映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2009年09月17日

『CODE46』マイケル・ウィンターボトム

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CODE 46

わーどうしよう?!この映画物凄く好きなんだけど。

何しろちらりと観た他のレビューが手酷かったのでもういいやどうでもっていう滅茶苦茶期待なしに観たのだが、この面白さは何?つか、この世界が好きで好きでしょうがないんだけど。

この世界が好きったって「この世界」は恐ろしいんだけど、この映画のイマジネーション世界が好き、ということね。
これってよく判んないんだけど実際の上海とドバイの風景をそのまま使っていかにも近未来的SFの舞台に見せてしまうという安上がりなアイディアを駆使してるわけでこういうチープさも含めて大好きなのである。
それらしく見せる為の色彩の調整も上海の空港やら夜の街やらを幻想的に見せているのも楽しいではないか。
物語としては人工授精が当たり前になるであろう近い未来への警告とも言える内容でそこに様々に開発されたウィルスを一味加えた料理になっている。
人工授精で困るのはいつどこでどういう形で同じまたは近しいDNA保持者が接近し恋は抜きにしても結合妊娠という事件が起きるか判らないということ。人工授精なら年齢や人種の操作も複雑になってしまう。オイディプスの悲劇がいつ何時起きるのか予測不可能なわけだ。そこで作られたのが『CODE46』妊娠の可能性のある男女は必ずテストを受け二人のDNAが子供づくりに何の問題もないことを証明しないといけない。もし二人がそれをしないままセックスし妊娠した場合は『CODE46』が適用され処分が行われるのだ。
またもう一つ(ここが一番わくわくする描写なのだが)世界に「内」と「外」があり、「内」に生活する人々は快適な人生を送れるが「外」は治外法権。そこに住む「人」は存在しないと同じこと、とされる。
映画は90分ちょっとの短い作品で表現としては文句なく過不足ない仕上がりなのだが、私としてはここに描かれた以上の世界、生活、人々を想像してしまうのだ。

サマンサ・モートン演じるマリア(何気に意味深)は始めから少し外れ者的な存在である。この時、地球は砂漠化が進んでいて居住区はいくつか区切られた場所に定められている。その間を行き来するには「パペル」というチケット(カード?)が必要なのだがそれを入手しないと旅行はできない。マリアはそのチケットを製造する工場に勤務していおり、望んでも入手できない者たちにこっそりと横流しする、という「犯罪」を犯している。
ティム・ロビンス演じるウィリアムは「共鳴ウィルス」を持つ調査員で不正が行われていないかをバンクーバーから上海工場へ調査しに来たのだが偶然出会ったマリアに心惹かれ愛し合ってしまう。
だが彼らは『CODE46』に引っかかる近いDNA保持者だったのだ。

ティムとサマンサの外見からオイディプスとも言われてしまうのだろうが、ティム=ウィリアムの母親のDNAとマリアのDNAが同じとなっていたからむしろ母と息子の関係なのだ。マリアという名前はどうしてもマリア様を想像してしまうからイメージ的にこれはマリアとキリスト?と恐ろしいことを考えてしまう。
とはいえ二人には(今のところ)子供はできていない。禁じられた愛を犯してしまったウィリアムは記憶を消され妻子の元へ戻り、マリアは記憶を残されたまま無法地帯の「外」へ追放されるのだ。
数々の悲恋ものはある、禁じられた恋の物語もあるがこの物語のなんという寂しさ。ウィリアムはすべてを忘れ暖かい生活に包まれ、マリアは過酷な砂漠地帯で愛する男を想いながら彷徨い続けるのだ。

この作品が気に入らないと書いた人はどうしてなのかさっぱりわからないが(仕方ない)私はもうこの話を溺愛してしまうぞ。
サマンサ・モートンは今までいくつか観て実はあんまり好きじゃなかったんだけど、この映画の短髪の彼女は凄く魅力的に見える。さすがにうまいのでこの複雑な女性の役をとても自然に見せてくれている。
そしてティム・ロビンス。前にも書いたけど私はティム・ロビンスが凄く好きでこの映画でまた好きになってしまった。
でかすぎるくらい体が大きくて(サマンサなんて子供にしか見えない)ぶちゃって感じの顔なんだけど何故かとてもセクシーなのだわ。キスシーンとか美男相手のを観ててもそんなになんとも思わんのにティムとキスするのをみていいなーなんて困ったね。
中でマリアが「そのままがいいわ。寂しそうな顔が好きよ」っていうのがあるけど本当にそう。あの寂しげな表情がくせ者ですだ。
あの眼も子供みたいでかわいくて。前も少し観てたけど本当に今度は彼の観ていこう。

ティムとサマンサが恋に落ちるなんて変だと思う人もいるようだけど私はまったく自然にしか思えなかったのだけどそれは自分が二人とも好きだと思ったからなんだろうなあ。
そして愛し合いながらもマリアは植えつけられたウィルスのせいで愛するウィリアムと共に自分たちの愛にブレーキをかけてしまう。
ウィリアムが記憶をなくしのほほんと生活するのを観るのは辛い。そしてどこかで愛の力で彼が記憶を呼び戻すのでは、と期待している。もしかしたらそんな奇跡も起きるかもしれない。
とはいえ妻子側からいえばとんでもない奇跡だが。

ラブ・ストーリーを(ええと健全な男女のラブストーリーを、と言うべきなんだけど)苦手にしている自分だがSFラブ・ストーリーには何故か弱い。この世にまだない愛の形、というものに憧れてしまうから、なんだろうか。

監督:マイケル・ウィンターボトム 出演:サマンサ・モートン ジャンヌ・バリバール オーム・プリー エシー・デイビス
2003年イギリス

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何故この顔がそんなに好きなのか自分でもよくわかんないんだけど可愛い!!


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2009年09月16日

田宮二郎『白い巨塔』<1978年版>第11・12話

物凄く間が開いてしまったが『白い巨塔』観賞再開。
さてさてようやく念願の教授に選ばれたところで前回終わっておりました。今回から冒頭の総回診の台詞が「財前教授の総回診が始まります」に変わった。おお、先頭を行くのは財前君だ。
しっかし、主人公の中にも色んなワルがいるだろうが財前くらいほんとに嫌な奴ってそういないんではないだろうか。ここまで憎たらしい奴を主役にしたっていうのは凄いとしか思えない。

私はそれほど病院に行かないので経験も少ないがそれでもたまに凄く嫌〜な言い方をする医者に会ったことはある。ただでさえ病気になって気弱になっている時に優しさのない言い方をされるとぐさりとくるもんである。
それにしても財前教授の患者を人間とは思ってないような態度でちらりとも見ないような総回診って意味があるんだろうか、なんて初歩的なことを思ってしまう。単に権威を見せたい為のものなんだろうか。
そんな財前教授にドイツから医学会の招待状が舞い込み、準備に大わらわの折り、真面目人間里見くんから面倒くさい病人の手術を頼まれてしまう。しかもその人は保険証扱い(なんていう言い方があるんだ)の患者なので常に権威や金が目当ての財前としては面白くない。その上、どうもレントゲン写真に怪しい部分があるので再検査をしたほうがいいのでは、と医局員が進言するもんだから財前怒り心頭。さらに里見まで口を挟んできたことで財前は意地でも再検査を拒み(里見にはすると言っておき)「最短時間で手術をしてみせる」と変な向上心を抱くのだった。
患者への冷たい言い方、貧乏人への雑な扱い、うーもう大衆の敵なのにこやつが主人公というドラマって。お母さんへの仕送りだけは値上げしてあげる優しい息子なんだけどねー。
里見が絶対にと頼んだ検査はもう行うことはないんだろうな。果たしてこのせいで手術が失敗、ということになっていくんだろうか。

相変わらず面白いのが財前パパ。教授になった五郎への褒美として愛人のマンションを買う為の金をぽんと出し、しかも毎月の家賃も「私が出そう」ってそれじゃどっちの愛人よ。って気もするが。義父公認の愛人って居心地悪くないものか。しかし五郎はそれさえも「このくらいのことしてくれて当然だ」だと。さすが悪党主人公。大地喜和子さんも相変わらず五郎をくってます。
教授でなくなり現在無職の東元教授。庭いじりをする姿を見て奥様相変わらずの毒舌。なんとかもう一度夫を持ちあげようと頑張ってます。

はてさて、財前教授編もまたどす黒い物語が渦巻きそうでありますなあ。

出演:田宮二郎 生田悦子 太地喜和子 島田陽子 中村伸郎 山本學 中村伸郎
1978〜1979年 / 日本
ラベル:白い巨塔
posted by フェイユイ at 22:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 白い巨塔<1978年版> | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月15日

『モーヴァン』リン・ラムジー

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MORVERN CALLAR

いやもうほんとに毎日色んなタイプの映画が観れて幸せといったらないですね。
昨日観た『日蔭のふたり』は「物凄い不幸」のようでそれほど不幸じゃないんじゃないか、と書いたのだが今日の奴は不幸のようで物凄く幸運でしかも不幸なのだ。
これはやはり「昔の話」として離れて観てしまうのと現在を表現したものを観る、ということでも違ってくるだろうし、悲しみをはっきりと示していた『日蔭のふたり』に対して本作の主人公モーヴァンの表情のなさはどうだろう。彼女が幸せな気分でいるのか不幸なのか、じっと観ていてもあまりよく判らないし、もしかしたら彼女自身もよく判ってないのかもしれない。それこそが現代的な不幸なのかもしれないのだ。

しつこく比較していくととりあえず「ふたり」で「日蔭」していられた昨日の作品とは違いモーヴァンは一人っきりである。唐突に冒頭で愛する人を失ってしまう。しかも彼の死因は自殺。その上、意味はない、ときてる。
スーパーの店員で友達も少なく無口なモーヴァンにとって彼の存在は大切なものなのではなかったか。彼の死体に寄り添いその体をそっと撫でる彼女がその後に起こした行動は異常なものに違いない。何故彼女は彼の死を隠してしまったんだろうか。
彼はモーヴァンに銀行の預金を葬式代として託し、また自分の書いた小説を発表して欲しいと頼み、その小説は出版社で破格の金額で契約された。単なるスーパーの店員である彼女には望んでも手に入れることはできない大金が転がり込む。
とても喜ぶ表情を見せるがすぐにその笑顔は硬くなり本当に何を思っているのか判らなくなる。
確かに・・・映画では観客に判りやすいよう人物が感情をすぐ口に出したり泣いたりして見せるが実際は何を考えているか判らないものなのではないだろうか。モーヴァンのように気持ちを出さないタイプの人間は決して少ないわけではないだろう。

しかしなんて陰鬱な作品なんだろう。これに比べれば『日蔭のふたり』は随分明るい作品だった(なんだか物凄く叩きのめされる『日蔭のふたり』・・・)たった一人の親友として出てくるラナも彼女の理解者として描かれているわけでもなくモーヴァンは世界にたった一人きりで生きているような孤独感がある。そして彼女はこれからも誰からも理解されることなく生きていかねばならないんだろう。その重さを彼女は抱えて歩きだしていく。

男が死んで女友達と旅に出る、ということでイギリス版『テルマ&ルイーズ』のような展開かと思っていたらまったく違った。さすがイギリス。この出口のない暗闇はたまらんものがあります。モーヴァンという人物造型の根暗さも救われないものでありながら(というかあるからこそ)酷く惹きつけられてしまう。
母親を亡くした男のエピソードは一体何?死んでしまった彼のことかと思った。

ところで上に貼っているオレンジ色の写真のやつ。私はこれをずっとオレンジ色のチューリップに見えていてそう思いこんでたんだけど、今気づいたらサマンサの顔だったのね。なんでそう見えてたんだろ?

監督:リン・ラムジー 出演:サマンサ・モートン キャスリン・マクダーモット レイフ・パトリッ ク・バーチェル ダン・ケイダン キャロリン・コールダー デス・ハミルトン
2002年イギリス
ラベル:人生
posted by フェイユイ at 22:47| Comment(2) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『日蔭のふたり』マイケル・ウィンターボトム

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JUDE

まずタイトルが陰惨で素晴らしい。いつもは邦題に疑問を持つのだが今回は『ジュード』だけよりも邦題のほうが心してかかれるからよいのではないだろうか。
しかし映画というのは観るタイミングというのがあるもので何しろ昨日観た映画がこれ以上底がないほど陰惨だったので本作は不幸とは言え個人的な問題でどうにでも回避できる範疇の運命であるわけでさすがにほっと助かるような気持ちであった(と言う感想をこの映画を観て言う人はほぼ皆無だろうが『アララトの聖母』を観たあとだったら誰でもそう思うだろう)大虐殺などという逃れようのない事件(テロだとか爆弾投下だとか)でも襲ってこない限り、人間はどうにでも生きていけるのだとこの映画を観てさらに感じたのであった。
などと書いてるとまるでなんだかよく判らなくなってしまうので一応言っとくと別のこの映画はそういう励ましの映画ではない、どころか正反対にいくら頑張っても人生をうまくやっていけない、という重く暗い映画なのである。だがどんなに辛くともテロや爆撃や暴徒が襲ってくるんでなければ人間は生きられるんだよ、少しだけ要領がよければね。自然災害は、難しいが(あ、また全然違う話)

そんなもっと悲惨な問題を持ってきてしまうとこの話の面白さがなくなってしまうので本作のみに話を絞ろう。
この話って一体何だろう。原作はトマス・ハーディの『日蔭者ジュード』という物語。ほぼ忠実らしいがラストは全く違っているようで映画ではジュードが高らかに「世界の終わりが来ても俺たちは夫婦だ」と叫ぶ力強いものになってるが原作では落ち込んだスーの言うとおりそれぞれの結婚相手の元に戻るのだがジュードは病気になって寝込み妻アラベラから罵られながら死んでいく、というもっと悲惨なものになっていて、こちらのほうがより不幸でよさそうだが、映画ではあくまでも「日蔭者」であって欲しいという配慮からよりを戻さなかったのであろうか。映画のアラベラはそんなに悪い女でもなさそうに見える。スーの夫なんていい人としか言えない。他にそう二人に対して理不尽な仕打ちをする人もあまりいない。二人は自分たちで不幸を招いていっているんだから仕方ないんである。
子供の死もまた二人のせいである。他者からの暴力ではなく自分たちで引き寄せた不幸。どうにでもできた運命だったのだが。
とても自尊心の高い二人なのだ。自分たちは他人とは違う高い理想を持っていると自負している。それが悪いわけではないが生きる為にはもっと狡猾になるべきなのだろうが二人はそれをよしとしなかった。中国映画で『芙蓉鎮』というのがあってその中で蔑まれることに挫けそうなヒロインに男が「豚のように生きろ」と言うのがあったけどこの二人にはそういう道は選びたくなかったのだ。
そういえば最初に豚をさばくシーンがあったっけ。生きようともがいた豚は結局縛りつけられ切り裂かれてしまうのだ。この二人は豚のように生きられず豚のように縛られ切り裂かれてしまった、とうことなのかもしれない。
こういう映画はなんの為に作られるんだろう。嫌な映画だと嫌われることもあるがそれでもこういうネガティブな作品がなくなってしまうことはない。色々人生を示唆し考えさせられる為にだろうか。あそこでああしなければよかったのに、と思わせたいが為なのか。それならばジュードはどこで間違ったのか。アラベラと結婚したこと、それともそういう才能もないのに勉学の道を選んだこと自体が間違いだったのか。それならもう生きていること自体が間違いみたいなもんだ。
別に彼らは何も間違ってはいない。自分たちが望んだ行動をし、解決をした。自分たちの力ではどうにもならない災害や人災で運命が狂ったわけではない。結果が華々しいものでなかっただけで自分たちの思った通り生きたのだから充実した人生だと言えるはずで何も文句はないだろう。それ以上を求めるのは欲が深すぎる。

書いてる途中であーこの二人はあの豚だったんだなと気づいておかしくなった。または罠にはまったウサギなのだ。
自尊心が高い人間ということも生きにくいことなのだ。あそこでクライストミンスターに戻らなければよかったのかもしれないしね。でも自分の人格をすべて捨てるわけにもいかないだろう。そうしたかったのなら、それですべてを失ってしまったのならそれはもう仕方ないことなんだ。

監督:マイケル・ウィンターボトム 出演:ケイト・ウィンスレット クリストファー・エクルストン リーアム・カニンガム レイチェル・グリフィス ジャン・ホワイトフィールド
1996年イギリス
posted by フェイユイ at 00:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月14日

【第66回ヴェネチア国際映画祭】【優秀男優賞】コリン・ファース!マット・デイモンのニュースも

金獅子賞はイスラエル映画『レバノン』に決定!

なのだが嬉しいのは
優秀男優賞】
コリン・ファース 
『ア・シングル・メン』(トム・フォード監督、米国)
というところで!
しかもこの作品は
出 演:コリン・ファース、ジュリアン・ムーア、マシュー・グード

ロサンゼルスで暮らすゲイのイギリス人教授のもとに、ある日、無情にもそのパートナーである男性の訃報が届く。彼はあまりにも突然の別れに打ちひしがれる。
という内容であるし。

元グッチのデザイナーでファッション界の実力者、トム・フォードが初監督を務めた話題作。クリストファー・イシャーウッドの同名小説を映画化し、パートナーを失ったゲイのイギリス人教授の何気ない1日をつづる。
ということですね。マシュー・グードも出てますし。

にゃはは。

そしてこんなのも。
巨匠スティーブン・ソダーバーグ監督最新作『The Informant!(原題)』記者会見にマット・デイモン等が登場 - トロント国際映画祭2009
あれ、マットちょっと若くなった?!

でも映画ではこんな感じ
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TRAILER REVIEW: ‘The Informant!’ or finally some Oscar bait for 2009
ラベル:映画賞
posted by フェイユイ at 00:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月13日

『アララトの聖母』アトム・エゴヤン

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ARARAT

最後まで観通すのが苦しい映画だった。
いつもながら、どんな内容なのかあまりよく知らないまま観始めた。カナダに在住するアルメニア人たちの物語。
1915年アルメニアは突然トルコ人によって大虐殺をされた。戦争をしていたわけでもない中での出来事であり、トルコはそのことを今も認めていないと言う。
私が苦しかったのは多くの他の映画よりもこの作品に込められた憎悪の激しさだ。
他の批評などを見ると完全に客観視して内容の素晴らしさを褒めていたりまたは欠点を示していたりするものが多く見受けられたのだが、私はどうしてもこの映画を完全に自分に関係ない話としてその出来具合のみに点数をつけることはできない。
自分が日本人であることを完全に忘れてしまうことは不可能だからだ。
この映画では登場人物は個々であるよりまずどの国の人間かということが描かれている。何国人でありどこに所属しているか。無論アルメニア人の数は多いので彼らの人格はそれぞれに描かれている。だがトルコ人は劇中劇として登場する恐ろしいトルコの軍人を演じたハーフの男性のみが人格を持っていて後は単なる虐殺者としてしか登場しない。そして代表となるハーフのトルコ人の男性は結局「トルコ人によるアルメニア人虐殺は戦時下での仕方ない事件だった」というような説を半分だけ述べる。何故半分なのかと言えば役者である彼が映画監督に弁明しようとするのを監督自身が途中で遮ってしまうからなのである。
無論私がこの映画が恐ろしい苦しさを感じたのは自分の属する国民としては絶対にトルコ人側であると感じるからだ。日本はまた逆に虐殺をされた国でもある。だがこの映画のような直に人間対人間の形で残虐な大量殺人を犯した、という意味合いではどうしてもトルコ側の存在であり、また今でも日本人がそういう虐殺は行わなかったのだ、という説を通す人々が多いのを見ても同列なのを感じないわけにはいかない。作中の映画監督が「今でもこんなに悲しみが湧いてくるのはいまだに我々が憎まれていると感じるからなのだ」という言葉にも思い当たる点が多いからなのだ。
日本人を虐殺した国アメリカに対しては「行いには怒りを感じ二度と起きてはならないとしてもその国にはむしろ愛情を感じ深く親交している」のは何故なのか。
私自身、アメリカへの怒りより自国がした虐殺のほうを強く恥じてしまうのは何故なのか。
それらのこととアルメニアの悲劇をそのまま重ねるのは出来ないことなのだろう。
ただこの映画から恐ろしいほど沸き立っている怒りの念を自分としては無関係の他人事としては観きれないのである。

作品自体としてはその怒りのせいかやや破綻している部分も感じられてしまう。とはいえそれは自覚したわざと、なのかもしれない。
主人公の青年ラフィの父親がテロリストだったことはほのめかされているがその行為は語られるだけで映像ではないのでアルメニア人が受けた暴虐場面の壮絶さとは違い映像として訴えていない。またラフィはどんな理由であれ麻薬密輸をしてしまったのに「彼は真実を言っていた。わざとではなかった」とすり替えてしまったのは逆効果なのではないか。
アルメニア虐殺を直接ではなく作品の中の映画撮影として描いていく、という手法は惨たらしい数々の暴力・レイプ・拷問の場面をいくらかやわらげてくれる。これは観客の為というより作り手側の怒りがあまりにも爆発しすぎない為なのかもしれない。
この手法に関してはとても好きなやり方であり効果的であると思う。
それにしても少し不思議なのはアルメニア人たちの表現で、これらの個性はかの国では美徳もしくは魅力的なものなのだろうか。
どの人物もあまりにも目力が強くて何かしら人を批判しようとする。息子は母に母は息子とその恋人に恋人は義母に激しい怒りを持っている。(特にゴーキーの娘の描き方は何の意味があるのか。彼女の怒りの答えが最後に判るのかと思っていたが、私には無理だった。トルコ人が相手でもないのに、なぜ彼女があそこまで精神崩壊しているのか。それも虐殺のせいなのか)
作品の中にわずかもゆったりした部分がなく常に苛立ち憎悪だけで生活しているような雰囲気が却って共感できなくなってしまう。などと言うとまた加虐側の人間という負い目がある国民としては「そういう風にしか考えてないから怒ってるんだ」と言われそうな気がしてまた挫けるのだが。(こういう言い方もまたいけないような)
そうかもしれない。やはり自分の考え方は所詮同じような虐殺をされた民族ではないからしてしまうのかもしれない。
最後に「トルコはいまだに虐殺を認めていない」という文字が記されている。
やはり、と大きなため息をつくしかない。

映画の中に込められた憎悪をここまで感じたことはなかったかもしれない。はっきり言って「いい作品」などという表現のものではないだろう。
虐殺され謝罪されなかった人々はここまでの怒りと悲しみを抱いて生き続けているのだ。そのことはどんなに苦しいことだろうか。
作品の中にはどの和解も希望も感じることができなかった。ハーフのトルコ人のように認めもせず謝罪もなしに「もう忘れて仲良くしようよ」ということは受け入れられないのだ。

もうひとつ疑問点がある。二つか。
税関の麻薬取締官をする退職間際の老人がいるのだが、彼の息子がゴーキーの絵が展示されている美術館の職員、そして彼の同性の恋人が映画中映画で悪役を演じるトルコ人ハーフの男性となっている。余計な勘ぐりと言われればそれまでだが、憎い敵役の唯一の人格を持つトルコ人がゲイという設定なのはホモフォビア的な感情からの設定ではないのか。またアルメニア人は何故か美男美女ばかりなのにトルコハーフの彼はどうもすっきりしたハンサムとは言い難い風貌である。まあ、ここまでは言いがかりとでも言えるが、最も引っかかるのは宗教的な描き方である。
どうやら美術館員の男性は女性と結婚した過去があって幼い息子がいるのだが、ゲイのトルコ人恋人との生活の為に離婚し息子は父親(空港税関取締官)にあずけていて時折訪ねてくる、ということになっているようだ。そこで可愛い息子はきクリスチャンとしての食事の祈りをあげるのだが、父親が「アーメン」と言わなくなったことに疑問を抱いている。これはトルコ人の恋人がムスリムであることが原因しているからだが、小さな少年が彼に「神様を信じていないのでしょ」と言うのは描き方としてちょっとまずいのではないか。確かにその後で弁護してはいるのだが、イスラムにはイスラムの神があり神を信じていないわけではないのだから。というかそういう排他的な考えが結局戦争と暴虐を生んでいるのではないのか。

監督:アトム・エゴヤン 出演:デヴィッド・アルペイ シャルル・アズナブール マリ=ジョゼ・クローズ アルシネ・カンジアン イライアス・コティーズ アーシーニー・カンジャン
2002年カナダ
ラベル:歴史 虐殺
posted by フェイユイ at 23:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月12日

『按摩と女』清水宏

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先日TVでちらっと冒頭部分を観て都合で観れず仕舞いだったのがどうにも数分の映像が鮮明に思い出されやはり観てみることにした。
少し前に同監督の『みかへりの塔』と同じように淡々とした物語が際だった映像で描かれていく。わずか60分あまりの作品とは思えないほどゆったりとした趣のある映画なのだが、中身の濃い短編小説を読み終えた時のような満足感のある作品なのだ。

目の見えない按摩である主人公「徳さん」は「めくら」である自分は「めあき」である人々に負けてはいない、という強い自負心がある。山奥にある仕事場の宿屋へ行く途中もめあきの登山客を追い越しては自分の健脚と人数や東京から来た女だということを当てたりする勘の鋭さに絶対的な自信を持っているのだ。
そんな彼が東京から来た美しい女性の肩を揉み、ひそかな恋心を抱く。そんな折、持ち上がった宿屋での盗難事件。
徳さんは身を隠すように滞在している彼女が犯人だと見破り彼女を助けようと骨を折るのだが。

高峰三枝子演じる「東京から来た女」の美貌と謎めいた言動が物語をミステリアスに彩っていく。徳さんはめあきには到底判らない彼女の秘密を探り当てたという興奮に襲われている。
だがそれは徳さんの勘違いで彼女は囲われの身の女で旦那の元を逃げ出して身をひそめているのだった。
絶対的な自信を失いがっくりとしてしまう徳さん。
鋭い徳さんの勘も美しい女性の前で乱れてしまったのだろうか。甥っ子を連れた独身男も美女に心を翻弄されたまま東京へと帰っていく。
山奥の温泉場でひっそりとかわされた男女の恋物語とミステリーが不思議に奇妙な味わいのあるユーモアに満ちている。
目の見えない男性が恋に落ちて失敗してしまうという非常にブラックなコメディなのだ。
徳さんの気の強さと乾いた語り口がこのもしかしたらとても難しい題材を楽しい作品に仕上げているのだろう。

少し昔の日本の情緒溢れる景色も心を和ませてくれる。

監督:清水宏 出演:高峰三枝子 徳大寺伸 日守新一 佐分利信
1938年日本
posted by フェイユイ at 22:16| Comment(0) | TrackBack(1) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ロンドン映画祭でベン・ウィショーと松山ケンイチの映画上映!

2009年10月14日から29日までイギリス・ロンドンでThe Times BFI London Film Festival. BFI(British Film Institue=英国映画協会)が開催されます。

ここでベン・ウィショーの『Bright Star 』
Mon 19 | 19:00 | ODEON LEICESTER SQ.
Tue 20 | 16:00 | Vue Screen 6
Wed 21 | 13:00 | Vue Screen 5
Ben Wishaw and Abbie Cornish star in Jane Campion's intelligent, beautiful story of the passionate love between poet John Keats and Fanny Brawne.

松山ケンイチ『カムイ外伝』は
『Kamui』
Thu 22 | 18:15 | NFT2
Fri 23 | 16:00 | NFT2
Probably the best ninja movie ever made, Yoichi Sai's adaptation from the legendary manga blends folk-tale, action fantasy and parable; with hot young star Kenichi Matsuyama as the hero.

どちらもどんな評価になるか。気になりますねー。観に行ける方は羨ましい!!!

映画『カムイ外伝』ロンドン映画祭で上映決定!
posted by フェイユイ at 14:53| Comment(7) | TrackBack(0) | ベン・ウィショー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『愛の嵐』リリアナ・カヴァーニ

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The Night Porter/Il Portiere di notte

よくもこんな恐ろしい映画が1973年という時点で作られたものだと思ってしまう。ユダヤ人収容所においてナチス将校からおぞましい虐待を受けた少女ルチアが戦後時を経てアメリカ人指揮者の妻として彼の前に現れる。
ナチス将校だったマックスは今は小さなホテルのフロント係となって生計を立てている。彼女の出現は彼のこれからの生活を破壊してしまうものになる。
だが再会したルチアとマックスは激しく抱き合い愛し合うのである。

アウシュビッツでの惨劇を知る者なら二人が愛し合っている、という物語に激しい拒絶反応を感じてしまうのではないか。
冷酷な将校マックスの異常な性的虐待を受け続けていた少女が再会して夫を捨てて彼との性戯に溺れてしまうというのは、しかもここでも彼女は観てる者が憤りを感じるほどの暴力を受けるのにも拘らず彼と離れられなくなってしまうのである。
こういう事態や感情があるということを認めてしまうことだけでも恐ろしいことのように思える。
人間としての尊厳を全く無視したマックスの行為。裸にしたユダヤ人たち特に美しいルチアの全裸をフィルムカメラで撮り続け、銃を向けて裸で逃げ回るルチアを眺める。彼女にナチス将校の衣装を着けさせ、ただし上半身は裸で細い体にサスペンダー、そして帽子というこの映画の紹介の時必ず映されるあのスタイルで歌い踊るルチアにご褒美だと言わんばかりに差し出される箱の中には彼女が嫌っていた男の首が入っていた。
マックスはこれが二人の聖書物語だと言う。もしそれがそのままならあの男はルチアが愛していたことになるのかもしれないが。

マックスは本当に彼女しか愛した女性はいないのかもしれない。ルチアもまたこの異常な愛を受け入れている間に精神が歪んでしまったのかもしれない。
再会してからの二人も愛している、と言いながらの行為は明らかに異常なもので殴打する、素足でいるところへわざとガラスを割ってけがをさせる、鎖でつなぐ、そして極限までの餓えの中で抱き合う姿は狂気としか思えない。
もうどこへも行くこともできない彼らは渡ろうとした橋の上で撃ち殺されてしまう。
二人はそれでよかったんじゃないだろうか。彼らの愛は収容所での数年と再会した数日あまりの中で充分だったのではないか。だからこそマックスは彼女を伴って外へ出たはずだ。死が二人の愛を終わらせてくれると思って。
こんな恐ろしい愛はないだろう。という言い方は決してこの作品を否定しているわけではない。舞台や設定が違えど似た愛情もしくは情欲というものは存在するわけで。ただ多くの人々が最も忌むべき形の虐待・暴力を与えた者・受けた者の間にこういう愛が存在するのだというのは認めたくないものだろうと思ってしまう。
つまり今でも絶え間なく続く苛め、という問題の中で同じように性的嗜好を確立している少年少女もいるはずで。だからこそ苛めはいけない、という言い方はおそらくされていないだろうが。
よく言われる退廃美とかの賛美とはずいぶんかけ離れた言い方になってしまった。
SMというのは他者からは滑稽なものに見えてしまうことが多いがそういうおかしさを出さずに酔いしれさせてくれるのはやはり凄い作品なのだ(どうしても毒を含んでしまうなあ)

この作品は結局シャーロット・ランプリングをいかにマゾヒズムに貶めてしまうか、ということだけで最高に成功しているわけで、それでもういいのだ。
何度観ても裸にサスペンダーの踊りの場面の美しさにはぞっとする。女性的な美しさを捨ててしまったかのように痩せた小さな乳房の裸がこんなにエロチックであるとは。
短く刈られてしまった髪も射るように冷たい眼差しもただもう見惚れるばかりだ。
餓えて瓶からジャムを貪り舐める場面も酷くいやらしい。
少女時代も大人になった時もまったく変わっていない、という描き方に何の違和感もない人なのである。

監督:リリアナ・カヴァーニ 出演:ダーク・ボガード シャーロット・ランプリング フィリップ・ルロワ
1973年イタリア 
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2009年09月11日

『盲獣VS一寸法師』石井輝男の記事の件?

ほぼ昔の映画DVDを鑑賞しながらのほほんと感想記事を書いてるようなブログゆえ、毎日のアクセス数にさほどの変化はないのだが、ここ数日いきなり 『盲獣VS一寸法師』石井輝男 へのアクセス集中が続いててびっくりしてる。
突然昔の記事にアクセスが集中するのは関係者が亡くなられたとか(山田辰夫さんの『狂い咲きサンダーロード』)、先日の陸上競技会で問題になった時『セックスチェック 第二の性』が引っかかったとか、あるのだが、今回はなんだろう?
増加数が今までにないほどなのだ。
かなりマイナーな作品なのでこういう記事を書いてる人も少なかったんだろうけど。(しかも書いてることがほんとしょうもないんだけど、いつものことながら)
私のとこで今までわっとなったのは映画では先に海外版を観て後で日本公開になった『イニシャルD』
後、別部屋ブログでサーシャ・コーエンが好きだと書いた短い記事がオリンピックの時に爆発しました。私としては最高数。あの時も驚いたんだよねー。

どうでもいいこと(だと思うけど)なんだけどこういう突然の集中って凄いなあ。
ラベル:アクセス
posted by フェイユイ at 14:38| Comment(2) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月10日

『ひかりのまち』マイケル・ウィンターボトム

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Wonderland

いつもDVDで映画を観ていてアクションだろうが大自然が舞台だろうがさほど映画館で観ねばとまでは思わないのだが、この映画は映画館で観てみたいと思ってしまったなあ。

きっと暗い部屋の中に座って画面も暗くて一つの世界のようでたくさんの光が街の灯や花火の光などに包まれてしまうようなそんな気持ちになれるんじゃないだろうか。

誰一人としてぱっとすることのない一家族の周辺での出来事が映し出されていく。誰もが経験するようなことばかり、イライラしたり悲しくて涙がこみ上げてきたりむかむかしたり怒りが抑えきれないほどかっとなったり、そんな情景である。
夫婦は皆(ダレンはまだ夫婦ではない、んだろう)すれ違いばかり。
老夫婦はだれ切ってしまってる。特に老父は動いてるだけの屍のようだ。その妻はそんな夫に嫌気がさし愚痴ばかり。さらに愚痴を聞いた夫は妻がいつも誰でも嫌っていると罵る。それを聞いた妻の顔は「何故そんなことが言えるの。誰が私をそういう風にしてしまったの」とでも言ってるかのようだ。
とんでもない駄目夫と離婚している長女は可愛い息子がいてどうやら週末に彼の父親が迎えにくるのだが何もかも気に入らない。そこで頑張ればいいようなものだが、駄目男はしっかり駄目男で息子と過ごすはずの週末の夜に飲みにでかけてしまう。金もなく息子を喜ばせる方法もない。息子が応援しているサッカーの試合に連れていくだけ。
次女は臨月のおなかを抱えているのに、その夫は妻に黙って仕事を辞めそれが言い出せずに悶々としている。妻が初産で苦しんでいる時にバイクで事故って同じ病院で治療中という最低に情けない状態になってしまう。
三女は独身でとにかく恋人募集中。次々と出会い系サイトみたいなのできっかけを作ろうとするがうまくいかない。
どの話もしょぼくて寂しいものばかりなんだけど、最後にドーンと花火があがるわけでもないんだけど、なんだか少しずついいこともあるような気もして人生なんてこんなもんだけどこのくらいの人生なら小さな幸せも感じられるかもしれない、というような。
赤ちゃんが生まれるのはこれはもう最高に幸せなことだろう。小さな可愛いアリス。ワンダーランドに飛び出してきたアリス。これから彼女はこの不思議の世界で様々な体験をしていくんだ。
(ここで邦題は詰まってしまわないか。原題は『Wonderland』だからこそ“アリス”という名前からこの感想が出てくるんだけど『ひかりのまち』ではアリスに結びつかないし。光が印象的だから気持ちは判るが。しかもひらがなだけっていうのも)

ボケてしまったような父親は(多分愛していたんだろうな)息子のダレンから留守録が入ってて少し元気が出たようだ。娘も訪ねてきてくれたのでますます。
三女は黒人青年とちょっといい仲に。引きこもりだった彼も少し外出する気になったかな。

世界は本当にワンダーランドで一体何が起きるかわからない。変てこで奇妙な人間たちで溢れている。
人生は辛いことや悲しいことばかり。愛し合うはずの家族がよけいに冷たかったり邪魔だったり、でもそんな中に幸せもきっとある。
そんな希望を感じさせてくれる映画だった。

監督:マイケル・ウィンターボトム 出演:ジーナ・マッキー シャーリー・ヘンダーソン モリー・パーカー イアン・ハート ジョン・シム スチュアート・タウンゼント シャーリー・ヘンダーソン
1999年 / イギリス
ラベル:家族
posted by フェイユイ at 22:54| Comment(2) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『フロスト×ニクソン』ロン・ハワード

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FROST/NIXON

一体どんな映画なんだろうとわくわくしながら観始めた。ニクソンはつい先日オリバー・ストーン監督作品を観ていたのでかなり役にたった。知っている人ならなんてこたないが私はそれまでニクソンのことなど「ウォーターゲート事件に関係した大統領」くらいの知識しかなかったもんで。とにかく悪名高き強面の大統領であるというイメージ。
キッシンジャーとお祈りしたエピソードなどはあの映画で登場するのでふむふむという感じ。未見の方なら是非これでの予習をお勧めする。
片やフロスト。こちらは全く聞いたこともないお方。その二人の対決とは何ぞや。興味津津。

観始めてすぐますますとんでもないことになったと感じる。
フロストというTV番組司会者が辞任したニクソン元大統領との対談番組を思いつく、というのは判るが、そのフロスト氏、政治関係に強いニュースキャスターだのアンカーだのという肩書ではなく、他愛のない軽い娯楽番組の司会者でしかもイギリス人でありしかも当時オーストラリアでニクソンの退陣を知る、という全く思い違いも甚だしいというべき人物でTV視聴率だけを見込んで60万ドルという破格の出演料をニクソンに提示する。プラス200万ドルの経費を彼は自費と借金で賄うのである。
悪役の印象を拭い去り再び政界に戻りたいと望むニクソン陣営はこの間抜けな(失礼)お調子者の外国人を踏み台にしてやろうという意気込み。笑顔と人柄だけが売り物(且つプレイボーイらしい)のフロスト氏は完全に舐められているのである。
フロストの相棒であるプロデューサージョン・バードは彼の才能を認めながらも企画の大きさに戸惑いがち、計画が進むにつれ、撮影が進むにつれますますぶつかった相手のでかさと自分たちの卑小さに恐れをなしていく。
またフロスト陣営に加担した二人の参謀はニクソンに対し怒りを抱きながらも歯の立つ相手ではないと自覚し始める。
猫の首に鈴をつけに立ち向かったネズミたちが相手が猫ではなく虎だったと間際で知ったかのごとくだ。
大統領なんて出会ったこともないから判らんがニクソンに会う前に「あんな奴と握手なんかするか」と言っていたレストンが会ってしまうとつい握手してしまうようにやはりそういう人物というのは例え悪人だと言っても他人にはない威圧感、独特のオーラというものがあるものなのだろう。
ケヴィン・ベイコン演じるジャックのニクソンを見つめる目が心からの尊敬と憧れを持っている、という演じ方だったのがちょっとおやっと思ってしまったのだ。こういう悪人の政治家を描く時って味方からも反感を持たれているように表現することが多いと思うが本作ではニクソンの周りの人間たちは(すでに失脚しているにもかかわらず)彼を慕っているように描かれている。フランク・ランジェラ演じるニクソン自身もむしろ好感が持てるような風格で単なる観客としてはにやけ笑いのフロスト氏より確かに頭脳も器も優れているように見えてしまうではないか。
ジャックの献身的な態度がより彼の威厳を増すようで固い絆で結ばれたニクソン側とまるきり頼りなくケンカばかりのフロスト側との対決は日を見るより明らかというところ。本当にフロストの逆転はあるのか、と信じられなくなってくる。
そしてこの結末は。
もしかしたらこの最後ってそれまでの緊迫感の答えにしてはあっけない幕切れだと感じられてしまいそうな気もする。確かにフロストが追い込まれ崖っぷちに立たされたところで折れてしまわず作戦を練り直していった根性は褒める値打ちのあるものだが結局ニクソンの負けはニクソン自身が生み出してしまった結果と側近ジャックに語るように「告白しないままでいることは辛い」ことだったのかもしれない。一見頑健に見えたニクソンが最後に疲れ切った表情になってしまうのはフロストの攻撃というよりニクソン自身が自分を崩壊してしまったように見えてしまう。とはいえ誰もやれなかったことに挑戦したフロストはそのこと自体が凄いことだったわけで、作品中語られるように製作された番組のほとんどは顧みられなくても最後のニクソンの表情を捕まえたことこそが彼の功績となるのだろう。
それにしてもこの作品の面白さは大統領だった男にインタビューそれも彼の悪行を暴くというインタビューをすることがどんな恐ろしいことか、というのを想像できるか否かで全く価値が違ってくるだろう。しかもニクソンという何100万という人間を死に導いたそれこそブギーマンのボスみたいな男で彼の背後には怨霊がどれだけ取り付いているやらという存在の人間に対して娯楽番組の司会者であるフロストが立ち向かうことがどんなに無謀なことか。何故彼がニクソンに勝ち得たのかこれを観てもよく判らないが、最後の最後まであきらめてはいけないという真面目な作品でもあった。ブザービーターの面白さというのだろうか。

しかし私は確かに彼らの人生を賭けた戦いにも惹きこまれたが、何といってもぞわっとしたのはケヴィン・ベイコン演じるジャックのニクソンへの熱い視線なのだったりする。彼のニクソンへの献身的な愛。ニクソンの危機を感じた彼があっという間に会談を休止させてしまう。彼の行動が打算的なものではなくニクソンへの心からの思慕だという描き方になんだか打たれてしまうのである。
(ジョン・バードのフロストへの信頼にもちょっと打たれたが)

オリバー・ストーンの『ニクソン』でのアンソニー・ホプキンスはもっと醜悪な姿を演じていたが本作のニクソンはやや好意的に描かれているような気がする。それはやはり時間が経ったということもあるのだろうか。

監督:ロン・ハワード 出演:マイケル・シーン フランク・ランジェラ ケビン・ベーコン トビー・ジョーンズ オリバー・プラット サム・ロックウェル
2008年アメリカ
ラベル:政治 歴史
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2009年09月08日

『イン・ディス・ワールド』マイケル・ウィンターボトム

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IN THIS WORLD

ドキュメンタリーを思わせるような映像なので本当にこの少年の亡命の旅を観ているような緊迫感を感じさせる。

パキスタンの難民キャンプで生まれ育った少年ジャマールは従兄がロンドンに亡命するという話を聞き言葉の通じない彼の安否を気遣う。
従兄よりはるかに年若のジャマール(13歳くらいだろうか)だが彼ほど心強い相棒もいないだろう。英語も話せるし、大人との会話にまったく物おじすることがない。人を見る目があって取引したほうがいいと思えば従兄のウォークマンを贈り物だと言って差し出す。そのことで文句を言いだす大人の従兄のほうはてんで状況を飲み込めていない。緊張している従兄の気持ちをほぐそうとして冗談を思いついては笑わせる。
だが、こんなしたたかな精神の持ち主でも時には無口になってみたり人を信じていいか動揺してしまう、こんな過酷なロードムービーはないだろう。

恐ろしい亡命のニュースを聞くことはある。密閉されたコンテナに詰め込まれた亡命者たちが死んでいた、荒れ狂う海を小さな船でさまよい続ける、密入国を取り締まる兵士たちから発砲される中を逃げ惑う、平和な国(少なくとも平和な国だろう)に生まれ住むことができる人間には想像するだけでぞっとするしかない状況だ。
実際に難民キャンプにいたという少年がパキスタンからロンドンまでの道のりを行くジャマールを演じている。が、演じているとは思えないほどの生々しさがある。
亡命の仲介人からの指示に従って陸路を旅するジャマールと従兄。先々に紹介者がいるとは言え、素性も知れない人間を頼っての旅は常に恐ろしい緊張感が強いられる。そして雪深い山を軽装で越え、見知らぬ家族と共に突然コンテナに閉じ込められて海を渡る。
数十時間の密閉状態で従兄は命を落とす。道連れとなった家族は赤ん坊だけが生き延び父母は死んでしまったようだ。あの赤ん坊はどうなってしまうのだろう。
一人ぼっちになってしまったジャマールだがようやく辿り着いたヨーロッパ・イタリアからなんとか小銭を稼ぎながら時にはかっぱらいをしてさらにフランスそしてイギリスへと向かうのだ。

フィクションであるとはいえ、この作品は監督たちが実際に足を運んで亡命の旅を体験して、そこから生み出した物語だという。
だからこそこんな現実味があるのだろうが、なんという危険な映画製作だろうか。
これを観てスリルを楽しんでしまった批評家としては賛辞を送らないわけにはいかないだろう。ベルリン金熊賞は当然かもしれない。

親の保護下にいるべきの幼い少年が自分の知恵と勇気で生き延びていくこの物語は作り物ではないような面白さでもある。
とはいえ、難民キャンプで毎日を過ごすことだけの人々、子供たちを見ると、当たり前のことしか言えないが何故こんな状況にこの人たちを追いやってしまう戦争や政治があるのかとげっそりしてしまう。
莫大な金額の兵器が使用され、衣食住に配給される金額はごくわずかでしかない。この馬鹿馬鹿しい問題は消えてなくなることはないのだろうか。
ジャマールの頭の良さとたくましさに感動しても願わくばその才能は平常時での勉学やスポーツに使われて欲しい。
至極平均的なことしか言えないが、それが当たり前だと思う。

監督:マイケル・ウィンターボトム 出演:ジャマール・ウディン・トラビ エナヤトゥーラ・ジュマディン
2002年イギリス

それにしても彼らの旅路の風景はイギリス人である製作者たちにとってたまらなく異国的情緒あふれるものだろうが、それは私にとっても同じだ。
家と大地が全く同じ色合いの風景、どこまでも続く見果てぬ荒涼とした大地、パキスタンやイランやトルコのエキゾチックな街並みなど思わず見入ってしまう。
posted by フェイユイ at 22:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月07日

『ボクと空と麦畑』リン・ラムジー

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Ratcatcher

子供の時ってなんだか悲しいこと失敗したこと怖かったことの繰り返しばかりみたいでそりゃあ楽しかったこともあるんだけどそういった影の部分のほうがより鮮明に記憶に残っている。
幸せなことにはここまでゴミがたまったことはないし、ネズミくんの姿は見ずにすんだが自分も狭い団地に住んでいて周りには同い年の子供たちがたくさんいて、すぐそばに川が(っていっていいのかちょうどこの映画くらいのやつ)あった子供時代だったのでこういう映画を観るとその頃に戻ってしまう。現在はぼおおとして昨日のこともよく覚えていないのだが、何故か年を取ると遠い昔のことのほうがはっきり覚えている気がするのは、多分繰り返し昔のことを思い出しているからなのだろうか。
自分もまたこの主人公の少年のように内省的でやせっぽちだったので余計に自分のことみたいに思えてしまうのだろうか。

この作品の主人公ジェイムズは男の子がよくやってしまいそうなちょっとしたことから友達を水死させてしまう。彼自身はそのことに気づいているが誰かにそれを言うことはできない。彼はその後も何度も繰り返しへまをやってしまう。彼がわざと引き起こそうとしているのではないのだが、どうしても何か事故だったりまずい失敗をやってしまう。
こういう失敗の記憶って何故消えてしまわないんだろう。いや勿論すっかり忘れているものの方が多いはずなのだが、特にまずい失敗は強く記憶に残ってしまうのだ。ぼんやりして夕食のおかずを焦がしたとか花瓶を割ってしまったとか塀の上をぼんやり(こればっか)歩いてて落っこちてしまったとかいい気になって自転車をこいでたらよそのおばさんにぶつかってしまったとかそんなものなのだが。
それにしても本当に自分はジェイムズがやってしまったような恐ろしい人身事故を引き起こさずに生きてきたんだろうか。まさか気づいていないだけではないのだろうか、と時々思うことがある。自分はそんな無茶な遊びはしてなかったんだから大丈夫だろうと自分に言い聞かすのだが。
自分の子供時代にも団地だったために3階から子供が落ちてしまう事故があった。自分の周りには危険がたくさんあるのだと思い知った。

また近所にケニーみたいな男の子もいて時々遊んだりした。

子供時代というのは一つの閉じられた空間のような気がする。
私はいつもそこではやせっぽちの無口な少女でいつまでもぼんやりと空想にふけったり虫をいじって遊んだりしている。世界は団地と小学校を含むごく小さな限られた範囲内で自分は大人になることもなく駄菓子を食べたり本を読んだり探検ごっこをして遊んだりするだけでいい。少しだけジェイムズより幸せだったかもしれない。
我が家も新しい家に移り住むことを願っていた。多分団地に住む者は皆同じなんだろう。
私の子供時代もまた新しい家に移り住むまでだった。

ジェイムズが酷く辛い気持でバスに乗り雨粒が降りしきる窓ガラスに顔をつける場面がせつない。
ゴミだらけのネズミが溢れる場所から離れ新しい家に住むのが自分願いなのに。再び訪れたその家は閉じられ彼を受け入れてはくれない。
またネズミの住むアパートへと戻った彼は川の中に入る。そこでジェイムズは家族と共に麦畑の中に建つ新しい家へと引っ越し、初めてにっこりと笑うのだ。

窓から麦畑が見えるのもジェイムズの幻想なのだろう。重く悲しい映画なのだが私には懐かしい時間を思い出させる作品だった。
冒頭のライアンがカーテンをぐるぐる自分に巻きつけるのもやったよね。

監督:リン・ラムジー 出演:トミー・フラナガン マンディー・マシューズ ウイリアム・イーディー リーアン・マレン ジョン・ミラー リン・ラムジー・ジュニア
1999年イギリス

ラベル:子供時代
posted by フェイユイ at 22:56| Comment(4) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月06日

『ハメット』ヴィム・ヴェンダース

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Hammett

自分でもどちらかというと男っぽい物語が好きなのではないかと思っている為、かつて『ハードボイルド』なるものを好きになるべき、であったらかっこいいのではないかと考え何度も挑戦してみたことがある。
が、どうしてもハードボイルドの世界、というのに心から入り込むことはできずとうとう諦めてしまった。
今こうして観てみてもこの世界が大好きにはなれないのだが、それは当然だろう。この世界はあくまでも男が男の為に作った世界なのであって女が共感するのを望んではいないはずだ。とは言え、女性でこの世界が大好きなのだという人がいたとしてもそれはそれでいい。彼女たちが見ている場所は私とは違うのだろう。
思うにこの世界の主人公がそのままで女性だったらきっと好きになるに違いないし、それを観た男性はどこか男が疎外されているような気持ちになってしまうのではないか。
今ではそういう女性版ハードボイルド的な作品も作られているのではないかと思うしハードボイルドとは違うが先日観た『テルマ&ルイーズ』はまさに男性がすなることを女性もやってみるなり、な世界であり、やはり女性として共感しすかっとしてしまうのだから、主人公が男性なのか、女性なのか、だけのことなのかもしれない。
そういえば面白いのはダシール・ハメットはあのリリアン・ヘルマンと恋人関係だったわけで、彼女のことを描いた『ジュリア』は女版ハードボイルドとは言えないだろうか。

さて本作はどうやらハードボイルドを愛読し同じく映画も愛している諸君にはたまらない作品なのではないだろうか。
ハードボイルドの代表的作家の一人ダシール・ハメットを主人公にしてまさに彼の作品そのままの世界を彼に演じさせているような物語なのだろうと推察する。
ハメットを演じるフレデリック・フォレストもハメットを彷彿とさせるような名演技なのだろう。彼を知らなくても充分渋さを感じられる。荒っぽい言動でどこかこの人生に疲れたような大人の雰囲気はこの世界になくてはならないものなのだ。
ハードボイルドが好きではなくともそういう美学に酔い痴れるが為の物語、謎めいたチャイナタウン、胡散臭い秘密組織、愛している女性、酒を流し込み煙草を離せない男っぽい男が描かれる。

私にしてみればこの世界より、これも先日観たクローネンバーグの『裸のランチ』のほうが断然好きなのであるがああいう奇妙な世界が好きな人間とハードボイルド人間は相容れないものなのだろうか。中には両方好きな人もいるかもしれない。

監督:ヴィム・ヴェンダース 出演:フレデリック・フォレスト ピーター・ボイル マリル・ヘナー ジャック・ナンス シルヴィア・シドニー ロイ・キニア
1982年アメリカ

posted by フェイユイ at 22:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月05日

『ドクトル・ジバゴ』デビッド・リーン

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Doctor Zhivago

再観とは言え、昔観た時は殆ど意味が判っていなかっただろう。何しろ全くストーリーも覚えおらずところどころの印象的な場面のみが記憶に残っているだけだったのだから。
今こうして観てなんて美しく面白いドラマだったのかとやっと涙をこぼすことができた。

大河ドラマの醍醐味とはこういうものなんだろう。大きく動く歴史の中で様々な人間たちは愛し合い憎しみ合いながら戦い続けるが小さなその存在は時のうねりの中に飲み込まれていく。
そしてまた何と言っても主人公ユーリ・ジバゴを演じるオマー・シャリフの素晴らしさはもとよりそれぞれのキャラクターがとても個性的で魅力ある。
オマー・シャリフは昔観た時、何故『アラビアのロレンス』でアラブ人なのにこれでロシア人がやれるのか彼は一体何者?となんとも子供っぽい疑問に包まれたが今観ても黒髪に大きな茶色の瞳、背が高くがっしりした体格で見惚れるほど彫りの際立った顔立ちはロシア人だと言われればそうなのかと思ってしまうから不思議だ。実際はエジプト人でおられるようだ。熱情のこもったまなざしで知性的、ラーラを愛してしまいながらも幼馴染で従姉妹でもある妻トーニャのことも愛しんでいる。他の男だったら絶対許せないのだが、純粋で一途で真面目なユーリを見ていると彼の愛は間違っていない、と思わせられてしまうのだ。これはもうオマーのあのまっすぐな眼差しに騙されているに違いない。さらっとした前髪にも。
彼を愛し愛される二人の女性もまたどちらもいい人なのだ。とはいえ、これはこの激動の時代だからこそ三者とも激しく熱い愛を持って相手のことも納得できるが平和時であれば逆に成り立たないものではないだろうかねえ。ユーリがあの状況を越えてきたことを憐れむからこその許容であると思うが。
ユーリだけでなくコマロフスキー、パーシャ=ストレルニコフ、ユーリの兄からも愛されることになる美しいラーラを演じたのがジュリー・クリスティ。金髪と青い目がとても清純でありながらコマロフスキーが母と関係のある男と知りながら彼の手に落ちてしまう。この悪党もラーラを侮蔑する言葉を言いながら彼女を助けようとするのはやはり彼女の美しさを認めていたからなのだろうが。
彼女とは対照的にユーリだけを愛し家庭的な女性として描かれるのがトーニャ。演じるのはジェラルディン・チャップリン。ホントはもっと複雑な心境だったと思うのだが。ユーリの優しさと美貌は捨てがたいよねー。
ラーラの友人として登場し彼女の夫となるパーシャ。ロシア革命の為にその情熱を捧げる。丸眼鏡に顔の深い傷。そしてその表情もいかにも革命の闘士といった面持ちである。トム・コートネイが演じている。ちょっとかっこいいんだよね。
そして悪党、ヴィクター・コマロフスキー。ユーリが受け継ぐはずの父の財産を横取りしたり、ラーラの母とラーラを同時に騙して肉体関係を弄び、口汚く罵って捨てる。かと思えばそんなラーラを心配して遥かなる大地を渡って助けにきたり、かと思えばラーラとユーリの娘カーチャを騒乱の中で手放して行方知れずにしてしまったり(わざとなのかよく判らない)というとんでもない薄汚い輩なのだが、そのくせあちこちに人脈を持つ。つまりこの物語をあらゆる場面でかき回しているのがこの男なのだ。演じているのがロッド・スタイガー。彼なしでこのドラマの面白さはあり得ない。
謎の人物エフグラフ。ユーリの兄でありボルシェビキの幹部でもある。物語はまず彼の登場から始まる。彼は亡くなった弟とラーラの遺児を探しているのだ。極東の地ではぐれてしまった娘トーニャに伯父として出会いたいと望んでいるのだった。
彼はこの冒頭と最後の場面のみ言葉を話す。途中何度か弟ユーリと出会うシーンがあるのだが、全く会話をしない、という演出になっている。
この演出はむしろ不自然にすら感じるのだが、同時にその為非常に印象的な人物として意識させられる。愛にあふれた豊かな感情の持ち主ユーリと対照的に兄エフグラフを冷徹なボルシェビキとして印象付けるために血の通う会話を一切させなかったのだろう。(とはいえ、彼は弟に同情し助けの手をのべているのだから冷酷には見えない)時間が経過し弟の娘が行方知れずになっているのを探し保護したいと思う彼はもう人間的に会話をするのである。

裕福なのユーリとトーニャの家庭。ユーリは医師であり有名な詩人でもある。ラーラの母娘はまずまずの家庭だが裕福なコマロフスキーの支援を望んでいる。パーシャは貧しい出で苦学生である。
そんな彼らがロシア革命という時代の中で生き方も存在も何もかもが変わっていく。豊かだったユーリたちは大きな屋敷も家具も平等に分けていくという共産主義にすべてを奪われていく。
医療で知り合ったユーリとラーラは互いに惹かれあう。ラーラと別れたユーリは家族と安全を求めての遠い地への旅、そしてユーリは馬賊に捕えられ家族と離れ離れになる。
凍りつく大地を歩き続けるユーリ。ラーラとの再会。そしてまた別れが。
裕福な育ちのユーリは決してロシア革命を望んでいるわけではなくただ医療と詩作に熱心で妻思いの家庭人なのだ。そんな彼がラーラとの許されないはずの愛に落ちたのも時代のせいだったのだろうか。
そしてまた時が過ぎ成長した彼らの娘がユーリの兄によって見出される。父母の記憶を何も持っていない彼女は突然のエフグラフの申し出に戸惑う。これという確かな証拠は何もないのだ。
だが最後にエフグラフはトーニャがバラライカを背負うのを見る。エフグラフたちの母はバラライカの達人であったのだ。「血筋は争えない」と彼はつぶやくのだった。

作品中繰り返し流れるバラライカが奏でる『ラーラのテーマ』そして親子のつながりを感じさせるバラライカが時代の証人であるかのように絶えず画面に登場するのだ。

監督:デビッド・リーン 出演:オマー・シャリフ ジュリー・クリスティ トム・コートネイ アレック・ギネス ジェラルディン・チャップリン リタ・トゥシンハム ロッド・スタイガー エイドリアン・コリ イングリット・ピット シオバン・マッケンナ
1965年 / アメリカ/イタリア
posted by フェイユイ at 23:09| Comment(2) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

映画ランキングのいろいろ

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先日見たニュースでこういうのがあった。

「イギリス映画トップ25」を、英ガーディアン紙が発表!

1984年以降にリリースされた最近25年間公開の映画、ということで私が映画をまったく観れなかった時期とほぼ重なっているので(前と後の若干年だけが観てた)知らないのが当然なのだが本当に知らない作品ばかり。と言ってもこの数年色々観れるものは観てきたが、あれ、結構いい作品が外れているような。

1.「トレインスポッティング」(D・ボイル、96)
2.「ウイズネイルと僕」(B・ロビンソン、87)
3.「秘密と嘘」(M・リー、96)
4.「遠い声、静かな暮し」(T・デイビス、88)
5.「マイ・ビューティフル・ランドレット」(S・フリアーズ、85)
6.「ニル・バイ・マウス」(G・オールドマン、97)
7.「セクシー・ビースト」(J・グレイザー、00)
8.「ボクと空と麦畑」(L・ラムジー、99)
9.「スラムドッグ$ミリオネア」(D・ボイル、08)
10.「フォー・ウェディング」(M・ニューウェル、94)
11.「運命を分けたザイル」(K・マクドナルド、03)
12.「戦場の小さな天使たち」(J・ブアマン、87)
13.「コントロール」(A・コービン、07)
14.「ネイキッド」(M・リー、93)
15.「アンダー・ザ・スキン」(C・アドラー、97)
16.「Hunger」(S・マックィーン、08)
17.「THIS IS ENGLAND」(S・メドウス、06)
18.「ショーン・オブ・ザ・デッド」(E・ライト、04)
19.「Dead Man's Shoes」(S・メドウス、04)
20.「Red Road」(A・アーノルド、04)
21.「リフ・ラフ」(K・ローチ、91)
22.「マン・オン・ワイヤー」(J・マーシュ、08)
23.「マイ・サマー・オブ・ラブ」(P・パブリコフスキー、04)
24.「24アワー・パーティ・ピープル」(M・ウィンターボトム、02)
25.「イングリッシュ・ペイシェント」(A・ミンゲラ、96)

第1位は私はそうでもなかったんだけど確かに評価されるのは判る。2位のタイトルは聞いたことがあって私も観たかったんだけどまだ観れてない。
後、観たのは5.「マイ・ビューティフル・ランドレット」(S・フリアーズ、85)25.「イングリッシュ・ペイシェント」(A・ミンゲラ、96)だけである。とほほ。3つしか観たことない。
え、だってそれじゃ、ケン・ローチ『麦の穂をゆらす風』とか大好きな『スイート・シックスティーン』だとか、ポール・グリーングラス『ブラディ・サンデー』ニール・ジョーダン『プルートで朝食を』テリー・ギリアム『未来世紀ブラジル』なんかは駄目なんだ。『フルモンティ』『キンキー・ブーツ』ベンの『情愛と友情』もダメ?『スナッチ』『007』シリーズ『クイーン』?
ガーディアン紙というのの色もあるんだろうけどなんだか不思議な選択でもある。他にもなんかなかったか?

英エンパイア誌が「落ち込む映画」ランキングを発表というのもあった。
1.「レクイエム・フォー・ドリーム」(00)
2.「ひとりぼっちの青春」(69)
3.「リービング・ラスベガス」(95)
4.「道」(54)
5.「21グラム」(03)
6.「火垂るの墓」(88)
7.「ダンサー・イン・ザ・ダーク」(00)
8.「冬の光」(62)
9.「リリア 4-ever」(02)
10.「ミリオンダラー・ベイビー」(04)

1位のはミッキー・ロークの『レスラー』なのね。こちらも6.「火垂るの墓」(88)7.「ダンサー・イン・ザ・ダーク」(00)10.「ミリオンダラー・ベイビー」(04)の3つしか観てない。
これは確かに、って気はするがでも落ち込む映画って結局自分にとってむかつく映画が落ち込むのでよくできていればそう落ち込まない気もするが。何この馬鹿馬鹿しい考え方、とかいうのが一番落ち込む。

 米エンターテインメント・ウィークリー誌が、史上最高(最悪)の悪役キャラクター20人を発表した
これは楽しい。「本当に最悪なのは・・」とかあまり深読みするんじゃなく。

1.西の邪悪な魔女(マーガレット・ハミルトン)/「オズの魔法使い」
2.ダース・ベイダー/「スター・ウォーズ」
3.ハンニバル・レクター(アンソニー・ホプキンス)/「羊たちの沈黙」
4.ジョーカー(ヒース・レジャー)/「ダークナイト」
5.アレックス・デラージ(マルコム・マクダウェル)/「時計じかけのオレンジ」
6.バーンズ社長/「ザ・シンプソンズ」
7.キャサリン・トラメル(シャロン・ストーン)/「氷の微笑」
8.ヴォルデモート(レイフ・ファインズ)/「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」
9.ドラキュラ(ベラ・ルゴシ)/「魔人ドラキュラ」
10.ラチェッド婦長(ルイーズ・フレッチャー)/「カッコーの巣の上で」
11.J・R・ユーイング(ラリー・ハグマン)/「ダラス」
12.ノーマン・ベイツ(アンソニー・パーキンス)/「サイコ」
13.フランク・ブース(デニス・ホッパー)/「ブルーベルベット」
14.アニー・ウィルクス(キャシー・ベイツ)/「ミザリー」
15.女王/「白雪姫」
16.ハンス・グルーバー(アラン・リックマン)/「ダイ・ハード」
17.マイケル・マイヤーズ/「ハロウィン」
18.ゴードン・ゲッコー(マイケル・ダグラス)/「ウォール街」
19.アレックス・フォレスト(グレン・クローズ)/「危険な情事」
20.ジャック・トランス(ジャック・ニコルソン)/「シャイニング」

うーむ。これはほとんど判るというのは。やはり私もアメリカのほうが理解しやすいのね。
1.西の邪悪な魔女っていうのはいいね。私は小説でしか知らないが、確かに。
2.ダース・ベイダー/「スター・ウォーズ」
3.ハンニバル・レクター(アンソニー・ホプキンス)/「羊たちの沈黙」
4.ジョーカー(ヒース・レジャー)/「ダークナイト」
5.アレックス・デラージ(マルコム・マクダウェル)/「時計じかけのオレンジ」
文句なし。ははは。レクター博士は絶対です。マルコム入ってます(笑)

6.バーンズ社長/「ザ・シンプソンズ」ッ(笑)受ける〜。
10.ラチェッド婦長(ルイーズ・フレッチャー)/「カッコーの巣の上で」おお!根強い人気。怖いもんねー。
11.J・R・ユーイング(ラリー・ハグマン)/「ダラス」
「JRは悪い奴だ!」(笑)
12.ノーマン・ベイツ(アンソニー・パーキンス)/「サイコ」
悪い奴っていうかかわいそうな奴なんだけど。

13.フランク・ブース(デニス・ホッパー)/「ブルーベルベット」
デニスいいね。やっぱり入れてほしい。
14.アニー・ウィルクス(キャシー・ベイツ)/「ミザリー」
怖ーい。怖い怖い。
15.女王/「白雪姫」
日本で言うなら「舌切雀」のおばあさんとか。
20.ジャック・トランス(ジャック・ニコルソン)/「シャイニング」ジャックも入ってます。あの笑顔が怖い。

英エンパイア誌が「史上最高の映画キャラクター100人」を発表。第1位は?
ちょっと前のだけど。もう何が何だかよくわかんない。この時のブラピはかっこよかったっす。
以下、あれ悪い奴とかぶってないか。みんな悪い奴になりたいんだねー。
1位 タイラー・ダーデン:ブラッド・ピット/「ファイト・クラブ」
2位 ダース・ベイダー:デビッド・プラウズ、ジェームズ・アール・ジョーンズ(声)/「スター・ウォーズ」シリーズ
3位 ジョーカー:ヒース・レジャー/「ダークナイト」
4位 ハン・ソロ:ハリソン・フォード/「スター・ウォーズ」シリーズ
5位 ハンニバル・レクター:アンソニー・ホプキンス/「ハンニバル」シリーズ
6位 インディアナ・ジョーンズ:ハリソン・フォード/「レイダース/失われた聖櫃《アーク》」
7位 ザ・デュード:ジェフ・ブリッジス/「ビッグ・リボウスキ」
8位 ジャック・スパロウ:ジョニー・デップ/「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズ
9位 エレン・リプリー:シガニー・ウィーバー/「エイリアン」シリーズ
10位 ドン・ビトー・コルレオーネ:マーロン・ブランド/「ゴッドファーザー」
11位 ジェームズ・ボンド:ショーン・コネリー/「007/ゴールドフィンガー」
12位 ジョン・マクレーン:ブルース・ウィリス/「ダイ・ハード」シリーズ
13位 ゴラム:アンディ・サーキス/「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズ
14位 ターミネーター:アーノルド・シュワルツェネッガー/「ターミネーター」
15位 フェリス・ビューラー:マシュー・ブロデリック/「フェリスはある朝突然に」
16位 ネオ:キアヌ・リーブス/「マトリックス」
17位 ハンス・グルーバー:アラン・リックマン/「ダイ・ハード」
18位 トラビス・ビックル:ロバート・デ・ニーロ/「タクシードライバー」
19位 ジュールス・ウィンフィールド:サミュエル・L・ジャクソン/「パルプ・フィクション」
20位 フォレスト・ガンプ:トム・ハンクス/「フォレスト・ガンプ/一期一会」

まー、なんだかよく判んないけどこういうの見てぶつぶつ考えるのは楽しいものです。
ラベル:映画
posted by フェイユイ at 00:55| Comment(2) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月04日

『テルマ&ルイーズ』リドリー・スコット

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THELMA & LOUISE

こんな爽快な映画を今まで観たことがあっただろうか。女なら絶対もう興奮間違いなし!!と血沸き肉躍るのである。

男バージョンでこういうロードムービー、アウトローになった男二人が手を組んで逃亡する、という話は数々あっただろう。そういった物語を女性版として作り上げたという感じではある。いわばこの映画は女版『明日に向かって撃て!』なのだ。

そして二人の女はアメリカンマッチョを振りかざす亭主に抑えつけられた主婦とそういう事態になるのを恐れているのだろうか若干その予兆もある男を恋人に持つウェイトレス、といういかにもありげな設定である。
そんなアメリカのどこにでもいるだろう女二人がせめて2日羽を伸ばそうとドライブに出たことが発端であった。

特にやや興奮気味の主婦テルマは酒場で男に声を掛けられすっかりハイになってしまうが、その男はテルマとのセックスが目的で抵抗するテルマを殴りつけレイプしようとする。ルイーズが助けに入り事なきを得たが男の捨て台詞にかっとなったルイーズは男を撃ち殺してしまう。平凡な生活を送っていた普通の女二人の逃亡劇が始まる。

初めはまるきり頼りなくルイーズの足を引っ張り続けている甘ったれたテルマが逃走劇の間にみるみる本当のアウトローになっていくのが面白い。男同士だと大体兄貴役と弟分みたいなのが決まっているがめそめそしていた主婦テルマがどんどん変身していくさまが小気味よくまた怖くいほどだ。私を含め同じように毎日の生活に縛られ、大切とはいえ家族に縛られて動けない主婦たちはテルマの成長に熱くなってしまうに違いない!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
すんごく引き締まった体が見惚れてしまう美味しそうな若いブラッド・ピットが演じる「若い男」
純朴そうに見える可愛い若者にテルマが惹かれた時、厭〜な予感がしたのは誰でもだろう。しかもわかりやすく強盗だと告白しその手口まで教えてくれる。逃げる為に絶対必要な金を(しかもウェイトレスでこつこつ貯めた金なんだろうに)テルマののぼせ上がったうっかりで盗まれたルイーズの落胆は見るに忍びない。
だがここからテルマが変わっていくのである。
レイプされそうになった自分を助け、男の言葉にかっとなったルイーズが犯した殺人。テルマはそれが自分のせいなのかとルイーズを責めてしまうのだが、それもこの盗難も自分が甘かったせいだと目覚めたテルマは泣き崩れるルイーズを守るためにそれまで彼女が思いつきもしなかっただろう「強盗」をやってしまうのだ。あの若者から聞いた通りの方法で。
ルイーズが犯した殺人は情状酌量の余地がある、がテルマは自ら強盗を犯し、その後彼女らを逮捕しようとした警官に銃を突きつけ脅迫する。ここに一人の刑事が登場し、彼女たちに同情を寄せる。罪もない弱い立場の女二人がたまたま遭遇してしまったレイプ魔(みたいなもんだ)の為に犯罪を重ねていくことに心を痛めるのである。彼は一体何なんだろう。この作品の中で一人変な立場の人間である。思うに、製作者が男たちであるために出てくる男が全部悪人なのはどうも肩身が狭いと一人「話の判る」男を登場させたのではあるまいか。彼以外の男は本当にしょうもない奴ばっかしだ。だけどもそんな彼の存在はなんだかこの作品の中で異質に思えてしまうのだが。

それまで一方的に面倒を見る側見られる側と決まっていた二人がいつしか微妙なバランスで互いを助け合う形になっていく。
ルイーズを助ける恋人のほうはまだいいとしてもテルマの亭主の情けないこと。しかしあちこちでうちの亭主にそっくり、という声が聞こえてきそうだ。
腐りかけたような生活に嫌気がさし旅に出たもののとんでもない事件を起こしてしまっておどおどびくびくと逃げ始めた女二人が旅を続けるに従いそれまで自分が味わったことのなかった自由を感じ、エキサイトしていく。アメリカの広大な大地を車を駆って走り抜ける彼女たちがなんて羨ましいことか。こんなに興奮する逃亡があるのか。

しかしメキシコって遠いんだなあ。今まで観た映画では案外あっさりメキシコに辿りついてたのに、行けども行けどもまだ道がある。景色はもうメキシコみたいに見えるんだけどまだなのだね。アメリカの犯罪者がメキシコへと逃げる物語を今までどれほど観たか。メキシコ人にとっては迷惑な話だが。

下品なトラック野郎をとっちめる二人はもうすっかり本物の悪党だ。「お前ら地獄から来たのか」と叫ぶ男。まさしくそのとおり。

大勢の警察官から追い込まれた二人。「捕まりたくないでしょ。行って」テルマの言葉に車を走らせるルイーズ。その先は断崖絶壁。二人は飛んだ。
昨日観た映画のラストの死に不満を感じた自分がこの二人の死には自由への熱い思いを感じてしまう。不思議な感覚だった。

夫の傲慢さにびくびくしながら生きているテルマを演じたジーナ・デイビスの変身ぶりのかっこいいこと。物凄い長身なのも素敵だ。177センチって言ってるけど絶対180あると思う。逆さばだきっと。
めそめそしてルイーズにたよってる彼女も可愛かったが目覚めてしまった後のテルマはホント男前なのだわ〜。

突然通りすがりの若者ってな登場のブラピの細いこと。まだ無名だったのだねえ、この頃は。キュート。

この映画を観て思い出したのが桐野夏生『OUT』
発表されたのは『テルマ&ルイーズ』の随分後だからもしかしたら影響もあったということはないだろうか。
内容は全く違うが平凡な主婦(本作は片方独身だが)が暴力的な男を殺し家庭を捨て逃亡していく、という筋書きと女が自由を求めていく感覚が同じように感じられる。
せっかく絶賛した本作をやや批判してしまうことになるが、後年出ただけあって『OUT』には本作より以上の面白さがある。というか本作を改良していったような。
一つは本作の主婦テルマに子供を持たせなかったのはやはり子供がいたら観客の感想は正反対のものになっていただろうと思えるから。
『OUT』では子供のいる主婦、介護が必要な老人を抱える主婦が主人公になる。より不自由な生活を強いられているわけだが、そういう存在を抱えた女性が犯罪と逃亡を続ける映画であったら疑問を持たれてしまうだろう。『OUT』では設定をあえてそういう責任を担った主婦があえて犯す犯罪という形にしている。また殺すのは通りすがりの見知らぬレイプ男ではなく夫である。テルマも(と言っても殺すのはルイーズだが)本当に殺したかったのは夫だったのではないか。これも夫を殺す、というのではテルマへの共感が薄れそうなために行きずりの男になってしまったような気がしてしまうのだ。
しかし鬱憤のたまった主婦の多くは子供がいるわけで、子供を持った以上はもうテルマにもなれない、ということになてしまう。もし子持ちでこの行動をとっていたら「子供がかわいそう」という感想のほうが上回ってしまうはずだ。そういう意味で『OUT』は本作の進化形になっているのだろう。だが確かに子供との関係をうまく成立できないでいる『OUT』の物語は苦い味がする。その味が現実、ということなのか。
夫を殺す設定にしなかったのも昔は自分も愛したはずの夫を「殺してしまう」とまでしてしてしまうと何故そこまでするのかという理由づけの話をだらだらと加えることになる。行きずりのむかつく男のほうが簡単でいい。
そしてラスト。犯罪者になってしまった二人の結末は死だということで納得させてしまのではなく『OUT』ではさらに進む物語へと変化している。これも自由を求めた主婦の最期に不満を持った為の反抗のような気がしてならない。

監督:リドリー・スコット 出演:スーザン・サランドン ジーナ・デイビス ハーヴェイ・カイテル ブラッド・ピット マイケル・マドセン クリストファー・マクドナルド
1991年アメリカ
posted by フェイユイ at 00:59| Comment(5) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月02日

『噂の二人』ウィリアム・ワイラー

imagesThe Children's Hour.jpg
The Children's Hour

ついこの前『ダウト〜あるカトリック学校で〜』を観たのでよりインパクトを強く感じた。どちらも同性愛を扱っているのが問題なのは「人の噂」ということでしかも本作ではさらに「言葉、声に出して言う言葉」と言うものがテーマのようにさえ思える。

どちらも自分では見てはいないのにある疑惑を持った人物から(その人物もまたはっきりした何かを見たわけではない)聞いた「言葉」だけで揺るがぬ確信を持ってしまう。『ダウト』では老シスター(と言わせてもらうが)であり本作では老貴婦人である。そして両人とも自分こそが正義であり子供たちを守る責任者だという信念を持っている。
どちらでもごく小さな疑惑だったものを人間は何故信じ切ってしまうのだろう。あの『オセロー』で描かれるように人の心を揺るがす嘘はより真実に聞こえてしまうのだろうか。

老婦人は虚言癖のある孫娘が言葉を口にした途端、迷うこともなく信じてしまう。ここに描かれていたわけではないが自分の孫娘が嘘をつきやすい性格だとまったく知らないわけではなかったんじゃないかと思うのだが、例えそうでなくても言ったそばから信じてしまう、というのは極端のようだが『ダウト』のアロイシアスが「どうしても信じてしまったのです」と同じ状態になってしまう。
17歳の時から仲のいい女性二人マーサとカレンは力を合わせて寄宿学校を立ち上げ経営していく。カレンには婚約した男性がいるのだが、学校が波に乗るまではと結婚が延び延びになっている。そんな折、学校生活に不満を持つ少女メアリーはこっそり見てしまった小さな事実と色々な言葉から一つの疑惑を生み出す。「カレン先生とマーサ先生は怪しい」
マーサは男嫌いで美しいカレンにずっと惹かれていた。だがそれは友情としてのそれだと自分でも思っていたのだが、メアリーが言った噂「二人は恋人同士だ」という言葉を聞いて自分の気持ちが明確になる。自分の感情が友情ではなく恋だったのだと。思うだけの時は気づかなかった気持ちが言葉になって彼女に認識させるのだ。
カレンの婚約者ジョーももしかしたら微妙な不安と疑惑をずっと持ち続けていたのかもしれない。何故カレンは結婚を延ばすのか、友人であるはすのマーサが何故自分を毛嫌いするのか。叔母から噂を聞き激怒する彼だがその半面事実が表に出たことで真実を突き付けられた反動なのかもしれない。
カレンがジョーに「聞きたがってることを言って」と言っておきながら言いかけた彼の口をふさぎ「マーサとは何もなかったわ」と答え、ジョーが「疑ったことはなかったのに僕はなんということを聞いてしまったのだ」というやり取りは傍目には変なやり取りだが、言いかけた、というだけで彼が疑惑の言葉を持っていたことを二人で話し合い、その疑惑の言葉はもう消すことはできないと確認しあったのだ。

「やり直しましょう」と言葉に出すカレンに対し何も言えないマーサは心を隠したままになっている。
この先のエンディングには私は不満である。
本作はワイラー監督36年製作『この三人』が不満だったための自作リメイクだということだが、当時としては悲劇であることに意味があったのかもしれないが、私はどうしてもカレンの言葉にうなづいてマーサも共に歩き続けてほしかった。
今また映画になるならそうであってくれるだろうか。
カレンもまたマーサと同じ気持ちだったとはっきり言葉にしてくれるかもしれない。

この映画の出演陣で最も印象的なのはオードリーでもシャーリーでもなく虚言癖の少女メアリを演じたカレン・バーキンかもしんない。何しろレズビアンというのをできるだけ控えめに演じてる二人と違って思い切り感情を表現してくるから一番目を奪われてしまう。
ワイラーの演出はこの前観た『コレクター』でも他の大作でも本当に素晴らしいが本作の結末の付け方はやはり後味が悪い。モーターみたいにいくら悪いことをしても平然としてるほうはまだ判るがメアリのおばあ様婦人を叩きのめしてすっきりする落ちはどうなのかなあ。後悔する人々を後に堂々と歩いていくオードリーにあんまり「よくやった!」みたいな爽快感はないしね。案外みんな「そうは言っても本当にレズってたんじゃないの」と笑ってあんな風に謝罪したりしないかも。なんか、「ほーらあんた達が苛めたせいで死んだわよ」って感じで歩いていってるように見えなくもない。と言ってもそれを言いたいが為の作品なのかもしれないからねえ。
結末以外の映像は堪能しました。イライラ感がたまらんです。

監督:ウィリアム・ワイラー 出演:オードリー・ヘプバーン シャーリー・マクレーン ジェームス・ガーナー ミリアム・ホプキンス
1961年アメリカ
ラベル:同性愛 疑惑
posted by フェイユイ at 23:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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