映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2009年08月13日

『地獄に堕ちた勇者ども』ルキノ・ヴィスコンティ

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La Caduta degli dei:The Damned

こういう映画を観ると一体映画って何だろう、などと今更ながらなことを考えてしまう。これを観てストーリーがどうだとかクライマックスがどこだとかテーマだとかモラルだとかそういうことだけを明確に伝達している作品など何の意味もないようにすら思えてくる。
一体何がどうだというのだろう。無論この作品と時代背景などを仔細に考慮して深淵に追及していくことも悪いことではないだろうが、それがさほど重要なことではないのではないか。映画には正確な答案など無意味だという気がしてくるのだ。

この映画を観てまず皆思うのは「退廃美」という言葉であってもうそれだけで充分なのだろう。
つまりこの時代と貴族階級に退廃を観るのではなく、退廃を描く為にこの時代と貴族たちであるのだろうから。

登場してくる人物造形が素晴らしくて、いやもうどの人を観ても唸ってしまうのだが、まずはヘルムート・バーガーの美しさを今やっと知ったかのような気がした。昔観た時は確かに美形だろうけど、どこか腐ってしまったような顔立ちだと思ってたのだが(ファンの人、すまん)今観るとこんな美しい顔ってあるんだと物凄く遅れて見惚れてしまうのだから、情けない。自分が若いせいでよく判ってなかったんだろうが、慄いてしまうような若さが溢れた美貌で彼の顔が画面にある度にヴィスコンティ監督がいかにこの美しさを刻んでおこうかと願っているかのように感じられてしまうのだ。少女を愛する顔も母親に甘えそして憎しみを持ち表情もあまりに甘美ではないか。ディートリヒに扮した女装した姿もいかにも貴族の青年らしい上品で気取った仕草物腰と脆弱な行動も突然なりきってしまうコスチューム的なナチス軍服もヴィスコンティが彼に演じて欲しいがための一連の物語と演出に過ぎないのにここまで作り上げてしまうのはやはり貴族的な傲慢さと贅沢なのだろうか。

ユダヤ人少女の幼いのに不思議な色香を感じさせるまなざし。突撃隊兵士たちの放埓な馬鹿騒ぎの中にいる兵士たちの完璧な若々しさと肉体美。アッシェンバッハのうすら笑いとともに行われる陰謀の数々。翻弄される若者ギュンターの動揺。権力を欲し権力によって抹殺されるフリードリヒ(平民ということで自己卑下しているが大王の名前というのは皮肉?ニーチェの名前でもある?)そして息子マルティンの精神と人生を歪ませてしまう破壊的な威力を持つ母親ソフィーをイングリッド・チューリンが演じている。
観る者はそうした大きな権力を持つ上流階級の美しく彩られているが腐敗した精神によって行われる様々な行為に危険な味と匂いを感じながらそれに酔い痴れてしまう自分をまた恐れるだろうか。

この映画で知るのは教訓でも美談でもなくいかがわしい欲望によって成立している世界に憧れてしまう自分ということなのか。例え道に外れたことであっても美しいと感じてしまうものに陶酔してしまうのが人間というもの少なくとも自分がそうなのだと気づいてしまうのだ。

まあそういうこともこの年になれば重々判ってはいるのだが。

ここまで重厚な耽美に酔わせてくれる作品というのも今ではあまり望めないものになってしまったようだ。こうした素晴らしい作品を観て暫しその世界に浸れることが喜びである。

監督:ルキノ・ヴィスコンティ 出演: ダーク・ボガード ヘルムート・バーガー シャーロット・ランプリング イングリッド・チューリン ウンベルト・オルシーニ
1969年 / イタリア/西ドイツ/スイス




ラベル:退廃美 歴史
posted by フェイユイ at 23:24| Comment(2) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

故ブルース・リーが演じた『グリーン・ホーネット』のカトー役はジェイ・チョウに決定!

故ブルース・リーが演じた『グリーン・ホーネット』のカトー役はジェイ・チョウに決定!

今初めて知った、わけじゃなくて聞いてはいたけど本当かなあ、なんて思っててやはり本当なのですね!!!!
他のジェイ迷にとっては何だ今頃ってな記事ですが。

いやなんかどきどきしてきました。
このジェイの写真がちょっと可愛い(笑)
posted by フェイユイ at 15:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 周杰倫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『1999年の夏休み』金子修介

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この映画が作られたことを知った時、萩尾望都の名作である『トーマの心臓』が原作だと聞いて「あり得ない」とあきれたがさらに登場人物を少女たちが演じると判りはっきり幻滅したのだが、気持ちを入れ替え観てみることにした。しかしもう20年以上たっているのだなあ。

脚本は岸田理生。なるほどこれは判る。監督は金子修介。多分この当時この名前を聞いてても「?」だったのだろうが今では納得。『デスノート the Last name』の監督でもあり他にもマンガを原作の映画化をしている方なわけなのだ。

一体あんな舞台がドイツの学校ものをどうやって映画化するのか、と思ったらタイトル通り夏休みなわけで学校に残った3人ないし4人が体験する日本の物語になっていたのでこれは上手いなと思ったのだった。
無理があるとは思うが夏休みの学校寮内で食事の用意も自分たちでする、というので登場人物は彼ら4人だけである。大人や男性が出てきたら少女が扮した少年とのバランスが悪いだろうし、多分予算上のことだろうが変な者を出さず主要人物だけでやった方が判りやすいし独特な効果もある。
女性がやってるということでかなり馬鹿にしていたのだが実際観てみると少女とはいえきっちり男の子らしく髪を短くしていたのでそれでもちょっと驚いた。もっと女女したものだと思っていたのだ。少女たちも悪と自然に男の子らしくふるまっててずっと観てると少女だとか少年だとかそういうのはどうでもいいような気もしてきた。
年少組が上手くてどちらもとてもいい雰囲気がある。特に深津絵里はさすがに後で人気女優になるだけあってこれを観てても断トツに存在感があってうまい。彼女が演じたのは私的には原作の名前の方が判りやすいのだがアンテ役で可愛いけどちょっとひねくれたとこのある少年役を印象的に演じている。他の3人とはかなりの違いを感じさせる。アンテの役がいいのかやはり彼女がうまいのか。絡みあう3人から阻害された感のある少年という役どころは普通なら一番損みたいなのに上手い演じ手というのは違うものなのだ。
トーマ&エーリク役の宮島依里もちょっとたれ目な感じが少年ぽくてよかった。
年長組はそれに比べるとさすがに女性ぽさが出るのかややぽてっとした感じになってしまうのだ。しかも声は吹き替えであるという事実にも驚いた。
アンテとエーリク役の二人の演技が際立って差異を感じるのに上の二人は顔は違うのにどちらがどちらかよく判らなくてこれは演出の責任でもあるだろうが原作とは違うとはいえ、怜悧な感じのするユーリ役と大人びた優しさを持つオスカーの性格と外見の違いをもっと明確にしたらより面白かったのに、と思ってしまう。

『トーマの心臓』を翻案にしているとはいえ内容が全く違うものになっているのも正解だろう。
それにしても萩尾望都氏のマンガを読み返すとその画力の凄さに(判り過ぎるほど判っているのだが)やはり驚いてしまう。マンガ自体が映画そのもの、というより映画の技術を越えている。映画でもここまで演出に凝りに凝ったものはそうないだろうし。ユーリが夜中にトーマがそこにいると言いだし、発作を起こしてオスカーが人工呼吸する一連のシークエンスは奇跡みたいな出来栄えで、そのまま映画化するのは至難なのだろう。その後のアンテにキスするシーンは再現してなかったし。

さらにこの1999年はなにやら近未来的に描かれているのも不思議な光景である。

同監督自身その後もマンガ原作を映画化されているわけだが、ハリウッドもまたマンガ原作が目白押しである。私自身はマンガというすでに完成された具象世界をさらに人間でやることにそれほど興味が持てない、というのが本音なのだが、時代的にはマンガ原作の映画化がますます増えていくのだろう。この映画は先駆的存在だったのかもしれないが。
それじゃあ、他にもやってもらいたい少女漫画もたんとあるよと言いたくなったりする気持ちもあるのだが。

監督:金子修介 出演:宮島依里 大寶智子  中野みゆき 深津絵里
1988年日本
ラベル:友情
posted by フェイユイ at 00:23| Comment(2) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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