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2009年11月20日

『博士の愛した数式』小泉堯史

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数学博士の話であるということで興味があった。数学という題材をどんな映像にするのか、物語にどう組み込んでいくのか。

登場する数学博士は80分しか記憶が保たれないという障害を持っている。それと彼独特の気難しさもあって家政婦が次々と辞めていった後へ主人公であるシングルマザーが雇われるのだが。
何度も繰り返される質問だとか、主人公の息子にルートというあだ名をつけるとか黒板に数式を書いて説明するだとかは確かに心惹かれるものがあるし、実はこの一見気難しく実は優しい初老の博士と義姉に人に秘められた恋があったとか、差し出される材料はなかなか含みがあると思ったのだがそれを表現していく手法は残念ながら納得できなかった。

まず中学校に新任した若い教師が突然自分の過去を説明していく、ということからひっかかってしまう。最初に騒いでいるような今時の中学生がこんなクドイ話を聞いているだろうか(その点は『モナリザスマイル』は納得できるな。話をしようとすると生徒たちからこっぴどく苛められる)しかも自分の母親が許されない恋でシングルマザーだとかそういうことは親密になった一部の人間に話すもしくは状況を見て打ち明けることではないか。
そこを我慢するとしても物語が最初からハートフルな方向へいくものとして予感させてしまっているし、家政婦が次々と辞めるというのは博士が相当な変人だとか恐ろしいことをしでかす、ということがなければいけないはずだが、主人公が入り込んだ最初の時に「仕事に没頭している時に邪魔をするとは失敬だ」とか怒鳴られただけで後はさほどのことは起きない。極めて温厚な人格であるし、強姦されたとか猟奇的な趣味があるのを見たとかいうようなこともないし、記憶がすぐなくなるのでトイレがどこか判らずそこらじゅうを汚すとかいうのでもないのに何故それまでの家政婦は辞めたのだろうか。金持ちで給料も悪くはなさそうである。
尚且つ子供がいると知るとここで一緒に夕食を取ればいい、とか主人公に都合のいいことばかりである。難しい人だが次第に好きになっていった、ではなく最初から互いに好き合っている。それが友愛数とかの比喩につながるのは判るが見せ方が簡単すぎるのだ。予定調和という言葉があるが最初から調和しすぎている。
つまり物語があまりに計算通りに進み過ぎて何の余分もなく完全なゼロになってしまっている為に人生の物語としての面白みに欠けてしまっているのではないか。
すべての人生も宇宙的な規模で見れば完全な数式になるのだとしても映画で描けるほどの人生の中では歪んだり端数が出たりどうしても解けない方程式として残ってしまうものではないか。
確かにこの物語が決して組み合わされることのないπとiとeが+1のせいで0つまり無になるというのは判るが人間の心の中にあるものはそうそう簡単に結びつかないのではないか。
(つまりπが博士でeが義姉、iが主人公でそれらは決して交わらないが+1である少年によって0となったのか。彼は√なんだけど)
それは希望だけであって作品の中で完全に示してしまわなくてもいいものではないだろうか。
タイトルが『博士が愛した数式』だからそのまんま、ということになるのだがどうもこのハートフルさにむずむずとしてしまうのはやはり私が完全なる28ではないからなのだろうか。

子供は純粋で企みなどありません、という主人公の言葉にも疑問あり。まさしく企んだのではないかと思うし、また企むことが何故悪いのか判らない。好きな人から引き離されたのならまた元に戻りたいと願うのは当然のことだ。主人公の女性が心のどこかでそれを望んでなかったとか思えないし、それが悪いことではない。いい方向にいくように企むべきだ。
というか。
何故義姉はもう何の邪魔もされないだろうに愛した人と一緒に住まないのかが判らない。若い家政婦を雇うこと自体絶対しないと思う。
・・・もし子供ができたらどうしたんだろう。それとも博士はもうできない人なのか?

非常に面白そうな題材だったのだが、人間の深淵を見ようとして止めてしまったように思われてならない。
タイトル通りの物語なので偽りはないのだが。
 
監督:小泉堯史 出演:尾聰 深津絵里 齋藤隆成 吉岡秀隆 浅丘ルリ子
2005年日本


ラベル:家族
posted by フェイユイ at 23:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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