映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2009年07月17日

Leaves of Glass (Methuen Drama) (ペーパーバック) Philip Ridley (著)

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ベン・ウィショー(Ben Whishaw)が出演しているPhilip Ridleyの舞台劇を見ることはかなわないことでしょう。なので英語を読むこともできないくせに買ってしまった(馬鹿) 『 Leaves of Glass

なので「どういう内容だったか」とか聞かないでください。どうせわかんないので。
でも最初のページを見るとSteven Ben Whishawとなっているのでせめてそこだけでもベンの声をあてはめて読んでみようかと思っています^^;台詞だけなので少しはわかるかな?

ちなみに『And the Hippos Were Boiled in Their Tanks』も買ってしまって 『Mercury Fur』も注文いれたの。眺めます(笑)
あ、『And the Hippos Were Boiled in Their Tanks』のルシアン=フィリップはは確かにベンみたいな外見。黒髪、緑の目。


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2009年07月16日

『中国の鳥人』三池崇史

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三池崇史監督、本木雅弘主演でこの写真、絶対飛べそうにない羽根をつけて真面目な顔で立っている。一体どんな映画か想像もつかなかったのだがハチャメチャな作品であることは間違いない、と思っていたのにこんなに立派な映画だったとは。
時折、石橋蓮司のバイオレンスで三池監督作品だということを思い出させてくれるが、それ以外は非常に真摯な映画であった。
とはいえ、他の映画にはあまりないほど強烈な笑いがあちこちに仕掛けられているし、三池監督作品は基本的にファンタジーであるので確かにそういう意味ではまさにらしい映画でもある。

何といっても本木クンの端正ながらどこかユーモアを持つ美青年ぶりと石橋蓮司のいつ爆発するかわからないおっかないヤクザぶりの対比が非常に効いていてその化学変化がたまらない。そこにはちゃめちゃ日本語の案内人・沈を演じるマコ・イワマツの奇妙な薬味も作用して若干悠長な作品ながら飽きさせないのである。
唐突に中国雲南への出張を頼まれた会社員和田(本木)はよくわけのわからないまま、翡翠の産地である山村へ赴くことになる。だが彼を待っていたのは通訳兼案内人の沈さんだけではなく借金取立人のヤクザ氏家と名乗るコワモテ男もだった。
初対面の3人の男の珍道中がおかしくてたまらない。都会暮らしの日本人が中国奥地に行ってとんでもない目に遭う、という話はもう数えきれないくらい聞くのだがそれでもやっぱりおかしいんだよね。
どこまで本当で嘘か判らないが殆ど本当の体験談じゃないのかと思ってしまう。物凄くフレンドリーに話しかけてくる列車の中の人だとか、いきなりドアやハンドルが外れてしまう自動車だとか、丸見えのトイレ(と言える代物じゃないが)だとか、いけどもいけども山また山、亀が動力である船(じゃなくイカダ)なんかもまさかこれはありえねーとは思うけど。
ああ、そういえばヤクザって都会の生物なんだよね。岩山登山してるヤクザって。石橋さんが必死でロッククライミングして上りついたら土砂降りの中じっと座りこむ。きっと「ヤクザの仕事ってこういうのだったけ?」って心で泣いているはず。もうおかしくて笑うしかないやね。
山の中の村は中国の山並みの絶景で緑が滴り落ちるような美しさ。村人は皆純朴で子供たちの笑顔が可愛らしい。主人公が仕事も忘れて自然と村人たちに惹かれてしまうのはお約束だけどもっと彼らを愛してしまったのがヤクザ氏。小指一本を引き換えに足を洗って(というのがまたおかしくて)主人公和田の会社の開発アドバイザーとなって村に住み着いてしまうなんて。
主人公・和田は結局日本に帰り結婚し子供が生まれ数十年が過ぎ去りかの村を懐かしむ。

主人公のナレーションで「僕は空を飛んだ夢を見たことがない」というのから始まる。
世の中には結構空飛ぶ夢を見る人がおられるようだ。実は私も空を飛ぶ夢、というのはまったく見たことがない。あまり要望していないのだろうか。ただ、ずっと昔あんまりそのことを考えていたせいか一回だけ「どうもうまく飛ぶ夢が見れないなあ」みたいな感じの夢を見て物凄く低い地面すれすれに飛ぶ夢を見た。しかも物凄く辛くてこんなにきついんだったら飛べなくていいやって感じだった。以来一回もない。おまけにわたしは夢の中で自分じゃない人が主人公だったりすることが多かった(過去形なのは大人になってから殆ど目が覚めてからも覚えているような夢をみたことがない。いつも疲れきって爆睡なのだ、うたたねの時馬鹿夢を見たりはするが)
しかしはっきり覚えてるがちょうどこういうのみたいな「飛ぶ子供がいる山村を訪れる」夢は昔観たことがある。その村はこの映画より切り立った危険な山村だったので15歳未満ほどの子供だけは空を飛べるのである。夢の中の私は(これは自分だったようだ)「へーっ」と驚いた、つまり信じたわけだが、そりゃ目の前で飛んでたからね。飛ぶと言っても舞い上がるんじゃなく崖から落ちても大丈夫なように浮かんで降りる、というのが妙にリアルであった。残念なのは大人になると飛べなくなるのだ。「人間というのはよくできたものだ」と夢の中で感心していたが本当にいるのかな?あ、そこはさすがに日本じゃなく外国だった。よくわかんないけどアジアのどっかだったのかなあ。(夢の話だけど^^;)

監督:三池崇史 出演:元木雅弘 石橋蓮司 マコ・イワマツ
1998年日本
posted by フェイユイ at 23:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月15日

『青い沼の女』実相寺昭雄

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実相寺監督らしいあまり予算のない中で何かと演出を凝らして雰囲気を出していくこのチープな感じが好きである。
原作が泉鏡花で幻想的であることを期待させられるし(と言っても私は鏡花は全然知らないのだがイメージ的に)無論映像は思い入れたっぷりの雰囲気で楽しめる。
だがこれで勿体ないなあと思うのはヒロインの山元陽子さんは申し分のない美女で何の不満もないのだが、彼女を挟んで愛憎劇を繰り広げる二人の男優がどうしてもいただけない。本当に申し訳ない言い方だが中山仁と田村亮(ロンブーじゃなくて俳優の)なのが二人ともどうにもおじさん過ぎて、いやおじさんでいいのだがなんだか色気がないのだよねー。
当たり前だがこういう幻想的なドラマというのは(なんでもそうだろけど)俳優の魅力というのが決め手である。登場人物はごく当たり前の人間というよりどこか他と違う美貌や才能を持っていて欲しい。お二人は確かに俳優として当然の美男ではあるのだろうが匂い立つような妖しさだとかが足りなくてどうしても普通のおじさん、みたいに見えてしまう。山本陽子さんだけは魔の魅力を感じるがどうして男性陣はこんな味気ない面々でそろえたのか、当時では人気があったのだろうか、この顔では単なる昼メロに見えてしまって損だと思うがまあこれはTVドラマであって私のようにまったくTVドラマを観ない者にはよく判らないのかもしれない。

原作が泉鏡花『沼夫人』ってなんだか凄いタイトル。いや沼って名前の方も確かにいるだろうがここでは姓ではなく心中事件を起こす女性のことだ。脚本が岸田理生というのもなるほどね。
舞台が田舎に建つ富裕な画商の洋館で勝手気ままな御曹司滝川とその美しい夫人・水絵。そして滝川と大学以来の友人・流の三角関係をおどろおどろしくも美しく幻想的に描いたものである。
水絵と流(みんな水っぽい名前なのだ)は心中事件を起こすが流だけは生き残ってしまう。友人滝川に引け目を感じている流のもとへ再婚の手紙が送られてくる。過去はもう忘れたから遊びに来てくれ、というのである。
この新しい夫人が前夫人水絵にそっくりで(山本陽子ふた役)再び流を苦しめる、という物語である。
洋館のホラーっぽさもよろしいし、怪しげな執事も登場し、その上霊媒師まで参加してくるにぎやかさなのだが如何せん肝心の(いや肝心は夫人だろうが、男だってやはりいいのを選んで欲しい)二人の友人に魅力を感じないままの鑑賞なのでいまいち楽しめない。
他はそのままでいいから彼らだけ誰かいい人と交代してくれないかなあ、という残念なドラマだった。
こういう手作りっぽいオールセットのドラマというのも面白いと思うんだけどねえ。

監督:実相寺昭雄 出演:山本陽子 中山仁 田村亮 堀内正美 原知佐子
1986年 / 日本
posted by フェイユイ at 22:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月14日

『イギリスから来た男』スティーブン・ソダーバーグ

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The Limey

正直言うとそれほど楽しんで観ていたわけでもなく少々退屈しながらの鑑賞だったんだが何と言っても不気味なほどのムショ帰り親父を演じたテレンス・スタンプがなんとか最後まで観させてくれた。

とはいえ最初テレンス・スタンプの今の顔なんて知らないからこの人誰って思ってなんだかデニス・ホッパーみたいなノリの不気味さだ、と思ってたらピーター・フォンダが出てきたんで『イージー・ライダー』?
もしかしたらホッパーを使いたかったのに駄目だったんでテレンス・スタンプになった、てことはないよな、なんて思ってしまった。
が、しかし観て行くうちにテレンスのよさが見えてきてあーやっぱこの人凄いやって見入ってしまったのだった。

一応、ここでの敵役となるピーター・フォンダとの往年のスター競演ということになるんだろうが私はそれほど『イージー・ライダー』に思い入れがあるわけでもないし、今顔を観てもさほど心が動くわけでもない。
かたやテレンス・スタンプと言えば大方の人がそうであるように私も『コレクター』の彼、というイメージだけだったのだが観て行くうちにこちらはこんなに凄みのある役者だったんだ、と改めて思い知らされ今更他の映画も観てればよかったなどと後悔させられてしまった。
『コレクター』では気に入った女性を部屋に監禁し非常に丁寧な態度で彼女の世話をしようとするのがまたう異常性をさらに高めていたのだが、ここでも犯罪者とはいえ奇妙に堅苦しく見えてしまうのはアメリカが舞台で『イギリスから来た男』であるテレンスでなければ出せない異常な雰囲気が立ちこめているからだろうか。
いかにも軽い感じの音楽プロデューサー役のフォンダとはいい対比である。しかし主人公というのは普通太刀打ちできないような相手を倒すからサスペンスが生まれるのにどう見てもテレンスの方が強そうだし怖いし、最後なんか主人公が怖くて敵が逃げ回って隠れてる、っていうのは変な展開だなあ。ピーターのボディガード役の男性がいい年みたいなのに体を張って闘うのが見ものだったが。
なんだか敵と味方のどっちに同情して観ていいのかよく判らないのだが、それをぶち破って見せてしまうくらいテレンスに迫力があったってことなのか。
とにかく彼の他の映画も観てみたくなってしまった。

監督:スティーブン・ソダーバーグ 出演:テレンス・スタンプ レスリー・アン・ウォーレン ピーター・フォンダ ルイス・ガズマン バリー・ニューマン ジョー・ダレッサンドロ ニッキー・カット
1999年 / アメリカ
ラベル:サスペンス
posted by フェイユイ at 22:45| Comment(4) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『アイム・ノット・ゼア』ベン・ウィショー場面拾い出し

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『アイム・ノット・ゼア』でベン・ウィショーが登場するタイム。
他の人と違って出演場面がつかみにくいのでちょっと拾い出してみた。(あんまり短いのは入れてないかも、と見逃してるのがあるかもしれない)タイム自体もおおよそで書いてるので細かくは違うかも。

00:01:45
「詩人」と紹介される一瞬。

00:02:12
「歌は一人でに歩き出す」と言うだけだけどやっぱりディランだ。

00:05:46
「A・R・T・H」「座って」と言われベン=アルチュール=ディランが座る。指が長くて綺麗だ。「ARTHUR RIMBAUD」年齢を問われ酷く不機嫌そうな表情がかわいい「そうだ。何故調べる?」眼をきょろきょろさせボブ・ディランの声で話してる。

00:09:26
煙草をくわえて「運命論者じゃない」火をつける。話し方がもう歌っているように音楽的なディラン、になりきっている。

00:20:01
煙草をくゆらせながら「詩人という言葉は嫌いだ」口をくちゅくちゅするのが可愛い。煙草を持つ指が細くて長くて綺麗。画面が変わってもベンの声が続くのでそのままで。「目で見て耳で聞き、呼吸し毛穴にすり込む。風は眉間にふき私の巣に蜜を貯める」

00:33:45
ベン目をきょろきょろさせる。だけ。

00:43:59
「ウディは死んで」から始まり画面は「どん底でもがいてる男が書く詩を書いた」の少しだが場面が変わってもかなり声をきけるのでそのままで。
00:44:51くらいまで

00:57:37
「静寂や経験は示す人が最も脅えるものを」

01:13:37
「僕は混沌を認める。混沌は僕を認めるか?」
ここでも目の表情がすばらしい。少しだけ目線を動かすだけなんだけどディランの苛立ちが伝わってくる。

01:27:13
「お尋ね者の心得7カ条」について
間が途切れながら声がきけるしベンの顔も登場するので7カ条言い終わるまでそのままで。
01:30:08までかな。一番長い。声を聞くだけでも幸せな。声がとてもすてきだ。ディラン的な発音も。

01:58:23
「僕は病気だ」から始まってベンの映像は短いが台詞が聞ける。

02:05:12
一瞬
 
以上。かな。
落としてたら教えてください(笑) 
でも素晴らしい映画だから全部観てね。
なんて書かなくてもこれを読んでる人は全部観てるはずですね(笑)

今頃になってヘインズ監督がベンについて語っているインタビューを観た^^;(す・すまん)
ベンがイギリス人なのにディランのアクセントをとてもうまくさりげなく真似ている、抜群だと誉めているので嬉しい(笑)
今度は一人主演で使ってください。
posted by フェイユイ at 01:37| Comment(6) | TrackBack(0) | ベン・ウィショー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月13日

『痴人の愛』増村保造

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増村保造は日本でよりフランスなどで人気がある、というようなことを聞いた気がするが、本作なんかまさにそういう感じである。1967年公開時にこの映画はどういう風に受け取られたのか想像がつかないし今観られても変態映画みたいにしか評価されないような気もするんだけどなんだか最後なんてしょうもない二人にじんわりきてしまったのだ。

谷崎潤一郎が原作ということで私は読んではいないがさもありなんという不思議な愛の情景である。
めちゃめちゃ冴えない中年男(といっても30代半ばといってたようだがとにかくカッコ悪い)譲治は酒もたばこもギャンブルもやらず真面目なだけの男だと勤めている工場では評判で上司は心配するほどだが実はまだ10代の女性ナオミを自宅に囲っているのであった。

という設定だけでも今ではちと問題であるし無論彼はすぐに手を出しはしなくともナオミの体を洗ったり裸の写真を撮ったりするのを楽しみにして代わりに彼女が求める派手な色の服を買ってあげたりしてそれを生きがいにしている男なのだ。この辺よくある女性監禁エロ映画みたいなもんで特に女性はとんでもなく気持ち悪い男だと観るのを拒否してしまいそうだが、とにかく増村監督は停止するのができないほどぽんぽんテンポよく進んでしまうのであれよと思う間にどんどん話は展開していく。
男は身勝手にも英語やピアノを仕込んで体を磨き上げ理想の女に仕上げてから結婚しよう、それまでは手も出すまい、などと考えている。
ところがナオミは怠け者で勉強はせず今すぐ結婚したいと譲治に無理やり肉体関係を持たせてしまう。
譲治も満更でもなく結婚を早めてしまった。
さてここらからナオミの本性が現れる。家事など何もせず譲治が要求する勉強もしない。次々と買い物ばかりするので譲治は工場から給料を前借するしかない。
叱りつけるとその場ではしおらしく謝るがすぐにすねたりじらしたりしてついには譲治を馬にしてまたがり部屋をぐるぐる回らせ彼の尻を思い切り叩くのだ。

みっともない中年男と我儘極まりないだらしない女の醜態とも痴態とも言える二人の愛戯(?)なのだが、譲治役の小沢昭一もナオミ役の大楠道代もよくぞここまで激しく演じきれたなと感心して観てしまう。
譲治が怒ってナオミを殴り突き飛ばす場面なんか本当にマジで痛そうで大楠さんを心配してしまった。まあ、その分大楠さんも小沢さんに馬乗りになってわき腹思い切り蹴飛ばしたり尻をたたいたり手綱を口にはめてぐいぐい引っ張って仕返ししてるとは思うが(これもかなり痛いと思うよ)体当たりというのはこれくらいしなきゃいかんだろう。

とにかく他に何のとりえも楽しみもないみすぼらしく堅物の譲治は次第に獣のように淫乱に奔放になっていくナオミに苛立ち怒りながらもずぶずぶとのめり込んでいく。
だが彼女が学生の男二人を自宅に泊め、一つのベッドでナオミと譲治を含む3人の男が寝ることになり、工場でナオミが学生を次々と食い物にしているという噂を聞くと嫉妬が燃え上がりしかもそのうちの一人と海岸で抱き合っているのを見てついに彼女を追い出してしまう。

噂でナオミは次々と男を代え歩いているらしい。譲治が死んだようになっているとナオミ帰ってきて服を取りに来たと言う。そして何度も来ては彼をじらすのだ。
譲治は気が狂いそうになり、再び来たナオミにしがみつく。そしてナオミが求めるままに馬になって彼女を乗せて歩きだす。「言うことを聞くか、金を出すか」ナオミが言いだす勝手な要求を一つ一つ承諾し譲治はやっと幸せになった。

裏切り続けたナオミが帰ってきて馬乗りになったところで「これでやっと夫婦になれた」と泣く譲治さん。あまりに哀れな奴隷状態で笑っていいのか蔑んだがいいのか。こういうのを不快に思う人もいるだろうがこれは無論増村監督の映像なので思えるのだがナオミも言うように他の人では満たされない彼らの愛の形であり、本当によかったなあと心から思うのである。譲治さんは元々お金持ちで遺産も入ったのだからナオミの我儘もかなりきいてあげられるだろうし、こんなに円満に解決できた映画にこちらもほっと胸を撫で下ろして安心した。

これも昨日の映画同様、設定だけ聞けば疑問を持ってしまうのだろうが二人の愛の形がこういうものであるならとやかく言う必要はない。
重くなったナオミの体重を背中にずっしり感じながら譲治さんは幸せをナオミは我儘を聞いてくれる奴隷を取り戻したのだ。

ナオミが最初から絶世の美女なんかじゃなく無口で陰気な女だったのを譲治が懸命にいい女にしていくというのが面白い。と言っても『マイフェアレディ』みたいなつまんない権力男の話にはならずどんなに頑張ってもナオミは頭はいつまでも空っぽでぐうたらで体だけが物凄い色っぽくなって譲治がその体に執着し溺れてしまう、というのがよいのだ。
譲治がいくら男性権威を振り回しても体は変わっても心はナオミなのである。
『マイフェアレディ』で帰って来た女にスリッパを求める男とこの物語で馬になってしまう男とどちらがいいかと聞かれればこちらがいいに決まってる。とはいえ譲治ほど幸せな男が他にいるだろうか。

譲治の人格を表現するのに臨終の床の母親に「母さんが悪い」と甘えるのがあっていかに彼が欠落した人格なのかがよく判る描写だった。谷崎の原作そのままなのだろうか、際立っている。

ところでチョイと前に『工場萌え』というのが流行ったが私も少しその気があって工場の景観に惹かれる。本作で譲治が勤める工場が何故か何度となくその素晴らしい機械美を見せてくれて一々見惚れてしまうのだがこれも意味があるのだろうか。つまらない工場と色気溢れるナオミとどちらがいいか、ということなのかな。そうなると私も含め『工場』に欲情する輩はさらに変態かもしれないが。

監督:増村保造 出演:楠道代 小沢昭一 田村正和
1967年日本

若かかりし田村正和氏がナオミにぞっこんになる学生の一人として登場。やはり美男子であった。
posted by フェイユイ at 22:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 増村保造 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月12日

『ミリオンダラー・ベイビー』クリント・イーストウッド

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Million Dollar Baby

これもずっと気になっていたのだが、イーストウッド監督だということと女性ボクサーというのが何やらいかにも感動的な気がして却って観るのに踏み切れないままになっていた。
観てみればやはり非常に判り易く心に伝わってくる作品であった。と同時にやはりどうしてもイーストウッド監督作品と言うのは私には心から愛せない何かがあるのだ。
だがだからと言って多くの人が反感を持ったこの物語の尊厳死に対してはこの作品としては自分は反対できないのだった。

と言うのは変な言い方だろうが、障害を持つことになったマギーが生きる希望をなくし死を選ぶ、ということ、彼女をさせ続けたトレーナー・フランキーがその願いを聞き届けることにどうしても違和感を持ってしまう人たちもいるのだろう。それは様々なケースがあり様々の当事者がいるわけで「生きよう」と考える場合もあり、彼らの場合はマギーが死を選び、フランキーが叶えてあげたのだ、とだけ私は受け止める。そうした状況で選ぶ道は幾つかあるだろうが彼らはそうだった、のだ。
だから彼女はこういう風だったからこうなった、というような説明はいらないだろう。全く同じような人生を送った人でも違う道、例えばフランキーが言っていたように車椅子で学校に通い始める、という人生を切り開いていく人もいるだろう。彼女はこうしたのだ。彼女の置かれた状況を思えば彼女がそのどちらの道を歩むのも頷ける。彼女がフランキーに殺人を依頼することに反発することもあるだろうが、二人のこれまでの繋がりを見てきてマギーはフランキーの「処置をしてくれる能力」に絶対の信頼を覚えてきたわけで彼女が最後の処置を頼みたくなった気持ちも判るのだ。それまで一人で生きてきた彼女が動けないことが死を意味することだとフランキーには理解できた。2度も舌を噛んで自殺しようとし薬で朦朧とした彼女はもうマギーではない、他人がどう思おうとすべて自分が背負っていこうと思ったフランキーに私は反対しない。
というのはこの作品ではそう思ってしまうように様々に巧妙な設定が敷かれているからだ。この作品に限ってはフランキーとマギーの気持ちは共感できるし、そう思えるように作られている。
それでも尚且つ「死を選ぶこと」に反感を持ってしまう人が多くいる、ということはいいことなのだろう。
誰もかれもが簡単に死を選んでいては困ったことになる。

そして私はやはりクリント・イーストウッド映画が「こういう大きな問題提議をすることに意義を見いだされている」ことがどういうものか好きになれないのだ。
私としてはこの作品が彼女が31歳で下手くそなりにボクシングを始めていくところ辺りまでが特に好きだったし、ちょっと勝ち続けたくらいで何かもっと違う事件が、死んでしまうようなんじゃない小さな事件が起きて世界選手権は狙えなくなったが、それからも彼女はボクシングを楽しみながら暮らした、っていうような地味な話でよかったのに、こういう大きな話になってやはり映画賞なんかを取ってしまわないといけないのかな、とかも思ってはしまうのだ。
アイリッシュを熱く応援させた女子ボクサーがいたね、くらいの物語では満足できないんだな。
とても感動はしたのだが反面強烈な問題提議というのがどうしても必要な監督なのだとも思う。それがまったくいけないわけでもないんだが。

どうもあやふやな感想になってしまったが、つまりこの映画が表現している行為には反対しないが、どうしてもこういう問題を扱ってしまうイーストウッド作品をみると退いてしまう自分がいる。いるだろうけど不快過ぎる敵やいかにも悪い家族の描写も少々興ざめでもある。
それにしてもヒラリー・スワンクのボクサーはかっこよかったし(マット・デイモンにそっくりな笑顔も魅力的だ)モーガン・フリーマンは文句なく素敵な存在でどうしたってこの二人には見惚れてしまうのだけどね。 
設定もうますぎるくらい決まってる。何か過去に酷く重い罪の意識を負った老トレイナーは娘がいるが疎縁であり、友人のような掃除人のスクラップ(なんて名前だ)も過去に大きなタイトルをつかみ損ねたボクサーであり、二人の前に現れるマギーはすでに31歳(すぐに32歳になってしまう)のウェイトレスで才能があるようにも思えない。家族には見捨てられたような存在という3人とも家族や他人との縁が薄い人間たちなのだ。だからこそマギーとフランキーが死を選ぶことにもためらいがないのだ。
物語がスクラップの語りで進行していくというのも実にうまい。文句なしの映画なのではある。だからといってイコール好きとはいかないのが難しい。

監督:クリント・イーストウッド 出演:クリント・イーストウッド ヒラリー・スワンク モーガン・フリーマン アンソニー・マッキー ジェイ・バルチェル
2004年アメリカ
ラベル:愛情 人生
posted by フェイユイ at 23:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月11日

『さよなら子供たち』ルイ・マル

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Au Revoir Les Enfants

いつも始めに「何も知らず観たが」と書いてしまう私だが、この映画の設定は判っていたし、二人の少年の顔が大きく写っているジャケット写真は数えきれないほど眺めたものだ。有名な作品でもあるから観たいと思いながら機会がなく今になってしまった。期待する長い時間の間にルイ・マル監督の他の作品を幾つも観たせいでこういう映画だろうか、という想像もしていたものだ。
果たして観た感想は。不思議にも初めて観たはずなのにもう観たことがあるような気さえするのだった。

というとまるで駄目なものだったように思えるがそれは全く違う。
長い間少年たちの顔を眺めてすっかり覚えていたし、もしかしたらこの映画の影響を受けた作品を観てきたのかもしれないし、いくつもルイ・マルの映画を観てきてそのニュアンスを覚えてしまったのかもしれない。
だがそれは私の思い込みであり、私が想像したものではなく、こういう映画であって欲しいと思う映画そのものだったからかもしれない。

ルイ・マル監督自身であるらしいジュリアンはとても頭のいい少年だが少し繊細な部分がある。
ナチス占領下にあるフランス。パリから離れた寄宿学校で生活する12歳のジュリアンたちのクラスに突然ジャン・ボネという少年が編入してきた。
ジュリアンに負けないほど頭がいい上にピアノも上手だが無口で仲間に溶け込めないジャンに対しジュリアンは何かと意地悪なことをしてしまう。
だがそれはどこかで彼に惹かれているせいなのかもしれない。何故かとても謎めいた転校生の秘密をジュリアンは探ろうとする。
彼は変名を使ったユダヤ人だったのだ。

物語の多くは思春期の少年たちの生活を淡々と描くことで費やされる。憧れや妬みや互いの探り合い。ジュリアンはまだ甘えたい年頃でママと離れるのが辛いのだが、ジャンはママの行方さえ判らないということを知る。
思春期に少年たちが必ずすること。けんかや欲しいものを手に入れるための取引、綺麗な少女への憧れ、自分より才能を持つ者への嫉妬。そういう毎日の中でジュリアンは次第にジャンに惹かれていくことを認める。
そうして彼らがじゃれ合ったりふざけたりしているのを観ていてもナチスの脅威を知っている観る者はどこか不安を覚えずにはいられない。
森の中で学校の仲間と宝探しをしているうちにはぐれてしまうジュリアンとジャン。怖い猪にも怯えてしまう二人の姿はそのままこの映画の彼らの状況を表しているようなものだ。
そこへ現れたドイツ兵士を観た時はこんなにも早く別れが来たのかと思ってしまったが彼らはただ二人を学校へ送り届けてくれただけだった。

レストランにジュリアンと彼のママと兄さん、そしてジャンを連れて行った時、ユダヤ人を探す兵士たちが入り込んでくる。
ジャンとは別のユダヤ人の紳士が兵士たちに目をつけられてしまった時、レストラン中のフランス人が口々に叫ぶ。それは兵士たちへの反発、ユダヤ紳士への助言など。そこへどうしたわけかナチス将校が兵士たちを追い出してしまい、その場は収まる。フランス人たちがただおとなしくしているだけの性格でないことが見える。
そしてジュリアンのママの「私たちはユダヤ人ではないけどユダヤ人は嫌いじゃないわ」という言葉でジャンが嬉しそうにほほ笑むのが痛々しい。彼は何一つ話さないのである。

映画はジュリアンの目から見た物語になっているのでユダヤ人であるジャンの心は語られることがない。
空襲のさなかにこっそりとピアノの連弾をして楽しむ二人。大声で笑う二人。戦争さえなければ、ユダヤ人狩りさえなければ二人はそうやっていつも楽しんでいられたはずなのに。
いやジュリアンはジャンに出会うことはなかったのかもしれない。
戦争という恐ろしい出来事が二人を引き合わせ、そしてあっという間にその繋がりを断ち切ってしまった。
ナチスがユダヤ人を探しに学校へ来た時、ジュリアンはついジャンを見てしまう。
何故、ルイ・マル監督はこの場面を入れたんだろう。それは恐ろしい瞬間だった。ジャンは「いつかは捕まってしまったんだ」とジュリアンにつぶやく。
この場面を入れることはルイ・マル監督にとって非常に過酷なことだったんではないだろうか。彼の一瞥で運命が決まってしまった。
あの場面をいれないこともできただろうが、はっきりとそのことでジャンが気づかれたことを表現している。
これはルイ・マルの告解であったんだろうか。

最後、ユダヤ人とアーリア人ではない少年たち、そして彼らをかくまった神父が連行されていく。生徒たちが口々に「さよなら神父様」と叫び神父が答える「さよなら子供たち」
ジュリアンはジャンと別れ、そして自らの子供時代にも別れを告げた。

ジャンの寂しげな表情。いつも自分を隠していなければならない。無口で他の子供たちと隔たりがある。子供にとってなんという重い枷なのだろう。ジュリアンと彼が別の時に生まれ出会っていれば彼らは好きな本を読みピアノを弾き、頭のいい友人同士らしい生意気な論議を戦わせただろう。彼らが普通の少年たちでごく子供らしい学校生活を送っている中に突如として入り込む戦争という得体のしれない恐ろしいものが美しい時間も思い出もすべてを破壊してしまった。

それまでは普通の人間だった学校の料理人の若者がゲシュタポに密告してしまうのも神父の厳格さが引き起こした結果だというのも皮肉な運命である。戦争は何もかもを狂わせてしまうのだ。悲しい。

監督:ルイ・マル 出演:ガスパール・マネッス ラファエル・フェジト
1988年フランス/ドイツ

ラベル:ルイ・マル 戦争
posted by フェイユイ at 23:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月10日

『イースタン・プロミス』デヴィッド・クローネンバーグ

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EASTERN PROMISES

これはクローネンバーグ監督らしい黒い雰囲気が立ちこめる滅茶苦茶に面白い映画だった。これはイギリスにおけるロシアマフィアの人身売買という暗部を暴きだした物語、ということらしいがそれもこれもマフィアの「若(手下が「わか」って呼ぶあれ)」に献身的につくす謎の男、若の方も男にぞっこん頼りきりなのだ、という男同士の関係を危なくも妖しく描きたかっただけでこの設定にしたんじゃないかと思うのだ。そのくらい我儘キリルに影のように寄り添うニコライという構図が素敵なのである。

今までヴィゴ・モーテンセンがそれほど好きではなかったんだけど、これを最初に観てたらぞっこん惚れてたのに惜しい。ヴァンサン・カッセルは『ジェヴォーダンの獣』で初めて観た時から陰湿で変態な悪役ぶりが魅力的で忘れられない人となったが、本作ではさらに屈折しまくった男ぶりを見せてくれますます点数が上がってしまったのである。

ロンドンを舞台にしたロシア・マフィアの人身売買契約それが『イースタン・プロミス』の意味であるという。
ごく普通の看護師であるアンナは病院に担ぎ込まれた少女が妊娠した身で麻薬注射を打っておりそのまま死んでしまったことに衝撃を覚える。
とり上げた赤ん坊は生きており、少女はロシア語で書かれた日記を残していた。アンナ自身ロシア人の血を引いていてロシア語の判る伯父がいる。だが口の悪い伯父と仲たがいしている間にアンナはロシア・マフィアのボスと知らず知り合った男に日記のコピーを渡してしまった。
少女は人身売買で売られた「奴隷」でありマフィアのボスにレイプされ妊娠。絶望のうちに死んでいったのだった。

ロシア及び近辺の女性が貧しい環境の為に身売りしているのは日本でも聞く話であり、白人種でしかも北方の美貌は買い手がつくわけである。
ヴィゴが演じるニコライは謎の男で彼の語った言葉がそのまま真実なのか、どうかはよく判らない。ただその謎めいた描き方が彼のこれまでの人生を想像させてくれるようだ。
彼が悪の仮面を被った天使の優しさを持ち合わせているのは見えるがその実、今のボスの代わりに立とうという意志もあるのだ。
その為に馬鹿息子キリルに献身的に仕えているのだが、何故かニコライにはそれ以上の気持ちがあるように思えてしまうのはどういうわけか。
ボスが失脚した後、彼は言葉通りキリルをボスにするわけではないのだろうが、この物語の中でニコライが横暴なキリルに好意を持っているように見せているのは彼を騙すための演技なのか。少なくともクローネンバーグの映像は抱きしめ合うキリルとニコライの関係を非常に美しく映している。
駄々っ子のように泣くキリルを優しく抱くニコライには彼を慈しんでいる感情があるように思えてしまうのだが。

無論一般の観客なら看護師アンナを助けるニコライ、という関係そして最後のキスに二人の愛情を感じてしまうのだろうが、私としてはニコライはあくまで苦しんでいるロシア女性に同情し、赤ん坊を引き取ろうとするアンナに感謝している、としか見えない。
ニコライとキリルはどうなっていくんだろう。ニコライはキリルに「俺と父親とどちらを取る?」と問い、「二人でボスにとって代わろう。お前がボスで俺たちは相棒だ」と甘い言葉をささやく。
ゲイであるキリルは屈折していてニコライに女を抱けと命令するが、女を背後から抱くニコライに欲情しているのは明らかである。ニコライも充分それを判っているし、キリルが彼に恋情を抱いていることを利用してマフィア内部に入り込んでいるのだが、こうした我儘な坊ちゃんをあやす頭の切れる部下、っていう組み合わせはヨダレものだし、クローネンバーグは明らかにそこを描きたくて映像化していると思うのである。
なのでこの映画の終わりが唐突のように思える人もいるようだが、監督はキリルに献身的に仕えるニコライを描きたかったので物語がここで終わるのは当然だ。彼の献身の謎が明かされてしまったのだから。

途中サウナでニコライがチェチェン人にキリルの身代わりとして暗殺されそうになる場面がありそこでのヴィゴのぼかしなしの全裸での格闘が話題だったらしい。確かに全裸の格闘は痛そうだ(そういう意味じゃないか)あそこもいつどこかにぶつけてしまうかわからないし(だからそういう意味じゃない)まあこれもクローネンバーグがヴィゴの肉体美を存分に見せたい為の(見たい為の?)お楽しみだったのであろう。
チェチェン人とナイフ、と言えばこの前観たロシア版『12人の怒れる男』を思い出す。
とにかくヴィゴの大事な部分が格闘で揺れまくっているのに女性&ゲイメンは目が釘付けであるのは間違いない。

ナオミ・ワッツは小柄で普通っぽいとこがこういう役にはぴったりだし、いまだに『マルホランドドライブ』でビアンな役だったのが印象的で好きなのだ。この前観た『ファニーゲームUSA』でも可愛らしかった。

いつものようにどんな映画かまったく知らずに観たのだが、こんなに惚れこんでしまうとは思いもしないほど楽しんで観てしまった。
ヴィゴの良さが判ったのも嬉しいし、今まで自分は男っぽい映画が好きな割にはどういうものか暗黒街ものが苦手で(『ゴッドファーザーTU』と『インファナルアフェア(あくまで香港版のほう!!!)』以外はどうも入り込めなくて)マフィアのドンパチには興味が持てなかったのだがこれは例外だった。と言っても確かにいつも嫌いなドンパチや目をむいて脅迫するようなアホなシーンがなかったのだ。虫唾が走る男の美学みたいなのも皆無だったし。ただもう私はヴィゴとヴァンサンのキスしようでしないみたい触りあいにどきどきしながら見入っていたばかりであった。
続編ができる、という話を見たが二人はどうなってるんだろ。まさか一緒にはいられない、と思うからヴィゴに新しい相棒ができてるっていうのもいいんだけど。

監督:デヴィッド・クローネンバーグ 出演:ヴィゴ・モーテンセン ナオミ・ワッツ ヴァンサン・カッセル アーミン・ミューラー=スタール イェジー・スコリモフスキー シニード・キューザック
2007年 / イギリス/カナダ
posted by フェイユイ at 23:06| Comment(2) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ベン・ウィショー画像

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女性を挟んでイアン・マッケラン。荘厳な雰囲気の写真。素敵です。
これははーやさんからいただきました!ありがとうございます!!!!

posted by フェイユイ at 08:57| Comment(4) | TrackBack(0) | ベン・ウィショー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月09日

『サン・ルイ・レイの橋』マリー・マクガキアン

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THE BRIDGE OF SAN LUIS REY


有名なアメリカ俳優が多数出ているのだが舞台が18世紀ペルーというちょっと変わった背景のせいか、とても不思議なニュアンスを持った作品だった。

異端裁判にかけられる一人の修道士。彼は数年前、「サン・ルイ・レイの橋」を渡ろうとする寸前に5人の男女もろとも橋が落ちてしまったのだった。もう少しで我が身に降りかかったはずの災難から自分は逃れ、何故その5人が落ちたのだろうか、と彼は考えその共通点を求めて6年がかりで5人のそれまでの人生を調べ歩く。
だが一人の女優と出会ったことがある、という以外にこれという共通点は見いだせなかった。
修道士は異端者として裁きを受けねばならないのだろうか。

異端裁判というとスペインが思い浮かぶが、その植民地であるペルーでも同じようなものだったのか、と当たり前なのかもしれないが今まで考えたこともなかったので妙に感心してしまった。
そこには副王と呼ばれる統治者がいて現地の人々を支配したのだがここではまったくスペイン人である白人たちの物語になのである。
故郷スペインは遠いが貴族たちはまるでヨーロッパにいるようなのも不思議である。そしてキリスト教は頑全たるキリスト教なのだった。

修道士は何故本当に橋から落ちて死んだ5人の人生を調べようとしたんだろう。そこで死ななかった自分の命を確かめたかったんだろうか。
しかし彼は5人の人生を調べた6年後に処刑されてしまうのだ。しかも彼はとうとう5人の共通点を見いだせないままだったのだ。
こういうミステリー仕立ての映画、というのは凄く好きだ。ミステリーといっても人生の謎なので殺人事件のように答えや犯人が見つかるわけではない。観終わった時はなんだかもやもやとしたものしか感じ取れないが時が経つにつれややばんやりと見えてきたりする、そんなミステリーである。例えば『薔薇の名前』だとか『市民ケーン』のような。
ここでは尼僧が大きなヒントを与えてくれる。5人のうち、若い女性と男性は修道院にいた人間で尼僧自身が深い愛を感じていた。アンクル・ピオと彼がおぶっていた赤ん坊は女優ペリチョーレの子供であり、父親のような存在の人、侯爵夫人はずっと仲たがいしていたがスペインに住む可愛い娘が帰郷して涙を流した。尼僧は愛した者もいつかは死んでしまうが愛だけは残るのだ、とつぶやく。
5人の人生の共通点を探した修道士の人生はここでは語られない。5人の為に流された涙が彼には流されなかったのだろうか。誰からも?では彼の人生とはなんだったのだろう。彼が尼僧と違って共通点を見いだせなかったのは誰のことも愛したことがなかったからなんだろうか。

恐ろしい異端裁判の検察(というのか。弁護士はいないが)にロバート・デ・ニーロ。副王はF・マーレイ・エイブラハム、尼僧がジェラルディン・チャップリン、アンクル・ピオにハーヴェイ・カイテル、など凄い面々だが、一番迫力あったのは娘を溺愛する侯爵夫人のキャシー・ベイツ。彼女が最も印象的な人物だった。
彼女の娘への愛は異常だ、奇行だ、と言われ続けていたが、そんなに変かなーと思ってしまったのは東西の意識の違いか。一人娘にこのくらい愛情を注ぐのは普通みたいな気もするが。裕福な貴族で大西洋を隔てていればこのくらい思ってても仕方ない。しかしお金の面はきっちりしてたし。
とにかくあのふて腐れたような容貌で小さいんだけどでっぷりした体つき。膨れ上がった胸。酷く我がままかと思うと「私は駄目な女」と言って女優の足元にひれ伏したり、確かに奇行ではあるが。
橋を渡る前、彼女は自分が歪んでいたと思い直し「もう一度人生を歩みなおそう」と思う。あの直後の事故。
アンクル・ピオは娘のように育てたが、天然痘にかかってしまった女優から赤ん坊を預かってまた大事に育てようと思っていた矢先だった。
5にんはまたこれから新しく人生を歩もうと思っていたという共通点もあるのだった。
処刑された修道士はどんな気持ちだったのか、それもまた明かされてはいないのだが。

監督:マリー・マクガキアン 出演:ロバート・デ・ニーロ キャシー・ベイツ ハーヴェイ・カイテル ガブリエル・バーン F・マーレイ・エイブラハム
2005年 / アメリカ/スペイン
ラベル:ミステリー
posted by フェイユイ at 23:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ベン・ウィショー主演『BABY』

はーやさんからベン・ウィショー主演『BABY』を観るには?というご要望がありましたのでここにアップしてみます。
この情報はいつものことながら、ふぇでり子さんから教えていただいたものです。ふぇでり子さんなしにはベンを観ることができませんねー。ここに再び深く感謝をいたしまして、どうぞ皆様お楽しみください。

FACTORY FILMS

出てきた画面の『BABY』をクリックしてご覧ください。
まだベンが初々しくてでもエロテッィクでありますねー。
posted by フェイユイ at 10:36| Comment(13) | TrackBack(0) | ベン・ウィショー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月08日

『赤線地帯』溝口健二

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この映画もタイトルの意味を知る人なら何らかの含み笑いを浮かべて観始めてしまうものだろうが、作品自体はこれまで観てきた「売春宿」を舞台にした映画とは全く違う作品であってそうした世界にエロティシズムを感じようとした人にはがっかりさせてしまうものかもしれない。
つまり性描写などは皆無と言ってよく『赤線』と呼ばれた公認の売春宿で働く女性たちのそれぞれの苦悩と生き様を描きだしていく作品なのである。

とはいえ、この作品で私が最も惹き込まれたのは彼女たちの苦悩というより当時の街の景色や部屋の雰囲気、女性たちの風貌のほうだった。
ちょうど売春防止法が施行される1956年公開で内容はその売春防止法前夜の店の主人や女性たちの揺れ動く心が描写されている。
東京なのだからとても華やかなのだろうが小じんまりした売春街の夜景も何ともいえずみみっちい情緒があるではないか。和服が殆どの女性の中で神戸出身のミッキーは京マチ子が演じているせいもあってすばらしく肉感的扇情的進歩的な洋装なのである。「八頭身よ」と威張る姿が可愛らしい。貧乏や不遇が原因で身を売る羽目になった他の女性たちとは違い彼女は金持ちのお嬢様なのだが金儲けしたのをいいことに大勢の遊び女と関係を持つ父親が母親を苦しめたことに反抗する為に不良となり売春婦になったという経緯を持つ。今の女の子たちの売春に似ている存在かもしれない。
迎えに来た父親に思い切り言い返し「私と遊んで行けば」とつきつけ逃げ出す父親に「とんだメロドラマだ。マリリン・モンローでも観に行こう」と叩きつけるミッキーは小気味いいが、彼女の心の奥に淀む父親という男性の買春に対するしっぺ返しが自分の身を売ることだという行動は彼女の恨みや悲しみがどんなに精神を歪ませているのか、彼女が明るいだけにその闇は酷く暗いものなのではないだろうか。

或いは親の運命の為に売春する羽目になったやすみ(若尾文子)は持ち前の美貌を活かし人を騙しても金儲けをして布団屋を経営するまでになる。
結婚を夢見て敗れ店に戻る女、息子と一緒に暮らすことだけを夢見ていたのに息子に「汚い」と言われ気の狂う女、病気の夫と赤ん坊を世話し所帯じみながら働く女、それぞれの心情が細やかに映し出される。

そして様々な風景。売春街、田舎、工場などの様子がこれは今再現しようとしてもできないもうなくなってしまった空気だとか、土だとかが感じられる。
この映画では彼女たちが苦しむ売春というものがどんなに彼女たちの体と精神を蝕んでいくのか。その仕事自体は想像するしかない。だが結局映画でそれがどんなものか、判るように描ける映画はないだろう。それを観た者でも受け止めるものは違ってしまう。
そうした場面を描くことは一切ないが、映画の中で流れる音楽が奇妙に神経に響く不協和音のような不気味なものであることが作者の気持ちを表しているのかもしれない。

場末の買春宿を描いても溝口健二の映像はやはり美しい。それはそこに描かれる女性たちが虚飾ではないと思わせる力を持っているからなのだろう。

監督:溝口健二  出演: 京マチ子 若尾文子 木暮実千代 三益愛子 町田博子 小暮実千代
1956年日本
ラベル:売春 家族
posted by フェイユイ at 23:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ベン・ウィショー画像、ご賞味あれ!

いくつかベンの画像を見つけたのでここにアップしてみますが右側にも貼り付けてます。


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『Mercury fur』観てみたい。

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『レイヤーケーキ/Layer cake』まるでダニエルにキスしてるようですがひそひそ話してるとこ。変な男でした。

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『Love hate』いつかDVDとかで観れたらいいな。

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『Leaves of glass』A Play by Philip Ridley だそうです。綺麗な!!

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『Baby』これは恥ずかしいので^^;さすがに横には貼りませんのでここだけでよーく見といてください^^;^^;^^;やばいっす。
posted by フェイユイ at 15:54| Comment(7) | TrackBack(0) | ベン・ウィショー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

劉[火華](リウ・イエ)フランス女性と結婚

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おお。『藍宇』で私たちを魅了してくれたリウ・イエが先日フランス人女性と結婚されていたのですねー!!
いやめでたい。→ここ
ラベル:結婚
posted by フェイユイ at 00:19| Comment(2) | TrackBack(0) | 中国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月07日

『セックス チェック 第二の性』増村保造

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久しぶりの増村保造監督作品。これは特に気になっていたのだけど主演の緒形拳さんが亡くなって借りにくくなったりとかして今になってしまった。増村保造作品はどれも衝撃的なものだがこれは特にタイトルからして過激なので胡散臭くも思えてしまうが昔TVで観たような気がしたのと山岸凉子のマンガ『キメィラ』を読んで繋がりを考えたのだが、こうして観てみると『キメィラ』のような話では全くなかったし昔観たような記憶も引き出されなかったのでさほど印象には残ってなかったようだ。

なにしろタイトルからして挑戦的だし内容的には増村監督作品としては当然だが性的な描写がとことん出てくる。
おまけにぱっと見、非常な女性差別のようにしか思えず、まだ18歳のひろ子を中年男性がいじりまわしているというのはどうにも気持ちのいい映像ではないではないか。
しかしこの中年男のむき出しのエゴといつもの奔放な女性ではないひろ子の姿は(少なくとも当時の)性のあり方と意識への滑稽なカリカチュアのように思えてくる。
つまりスプリンターはエゴイスティックであるべきだと信じ行動し続けた宮路と彼に振り回されたひろ子を憐れんでいながらどこか皮肉に笑っているように思えるからだ。
スプリンターは狼であるべきだと言って次々と女を手籠にしては捨てることを当然と思っている宮路は己がオリンピックに出場できなかった為にひろ子という女性に目を留め彼女をオリンピックでメダルを取るスプリンターに育てようと張り切り、彼女が少しでも男性に近づくよう服装、言葉も男らしく指導する。
が、ひろ子はセックスチェック(診察して性器や卵巣が完全か判断するというもの)で「女ではない」という宣告される。半陰陽だというのだ。
ショックを受けたコーチ宮路はこれまでの男性化計画を止め、今度は生殖器が未発達なひろ子を女性にするため、毎晩彼女を抱くのである。
果たして彼女に初潮が訪れ、女性証明書を手にすることができた。だがその後の陸上競技会でひろ子は平凡なタイムしか出せず、オリンピック出場の夢は消えた。
宮路は「すべてが無になり、一人の女性だけが残った」と笑う。

宮路の言動はいちいち気に障ることばかりなのだが、これらの考え方・行動が当時当然としてあったものなのだろう。
私はスポーツ選手の世界にはまったく無縁だったのでそういう世界の内情は知らないのだが、先日ある有名な男女のスポーツ選手同士が恋人だという噂が立ち、あるスポーツ関係者が「男性選手は恋をすると伸びるが、女性は駄目になるからやめた方がいい」というコメントをしたのを聞いて今頃まだそういうことを言っている人がいるのかと驚いた。その女性選手は今も駄目にはならずむしろ男性選手のほうがやや下降気味になっているようだが(頑張って欲しいが)そういう「女性はこういうものだ」という奇妙な論理がまかり通ってしまう世界なのだろう。
無論私はスポーツ理論が判るわけではないから多くの選手を見てきた人にはそれなりの定義があるのだろうが、今多くの女性選手が恋もし、結婚し、出産しても駄目にはならずトップに存在しているのが実現しているのだから決めつけることもないだろう。

それてしまったが、宮路は最後まで「女性は云々」と言っていてどうも腹立たしい。が、結局は彼のエゴは崩されてしまったわけだ。
最後の最後で「俺はもう狼じゃなく一人の女を守る犬だ」という宮路は却ってもう憑きものが落ちたかのようにさっぱりしている。

ひろ子がいつもの増村映画の女性のように奔放じゃなく性にこだわり過ぎているのが嫌でもあるし、緒形拳演じる男性の性が匂い立つような宮路にも少々辟易はしてもやはり増村保造監督は恐ろしいとこをさらけ出してしまう作家なのだった。
いつものように尺も短くしかもテンポがいいので観やすいことはこの上なし。
緒形拳さんは筋肉が見事である。しかしこの撮影疲れたろうな。

監督:増村保造 出演:大楠道代 緒形拳 小川真由美 滝田裕介
1968年日本
ラベル:増村保造
posted by フェイユイ at 22:58| Comment(0) | TrackBack(1) | 増村保造 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月06日

『ベルベット・ゴールドマイン』トッド・ヘインズ

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Velvet Goldmine

もともとポップミュージックに詳しくもなくグラムロックなどと言われてもデヴィッド・ボウイくらいしか思いつかない程度の人間なのだが、そういった知識は別としてぐちゃぐちゃ感がとても心地よい作品だった。

そのデヴィッド・ボウイをモデルとするブライアン役のジョナサン・リース=マイヤーズくんはとても可愛いのだがイギー・ポップ=カート・ワイルドのイアン・マクレガーはかっこいいのか悪いのかよくわかんなくてちょっと笑えたが(かっこいいのか?)なんだか不細工な感じがするとこが却って愛らしくも思えたりする。
彼らに憧れ彼らの姿を追いかけやがては新聞記者となってその後の彼らを訪ねるという企画を任される内気な青年アーサー役をクリスチャン・ベールがこれもまた初々しく演じているではないか。
化粧をし、女とも男とも言えないような奇抜な衣装を身につけ、「男も女も好きだ」というバイを表現した彼らは70年代前半のイギリスでは無論異端な存在として登場し大人たちをしかめ面にするに充分であったが女の子たちを夢中にさせ、ゲイの男の子たちには神のような存在であっただろう。
私は昔からゲイに惹かれるもののどういうものかボウイ的な存在だとか化粧する男性というものにそれほど魅力を感じなかったので(今のほうがむしろいいと思っているのだが)グラムロック世代でないのもあるがそれほどここらを追及しようとは思わなかった。
今こうして観ても化粧をし、クスリをやり、男女ともに興味がある、とは言いながらやや同性への嗜好が強いように思えるが奔放で自堕落な生活に憧れはしてもやはり心底好きな世界とは言わないが、ファンは自分ができないことをやって見せる彼らだからこそ憧れているのであろうし、とにかくこの作品自体の陶酔感はとても好きである。

とはいえ自分がもしこの時代にいて彼らを10代の頃に共に生きたなら思い切りこういう世界にはまりこんでしまいたい、と願ってしまう。
私はむしろテクノポップ世代なのだろうが、あの音楽を映画化したものはまだ観ていない気がする。果たして感動するのだろうか。
先日坂本龍一の本を読んだりしたのだが映画音楽の彼は別としてそれほどあの音楽(YMOってこと)にひたれない。が、あまりにも聞かされたのですぐ頭の中に流れてくる。
そうした自分にとってのノスタルジーとは違うところでグラムロックには惹かれるものはある。今のビジュアル系バンドとは違う精神的解放が主題であることや後にパンクロックとして続いていく流れとしては自分も気持ちが動かされてしまうのだ。

あまりに遅すぎる鑑賞になってしまったが『アイム・ノット・ゼア』も素晴らしくよかったし、トッド・ヘインズ監督も気になる監督になってしまった。もっと作品作って欲しい。

監督:トッド・ヘインズ 出演:ジョナサン・リース=マイヤーズ ユアン・マクレガー クリスチャン・ベール 
1998年イギリス

これの主演ってユアン・マクレガーってなってるけど、どう考えたってジョナサンかもしくはクリスチャンのほうだよね。
posted by フェイユイ at 23:55| Comment(2) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ついにベン・ウィショーに遭遇する!そして生写真!!!

と言ってもそれは私ではなくはーやさんなのですが。

ロンドン在住のはーやさんから羨ましくも妬ましいベン情報をいただきました。これはロンドン在住でないと実現できません!!!(泣)
でははーやさんのメールです。
 
「夢って叶う…今日、本当に思いました。
Brick Laneというロンドン東部のストリートマーケットで人気の場所へ行ったのですが、
あっと前を見たらベンが…。もう、なんだかわからず戸惑ったのですが、とにかく話がしたいと
思い、先を行くベンを追いました。後ろから見た感じは、なんと細い!ズボン(カンヌの耳花の
写真の時のものと思われるベージュっぽいの)も、ゆるゆる。とにか後ろからツンツンとついて、
『ベン…ですよね?』『あなたのお仕事、いつも楽しませてもらってます。l』『絶対遭えると信じてました』
などまくし立て、舞い上がりながらも一緒に写真を快く撮ってもらいました。
本当は、『きゃー、愛してる、昨日もブライズヘッド観てたし、一昨日はChriminal Jusiticeを…』とか、
出てきそうだったけど、ぐっと抑えて…。ずっと、ニコニコ顔で応対してくれました。
まだこの現実をどう受け止めていいかわからない状態です。
『今は次の仕事を探しているよ』って言ってました。
リラックスした夏の日々と過ごしていそうな麗しいベンでした。

ふぅ〜☆」

どうです?羨ましくて死んじゃいそうですねー。
でも私としましてはベンに会える可能性のあるはーやさんにこれからも活躍していただき、いつかベンが誰かとデートしてるとこを激写していただきたい!!!
私はどーせ話しかけきれないのでここははーやさんにすべてを託しますm(__)m
よくぞつんつんしてくれました!!

ではその貴重なベン写真です!
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うう、なんてお茶目な表情かわいい。
あ、目はグリーンですね。

はーやさん、ほんとにほんとにありがとうございます!!!!!
posted by フェイユイ at 09:36| Comment(10) | TrackBack(0) | ベン・ウィショー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月05日

『インベージョン』オリヴァー・ヒルシュビーゲル

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THE INVASION


久しぶりにダニエル・クレイグの顔を見れると思って観たのだが、こな大昔の映画だとは思いもしなかった。

いつもながら予備知識なしに観たんだが、意味の判らない英語タイトルなのであまり期待はしなかったのがせめてもの救い。あまりにもスタンダードな地球人侵略SFでこういうタイプは子供の時から五万と見てきたのにまた今更、と思ったらこれはジャック・フィニィ『盗まれた街』の映画化なのだった(『ボディ・スナッチャー』というタイトルですでに映画化されたことあり)とはいえ私はフィニィ原作を読んでないのでこれですぐに思い出したのはレイ・ブラッドベリの『少年よ、大茸をつくれ』(「よろこびの機械」収録)なのであった。と言ってもこちらの設定はちと違う(当たり前だが)フィニィの小説がどうなのかは知らないが映画のような大掛かりな世界規模みたいな(と言っても騒いでいるだけで実質は何ヵ所かの街中だけの物語になってるのだが)話ではなくある家庭に宅配された食用キノコ栽培キットが実は地球侵略の為のもので「キノコ」は人間を媒体として行動し増殖していく、という物語をブラッドベリ独特のファンタジックな語り口で表現されていく。
こういうのは舞台を大きく広げればいいんじゃなく身近な近所の話から「これが世界に広まったら」という想像でぞっとしていく、と言う方が面白いんではないかと思うのだが(多分フィニィ原作は面白いんだろうが)何故ハリウッド映画と言うのは大風呂敷を広げたがるのかよく判らない。
特に発想が面白いのならいいがこういう古臭く、出しつくされた話を金をかけただけのワンパターンカーチェイスや追いかけっこをして見せても誰も何の刺激も受けないし、はらはらどきどきなんて微塵もしないだろう。
説明が物凄く判りやすいのがまた何やら馬鹿にされている気がしなくもないがはっきりと言葉に出している物語のメッセージ「人間は必ず犯罪や戦争をおこす。そうでなくなったら人間はもう人間ではない」という言葉はむしろ首を傾げたくなるものである。というか宇宙生命体に体を乗っ取られて平和なのといつまでも戦争し続けるとどちらを選ぶ?なんていう2者択一を迫るなんて馬鹿げているではないか。それに体を乗っ取った「宇宙ウィルス」なる者が本当に平和主義ならなんであんなに攻撃的なのか、そこでもう話が破綻してる。
平和主義だからこのウィルスを飲もう、という設定なら襲って来たりせず穏やかににこにことしていつの間にか飲まされていた、という筋書きにしないと意味が判らない。
大体この物語は宇宙人への恐怖じゃなく当時フィニィが共産主義に対して感じた恐怖を描いたものらしいのだが先に書いた台詞がロシア人の言ったものというのも皮肉である。
共産主義と言えばこんな「薬」をイメージさせられるような「ウィルス」というものを飲ませるとかではなく、この前TVで観た戦争当時に中国軍が日本人捕虜に行った自己批判というものが恐ろしかった。繰り返し繰り返し自己批判をすることで精神を変えていくのである。まあ、映画でこういうのをやったんではとても娯楽映画にはならんから「ウィルス」をおえっと吐き出し飲ませる、と言う方が判りやすいということなんだろう。それにしてもアメリカ人は特におえっていうのを嫌うはずなのにそれを飲まされるなんて観客の拒否反応は酷かったんじゃなかろうか。

映画自体はもうどうでもいい。とにかくブラッドベリは短編なのに物凄く面白いってことだ。

さてお目当てのダニエル・クレイグ。本作はあくまでニコール・キッドマン主演映画なので彼は添え物的存在にしかすぎなかったし、『007』的イメージでこれを観た人はあれれだったかもしれないが、ダニエルの他の出演作って意外とこういう感じなのだよね。わりと話がどれも微妙で^^;彼も頭はいいんだけどあんまり強くない人って感じなのだ(あの肉体美を誇る人なのに不思議だが)
ここではもう控え目控え目。珍しく裸にならなかった?!し。でもチャーミングであることは確かだなあ。ハンサムだわ。
おまけに彼の役名が「ベン」だったのでそれが嬉しくて最後まで観続けた気も。何度もニコールが「ベン」と呼んでたんで。

監督:オリヴァー・ヒルシュビーゲル 出演:ニコール・キッドマン
ダニエル・クレイグ ジェレミー・ノーサム
2007年アメリカ
posted by フェイユイ at 23:08| Comment(0) | TrackBack(0) | ダニエル・クレイグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月04日

『ヘルボーイ/ゴールデン・アーミー』ギレルモ・デル・トロ

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HELLBOY II: THE GOLDEN ARMY

ヒューマニズム溢れる、と言いたかったのだが、この物語ではヒューマニズム(人間性)というものが間違っていて(つまり言葉の意味あいではなく人間の精神と言う意味で)モンスターニズム(という英語があるのかどうか知らないが。フェアリーイズムでもゴブリズムでもよいが)こそが世界にとって正しいのであるが、ここでは一応いい意味でヒューマニズム溢れるギレルモ・デル・トロ作品には参ってしまう。
先日もぶーたれたバットマン『ダークナイト』世界には何の魅力も感じないがこちらのヒーロー・ヘルボーイには本気で惚れてしまう私なのである。
勿論彼のファンはたくさんいるのだが、どうしてこう人間はモンスター・妖怪・異形のものに心惹かれるのだろうか。人間が持ち得ない彼らのパワーに、普通の人間から見れば「醜い」と言われる姿に何故憧れてしまうのか。
そしてもう一つは自分たちが正しい、自分たちが一番優秀だと思い込んでいる人間という生物への疑問でもあるのだろう。
人間社会で生活する羽目になったヘルボーイ、エイブ、リズたちは利用される時は利用されてもその異形さや尋常でないパワーを結局は忌み嫌われてしまう。
それでも人間に好かれたいと思ってしまうヘルボーイに「私だけがあなたを好きでもいいじゃないの」と問いかけるリズの気持ちが切ない。
悪役であるヌアダ王子は決して間違ったことを言っているわけではなく、彼の手先となる植物モンスターを倒す羽目になるヘルボーイは躊躇する。そして人間を救ったヘルボーイに対する人間の態度は彼を侮蔑するだけなのだ。
戦いが終わった後、ヘルボーイたちは人間社会から離れる決意をする。ハッピーエンドのはずなのに、どこか物悲しく苦い味がするラストなのだ。

これは無論そのまま人間界とモンスターたちの物語として観ていいのだが私にはなんとなくヘルボーイたちが俗にいう「おたく」たちのように思えてしまう。
世間から疎ましがられ気持ち悪がられる彼らの様子がどうしても「おたく」たちのように見えてしまうのだ。
彼らの破壊的なパワーや優れた頭脳は「おたく」たちが「普通の人」たちに見せつけてやりたいという願望のように思えてしまう。
彼らは彼らの世界においてその異形な存在のままのびのびと自由に振る舞えるのだ。
私が彼らの世界に強く惹かれてしまうのはやはり自分もそこの住人であるからなのだろう。

ニューヨークの街角でそうしたモンスター世界への入り口がある、というのもわくわくする設定ではないか。
日本なら『げげげの鬼太郎』世界への入り口があるような感じ。怖いけどちょっと入り込んでみたくなる。

ヘルボーイのキャラクターが大好きなのだ。男らしくて優しくてちょっとだらしないけどかっこいい。リズが羨ましくてしょうがない。リズにも憧れる。怒ると火となって燃え上がってしまう。ヘルボーイのことをとても愛していてチャーミング。
相棒のエイブも魅力的。今回は彼のラブストーリーが泣けるのだが、二人とも愛する女性に優しくてロマンチックなところがとてもいい。この辺はメキシコ人であるデル・トロ監督の持ち味でもあるのだろうな。

リズがヘルボーイとの間にできたお腹の中の子供が双子だということを告げてエンド。第3話はファミリーでの活躍になるんだろうか。

寂しかったのはTに登場したマイヤーズ役のルパート・エヴァンズが出てなかったこと。南極に左遷ってそりゃないでしょ。あんまり残念がっている人もいなさそうだし。でも少しでいいから出て欲しかったなあ。

監督:ギレルモ・デル・トロ 出演: ロン・パールマン セルマ・ブレア ダグ・ジョーンズ ルーク・ゴス ジェフリー・タンバー ジョン・ハート ジェフリー・タンバー
2008年アメリカ
posted by フェイユイ at 23:00| Comment(0) | TrackBack(1) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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