映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2009年11月14日

『ニジンスキー』ハーバート・ロス

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Nijinsky

昔からバレエというものに憧れの目を向けてきてそのくせあまり知識もない私である。
ニジンスキーという名前は多分山岸凉子『アラベスク』で知っただろうか。この映画を観た時は写真でしか見ることのできないニジンスキーの素晴らしさを少しでも知ることができたような感動があった。
彼と彼の保護者で才能の理解者であったディアギレフとの関係や伝説として聞くことしかできない彼の並はずれたバレエを観ることができたような気がした。無論本当のニジンスキーの跳躍を再現することは不可能だろうし、物語の真実というのは判るはずもないが、そう言ったことを抜きにしてとても優れた作品だと思う。
当時は監督がアメリカ人だというのが奇妙に思えたのだが、ロス監督自信ダンサーで振付家で他にも多くのダンス映画を作っているのだから至極頷けることである。
とはいえ当時、アメリカ人映画監督の作品でここまで主人公とその庇護者が同性愛関係にあることをはっきりと描いているのはまだ珍しかったのではないだろうか。そこら辺は昔の外国人だからというエクスキューズがつくのだろう。

ディアギレフを演じたのはアラン・ベイツで、無論私が知るわけもないがまさにディアギレフという人はこういう人だったのではないかなあ、と思わせてくれる。多分実物よりハンサムになっているのではないかとも思えるし、はっきり言って嫌な感じの男なのだが、ハンサムさでほっさせてくれるかも。
驚きだったのはニジンスキーである。一体彼を演じきれる人がいるんだろうか、イメージ的にかけ離れていては嫌だと思ったものだが、昔観た時も今もとても可愛らしくて魅力的なダンサーを選んでくれたものだと感心してしまう。
確かに写真で見ることのできるあの超人的な太腿の太さではないし、全体的にほっそりとしている男性ではあるが、小柄でまっすぐな黒髪であまり彫りの深すぎないやや東洋人ぽいワスラフを感じさせてくれる(私としてはニジンスキー本人の体つきが凄く好きなのだが)次第に心が離れていくディアギレフを一途に思う表情が痛々しい。昔観た時はそうまで思わなかったのに捨てられて狂気の世界に入っていく彼が酷く悲しかった。彼の場合、捨てられなくてもいつかはそうなる運命だったのかもしれないが。
ニジンスキーの伝説の跳躍を観ることは叶わないが幾つかの写真で彼の放つオーラを感じとることはできる。
全体にずんぐりとした体つきで顔も繊細な面立ちでもないのだが(都会的というより確かにロシアの大地を耕す農民なのであろう)酷く愛くるしい笑顔に惹かれてしまう。本当に純粋な薔薇の精のような存在だったのではないかと思ってしまうのである。
映画でのジョルジュ・デ・ラ・ペーニャはそんなニジンスキーを魅惑的に再現してくれているのではないだろうか。
ディアギレフとの場面でもそうだがやはり舞台に立つニジンスキーの演じるものに憑依されたかのような踊り。
薔薇の精の愛らしさ、牧神のあの眼差しはエロチックでゾクゾクしてくる。舞台では観ることはできない映画ならではの視線で彼の魔性を映しだしていく場面は恐ろしいほどの緊張感がある。
ニジンスキーがのめりこみ過ぎて狂気を垣間見せる『春の祭典』の震える踊りの凄まじさ。
逆に愛らしいテニスをバレエにした『遊戯』にも見惚れてしまう。
そして『ペトリューシュカ』の踊りはまるで彼自身とディアギレフを表現しているようでおどけた悲しさが込められているではないか。

他で知った彼らの物語とは違う部分も多々あるが、ニジンスキーの素晴らしさを想像させてくれる素晴らしい映画だと思う。

惜しむらくは今この映画を観る方法が殆どないのではないかということだ。
有名な映画監督作品であるし、題材も有名なのにどうしてDVD化されないのだろうか。
変な映画は溢れているのに優れた映画が埋もれ過ぎている。
(と嘆くことの何と多いことか。いい映画をどんどん観れる時代はいつ来るんだろうか)

監督:ハーバート・ロス 出演:アラン・ベイツ ジョルジュ・デ・ラ・ペーニャ  ジェレミー・アイアンズ 
1979年イギリス


posted by フェイユイ at 23:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『美しすぎる母』トム・ケイリン

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Savage Grace

すっごく見せたがらない作品、というのか説明をしようとしかけてこちらが身を乗り出すと止めてしまう、というのを繰り返されていくので消化不良のまま進まざるを得ないのだが、物語が非常に刺激的で映像的にも美味しいものを目の前に出されるので最後まで食いついて観てしまうのだが、結局なにを食べさせられたのか、よく判らないのである。

つまり何を食したのか判らない者、この味が理解できない者は仕方ない、という作者の思惑なのであろう。
それはそれで気になる料理法であってもう一度食べてみたい気にもなるのだから個性的な調理人として評価すればいいのではないだろうか。
私の好みとしてはもう少しメインディッシュに食らいつきたい不満があるが。
とはいえ、こういう出し惜しみにヒントが見え隠れし、謎解きをさせてくれる映画というのは決して嫌いではない。

さてこの作品は最初から息子の母親殺し、というのが題材であると言われているようなので最後の場面があっと驚く落ちなのではなく、どうしてそのような結末になったのかということを観客は始めから考えながら観るのであろう(と言っても私は実はこういう話だと知らずに観てしまったのだが)
つまりこれは「息子の母親殺し」というより母親によってそうなるようになってしまった息子の話ということなのである。無論父親も関係はするが。
ここで思い出したのは山岸凉子の『スピンクス』というマンガである。と言っても内容は全く違うのだが、この主人公の少年は何もすることができないように部屋の中で女のスフィンクスに見張られている。ところが一人の男性が少年を心から心配しスープを飲ませることによって彼をスフィンクスの呪縛から解き放つことができる、という精神医療の物語なのだ。
本作の主人公トニーは一見自由のようでいて母親から離れてしまうことができないでいる。中で「彼女の面倒を見る、という遺産を受け継いだ」という台詞があるように母親に付き添うことが彼の仕事になっている。それは普通の少年なら面倒くさがってしなような母親に対する朝食の世話や怪我の手当てなどを優しくしてあげることに見てとれる。無論それは少年の優しさ、親孝行と言ってよいのだが、少年が親に持つべき反抗期という部分が欠落しているように思える。それは少年の成長過程で必要なことなのだが。

父親が不在になってしまうことで少年と母親の関係はさらに強いものになっていっただろう。
母親はある程度確信犯だろうが子供である少年にそれは間違ったことで子供は成長すれば親元から飛びださねばならないのだと気づくことができないのは仕方のないことかもしれない。彼にとっては母親の面倒を見てあげる、というのは課せられたことだったのだから。
母親と息子の関係と言えばルイ・マル監督の『好奇心』があるがいかにもフランス的な明るい個人主義に徹したあの映画の関係と違い本作の二人は一見自由そうで実はがんじがらめに緊縛された関係の息苦しさから逃れられることができない。
母親を殺した後、ほっとして空腹を感じてしまうほど彼にとって母親の存在は早く済ませてしまいたい気になる仕事だったのだ。
だが、それでも愛する母親を殺した、ということが彼の精神を歪ませてしまう。というよりもっと前から少しずつ狂い始めていたのだ。母親と交わった時から、母親のセックスの相手と自分も関係した時から、さかのぼっていくと彼の歪み方が次第に酷くなっていったのがわかる。
母と父親ではない別の男が寝ているのを見て彼が「母の為に自分は変わろう」と言って自分も傍に横たわる。それが異常なことであることは確かなのに彼は母親の為にそうするべきだと思ってしまった。母親の為にそう思わなければならなかったのだ。

少し前に観た『ヘンリー ある連続殺人鬼の記録』でも主人公が母親から異常な虐待(母親の性行為を強制的に見せられるなど)を受け続けたことが語られていた。本作の場合は富裕層であることですべてが優雅で母親の容姿も美しく上品に思えるが行為自体は同じなのだ。
また母親の言動は悲しいかな、やはり上流階級の奔放さとは違いやはり貧しい出自の浅ましさが露見している。彼女は上流階級に憧れただけでその中で自由に振舞えるような女性ではなかったのだ。

富裕さだけが目的で結婚した彼女の精神が歪み亀裂がはいっていく結末を息子によって終止符を打たせるなんて惨いことだ。そして彼自身も親殺しという最大の罪を自殺と言う罰で購わなければいけなかったのだ。

息子トニーを演じたエディ・レッドメインがこれ以上望めないほど滅茶苦茶に可愛い。白い肌にそばかすというのが母親役のジュリアン・ムーアとそっくりである。酷く細身でかりっとした硬そうな顔立ちが魅力的である。母親と肉体関係を持ち、最後には殺害して狂っていくという異常な行動も彼が演じていると儚げで愛おしく思えてしまうのは困ったものだ。
また何度となく出てくる同性愛の場面も自然で美しい。ここら辺の場面だけ切り取って保存しておきたい。
私としては母親なんぞ置き去りにしてジェイクと駆け落ちでもして欲しかったのだが、そうなると生活ができない人間なのだからどうしようもないか。やはり人間額に汗して働くのが一番貴いことなのだという教訓も感じてしまう作品であるな。

監督:トム・ケイリン 出演:ジュリアン・ムーア スティーヴン・ディレイン エディ・レッドメイン エレナ・アナヤ ウナクス・ウガルデ ヒュー・ダンシー
2007年 / スペイン/フランス/アメリカ
ラベル:家族 殺人 同性愛
posted by フェイユイ at 00:11| Comment(3) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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