


ベン・ウィショーのことを毎日のように書きながら、それでも他の映画をせっせと観続けている私だが、(レンタルなのでとにかく順番があるのだ。自分で課した順番だけど)さすがにこの辺で彼の映画を補給したくなってしまった。
ダニエル・クレイグが好きで買ったDVDもあるので結構色々観れるんだけど私にとって一番心が震えてしまうのはやはり『情愛と友情』のベン=セバスチャン・フライトなのだ。
というかもうセバスチャン・フライトが好きだ。ベンだと思いださないくらい。(この見方は間違ってはいないと思う。ベンも頷いてくれるはず)
『パフューム』を観てなんて凄い役者なんだろうと思い、ベンのことはこのブログを見てもらえれば判るけどずっと追いかけて観てみた。素晴らしい才能を確認した。でもそれですっかり満足してしまうものだったのだが、セバスチャンに出会ってからはベンに対する思いがまったく違うものになってしまった。
まずベンについて語るのが恥ずかしいので(今さら何なんだ)マシューについて言えば、こうして観ているとチャールズがマシュー・グードで本当によかったと思う。その美貌も勿論だけどクールに見つめる目、セバスチャンとジュリアに惹かれ揺れ動き自分が何者か判らない余生を送る知性的な男性を素晴らしく演じている。
セバスチャンのベンとのバランスもとても素敵だし、我儘なセバスチャンをあやすようなそれでいて彼の魔力に溺れてしまうことを恐れて逃げ出してしまう不安定で繊細で頼りなげな部分を持ち合わせている。
貴族と庶民という対比ならむしろ素のマシューとベンは逆なのかもしれないように見えるのだが、作品に入ってしまえば何の違和感も感じない。
私自身はベン演じるセバスチャンに陶酔してしまったのだが、その効果はマシューの端正でしかもどこか茶目っ気も見える落ち着いた雰囲気がセバスチャンの魅力を引き出してくれているのだ。
しかも抜群に背が高いのでセバスチャンがとても華奢で可愛らしく見えるのが嬉しい。
ベンはとても声と発音に魅力があるのだが日本で普通にDVDとして観れる主役作品『パフューム』と『情愛と友情』(これは準主役なのだけど)のどちらも台詞が極端に少ないというのも不思議である。
しかしそのせいでベンには台詞がなくても人を引き付ける演技ができるのだと言うことを知らされる。
殆どが目の演技だったグルヌイユは格別だが、セバスチャンも目で語る場面が多い。
セバスチャンの嘔吐シーン。その後のまなざし。
謝罪の昼食シーンではセバスチャンは知り合ったチャールズに強い興味を示して彼がどう感じているかどう言動するのか見極めようと見つめている。友人たちのふざけた質問に真面目に美しい答えをするチャールズを見るセバスチャンはもう彼を好きになってしまった。
夏休み帰宅しているチャールズに大怪我を嘘をついて彼を呼び寄せたセバスチャンの甘えた目。ジュリアとチャールズと3人で話をする時は妹をちょっと煩わしく見てチャールズにはほほ笑む。
そしてママに誘われる夕食シーンは格別に好きなところ。チャールズに話しかけるママにやや恐怖も持ちながら警戒している。チャールズが答えると彼に視線を移す。
ブライディーが「弟は充分なもてなしを?ワインは出したかな」という場面でまた兄を警戒しているがチャールズが「はい気を使ってくれました」というのでほっとした視線を送る。
続いてブライディーが「酒は男の絆を作る」というので意味ありげな眼を。ブライディーの趣味を聞いて笑う目をする。
ママがチャールズに「趣味は」と聞くのをセバスチャンが「酒」と答えママにたしなめられてしょんぼり伏し目に。
ママがセバスチャンの仲間を問うと不安げにチャールズに絵を描いてと言うとチャールズがとても嬉しそうに承諾するのを見てがっかりし動揺する。それはセバスチャンが「パパにイタリアへ遊びにおいで」と誘われていてチャールズもつれて行きたいからなのだ。ママの「お勤めは忘れずに」という言葉で最も白けきった目をする。
ママがチャールズまで礼拝堂に誘うので「彼は無神論者だよ」という時は最大限に反抗的な目に。
この食堂のシーンは彼だけでなく他の人物も皆目で語っているのだが、セバスチャンのまなざしは特別になんて雄弁なんだろう。この演出は無論監督の指示であるわけだが、ベンの視線の送り方、伏せ方、目の光る具合など監督の要求をすべて満たしているんではないだろうか。台詞は僅かずつしかないのにたくさんの思いが込められている一場面である。
そしてヴェネツィア。チャールズとジュリアのキスを目撃して茫然とするセバスチャン。言い訳しようとするチャールズの口を押さえてすべてをあきらめた悲しい目をする。チャールズの心がもう自分から離れたことを彼は感じている。それはもうどうしようもないことだと。
それからのセバスチャンはずっと悲しいまなざしになってしまう。チャールズが彼との関係を呼び戻そうとしてもセバスチャンは失望しきっている。チャールズが彼と同じ世界に住む人間ではないと確信してしまったのだ。いくらチャールズがそう思い込もうとしても違うのだと。
そしてチャールズは現世の人間として妻を持つのだからセバスチャンの感受性は間違ってはいなかったのだ。
恋を失うまでチャールズをまっすぐに見つめていたセバスチャンの視線がジュリアとのキスの後からもう彼を見ることが殆どなくなってしまう。時折ふと心が通じ合う瞬間があっても彼はそれが叶わない願いだと確信してしまったのだ。
モロッコで療養しているセバスチャンはチャールズを見ることすらなく(あっても僅かな)チャールズはセバスチャンを失ったことを認識する。
チャールズが去る時もセバスチャンはもう視線を移すことすらしないのだ。彼らの世界が完全に分かれてしまった。
彼らが体験した美しいひと夏を思うとこの最後はあまりにも悲しい。確かにここでヴェネツィアのカーラが言う「あなたには一時期のことでもセバスチャンにはすべてなの」という言葉が表わされているのだ。
(といっても私は本当のセバスチャンには他にも出会いや愛がないとは思えない、と考えるのだが。「本当の」セバスチャン、という言い方もおかしいがこの物語でのセバスチャンということだ。チャールズがいない時もクルトや他の「いい人」との出会いがないなんて信じられない。これはチャールズの物語だから彼がそう思い込みたがっているということもあるし。少なくともチャールズにとってのセバスチャンはここでいなくなってしまう)
だがそれはチャールズ自身のことでもあるではないか。チャールズもまたここですべてを失ってしまったのだ。この後の彼は失ったセバスチャンの思い出を胸に隠した「自分が誰だかわからない、名前がチャールズ・ライダーというだけの男」になってしまったのだから。
ベン・ウィショーが演じるセバスチャンはなんて魅力的なんだろう。まだ幸せだった時、チャールズを初めて招待した時の背をまっすぐにして座っている彼の美しさに見惚れてしまう。少し女っぽく見えてしまう仕草も普通よりちょっと早口で高めのトーンで話すのも。チャールズに恋し、彼を失うのを恐れ、でも生まれつきの貴族的な我儘さと甘えた感情が愛おしく思える。
チャールズを乗せて車を走らせる彼、二人だけの夏の日の思い出、夕暮れにワインを並べて飲み交わす場面は涼しくなった空気すら感じてくるようだ。まるで神話の中のひとつの物語のように酒を飲み詩の言葉を競い合う。
セバスチャンが絵を描くチャールズの肩に手を置いて彼を優しく見降ろしている横顔は暗く影になっているが心には光が満ちている。
これらの美しい時間は作品の中でも僅かでありあっという間に終わってしまう。青春の儚さを思わせる。
ベンのセバスチャンを語り尽くすことは自分ではできそうにもない。ベンん自身にとってもセバスチャンのような青春の一つの偶像を表現できるのはそう長い期間ではないのも確かに違いないが、私にとってはセバスチャン・フライトという(イヴリン・ウォーが書き、ジャロルド監督がさらに作った)存在をベン・ウィショーが演じたことが一つの奇跡にも思えてしまう。彼ら(セバスチャンとベン)に会えたことも私には奇跡だと思え、彼を美しいと感じたこともうれしい。
他の人からは大げさな表現だと思われるだろうけど、私はそう感じている。
まなざしじゃないけど、大学でセバスチャンが最初のチャールズ招待の時、遅れてきた友人がセバスチャンにキスした後、チャールズの話を聞いてる時再び彼がセバスチャンに近寄ろうとするとすばやい動きで彼を手のひらで押しとどめる仕草をするんだけど、あの場面で私は落ちてしまったのだった。その後の表情も含めて。
監督:ジュリアン・ジャロルド 出演:マシュー・グード ベン・ウィショー ヘイリー・アトウェル エマ・トンプソン マイケル・ガンボン
2008年イギリス