映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2009年11月09日

『小間使の日記』ルイス・ブニュエル

9782070375363.jpgfemmechambre.jpg18864732.jpg
LE JOURNAL D’UNE FEMME DE CHAMBRE

一体何なんだよゥ。この映画は???
ブニュエルだから凄かろうと覚悟の上で観ているのに作品は自分のちっぽけな想像力など問題にはならないようだ。
しかしブニュエルだからというか、とにかくいつもフランス映画というもの自体が謎なのであり、その中でも更に凄い人なのだから判らないのが当然なのだろう。

昨日まで観てきたアメリカ・イギリス映画に出てくる貴族対使用人という関係図などなんの意味もなくなってしまうのである。
小間使いがジャンヌ・モローで何と言っても彼女を雇う金持ち連中なんぞより彼女自身が一番威厳があり自由放埓でしかも上品に美しい。権力を振りかざしている連中は皆変態じみている、という構図になっている。
彼女を見た男たちは皆欲望をみなぎらせてしまうのだが、セレスティーヌ(これもまた小間使いとは思えない響き)は主人だろうが荒くれ者だろうが全く臆することなく機転をきかせて彼らを手なずけてしまう。
本作はファシズム批判が土台となっている、ということで確かにその意味は汲めるのだが、とにかくエロチックなやり取りが破格に面白いのだ。
特にセレスティーヌが世話を頼まれる老人の靴フェチはゾワゾワとするものがあって、彼女にぴったりのサイズの(22.5センチって言ってた、小さい!)短ブーツをはかせ部屋の中を歩かせて興奮しまったかと思えば、脱がせたそのブーツを胸に抱いてセレスティーヌのことはもう忘れてしまったかのように隣室へとこもってしまう。靴フェチはあくまでも靴に興奮するのだよねえ。
精力絶倫で妻が困惑する主人も大変だが、恐ろしいのが屋敷の下男で彼は屋敷に出入りしている幼い少女クレールを強姦した後殺害してしまったようなのである。だが証拠が上がらず警察が手をこまねいているのを知ったセレスティーヌは屋敷の仕事を辞めてパリに帰ろうとしたのに再び戻って犯人探しを始めるのだ。
物語が後半からミステリーへと変貌してしまうのである(これもちょっと不思議なんだが)彼女は下男ジョウゼフに疑いを持つのだが、今まで彼女に唯一冷たく当たっていた彼が「君をずっと好きだった。結婚してくれ」と言いだすのである。
私としては今までの彼女への仕打ちと殺人犯と思える男が何を言う、と憤慨ものだったのだが、なんとセレスティーヌは自ら彼との肉体関係を結び結婚の約束もするのである。が、それはクレール殺害の証拠をつかむ為だった。
犯人を探す為に肉体関係を持ち、結婚の約束をするなんて。
理解を越えてる。
しかもベッドに入って「クレールを殺したと言いなさい」・・・絶句。

理解不能(泣)

変な映画が好きなのに。
ここまで理解し難い思考回路って。

セレスティーヌはまんまと彼の靴底の金属片を取り外し殺害現場へ落として警察に彼を逮捕させる。
そして彼女は奴との約束など無視で屋敷の隣の金持ち軍人のプロポーズを受けるのである…またしても理解し難い・・・。
だが、彼女の努力もむなしくジョウゼフは結局証拠不十分で釈放となったのであった。

もーどーでもいい。
とにかくジャンヌ・モローは美しく魅惑的であった。こんな小間使いいるだろうか。魅惑的な小間使いというと筒井康隆氏の七瀬を思い出すがセレスティーヌは超能力者でもないのにそれ以上に超えている。

強姦殺害されてしまう幼い少女クレールもフランス少女らしいおませな可愛らしさとエロティシズムを漂わせる。
ジョウゼフがクレールが森に入って行くのを見送って「狼に気をつけな」と言った後、野獣的な表情になる。
木陰から少女の開かされた脚だけがみえ、白い肌に血が流れて彼女が捕まえていたカタツムリがぬめぬめと這いまわっているのが僅か数秒もないショットなのに恐ろしく印象的であった。

監督:ルイス・ブニュエル  出演:ジャンヌ・モロー ミシェル・ピコリ ジョルジュ・ジェレ フランソワーズ・リュガーニュ ミシェル・ピッコリ
1963年フランス/イタリア


posted by フェイユイ at 23:14| Comment(4) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。