映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2009年07月28日

『チェ 39歳別れの手紙』スティーブン・ソダーバーグ

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Che: Part Two
このゲバラの肖像って「僕は理想を掲げているけど周りは見てないのだよ」という説明のように思える。何故うつむいてるのか。そこが問題。

前篇同様、まるでチェ・ゲバラの傍でゲリラ隊に参加しているかのような忍耐を強いられる、重く辛い鑑賞である。
映画でよくいう息抜きだとか色ものだとかそういった現実にあり得ない配慮なんぞはなくただ飢え渇き、疲れ切り、歩き続けることだけ。
そうだ、まるで何のために戦うのさえよく判らなくなりただ命令に従って自分がいかに辛いか愚痴を言ったりする。
このまま上の人間たちに支配されているだけでは貧困も無学も病気も改善されることはない、今戦い自分たちで変えていかなければならない、というゲバラの理想がそこに生きる人々に浸透していない、という空しさ。

前篇はすべてに勢いがあり、ゲバラの活躍も華やかなものだったが、後篇のボリビアでの戦いはまるで底なし沼にはまっていくかのように身動きも取れなくなっていく。
私は南米の歴史やゲバラの活躍を詳しく知るわけではないのでこの映画を観た限りでだが、その大きな理由はやはりカストロという指導者の有無なのだろう。
キューバでのゲバラは一人の参謀であればよかった。キューバ人の指導者は同じキューバ人であるカストロが担っていたわけで彼のカリスマ性と指導力があるからこそ、彼と緊密な関係でいたゲバラの働きが大きな効果を生み出していく。やはり外国人であるゲバラの信頼性というのは偉大なカストロが見込んだ男である、という人々の認識によって成立していたはずだ。
ところがボリビアでの戦いではカストロの存在が全くない。それは最初に登場した「ゲリラに反対する」モンヘら共産党であったのかもしれないが、キューバでの成功を再現しようとしたゲバラは彼らと離反してゲリラ戦を展開していくことになる。
そのことが果たして正解だったのか。
同国人の指導者カストロの存在がないゲバラは結局後見人のいない外国人で彼は孤立無援だったように思えてならない。ゲバラは一人でカストロとゲバラ二人分を演じようとしたがカストロにはなりえるわけもなく、「外国人の指導者であってもいいじゃないか」と話しあうシーンにやはり人々の本音が見え隠れしているようだ。
何故外国人が入り込んでくるのだ、いざとなれば逃げてしまうのじゃないか、というような気持ちがあるのかもしれない。実際一番本気なのがゲバラだったのだが、その気持ちがどこか空回りしている。
後篇の物語でゲバラが誰かと心から親しくしている場面がまったくなく、唯一それを感じたのは彼がボリビア軍ぬ捕まった時、彼の見張り番であった若い兵士との会話だけだった。このシーンが事実なのかはわからないが。

前篇ではさほど感じなかったのだが、後篇は果たして本当にリアル、なんだろうか。これはゲバラだけの視線なのではないか。
そういえばゲバラが死ぬ時、彼の目線で死が語られた。
この映画はゲバラが見て感じたボリビアでの革命の映像なのかもしれない。実際彼と戦った人々、また農民たちはどう考えていたのか。
勤勉実直で忍耐強いゲバラに対し、ゲリラ兵士たちはしょっちゅう空腹を訴えている。そして農民たちを引き込むにはどうしたらいいのかという話し合いもしていない。
ゲバラには自分の理想だけを追い求め、彼らの姿が見えていなかったのかもしれない。
この作品では英雄となったゲバラが理想を追うあまりに皆を置き去りにし、自分だけが舞い上がり耐えきれず墜落してしまうような、そんな悲劇が映し出されているのだ。

監督:スティーブン・ソダーバーグ 出演:ベニチオ・デル・トロ、カルロス・バルデム、デミアン・ビチル、ヨアキム・デ・アルメイダ、エルビラ・ミンゲス、フランカ・ポテンテ、カタリーナ・サンディノ・モレノ、ロドリゴ・サントロ、ルー・ダイアモンド・フィリップス、マット・デイモン

2008年スペイン・フランス・アメリカ

ソダーバーグ監督作品なので『ボーン・アイデンティティー』フランカ・ポテンテとマット・デイモンが出演。
マットは最近すっかりお見限りでこういうゲスト出演みたいなのしか観れずちょっと寂しい。
私的にはボーンシリーズや『グッド・シェパード』みたいのより、昔やった『すべての美しい馬』『ジェリー』とか、ちょっとマニアック(?)な感じのをやって欲しいんだけど。
勿論一番好きな『ふたりにクギづけ』だったらまたうれしいし、『リプリー』ならば、ちょっとおじさんになったリプリーをやってくれたら感激なのだがなあ。


ラベル:革命
posted by フェイユイ at 23:29| Comment(2) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『狂い咲きサンダーロード』の山田辰夫さん逝去

俳優の山田辰夫氏死去

昨日急に『狂い咲きサンダーロード』の記事へのアクセスがあったので何故?と思ってた。そうだったのか。
私には『狂い咲きサンダーロード』だけでの彼だったが、それひとつで他にないほど忘れられない強烈な存在だった。

ご冥福をお祈りします。
ラベル:訃報
posted by フェイユイ at 08:46| Comment(2) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『世にも怪奇な物語』

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HISTOIRES EXTRAORDINARIES / Tre passi nel delirio

凄!
エドガー・アラン・ポー原作の3つのオムニバス映画だが3作とも滅茶苦茶に面白くしかも最後のフェリーニはとんでもない暴走的面白さで他を圧倒している。
他の二監督ロジェ・バディム、ルイ・マルも名監督という誇りがあるだろうに、いくらなんでもこのフェリーニと比較されるのは気の毒というものである。
そう思ってしまうほどフェリーニが凄すぎる。順番がこれでよかった。逆だったらあまりにも悲しい。
とはいえ本当に他作品も面白いのだよ。

T「黒馬の哭く館」
エロチックホラーと言うべきなのだろうか。とにかくジェーン・フォンダ演じる富裕な伯爵令嬢の装いがエロチック過ぎて衝撃なのだ。とはいえやはり時代が変わったせいなのか、それともやはり秀逸なデザインであるせいか、見惚れてしまうのだ。
J・フォンダもまだセクシーである時の彼女で(後ではすっかりイメージが変わってしまったものね)豊かなブロンドヘアー、気の強い美貌、切れのあるプロポーションもこの上ない女性的な魅力に溢れている。時代設定はいつなのか判らないが完全に60〜70年代ファッションがかっこよくジェーンの化粧やら奇抜にエロなコスチュームにくぎ付けなのだ。このファッションショーを観るだけでも十分な価値がある。
物語は莫大な財産を受け継いだ伯爵令嬢フレデリックがその高慢さと身勝手な性格・性癖のまま自由奔放に自堕落な贅沢を享楽していたが、すぐそばに住む厳格な性格の従兄弟・ウィルヘルムに突然胸騒ぎを感じてしまう。それが彼女にとって何なのかよく判らないうちに、傲慢な彼女は彼女に反抗するただ一人の存在の従兄弟ウィルヘルムが何より大切にしている馬がいる厩に放火させる。
ウィルヘルムは愛する馬を救おうとして命を落としてしまうのだ。
フレデリックは彼が残した気の荒い黒馬に毎日乗り続ける。
そしてある日馬とともに燃え盛る火の中へと身を投じてしまうのだ。

彼女が気づかぬまま恋する従兄弟を実の弟ピーター・フォンダが演じているというのも倒錯しているというべきか。
まあ別に何事もなかったのだからその辺りの遊びの欲求はなかったのだろうがヴァディム監督の妻であったジェーンの色香そのものがこの映画の見どころなのだろう。
ジェーンの髪型がすてき。どうしても『ルパン3世』の最初の頃を思い出してしまうわ(私のルパンは一番最初のアニメの幾つかだけ)

とにかくこんな風でこの作品一つなら滅茶苦茶秀逸の作品なのだ。

監督:ロジェ・ヴァディム 出演:ジェーン・フォンダ ピーター・フォンダ

U「影を殺した男」
3作品で最もストーリーが判りやすく面白い。というのはこの場合特に賛辞じゃないかもしれないが。
非常にサディステッィクでありながらいつも人を惹きつけている男、という役柄がアラン・ドロンにはぴったりなのだろう。
悪辣な男が最後の一線を越えようとする時、何故かいつも現れるもう一人の自分。
彼を殺すのは自分を殺すのと同じこと。美しいが異常なサディズムを持つ彼自身が生んだブレーキのようなものだったのかもしれないがまた彼自身の手によってそれを破壊してしまう。一見自己破滅のようでいて最後に自分を守ったのかもしれない。

私的にはアラン・ドロンより彼と対決しようとしたブリジッド・バルドーのあの目がたまらなく好き。
「負けたら俺のいいなりになれ」と言って鞭打ちが目的だったとは。確かにこの男、二人きりだと全然駄目で人前でサディズムを発揮するのが喜びだったのかも。
勝ち続ける彼女も素敵だったがゲームに負けて鞭打たれるブリジッドもエロチックでかなり危険な趣味に傾いている作品である。いきなり若い娘を解剖しようとして腹を刺しているのにお咎めなし?
今からミサだと言ってるのに神父さんに無理やり懺悔して長話というのもはらはらさせるが(それはしないのか?普通)教徒でもないのにいきなりこんな告白されちゃ神父も困惑だ。
私がドロンファンだったらも少し見惚れたろうがどうもドロンはなあ・・^^;
バルドーが出てきたことで評価アップ。
ルイ・マルなので子供時代の映像が秀逸。ドロン役の子もいい。
この時はもう一人のウィルソンは顔を出しているのだよね。
短編ならではの面白さでもある。

監督:ルイ・マル 出演:アラン・ドロン ブリジッド・バルドー

V「悪魔の首飾り」
これは一体どう賛辞したらいいのか、説明していけるのか、途方もなくぶっ飛んだ作品である。一場面一場面にぎょっとしてしまう。
それにもましてテレンス・スタンプの壮絶な美貌とこのダメージの表現はなんといっていいのか。
イギリスの人気俳優がイタリアに招待されキリストが絡んだ西部劇の主役に抜擢され、映画人の授賞式に呼ばれる、という物語なのだが、一体どこまでがテレンス自身を意味しているんだろう。
そしてこのアルコール中毒者になりきった憐れに切ない姿は一体演技なのか、と思ってしまうほどやつれきっている。そしてそれなのに妖しいまでの子の美貌。青ざめた顔の痛々しい美しさ。男も女も夢中になるという設定そのものに魅力的なセクシーさ危うさは他の誰にも変えられない。
そしてそしてまたそんなテレンスをさらに引き立てるフェリーニの不思議な世界はローマそのものなのか彼の作り上げた世界なのか。
ローマのTV局に招からテレンスが「これは真面目なのか」とつぶやくのがおかしい。フェリーニ描くローマの人々は騒々しくて艶めかしく混沌としている。
それらが現実なのかテレンスの酔いしれた頭が生み出した幻影なのか判らなくなっていく面白さ。
際どいまでのへんてこな男たち豊満な色気の女たち。
アル中のテレンスはますます青ざめ酔いどれていく。
テレンスの頭の中は幻想を生み出していくのだがその中でも最も恐ろしのがボールで遊ぶ白い服の少女。テレンスはどうやらこの少女にエロチックな感情を持っているようだが少女は綺麗な髪の隙間からテレンスを笑って見ているのだ。

どうやらこの3部作はエドガー・アラン・ポー原作という以外にもう一人の自分が自分を見つめている、というものでもあるのだろうか。
少女はそれまで抱いていた白いボールの代わりに死んだテレンスの首を抱きあげるというのが不気味である。少女が面白い遊び道具を手に入れたのだ。
今やっとその魅力に気付いて夢中になっているテレンス・スタンプ。『コレクター』もちらりと観たのだが私としてはこの時のテレンスはそれほどカッコよくないのだ。無論役柄としてかっこよくしてないのでもあるだろうが。
2年後の本作の彼には凄まじいほどの美貌を感じるしさらに数年後の『ランボー』の彼はもっと綺麗だった。年齢を重ねるほど魅力的になるタイプの人なのかもしれない。結局彼を好きになったのは60歳になった彼だったんだもんね。

フェラーリの暴走シーン、たまんないものがある。
それにしてもイタリア・ローマってこんなにクレイジーな場所なのかなあ。

監督:フェデリコ・フェリーニ 出演:テレンス・スタンプ

1967年フランス/イタリア
posted by フェイユイ at 01:02| Comment(4) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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