映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2009年09月30日

悩ましいベン

ふぇでり子さんからまたも素敵なベン・ウィショー画像いただきましたよ!ありがとうございます!

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ふぇでり子さん曰く「悩ましい」ベンです。
寂しげな風情がそそりますなー。
posted by フェイユイ at 23:53| Comment(5) | TrackBack(0) | ベン・ウィショー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『笑う警官』も近まってきたねー

映画『笑う警官』オフィシャルサイト

ナオさんをたっぷり観れるから絶対観たいけど、このトレイラーを観てもやっぱし角川映画だー。も、いいや。別に。
せめて監督じゃないならなあ、あの人が。(物凄く反感持たれるのかな、この記事。その時は逃げます)

最近ご無沙汰だし。早く観たい。けど。
ラベル:大森南朋
posted by フェイユイ at 22:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 大森南朋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『キャデラック・マン』ロジャー・ドナルドソン

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CADILLAC MAN

実はこの映画、何日も前から少し観ては挫折し少し観ては挫折し、もう止めようかと思ったのだが何しろティム・ロビンス目当てで観てるのにまだ(多分)彼の姿をちらとも観ず止めるのもナンなのでとにかくティムが出てくるまでは頑張ろうと再再挑戦。一旦バイク男のようだと思ったがすぐ退場。やっと40分過ぎに顔を見せてくれた。

90分ちょっとの映画なのでほぼ半分までティムが出てこないし、主人公のロビン・ウィリアムスも嫌いじゃないけど、女ったらしのセールスマンという役なので彼のイメージとしては?だったりする。
しかも本作の前半部分はかなりぐったりする。こういうドタバタコメディというのも久しぶりに観たがドタバタぶりがとんでもなく面白いわけでもなく、なんとなくドタバタしてるだけ。ロビンはこういうドタコメは合っているのかな?植木等さんだったら面白いかもしれないが。(くく、自分で書いておかしくなった)

ロビン・ウィリアムス扮する冴えない車セールスマン。妻子がいたが離婚して別居。家は取られて自分はアパートで貧乏暮らし。職場ではとにかく車を売れと抑えつけられ、元妻にセールスしようとして逆にもっと養育費を払えと約束させられてしまう。冴えない男なのに何故か二人の美女と関係を持っている。その二人との関係も忙しく慌ただしい中でカーショップの特売日を迎えたジョーイは妻からの「娘がいなくなった」という電話と3組の客が同時にやって来て大混乱となる。

あれ?アメリカのコメディってTVドラマでもかなり面白いと思ってたがこの作品はかなりしょぼい。最高のコメディ役者であるロビンでもこのつまらなさってなんだろう。
前半の「ここまでつまらないのないんじゃない」っていう道のりをなんとか乗り越えてやっと物語の核心(?)であるティム・ロビンス=ラリーがマシンガンを持ってカーショップに文字通り突っ込んでくるとこから少しだけ観れる、かもしれない。

物凄く面白くなるわけじゃないが、ティムがカーショップに籠城するところからほんの少し面白くなってくる。はっきり言ってここから始めればいいのだ。前半の説明は不要だし。陳腐な話だけだからなくても判る。
ティムはここでも思い切り頭の悪い大男の役^^;でも確かにこの顔でこの体は頭悪そうにしか見えないもんね。
ティム=ラリーにはこのカーショップに勤めてる美人妻がいるのだが実は店の主人と肉体関係を持っている。ラリーは帰宅の遅い妻が店の誰かと浮気しているのでは、と考え、怒り狂ってマシンガン片手に飛び込んできたのだ。
ジョーイ達店員と居合わせた来客が人質となってしまう。

お馬鹿なティム=ラリーが嫉妬で騒ぎ立てたり、通報で駆け付けた警察に怯え慌てたりする様が可愛い。もう少し脚本がよかったらロビンとティムの掛け合いが見ものだったろうが、とにかく大したことないの。
おかしかったのは偶然だと思うのだがロビンが受話器を慌てて持った時にティムが持っていたマシンガンの紐と絡みあったのをティムが慌てずゆっくりとマシンガンをくぐらせてほどいたのだが、計算であんなにうまくいくとは思えないからきっとアドリブだったんだと思うんだけど、お馬鹿男なのに落ち着いて受話器とマシンガンの紐の絡みをほどくのがおかしかった。
よくある話だけど人質と犯人がいつの間にか同調していって警官が敵みたいになっていくのだとか、元々そう悪い奴じゃない犯人ラリーがジョーイの元妻やお母さんから怒られておどおどしていく様子なんかはちょっとおかしかったし、この事件がきっかけで離婚したジョーイ夫妻がよりを戻すとかいうのはコメディとして上手い結末で楽しいのだが、とにかく脚本が緩すぎるよねえ。
ロビンかティムの作品を観続けようと考えて、ひとつこれならもう仕方ないけどとにかく少々お寒い作品だったと思う。監督のロジャー・ドナルドソンって『世界最速のインディアン』がよかったから結構期待したんだけどなあ。でも他の映画はそう観たいようなものでもないからこんなものなのかもしれない。

ティム目的としては可愛かったし頭悪いけど嫌な奴じゃないのでまあよかった、かな。

上の右の画像のティム。大男の彼がロビンの後ろに隠れて困った顔してるのがかわいす。

監督:ロジャー・ドナルドソン 出演:ロビン・ウィリアムズ ティム・ロビンス パメラ・リード フラン・ドレッシャー ザック・ノーマン アナベラ・シオラ フラン・ドレシャー
1990年アメリカ
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『野良犬』黒澤明

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黒澤作品って観始めるとあっという間に引き込まれてどんどん観てしまう。これなんか映像も音もかなり悪いのだが、そんなことはどうでもよくなってしまうんだよね。
もうこれを観た人は皆この作品の暑苦しさに汗をかいてしまいそうになると思うがほんとにめちゃめちゃ暑そうだ。1949年の作品なのだから戦後間もない日本の光景。建物も熱を遮断するようなものじゃなかろうしエアコンもない。満員のバスは熱気でむせかえりそうだし、登場人物からは汗が噴き出てきそうなほどでいつもハンカチで拭っている。だけど三船敏郎演じる新入り刑事の服装はいまよりずっとオシャレである。

「拳銃を盗まれた」というところから始まる実に簡潔。盗まれた新人刑事・村上は自分のピストルが悪事に使われないかと必死で探しまわるが見つからない。しかも探し方がまだまだ未熟で頼りない。そこで彼はベテランの刑事とコンビを組まされ自分の盗難のことばかりではなく拳銃密売の検挙に乗り出す。
だがついに村上の銃を使った犯罪が重ねて起きてしまう。
ガタイの良い熱血新人刑事と老獪なベテラン刑事のコンビという組み合わせを三船敏郎と志村喬が演じていて面白いったらない。志村さんは黒澤作品のどれを観ても思うが、全然ハンサムなわけでもないのに、物凄くかっこよく見えてしまうのだよね。男のかっこよさって結局こういうとこにあるのかなあって思ってしまうのだ。
三船も相変わらずで汗びっしょりの熱血男なんだけどひたむきさがやはり心惹かれる。
ちょい演出過多だったり御託が多すぎるようなとこもあるがそういうのも時代を感じさせて楽しかったりする。アプレゲールと言う言葉があることを知った。戦後、既存の道徳観を失った若者が持つ思想だったらしい。
復員の時同じように村上刑事と犯人の遊佐はリュックを盗まれるが遊佐は世の中に絶望し犯罪者となり村上は逆に刑事となる、という対比。
村上が犯人を追ううちに見えてくる戦後の日本社会の様子なども興味深い。
自分の銃で殺人が起きて行く村上の苦悩、ベテラン刑事の落ち着いた捜査などが素晴らしい脚本によって描かれていく。
特別に派手なアクションだとか猟奇的な場面だとかがなくてもこのスリルとサスペンス。観ないでいるのは勿体ない作品である。

さほど豊かではないベテラン佐藤刑事の家だが、置いてあるおもちゃがとても可愛い。これは黒澤監督の趣味なのだろうな。

監督:黒澤明 出演:船敏郎 志村喬 淡路恵子 三好栄子 千石規子 河村黎吉 飯田蝶子 東野英治郎 永田靖 三好栄子 清水元
1949年日本
ラベル:黒澤明 犯罪
posted by フェイユイ at 00:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月29日

田宮二郎『白い巨塔』<1978年版>第15〜17話

ドイツですっかり舞い上がってしまった財前は帰国直後、誤診で告訴されると新聞にすっぱ抜かれてしまう。
現実に戻った財前は担当医だった柳原をこっぴどく叱りつけた後、突然豹変して彼を諭すように話しかける。
原告側の証人に立つのは正義感溢れる里見助教授。彼の正当な証言は財前にとって最大の強敵である。そして原告の弁護士を受け持つ関口弁護士も利益を求めない正義の人であった。

普通こういう話って原告側が主人公なわけで人間として医者として最低としか思えない財前が主人公って本当に不思議な作品だ。
財前はまた窮地に立たされた時の頼みの綱の義パパに甘え鵜飼教授やら強力な弁護士やらに援護を求める。
「金に糸目はつけまへん」って物凄い金持ちだなあ。財前パパって。
財前にとって味方なのかそうじゃないのか、よく判んないのが愛人のケイ子なんだけど今回は特に「じゃ医者としての五郎ちゃんはどうなの」と手厳しい。愛人が崖っぷちに立たされているのを面白がって観ている、だけじゃなく、彼のワルな魅力に惹かれながらも命を奪うような間違った行動をとったことを臆することなく糾弾する、これも不思議な愛人である。

財前のせいですっかり影が薄くなってしまった東元教授家。最初から財前が大嫌いで悪口ばかり言ってる東夫人。こういう女性の理不尽な悪口に憤慨するのが普通のドラマだがここにきて夫人の言い分は尤もなことになってきて正当な女性になってしまってる。
この裁判によって財前の運命がどうなるか、というドラマ展開だが、同時に原告側の証人に立つ里見の運命も左右されるのだ。
日曜日にも里見の研究を手伝う眼鏡くんは里見助教授に心底傾倒しているようで「里見先生とこうして研究している時が一番幸せです」ということらしい。

財前がすっかり悪役そのものになってしまったところで財前の母親が登場。「怖い顔だけど心は優しい子なんです」ということばでまたちょっと財前、株を上げる。財前ママの案内を愛人ケイ子がやるというまたあちょっと不思議な光景なり。
徹底的に真実を述べると言い張る里見と大河内教授。里見は大学側から「ことと次第によっては大学にいられない」と言い渡される。
それを覚悟の上で里見は証言に立つことを決心する。

裁判ドラマになって今まで以上に面白くなり今日は3話観てしまった。
大河内教授はさすがに堅実な証言をし、財前を窮地に追い込む。残る里見証言はもっと厳しいものになるだろう。
財前側は頭を抱え、原告側の正義弁護士は着々と攻撃態勢を整えて行く。
それにしてもやはり一番の窮地は財前でも里見でもなく柳原君であるなあ。二人の立場は揺るぎもしないが柳原君の心は揺れ動いていてどちらに傾くのか。

あ、東夫人は結局その場その場で自分に都合のよいことばかりを言うのだと知れました。

原告側弁護士をどこかで見たと思ったら児玉清さんだった。今とイメージ違うのですぐ判らなかった。今のほうがハンサム?

出演:田宮二郎 生田悦子 太地喜和子 島田陽子 中村伸郎 山本學 中村伸郎
1978〜1979年日本
ラベル:白い巨塔
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2009年09月27日

『愛についてのキンゼイ・レポート』ビル・コンドン

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KINSEY

研究対象がなんであれ、その時代に反抗しながら突き進むのは困難なものだが、その研究が「セックス」であるとなれば現在でも様々なニュアンスで敬遠され、或は講義を受けていた生徒たちのようにくすくす笑いで迎えられるか同僚の教授や息子のように毛嫌いされてしまうのはあまり変わらないのかもしれない。

どこの国でもあることだろうがアメリカという国は自由さと厳格さが極端な形で存在しているように思える。この物語は1950年頃の物語なのだが程度の差はあれ、そういった自由さと厳格さはいまだに続いていることのようにも思える。
最近になって知ってえっとなったことがある。
『アイラブルーシー』というアメリカTVコメディドラマがあって(ちょうどキンゼイリポートと重なるか少し後くらいだが)出演中のルーシーが現実に妊娠してしまい、どうせ若妻役のドラマなのだから、そのまま主人公が妊娠したことにしようかという話になったのだが、当時のアメリカTVでは妊娠した女性を登場させるのは「はなはだ猥褻なことだ」と叩かれるに決まっているので散々苦悶した、というのである。
「妊娠した女性が猥褻」という意味が判らなかったのだが(普通に結婚している夫婦だし)とにかく妊娠してるっていうのは「セックスをイメージさせるから御法度」だということだったらしい。
私としてはそういう風に考えることがあるということすら思いつかなくてひっくり返ってしまったのだが、そういう時代、そういう国だったのだね。
まあ、聖母マリアは処女で懐妊なされたのだからそう思っとけばいいような気もするが。
とにかく『アイラブルーシー』はそういった当時のタブーを打ち破りルーシーのおなかは実際にどんどん大きくなり、アメリカ中の妊娠した女性が実に励まされた、というのだからやはりタブーを打ち破るのは大変だが大切なことなのだ。(となればこの「妊娠した女性が主人公」のドラマは当時かなりショッキングであり貞節な家庭では観なかったのかもしれないね)

何だかちっとも『キンゼイ』に行かないがそういう国だったのである。

キンゼイは実在の人物であるから、またまた「実際はこうでなかった」とかいう話も転がってはいるのだが、映画は映画という作品として観てみよう。
彼の父親が異常なほど厳格で威圧感のある人物だったことが彼の研究の発端であるように思えるし、昆虫採集の標本の出来栄えの気が遠くなるような細かな作業(小さな小さな紙片をピンで刺しそれに虫がのっかってる)を見ているとこの根気があるからこそ大陸の隅々までサンプルをとって行こうという忍耐力が生まれるのだろう。
また彼が男女ともに性的な関心があることも研究にとっては大事な点で、もし彼が女性だけ(か男性だけ)にしか興味がないのならこうした研究は難しいはずだ。同性愛に反発を覚える人はどうしても拒絶反応を抑えきれないようだから。そして獣姦、SMなどというような性的志向のサンプルを集めていくのだが、最後あたりで幼児性嗜好を持った男が現れ「思春期前の少年や少女と多くの性関係を持った」と言う時だけ「気持ちが悪い」と言って博士の助手が席を立ち、キンゼイ自身も他と違い明らかに不快感を持っているのはやはり今最もタブーとされているのはそういう幼児性嗜好だからなのだろうか。この男だけは気持ち悪い存在として醜く、反感を持って描かれていた。

周囲から好奇の目か軽蔑の目で見られ続け資金も工面できずキンゼイは疲れ果ててしまう。
だがある日の面接で、結婚していた女性が同性を愛してしまい家族から見放されるがキンゼイの本で多くの仲間がいると知り、命の恩人だと感謝される。
「人々を解放するつもりが私のせいでよけい縛りつけてしまった」と嘆いたキンゼイを救う一言だった。
また長い間確執を抱えたままの父子が父の少年期の告白によって少し和らぐ。厳格な父親もまた悩んでいたのだ。

研究者グループ内で肉体関係のいざこざがありキンゼイ夫婦も一人の男性と互いに関係を持つという他では深刻な問題もどこか研究の為、とでもいうような奇妙なニュアンスを漂わせてしまう。

「セックスは統計がとれるが愛は測れない、我々は愛に無知だ」
やはり最後は「愛こそが大切」という幕切れであることが必然であるな。

ピーター・サースガード、可愛い。

監督:ビル・コンドン 出演: リーアム・ニーソン ローラ・リニー クリス・オドネル ピーター・サースガード ティモシー・ハットン
2004年 / アメリカ/ドイツ
ラベル:セックス 科学
posted by フェイユイ at 23:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月26日

『羅生門』黒澤明

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何度となく観ており観るたびに感心する作品だがまた観たくなって観賞。やはり面白い。

『羅生門』を思い出すといつも植草甚一さんの書かれた「映画だけしか頭になかった」の中の「羅生門」を思い出す。そのことは以前自ブログの「雑文手帳」のほうに書いていたのでちょっとそこから取りだしてみる(って植草さんの文をだが)
「日本映画は人工の菊であって、そこには真実性なんかないんだと考えていた人たちの腹黒い心を八つ裂きにしたのだった」
これは植草さんが1963年9月20日号のタイム誌から見つけたものなのだそうだが興味のある方は是非植草氏の本を読んでいただきたい。
つまりこれはタイム誌なので当時彼の国の人々は日本映画をそういう風に思っていて黒澤監督の『羅生門』を観て落雷のような感動を覚えた、ということなのである。植草さんも随分嬉しそうな文章だったが、自分もなんだか嬉しくなったしたかをくくって映画館に入った人々がふらふらになって出てきた、という箇所なんかはちょっと自分も同じ思いを味わってみたい気にもなった。映画を観てそんな衝撃を受けるなんて羨ましい状態じゃないか。

さて映画がつくられてから60年近く経った今日観ても昨今の映画に勝るとも劣らない迫力と緻密さが感じられる。
最小限の登場人物と作品時間と舞台設定の中でどの場面も研ぎ澄まされた鋭さを持っている。
ミステリーとしての楽しさ、人間の心理をつく面白さは時代や人種を越えても訴えるものがあるに違いない。

人間の心の不可解さと醜さを嘆きながらも(鬼でさえ人間のあさましさに恐れをなして逃げ出した、なんていうくだり)最後に一筋の希望を見出し雨が上がる。

『羅生門』スタイルは何度も繰り返し多くの人が使っているがやはり面白くなってしまうはずなのだ。
それにしても本作のうまさは格別になってしまうのだろうが、弱い女の面を見せていた妻が突然笑いだし、二人の男の身勝手さをなじる場面は見ものである。
とはいえ3人の当事者の証言が真実か嘘か誰にもわからないように樵の証言もまたすべてが本当なのかは立証できない。赤ん坊の上着をはがした男から問い詰められ反論できない彼はどこかで嘘をついているのだ。それがどこなのかを知ることはできないのだ。
すべての人間が信じられなくなったと苦しむ坊さんは最後に樵が言った「捨てられていた赤ん坊を育てる」という言葉を信じる。ここまで何も信じられなくなったと言いながら樵の善意を信じてしまうのはただもう直感としてそう思った、ということなのだろうか。
土砂降りの雨が上がり明るい日差しの中を歩きだすという光景がそのまま人間の心の明るさを表現しているのだと思いたい。

三船敏郎の男らしさがむんと汗になって匂ってきそうである。京マチ子の美しさは不思議で少女のように見える時もあれば狡猾な年増女のようにも見えてくる。確かに多襄丸の言うようにあの帽子のヴェール(何て言うんだ)からちらりとだけ女の顔が見えるのはどきりとする効果がある。
幾つかの証言から事件の真相はどうだったのか、を考えてしまうわけだが、何といっても気になるのは「女」の本性なのだろう。ある時は弱々しくある時は「他に見たことがないほど」勝気な、ある時は激しく、ある時は艶めかしく、他のふたりの男の本性がどうだったかよりやはり魅力的なのは妻である「女」の描写なのだ。
そして多分誰でもよよと泣き崩れる女の姿よりかっと見開いた目で男の本性を嘲笑う女、白い肌に玉の汗を浮かべ男をじっと見入る女、この男を殺せと叫ぶ女の姿に見入ってしまうのだろう。

黒澤明の特に優れた作品に今更感想を書くのも却って気が引けてしまうが、観てしまうとどうしても唸ってしまわずにはいられない。
暑い日差しの森の中と激しい雨に体も冷えてしまう荒れ果てた羅生門の対比も凄い。

監督:黒澤明 出演:三船敏郎 京マチ子 森雅之 志村喬 千秋実
1950年日本
posted by フェイユイ at 23:53| Comment(2) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月25日

ジョージ・クルーニー監督が、親友マット・デイモンを主役に抜擢

ジョージ・クルーニー監督が、親友マット・デイモンを主役に抜擢

「暫くマット主役がないと嘆いてたら立て続けに」と言ってたらホントに目白押し。
いつになるのか、判らないですが(笑)

あの「ジョージ・クルーニーに迫った男性記者」事件のことにもマット絡んでたのね。どんな仕返しがくることか。
posted by フェイユイ at 23:49| Comment(0) | TrackBack(0) | マット・デイモン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『歌え!フィッシャーマン』クヌート・エリーク・イエンセン

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Heftig og Begeistret/Cool & Crazy

北国ノルウェーの最北の小さな町。男声合唱団「ストランドボーイズ」ボーイとはいえ何しろ最高齢が96歳、そして弟87歳も含めてかなり高年齢の男声合唱団のドキュメンタリー映画。

男女によって聞き心地というのはやはり違うものなのだろうか。男声合唱団というのは深みのある落ち着いた低音が女性の耳にはとても心地よいのである。
人口も少なく漁業とその加工工場がひとつだけあるという小さな町に住む彼らは口々に住んでいる町を褒め称え他の土地には行きたくないと言う。だってね、自然豊かでのんびりしてて建っている家もみんな北欧の可愛らしいデザインで内装も決して豪華じゃないけどみんなこじんまりとしてきれいなの。まあ、若い時はちょっとつまんないだろうけどこんな可愛い家ばっかりならいいよなあ、なんてよそ者は思ってしまう。
だがしかし。美しい自然はまた恐ろしい自然でもあって高齢のお爺ちゃんたち合唱団をわざわざ外に立たせて歌わせると、髪も目も鼻水もみんな凍っちゃって、うわ死んでしまうんじゃないかと心配になる。いやあ地元住民だから大丈夫。なのか。
吹きすさぶ雪風を観ているとさすがに怖気づいてしまうが。

本ドキュメンタリー。ボーイズの各個人にインタビューし合間合間に歌を歌う。
お爺ちゃんが殆どだが皆口をそろえるのは女性が大好きで若いころは鳴らしたもんだという自慢話。いまも軽く遊ぶんだ、というつわものである。
歌が大好きで、若い時は外国人を見ると歌を歌い、認められたら世界のスターになれるんじゃないかと期待した人、都会へ出てエンジニアになりたかったが目の病気で最初の文字と最後の文字を逆に読んでしまうという人、ずっと愛じ合っている女性がいるが実は結婚していない人、妻との間に子供が二人、別の女性との間に一人と言う人、共産主義者でロシア(というのかソ連というべきか)信奉者、など色々な男性たち。
元クスリ中毒だった人、色んな楽器を演奏するのが好きと言う人、三つ子の孫がいる人。
年齢は高年齢から中年くらいまでとかなり幅はあるのだがみんな仲良しで思いやりを持っている。
ただロシアに合旅行した時だけはロシアびいきの男性に他の者たちがこんな町は嫌だとか口喧嘩になってしまったが。
まあそんな争い事がありつつも年取ったボーイズたちは冬の寒さにも負けず歌い続ける。

わくわくするような展開があるわけでもない。歌が大好きで小さな北の町を心から愛してる彼らを淡々と写し撮っていく。
歌声が凍りつく冬空の下でも高らかに響き渡るのだった。

監督:クヌート・エリーク・イエンセン 出演:ベルレヴォーグ男声合唱団
2001年ノルウェー
posted by フェイユイ at 22:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『ブッシュ』オリバー・ストーン

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W.

えー偶然昨日に引き続きオリバー・ストーンである。偶然というのはこのDVDレンタル開始して間もないのにすでに在庫だらけ。一応希望が多いと見たのかやたら在庫数あるのに登録者の数は驚くほど少ないのだ。確かにやっと任期が終わってほっとしたのに何が嬉しくて2時間以上もジョージの顔を観ねばならんのか、という現れであるのか、もうすでにどうでもいい存在なのか。私としては続けて観れるのはよかったが、それでも物凄く嬉しいというわけではないし。

さて観通して印象的だったのは猛烈に食事のシーンがあること。以前にも何度も書いてるのだが、私はアメリカ映画の多くで食べるシーンというのはタブーなんだな、と感じているのだ。日本人は食べるシーンがとても好きだしいや、アメリカ以外はアジア各地でもヨーロッパ映画でも食事のシーンと言うのはとても心を通じ合うとかいいイメージで使われると思うのだがアメリカ映画では物をガツガツ食うのは大概馬鹿のイメージで無作法だとか無遠慮だとか無神経だとかとにかくかっこいい主人公の男女は「あまり欲しくない」と言ってすぐ食べるのを止めてしまう。繊細さを見せつける為だと思う。私はこれが嫌いでいつも苛々してしまうのだが、本作の主人公ブッシュの食うこと飲むこと、これまでのアメリカ映画の主人公の中で一番食ったのではないだろうか。私がいつもむかっときてしまうハンバーガーを投げ捨てるだとかそういうことはせず、ひたすら食う。人のまで食う。コーラだかアイスコーヒーだかもぐいぐい飲む。酒も(酒はどの映画でも飲むからいいんだが)がんがん飲む。残したりせず綺麗に平らげてしまうのである。
明らかにこれはブッシュの無神経さを笑っているんだろうなあ、と思ったのである。
彼が最も苦悶した場面はしこたま酒を飲んだ次の日に気持ちが悪くなるのと、TVを見ながらスナック菓子をぱくついてたらのどにひっかかって苦しみぬくシーンなのではないか。
とにかく彼の行った政治への反感は彼をあさましく描くことで表現されていて、それが物凄い食欲だとか口の中に指をつっこんで歯につまったものを取る仕草だとか、トイレで用を足しているシーンだとか、ヒーローものなら決して取り上げない映像がたっぷり盛り込まれているのだ。

しかしそんな無神経直情型人間だと嘲笑いながらも彼の繊細さを見せている部分もある。思いすごしなのかどうなのか、父ブッシュはジュニアである自分より弟ジェブを愛しているんだという悲しみである。彼の場合若い頃が酷過ぎるのでそのせいもあるだろうが或いは酒びたりになったのも出来のいい弟への負い目だったのかもしれない。そしてその苦しみが彼を大統領にさせ父から褒めてもらいたい、お前を一番誇りに思うと言ってもらいたい、と願いが、結局はさらに彼をどうしようもないところまで追いつめていってしまったかのように思えてくるではないか。親子の軋轢から戦争まで引き起こされてはたまらないが歴史というものはそういうものなのかもしれない。

作品の中に何度となく野球のシーンも出てくる。彼が野球好きで選手でもあったというのは例の「靴投げられ事件」の時に知った。ついでにあまりうまくなかったという注釈つきだったが。しかしあれで彼がどんなに反射神経が鋭いのかを知った。あの年齢であの状況でよく避けたものだ。
本作でも本当は野球選手かコミッショナーか、になってみたいと願い、TV中継を観、球場に行ってセンターポジションに立つのが好きだと言う台詞がある。そしてラストシーンは彼がセンターで高いフライを待ち構える。これを取れば間違いなくヒーローだ。ところがボールは落ちてこない。ブッシュはヒーローになれる大事なフライを見失ってしまう、という皮肉で幕が下りる。

ブッシュ役のジョシュ・ブローリンはこの役を頼まれた時物凄く嫌がったそうだが、当然だろう。しかも「そっくり」と見えるほどに完成されている。嬉しいものか嬉しくないものか。
しかもさすがにハンサムなのでちょっと素敵に思えてしまうのはマイナスか。
マッチョなテキサス男なのに父親を「パピー」と呼ぶのはやっぱり笑えるのかな。そしてやはりおぼっちゃま。いい学校に行くので例の変てこなフリーメイソンみたいな儀式を受ける。記憶力がいい、という才能を見せる。

無神経さが強みの彼も最後になるとさすがに弱点を突かれていく。持ち前の口のうまさも反射神経もしどろもどろになっていく。
実際の映像でオバマに大統領の席を渡した時は随分ほっとしたように見えたのだが、心中はどうだったのだろうか。

監督:オリバー・ストーン 出演:ジョシュ・ブローリン リチャード・ドレイファス スコット・グレン ジェフリー・ライト タンディ・ニュートン ジェームズ・クロムウェル エレン・バースティン
2008年アメリカ
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2009年09月23日

『ワールド・トレード・センター』オリバー・ストーン

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World Trade Center

話題にもなりオリバー・ストーン監督差品ということで早く観ねばと思いながらどうしても勇気が出せないのと、どこかでストーン監督とはいえ、アメリカ側こそに非があるのではないかと思われるような難しい状況をうまく描けるのだろうかという懸念がなかなか観る決心をつかせないでいた。
実際、観出して暫くはやたらと突然の悲劇に襲われたアメリカ国民、という表現だけが描かれているのか、という気がして迫力ある画面がむしろ押しつけがましいような気さえしていたのだが、途中からまさしくこれは「突然の悲劇に襲われたアメリカ国民」という部分だけを描いているのだとやっと気づいたのだった。

つまり観る前は、この作品の中に監督の9:11の惨劇についての総括というようなものが描かれているのかと思っていたのだが、全く逆だった。
ここに描かれていたのは事件後すぐに救助に向かった港湾警察のマクローリンとヒメネスの二人(とその家族)のみに焦点を当てたもので他のことは一切(と言っていいのではないか)表現されていない。
どの国の誰がどういう目的で行ったことだとか、そのことについてアメリカ政府がどう思ってるだとか、また貿易ビルの大勢の人々のことも逃げ惑う姿だけであってよくある様々な思い、という表現はされず(わずかにあるが)突然の大惨事に飛び出していった警察官とその家族がどう思いどう行動したか、だけが描かれている。
これはちょっと驚きだった。
よく「相手側の言い分もある」というような反発を書かれていたりするが、この作品はそういう政治的な意味での映画ではないのだった。

それは最後に「確かにこの日、「悪」が襲ったが人々の「善意」もまた感じることができた」という丁寧な説明があってその通りの映画なのだろう。
無論こういう惨劇が起きることは絶対に望まないが、こうした場合にそれまで自分が気づかない人々のつながりを感じることができる、という話はどこかで自分たちを勇気づけてくれる。
神がかりな海兵隊の男性の出現はさすがに「大丈夫か、こいつ」みたいな恐れを感じてしまったのだが、結局そういうパワーほど強いものはないのだろうか。彼がその後、再入隊してイラクへ行ったという部分にひっかかるかもしれないが、それもまた現実だったということなんだろう。

少しでも言葉を間違えば政治的な反発をくらうし、実際にあった物語を捻じ曲げてはいけないし、このどうしようもない滅茶苦茶な惨劇の中で人々がどんなに支え合い、助け合っていったのかを描くための映画だった。
TVでちらりと映るブッシュは安全の為どこへ行ったかも判らない、ということだった。

監督:オリバー・ストーン 出演: ニコラス・ケイジ マイケル・ペーニャ マギー・ギレンホール ジェイ・ヘルナンデス マリア・ベロ スティーヴン・ドーフ
2006年 / アメリカ

ラベル:歴史
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2009年09月22日

『オーメン』リチャード・ドナー

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The Omen

『エクソシスト』『サスぺリア』と並ぶ三大ホラーの一つ。と言う説明は違うかな。私としてはそういう認識なのだが。

この映画の一番の成功は主役にグレゴリー・ペックという破格な名優を置いたところだろう。物語的にはなんだかぶつぶつ言ってるだけの作品のようにも見えるのだがとにかくグレゴリーの存在感だけで全部見せてしまうのである。2番目はダミアンくんの顔がとても可愛くてしかも怖いと感じさせてくれるところ。殆どのシーンはグレゴリーが占めていてダミアンが小出しに出てくるのもうまいし、ほんの小さな少年にしているので台詞があまりないのも効果的なんだろう。
とにかくこの映画の真似というかリスペクトして作られた作品は五万とあるだろう。小さな子供が実は悪魔で次々と殺人を招いていく(特別彼が手を下さなくても「引き起こした」ということでいい)というのは猟奇的且つ原因不明の殺人事件になるのだからどうにでもやれる。
しかも元々はキリスト教からの引用なので同じキリスト教徒は思い切り怖いし、違う宗教の者は興味本位で観ていられる。

などとばかり書いてるとまた腐してばかりと言われそうだが、実に面白いことは確かなのである。
乳母の首吊り、神父の串刺し、吹き抜けになった2階の手すりのそばで母親が乗っているテーブルに思い切り当たる三輪車に乗ったダミアン、病院の上の階から飛び落ちてしまう母親(なんとお母さんは2回も落とされてしまう)カメラマンの首がガラスでざっくり、など殺人シーンのどれもがとても印象的なのだ。
そしてグレゴリーが演じていることもあって全体の雰囲気がとても重厚で格調高い。
妻を愛する夫の心遣いから死んだ実の子の代わりに同日に生まれた赤ん坊を我が子と偽ったということが恐ろしい物語の始まりとなる。妻への愛情とは言え、彼女を騙してしまうのである。
『オーメン』という言葉の響きも悪魔の数字「666」というキーワードもぞっとする効果を生み出してくれる。
それにしても(ああまた笑い話になってしまうが)観てるとほんとに怖くて愉快でしょうがない。何もかもパロディに置き換えて観てしまう(観てしまえる)のだ。
黒犬がじっとこちらを見てる!ってのも「怖!」でおかしいし、「666」なんてほんといじめられっ子が書かれたりしてたし(酷いよな)新しい乳母さんが悪魔の子ダミアンに仕えるのも受ける。
しかしこういう物語って見方を変えればほんとに頭のおかしくなった大人たちが子供を虐待しているとしか見えないわけでその違いをどう理解するか、っていうか映画だから信じてるけど「この子は悪魔だ」って言って殺そうとしている親がいたら絶対そいつが異常者だもんね。一体どうやって見分ける?
政治界に悪魔は現れる、っていうのも意味深で。

この映画のおかげでいまだに「666」にまつわる恐怖は忘れられていないのではないだろうか。
恐怖というのは心に深く刻まれるものなのである。

監督:リチャード・ドナー 出演:グレゴリー・ペック リー・レミック デビッド・ワーナー ハーヴェイ・スティーブンス ビリー・ホワイトロー レオ・マッカーン パトリック・トラウトン
1976年アメリカ
ラベル:ホラー 宗教 家族
posted by フェイユイ at 22:24| Comment(2) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

クリント・イーストウッドとマット・デイモン、スーパーナチュラル・スリラーで再タッグ

クリント・イーストウッドとマット・デイモン、スーパーナチュラル・スリラーで再タッグ

再タッグと言われましても。そうですか。“再”ですか。

『インビクタス』
というニュースには触れたかなあ?

とにかく最近主役が少ない、と嘆いてたら色んな映画の主演が立て続けに予定されててどれがどれだかよく判んなくなってきた^^;いやそれは私の記憶力の鈍さのせいですが。
それにしても楽しみですが『インビクタス』というのよりは次の『ヒアアフター』というのがスリラーということなんで私的にはより期待。ですね。
posted by フェイユイ at 21:21| Comment(3) | TrackBack(0) | マット・デイモン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月21日

『ウェルカム・トゥ・サラエボ』マイケル・ウィインターボトム

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WELCOME TO SARAJEVO

いくつもの戦争映画、ドキュメンタリーを観ても何らかの答えと言うのは私には判りそうもない。どれを観ても無力感と苛立ちが襲ってくるばかりなのだが、それでもやはり何も知らないままではいけないと思い、またがっくりとしてしまう。
この作品はサラエボでの紛争を一人のジャーナリストの目を通して実際の映像も交えながらドキュメンタリーを思わせるタッチで描いている。いくつかの場面を除いては「敵の姿」が見えずいきなり銃弾に倒れてしまう、という光景が多く、その為に何も知らなければ一体誰が何をしているのか理解しにくいものになっている。それは「誰が悪いのか」ということを問いただしているのではなく、一つの街の中で絶え間なく続く紛争によってごく普通の人々がどんなにあっけなく惨たらしく殺されていくのかに焦点を当てたい為なのだろうか。

そしてもう一つはこの地獄の中で生きて行かなければならない子供たち。主人公のマイケルはたくさんの子供たちの中でたった一人の少女の涙に耐えきれず彼女を自分の家族に入れることを決心してしまう。
しかも後に彼女には母親がいることが判るのだがマイケルは母親を説得して絶対にこの地に少女を戻さないと決めてしまうのだ。
このエピソードについてこの表現についてもしかしたら疑問に思う人もいるだろうか、それとも全員少女をこの地獄の街に戻すことは反対だろうか。他の惨たらしい映像を淡々と映し出すのに比べ、少女エミラの描写だけは感情的なものになっているのだが、それはごく当然のことだ。
エミラを絶対にこの場所には戻さない、と誓うマイケルと母親のあきらめにほっとした。マイケルの奥さんの寛容さに対して一番胸を撫で下ろした。状況を見ないまま共感できるというのは凄いことなのではないか。

世界で14番目に悲惨な街、という表現を皮肉に使っている。他にもっと大変な所があるから忙しくてね、少し我慢してくれ、って。

監督:マイケル・ウィンターボトム 出演:スティーブン・ディレーン ウディ・ハレルソン マリサ・トメイ ケリー・フォックス エミラ・ヌシェヴィッチ ゴラン・ヴィシュニック ジェームズ ネスビット エミリー・ロイド
1997年イギリス
ラベル:戦争 歴史
posted by フェイユイ at 22:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ベン・ウィショーが演じるジョン・キーツの詩「ブライト・スター」Bright Star

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Bright Star - John Keats

  Bright star, would I were steadfast as thou art--
  Not in lone splendour hung aloft the night
  And watching, with eternal lids apart,
  Like nature's patient, sleepless Eremite,
  The moving waters at their priestlike task
  Of pure ablution round earth's human shores,
  Or gazing on the new soft-fallen mask
  Of snow upon the mountains and the moors--
  No--yet still stedfast, still unchangeable,
  Pillow'd upon my fair love's ripening breast,
  To feel for ever its soft fall and swell,
  Awake for ever in a sweet unrest,
  Still, still to hear her tender-taken breath,
  And so live ever--or else swoon to death.

キーツがファニーに宛てた手紙に添えられた詩『Bright Star』
壺齋散人さんと言われる方の訳詩がこちらに→
ジョン・キーツの詩「ブライト・スター」Bright Star を読む

それにしてもそれまで全く気にかけてなかったのに、ベンがキーツを演じると聞いてから色んな映画にキーツの詩が引用されているのに気づく。この僅かの間にこんなだから物凄く使われているんだろうなあ。
こんな詩を送られたら。泣いてしまうでしょうね。

Bright Star
Toronto Film Festival 2009: Ben Whishaw and Jane Campion



Ben Whishaw Interview for Bright Star

こういうのも
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Director Julie Taymor and Whishaw




Read more at: http://www.huffingtonpost.com/2009/09/15/bright-star-premiere-jane_n_287028.html
posted by フェイユイ at 00:23| Comment(6) | TrackBack(0) | ベン・ウィショー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月20日

『さよならゲーム』ロン・シェルトン

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Bull Durham

ショック!ティム・ロビンスが底抜けのお馬鹿役だったあ(泣)というのは勿論冗談だけどこんな若くてしかもおまぬな顔をしていたのね、と感心しきり。この前観たのはこれの2年後『ジェイコブス・ラダー』で、内容が思い切り違うからなあ。

ティム・ロビンスとスーザン・サランドンは本作で共演し結婚じゃなくパートナーとして結ばれている、ということなのだが、これを観てたらティムがすんごく若くてスーザンはいいお姉さん(?)である。今まで全然気にしてなかったけど当時(若く見えるが)ティムは30歳、スーザンは(若く見えるが!)なんと42歳なのね!!いやあ、俳優さんの年齢って判らないもんだあ。てことはスーザンは12歳も姉さんなのねー。うわーやっぱしこの色気に(あのストッキングの脚に!)惑わされたのかしらねー。

きゃっきゃっ言ってばかりじゃなく本編行ってみよー。
さてこの映画、果たして面白いのだろうか。という質問はおかしいのだが、これというほど盛り上がりもないし、深みがあるとかサスペンスがあるとかでは全然ないし、全編にわたってまったりしていて何の小細工もないような物語なんである。これは果たして他の人が観て面白いのだろうか。なにせ私はティムの若々しいお馬鹿な顔を観れただけでにんまりしていたのでいまいち判らないのである。判らないが何やら身につまされるようでもあり、ティムのことだけではなく見入ってしまったのだった。

この映画の主人公は若造のティムではなくケビン・コスナーである。しつこいが年齢を言うとコスナーはティムより3歳年上なだけなのだがティムはこれから伸びていく新入りピッチャーでコスナーはあちこちのチームから追い出されてしまう老いぼれたキャッチャーを演じているわけで、本当に俳優って不思議だ。
彼らが所属する野球チーム「ダラハム・ブルズ」はマイナーリーグでも連敗づけの超弱小チーム。入団したばかりのエビー・ラルーシュは剛速球を投げるのだが恐ろしいノーコン投手。100万ドルの腕に5セントの頭脳、と皮肉られるほどおつむが弱くマナーも自己管理もピッチングに関する知識も持ち合わせていない。監督たちブレーンは彼を一人前にするために他球団からはすでに追い出されているベテランキャッチャー=クラッシュをチームに引き入れたのだった。

この映画がちょっと変わっているのは彼らの活躍(もしくは非活躍)の語り手となっているのが一人の女性ファンということ。
高校の国語教師である彼女は様々な宗教よりも「野球教」に入信したと断言する女性なのである。彼女の信仰はそのシーズンこれと思った選手と「寝ること」
そして彼の為、チームの為に試合を観戦し的確な指示を与える判断力を発揮することだった。
うーむ、こういう女性いそうである。私はTVで野球をかなり観ていた時期もあるが生で観たことはないのだが、サッカーを生観戦していてやはり熱烈なサポーターがいるのである(アニーのようなことをしていた、と言ってるわけではない、というかそこまでは知らない^^;)
彼女ともう一人の「どの選手とも寝た女」のような存在をよしとするのか眉をひそめるか、でもこの作品の観方が変わってきそうだが、私的にはあまりその辺は気にせず観ていた(と言うのは投げやりだが)
野球関係者じゃなく一ファンなのだから別に問題はなかろう。
国語教師だけあってやたらと詩を持ちだしてくるし、会話も知的なアニーの不思議な魅力に「坊や」な新入りピッチャーエビーとベテランキャッチャークラッシュは参ってしまう。
だがアニーが今シーズンの相手に決めたのは若いエビーのほう。クラッシュはむっとするものの彼の役目はエビーを調教すること。力任せの剛腕投手は経験豊かなクラッシュとアニーの助言を聞き入れるうちに次第に本来持つ力を生かすことができるようになっていく。そしてついにメジャーリーグからの誘いが。
そしてエビーがいなくなり子守の必要がなくなったクラッシュはチームから解雇されるのであった。

これって盛りを過ぎた野球選手クラッシュの悲しさもあるけど、アニーという女性もちょっと寂しい女性として描かれてはいないんだろうか。
物語の中にはさほどアニーの心情が描かれてなく、単に弱小チームの男たちの応援をしている独身女性のセックスが目立ってしまう気もするのだが、彼女というのは多分ちょいと年齢は行ってるわけなんだよね。もう一人のミリーは若そうなので選手の一人と結婚ってことになるんだけど彼女がそういう話にならないのはあえて触れていないのか。普通、他の映画だったらエビーがメジャーに行くのなら彼女と結婚して一緒に行ってもいいはずなのに彼女は「1シーズン限りの恋」を押し通したのか。それともやはりエビーにとって「連れて行く」までの恋ではなかったのか。何も語ってはいないけど、もしかしてこれは彼女がかなりの年上だから、という結末なのかも、と思えなくもない。
若いエビーから誘われることもなく弱小チームの応援女として残ったアニーとその弱小チームから追い出されたクラッシュ。
どちらも年齢を重ねた悲しさがあるではないか。
雨の中「ブルズ」の練習を観て傘をさして帰るアニーの後ろ姿がなんとも寂しげである。雨は心の風景なのだろうか。
彼女の帰りを待っていたのはクラッシュ。ついに選手をあきらめマイナーリーグの監督の仕事を引き受けると告げにきたのだ。
そんな時もちょっと難しいことを言ってしまうアニーはやっぱり「年齢のいった女」なんだなあ。若い女の子じゃない。
エビーは二人の助言をしっかり吸収して新たな場所で活躍していく若者だ。そんな彼を送りだした二人はちょっと寂しげではあるけれど互いの心を判ってあげられる。
アメリカの小さな町の小さな野球チームに関わった目立たない男と女の物語。誰も彼らを羨ましがることもないのだろうけど、なんだか判るなあって思わせてくれる作品だった。

という「年齢のいった女」にはちょっと寂しさを感じさせる映画なんだけど、実際のティムはスーザンとパートナーになってるわけで、おい!現実のほうが甘いじゃんか(笑)
メジャーに行って髪を短くしてるティムなんてほんとに若造にしか見えん。3歳年上なだけのケビン、おじさんに見えるのも凄い。
アニーが雨の日、和傘をさしてるのも大人の女ぽいね。

この映画、ほんとに観る人によってまたは年齢によって随分違う受け止め方なのではなかろうか。年を取らんとこの悲しさはじっくり味わえないかもよー。

監督:ロン・シェルトン 出演:ケビン・コスナー スーザン・サランドン ティム・ロビンス ロバート・ウール デビッド・ニードロフ トレイ・ウィルソン
1988年アメリカ
posted by フェイユイ at 22:56| Comment(2) | TrackBack(0) | ティム・ロビンス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月19日

ジェイ・チョウ主演映画『刺陵』トレーラー

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ひっさしぶりにジェイ主演映画『刺陵』情報。中文版予告です。
すっごく面白そうではないですか!!!
一気に熱くなってきました!!

posted by フェイユイ at 23:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 周杰倫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

田宮二郎『白い巨塔』<1978年版>第13・14話

うぎゃあもう居ても立ってもいられない恐ろしい2話であった。
患者さん及び家族の方は勿論だが何と言っても今回の悲劇は柳原くん。もし自分が彼の立場になったらと思うとぞっとする。

医療関係の仕事についたなら患者の死という悲劇は何度となく体験することだろうけど、自分の行動が間違っていると気づきながらそれをやるしかない、そして思った通りに患者が死んでしまうなんて。いっそ最初から財前教授に逆らいもせず氷の心で押し通したのなら、まるで中途半端に言ってみたり言わなかったり、しかしただの助手の身分ではそうするしかできなかったという惨めな結末。
かなり前の作品であるとはいえ、こういうことは決してないとは言えないのだろうなあ。

色んな敗因があるのだよね。外国行きで気もそぞろになっている財前に手術を依頼した里見くんの見通しの甘さも関係する。いい加減財前の人間性を把握してもらいたいもんである。
しっかしこれってこんな患者が追いつめられた状態になっても担当医でなければ手出しができないと言って遠目で見ているしかない、なんて理不尽な仕組みである。
おかしいのは浮かれながらドイツに行った財前が「ドイツでは医者特に教授は皆からの崇拝されるのですよ」と言われると嬉しがるが「それは医者が崇高な気持ちで患者を見るからです」と言われると重大患者を放ってきたことがさすがに思い出されて言い訳をする。
それにしても学会に費やす時間は僅かで後は思う存分羽を伸ばして遊びまわる財前。さすがにちょっとかっこ悪い。

最も見通してるのは財前の愛人ケイ子で彼がこの手術で失敗すれば裁判沙汰になると予測している。多分この後、その方向に話がいくんだろう。
貧乏な家の出で自分が医者になることを家族が待っていると言って泣き伏す柳原くんの板挟み状態の凄まじさは圧巻で教授からも患者の家族からも温厚な里見からも同僚からも「お前が悪い」と責め立てられる。自分自身の家族からのプレッシャーもある。自殺しても不思議ではないな。確かに彼のような性格では医者になれないのかもしれない。徹底的に里見的か財前的か。里見って人も割り切ってることは割り切ってるんだよなあ。あんなに怒った後で見送りに来るなんて。変な人だ。

壮行会のお座敷ってあんなもんなのかもしれないけどあれも変てこな世界だよね。物凄狭いし(それはドラマの予算のせいか)オジさんの踊りを見なきゃいかんし。
私だったらあんなのを見てるよりは「患者の容体が急変しましたので」と嘘でも出て行きたいけど。

患者の妻役を中村玉緒が演じていて心細い女性の様子がうまい。
自分たちではどうすることもできず死んでいく夫を見続けるしかできない家族、怯えた心で悩み続ける柳原、真面目で一途だが財前を見る目がなかった里見、目先の欲得だけしか見えず先が見通せなかった財前の甘さ。ただ一人未来を予測していたケイ子。
さて次回からどんな展開になりますやら。
自信過剰の財前が追いつめられていくのだろうか。

出演:田宮二郎 生田悦子 太地喜和子 島田陽子 中村伸郎 山本學 中村伸郎
1978〜1979年日本
ラベル:白い巨塔
posted by フェイユイ at 22:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 白い巨塔<1978年版> | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月18日

『My Son あふれる想い』チャン・ジン

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キム・ギドクを別にすれば(って彼を韓国から除外するわけではないけどさー)物凄く久方ぶりの韓国映画。あんまり何も思わず観始めたのだが、まんまと罠にはまってしまって冒頭から涙が溢れて止まらず目が痛い。これでもかと泣かせにくるのが判ってもどうしてもここら辺の涙腺の刺激物に弱いんだよねえ。

以前に比べ韓国映画を観なくなったのだが私案外チャ・スンウォンに縁がある。ひょろりとした長身ととぼけた味が魅力の彼である。
そんな彼がもう18歳の息子の父親役なのだが、若い頃にやんちゃをやり続け、とうとう殺人事件で無期懲役になった男がたった一日家族に会うための外出を許されると言う物語である。
重い内容になるはずの物語をチャン・ジン監督独特のおかし味を加えてファンタジーでもあり、ミステリーでもあるような工夫を凝らした仕上がりになっている。
後で思えばあちこちに仕掛けが隠されているのだが、途中、というより最後近くまでは純粋に15年間は会うこともなかった服役囚と父を失い又母もいなくなり年老いた祖母の面倒を見ながら勉強熱心な少年の互いの心が少しずつ緩み通い合う過程をおんおん泣きながら観ていくことになるのだが、残りの20分くらいだろうか、で一挙にどんでん返しさらにまた泣かせられ笑わせられる、という仕掛けになっている。

チャ・スンウォンがでかい図体でとてもいい感じなのは認識済みだが息子役のリュ・ドックァンは『トンマッコルへようこそ』にも出ていたのだが、今回じっくり観ると、スンウォンとは物凄い身長差の小柄で女の子みたいな可愛い顔だちである。男っぽいというイメージのある韓国男児もますます彼のようなフェミニン系が増えてくるのかもしれない。
ファンタジックな演出を含めながら父親と息子の心の声をかわるがわる聞かせてくれるので涙は止まることを知らないのだが、最後になってその涙がいきなり引いてしまうからくりはもしかしたら逆効果なのかもしれないが、とやや不安にもなってしまう。
ところが、それまでは一途に韓国メロドラマに酔いしれていた自分がいきなり目を覚ますことになってしまうのだ。
というのは(ネタばれと書いてる自ブログだがホントにばらすのでどうぞ)
実は今までよかったね最愛の息子と心が通じてと泣かせてくれたジュンソクは本当のジュンソクではなく彼の友人チャ・ホンドだったのだ。
本当のジュンソクは少し前に病気で死んでいた。死ぬ前に彼は親友に「父に会いたい」と言って彼と共に刑務所に向かう途中で亡くなったのだ。ジュンソクの友人ホンドはその後彼のおばあちゃんの世話をし、彼の恋人とも話し合ってジュンソクの父親の帰宅を迎えたのだった。
韓国映画で友人の絆は深く強いものだが、ホンドとジュンソクの友情はそれ以上の何かを感じさせる。それはジュンソクが父親譲りの長身でハンサムなのとホンドがどことなく優しげで女性的な雰囲気があることでも感じさせられるし、視線や言葉のやりとり、お父さんのいる刑務所へ行くのに手をつないでいくのはジュンソクが病気だからと言うだけではないような気がするのだが。おばあちゃんの世話をすることやジュンソクのお父さんをお父さんと呼ぶことや面会に行くのもまるで恋人がすることのように思えるのであるがなあ。

最初たっぷり泣いて最後であまりの衝撃の事実に(他の人が感じる衝撃とは違う衝撃)涙も乾きえええーっそういう告白でいいの?と驚いたのであった。
いやもう韓国映画もう明らかになるのは目前である。(ま、なってるけどね。もう少し、ね)

しかしこうして二人の関係が判って思い出すとこの物語は父子の物語であってそうではない不思議なものになってくる。
父が父でないのにジュンソクになりきったホンドが父に言う「死ぬまで僕を愛して」という言葉には好きだったジュンソクにそっくりな男性への言葉とも聞こえてはこないだろうか。

作品中ヘルマン・ヘッセの『デミアン』が登場するのだが、情けないことに未読。ここに何かのヒントがあると思うのだが。ああ、読まなきゃ。

監督:チャン・ジン 出演:チャ・スンウォン リュ・ドックァン キム・ジヨン イ・サンフン
2007年韓国
ラベル:家族 友情 同性愛
posted by フェイユイ at 23:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 韓国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

マット・デイモンとマイケル・ダグラスがゲイカップルに!映画「リベラーチェ」

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こういう人らしい。マイケル・ダグラスがこうなる。

マット・デイモンとマイケル・ダグラスがゲイカップルに!映画「リベラーチェ」

えええへへへええええっっっっっ!!!!!????!!!!!???
ほんとすか?????!!!!
なんだかもう怖いような嬉しいような不安なような(笑)
マットと何度も組んでいるソダーバーグ監督作品だから間違いないんだろうけど、ぽしゃらないといいなあ。
しかし、「マットは挑戦を受けて立った」と語った、っていうのがおかしいね。娘さんたちもまだ幼いし結構やっぱ覚悟いりますよね。正直いってこういう役柄はもうやんないんだろうなあ、とあきらめていたんですが。
まあ、どのくらいの表現があるのか、ってことですね。楽しみです、くくっ(←苦悶か笑いか)
posted by フェイユイ at 22:45| Comment(2) | TrackBack(0) | マット・デイモン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする