





THE COTTON CLUB
今年の8月に『オーケストラの妻たち』という他愛のないコメディ映画の中で初めて知った“ニコラスブラザーズ”物語と何の脈絡もなく最後の最後に突然彼らのダンスが披露され、それまでの馬鹿馬鹿しい(と言っては申し訳ないが本当)物語を吹き飛ばしてしまう数分間の彼らのダンスに唖然となってしまった。そこでふと頭に浮かんだ言葉が「タップで殺せ」
これは確か昔観た『コットンクラブ』で白人から屈辱を受けた黒人ダンサーが仲間にその怒りをぶつけ「殺してやる」と叫ぶ。仲間は「お前にはダンスがある。俺は踊れないから白人の中に入っていけない。だがお前は違う」となだめる。その言葉に気を静めた黒人ダンサーは「判った。タップシューズで殺す」と言うのである。
白人しか出てこないアメリカ映画の中に数分見せたニコラスブラザーズのタップダンスは確かに主役の白人俳優たちをタップシューズで殺してしまった。この映画を観た人は多分彼らのダンスしか記憶に残らないだろう。
そういうわけでその時から『コットンクラブ』をもう一度観ようと思ったのだが。
これがなかなかレンタルできなかった。無論その間に他の観たい映画も多かったせいもあるが。
ところでよくは判らないが多分この作品はコッポラの作品の中ではさほど高い評価ではなさそうだ。というか『ゴッドファーザーT、U』『地獄の黙示録』でカリスマ的評価を受けた後は『ランブルフィッシュ』『アウトサイダー』の佳作はあったものの後の評価はガタ落ちになっていったという印象がある。本作はちょうどその間にある作品でもあり、ここらからコッポラのカリスマ性は失われていったのではないだろうか。
本作を評価しない方としては物語の薄さとリチャード・ギアという二枚目なだけの役者を主役に置いたことのようである。
しかしこうして観返してみるとタイトルが『コットンクラブ』であることが示しているようにまさにこの時代のコットンクラブこそが舞台であり主役であり物語であるのだと感じさせてくれる。
やや甘めに思える物語も昔をよかったと思い起こさせるノスタルジーのなせる技なのだろう。
何の身寄りもないコルセット吹きの男がその美貌だけでハリウッドスターになり、同じように貧しい少女がその若さと美しさだけでマフィアボスの愛人となってクラブの女主人となり豪華な生活をする。ボスの手下と愛人という許されない関係ながら愛し合う二人はボスの死によって結ばれ旅立つというハッピーエンド。
マフィアたちの馬鹿馬鹿しい銃撃戦と男女の愛の駆け引き、黒人と白人の様々な形の葛藤や争いが繰り返されながらコットンクラブでは黒人たちが歌と踊りを白人だけの客に披露する。
お目当ての、つまりニコラスブラザーズがモデルなのであろうグレゴリー・ハインズらが演じた黒人ブラザーズは確かに目を見張る素晴らしさではあったのだが、悲しいかな、本物のニコラスブラザーズには遠く及ばないものであった。それがハインズの力なのかコッポラのせいなのかは判らない。ニコラスブラザーズのタップは本作より遥か昔なのにその切れと振付は人間技とは思えないものだったのだ。(フィルムを早回ししているようにしか思えない)
グレゴリー・ハインズのタップこそがこの映画の見どころだというのは誰もが認めることのようだが、実はそこだけ逆に残念だった。ニコラスブラザーズを見なければそうは思わなかったのだろうが(と言っても彼らを見なければ本作を観なかったのだが)
やや紋切り型の展開ではあるがこの時代独特の雰囲気、大人びているようで実は子供っぽい世界である、を楽しませてもらった。
勿論私がこの時代のアメリカの雰囲気が好きだから面白く観れるのかもしれない。
コッポラらしい倦怠感もまたいい。
俳優陣がなんとも懐かしい顔ぶれである。あの人もこの人も、という懐かしさも古い人間に楽しめるものであった。
監督:フランシス・フォード・コッポラ 出演:リチャード・ギア ダイアン・レイン グレゴリー・ハインズ ロネット・マッキー ニコラス・ケイジ ローレンス・フィッシュバーン トム・ウェイツ
1984年アメリカ
グレゴリーじゃなくてやぱりニコラスを
やっぱこれだったから、『コットンクラブ』で白人客を殺せた(魅了した)んじゃないんでしょうかねえ。