゃないかと恐縮してしまった。

元々のシェリー原作の『フランケンシュタイン、すなわち現代のプロメシュース』(Frankenstein: or The Modern Prometheus)ではフランケンシュタインの願望は人造人間を造ることだけだったが(その為に造られたその生命体は「モンスター」などと呼ばれ親であるフランケンシュタインからも嫌われ本人もその醜さに絶望することになる)本作のフランケンシュタイン男爵(あくまでも優雅でありたいわけ)の目指すものは今溢れかえる「不完全な醜い人間」を「完全な美しい人間」に作り替えることなのである。
完全な美しい女は作ってしまったフランケンシュタイン男爵は完全な美しい男を造り、二人を番わせて子供を産ませようと計画している。
その為には女と見ればすぐ欲情するような精力を持ち且つ完璧な美貌完璧な「鼻」を持つ男を見つけたいと願う。
美しい体は用意できたが精力的で美しい鼻を持つ男を見つけようと男爵は助手オットーを連れて売春宿へと向かった。そこでなら女好きが見つかるだろうと考えたのだ。
男爵たちが売春宿を見張っていると裸の女が二人飛び出してきてその後から若い男が彼女たちに声をかけた。
男爵は男一人が二人の女を相手にしていたと思い込みさらにその男が完璧な美貌と鼻を持っていたのですぐさま彼を襲いその首を切り落とすことにしたのだった。
実はこれが間違いでその男は確かに美しいが女にまったく興味がなく修道院に入ろうとしていたのを友人に誘われしかたなく売春宿に来ただけの男だったのだ。
友人の男が男爵の妻(と言っても実は男爵の姉^^;ひたすら倒錯してるわけだ)に目を付けられセックス相手の使用人にされたり、その様子を子供たちが覗いていたりと際どい話が次々と繰り出される。
ウド・キアー演じるフランケンシュタイン男爵は己の技術に自惚れ助手オットーをいつも叱りつけている。男爵を尊敬するオットーだがあまりにも男爵の仕打ちが酷過ぎ次第に恨みを覚え人造女に手を出して壊してしまうのだ。
男爵とその姉の子供である息子と娘もまた異常性を秘めていて冒頭では人形を解剖したあげくギロチンにかけてしまう。
そして最後は宙づりにされた男に手術用ナイフを持って近づくのである。

美を求めるあまり歪んだ行動を取ってしまいそのことに何のためらいもなくただひたすら完全なる肉体を造ろうとするフランケンシュタイン。
『処女の生血』と同じくこれも滑稽さと悲しさがあいまった荘厳なほどの品位を感じさせそれがまたおかしくも悲壮なのである。
いつもならそう思うだけだが、今朝未明亡くなったマイケル・ジャクソンがまるでこの男爵とそのクリーチャー両方の姿を示しているようで造られた完全な美しい男が「私はもう死にたいのだ」という台詞にぎくりとしてしまったのだ。

あまりマイケルと重ねるのは申し訳ないのでもうよそう。
作られた順番は逆になるのだが『処女の生血』と本作のウド・キアーの倒錯した魅力に参ってしまった。特にドイツ訛りなのだろうあの力強い発音の英語は印象的である。
『処女の生血』ではウド・キアー演じるドラキュラを召使の身分ながら支配していたアルノ・ジュエギングが本作でも助手という役ながらとても面白い。彼もまた異常な性嗜好の持ち主で内臓に興奮するのである。
ウォーホル&モリセイ映画にずっと出演している二枚目役者ジョー・ダレッサンドロもまたまた美しい肉体を披露している。私には判らないがこの古風なヨーロッパ・ゴシック映画の中で彼だけがニューヨーク訛りでいかにもアメリカ顔なのでとてもおかしいらしい。
またフランケンシュタイン男爵が言うようにセルビア人というのは由緒正しい古代ギリシャの美貌を正統に受け継いでいる民族で背が高く金髪青い目と言うことらしい。それで黒髪のクロアチア人とは争うのだという説明があってそういうものかと思ってしまった。

グロテスクであり裸と性描写と血に彩られた『処女の生血』『悪魔のはらわた』の2作品だが、それでもこの二つは大変楽しめる傑作に間違いない。あくまで古典的な尊大さを保ちながらそれ故に滑稽で倒錯した悲しさに満ちている。それら狂った貴族を演じきっているのがウド・キアーであり、なんとなく朴訥として登場するアメリカ人ジョー・ダレッサンドロがまともな平民として描かれているのも意味ありげである。
「純血(純潔)」とか「完全な美」などというものにこだわり過ぎるのはおかしなことだと思うのだが。さてそういう人間に憧れてしまう気持ちがあることも否定はできないのでもある。

監督:ポール・モリセイ 出演:ジョー・ダレッサンドロ モニク・レ・ボーレン ウド・キアー モニク・ヴァン・ボーレン アルノ・ジュエギング
1973年フランス/イタリア


ラベル:ホラー
posted by フェイユイ at 23:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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