映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2009年12月30日

『刑事コロンボ 完全版 Vol.12』「愛情の計算」

Mind Over Mayhem

これはミステリーそのものより舞台設定というか登場人物というか、に物凄く惹かれてしまいミステリーそっちのけでもっと観たい気がしてしまった。
と。自分は凄く気に入った作品なのだが、一般的にな評判はいまいちのようだ。つまりロボットが出てきて殺人やらアリバイやらに関係してくることはミステリーファンの多くの方には芳しくないことなのだろうか。
私もミステリー好きではあるが同じくらいロボットが好きな人間なのだ。TVで「ロボット競技会」みたいなのがあると夢中で観てしまう。特に本作に出演の『禁断の惑星』のロビーはロボットおたくとしては(と言える資格はないが)シリーズ出演俳優として最大のゲストである。
コロンボとロビーが握手する場面なんてまさに感動ものなのだ。
そしてそのロボットを開発且つさらに教育しているのが天才少年スティーヴン・スペルバーグ。このネーミングにもにんまりだが、この科学の天才少年と推理の天才コロンボとの会話も大変楽しいもので、これにあのお馬鹿犬でお馴染みのコロンボの愛犬が登場し、ロボットに犬の世話をさせる、という珍妙な場面が出来上がり全く愉快この上なし、なのだ。
などとロボット&コロンボですっかり満足なのだったが、物語も今回はかなり他と毛色が違う。
天才ばかりがいるというシンクタンクの面々が出演者なのにも関わらず今回ほどしんみりとした話はなかった。今までの物語はほぼ己の欲望を満たすのが目的で己の嫌疑を晴らす為なら何でもやる、という話だったのが今回は息子の為の犯罪であり息子に嫌疑がかけられた時自分の罪を白状してしまう、という人情物になっている。
無論この父親は元々息子を支配下においており、息子の名誉や恥はそのまま自分に返ってくるわけだから愛情と言うものではない、と言われてしまいそうだが、それでも今までの冷酷な犯人像からすれば(名作『別れのワイン』の犯人など最も冷酷な人間だ)その愚かさも含めコロンボ作品の今までの中では最もお涙な物語だった。
また天才少年スティーヴン君も「怪物だ」と敬遠され今まで子供扱いされたことが殆どない、という可哀そうな少年でコロンボから「遊びたくてたまらない子供に見えるよ」と言われ一気に彼を好きになってしまう。「また会いに来てくれる?」と聞くシーンはちょっと悲しくなった。だってこの先もうコロンボは会いにいかないよな。しんみり。

さて今回の脚本は3人がかりのようだが中に例のスティーヴン・ボチコが入っている(おや彼もスティーヴン)いつも彼は他と違うセクシー路線、とからかっているのだが、今回はえー、「父の研究所の職員である年配の男性とは親子ほども年の違う女性」と多分彼女より年下の青年が何やらモーテルで密会していたのだが、皆さんが考えるようなふしだらな関係ではない、という奴(というのはコロンボの仕組んだ罠なのだが)と、天才少年とコロンボ、そしてロボットおたく的な感情、というところだろうか。ん、いや父親の息子への歪んだ愛情、というのが一番の変わった愛情(というほど変わってはいないかも、だが)かもしれない。
コロンボの駄犬への愛情、というのもあるが。
ま、セクシャル、と言っていいかどうか。

ロボットとミステリー。自分的には非常に心惹かれる組み合わせである。

監督:アルフ・ケリン 脚本:スティーブン・ボチコ ディーン・ハーグローブ ローランド・キビー
1973〜1974年アメリカ
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2009年12月29日

『刑事コロンボ 完全版 Vol.11』「第三の終章」

今回のドラマは凝りに凝ってる。昨日のがコロンボシリーズの定番なら今回はその定番をわざと壊してみせた、ということなのか。
何しろ犯人グリーンリーフは殺人を他の男に実行させながらあえて自分が被害者を殺害したのだと警察に想われるように仕組んでいいくのである。動機、殺害したピストルなど様々な面でグリーンリーフが犯人だと指示している。他の犯人ならとんでもないやり方だが、あえて危険を冒したうえで実は彼が事件当時、泥酔して自動車事故を起こしていたことが事故の相手の保険請求により判明する、というような状況を作っておいたのだった。
いつもなら何とか犯人と思われないような余計な説明をする犯人がここでは自分から自分が犯人かもしれない、と言いだすのだから、シリーズ中でも本当に肝の据わった犯人である。
コロンボはいつも通り彼が犯人だと直感で判ったのだと思うのだが、他に類のない彼の恐ろしい計画性にさすがのコロンボもやや戸惑う時もあったのだろうか。としてもやはりコロンボはまず直感で犯人を見つけてしまっている、というのは事件の翌朝、変える必要もない現場のドアのカギを付け替えてしまっているのが犯人の動きを読んでいる証拠なのだろう。
ところで間違っているかもしれないが実際に手を下した男エディ・ケーンは事件後グリーンリーフに「歩いて中に入ったよ」と言っているのだが彼はその言葉を聞いてなかったもしくは理解してなかった(もしくは日本語訳と原語が違う?)のだろうか。あの場面でその台詞を理解していたらコロンボの罠である鍵をエディのキーホルダーにつけ足りはしなかったはずだが。
しかもこのコロンボの罠はなんとなくやり過ぎの気もするのだが。実際の警察がこんなことを仕組んだりするんだろうか。
最後に決め手となった先週ラストシーンが変更になったばかりなのにグリーンリーフが仕組んだ「数年前に書かれた偽の原稿」にその変更された最後が書かれていた、という矛盾であった。これだけでもよかったんじゃないか。
完全犯罪を計画した、という自信満々だったグリーンリーフがぺしゃんこになってしまうちょっと滑稽なラストだった。

今回のコロンボもちょっとかっこよく見えたよ。どういうことかな。
アップがばんとあって目が素敵だった。
おかしかったのは高級レストランに被害者の関係者がいたのでコロンボが事情聴取に入ったところ食事を促されたので喜んだものの、御上品なメニューばかりでピンとこないで結局好物のチリコンカルネを注文してウェイターを大いに困らせる。しかもケチャップを要求した。
実に傑作で愉快なんだけど結構うまかったらしい。昔我が家でちょいと贅沢して高いレストランに行ったらメニューが大人っぽくて妹が何も食べきれず仕方なくたったひとつ食べれそうな「カレーライス」を注文した。コロンボと違って味が高級過ぎて食べきれなかった。勿論値段は高かった。貧乏人って高級な味が駄目なのだよね。
関係なかったけど。

監督:ロバート・バトラー 脚本:ピーター・S・フィッシャー
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2009年12月28日

『刑事コロンボ 完全版 Vol.11』「意識の下の映像」

Double Exposure

なるほどこれは『コロンボ』というドラマシリーズのスタンダードといってよい作品なのだろう。
犯人の極めてトリックを駆使した犯罪。犯人は知識人でありいかにも裕福な階級に属し申し分のない人種である。相変わらずコロンボは犯人の仕事に興味を示し素晴らしい集中力で彼の内面へと入り込む。そしていつもの執念深さで犯人の周囲をうろつきまわり犯人が参ってしまうほどのストレスを与えて冷静である彼が次第にぼろを見せてしまうよう仕向けていく。「異常な事態におかれた人間は考えられない行動をとってしまう」という台詞はこのドラマの中で何度使われただろう。無論コロンボは全てを察した上でこの台詞を犯人が使ってしまうことを楽しんでいるかのように思える。
かみさんの話などユーモアはいつも通りで過不足なくまとめられた作品である。
ただ一つ観客の本当の謎は「サブリミナル効果」というものがそれほどまで人間を左右してしまうんだろうか、ということではないのかな。
それが事実かどうかは別にしてもどうしても「頭の良い犯人」の有罪を立証する手立てがないコロンボはいつもの罠をしかける。
それが犯人自身が犯罪の時に使った罠なのだという面白さなのだった。

コロンボの定番というべきドラマでつまらなくはないのだが、却ってあまりにも当たり前のコロンボだ、と思ってしまうのは贅沢だろうか。
しかしこのドラマにもう一つの犯罪があってそれが犯人の犯罪を見破ってしまった映写技師の殺害なのだが、それの解決の決め手となるのが彼の癖というべき「映写しているフィルムの最後にコインを挟んでおくこと」
これをやっておけば読書しててもコインが落ちる音がした時にフィルムを交換すればいい、というアイディアなのだった。
彼が殺害された時にこの工夫がされてなかったのでコロンボはフィルムが何巻目だったのかを見破ってしまうのだ。むしろこっちの方が納得できるのだが、やはりこれも法廷での物的証拠にはならない、んだろうな。

なんだか寂しい感じがするのは色恋沙汰や美人の出番が話の上だけのことだったからかなあ。ほぼ絡みのない被害者の奥さん役がちらりとでるだけ。普通他のドラマだったら意味もなく例の美人モデルというタニアをちらっと見せるのだろうが。極めて過不足ないドラマだったので省略されてしまったのだね。

監督:リチャード・クワイン 脚本:ステファン・J・キャメル 出演:ピーター・フォーク ロバート・カルプ
1973〜1974年アメリカ
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2009年12月27日

『刑事コロンボ 完全版 Vol.10』「野望の果て」

Candidate for Crime

前回の『別れのワイン』より本作の方がよりトリッキーでコロンボも頭脳を使っていると思うのだが名作と言われないのはやはり政治家の野望というような題材にはうんざりさせられてしまうからだろう。現実の方がもっとトリッキーでドロドロとした汚い陰謀が渦巻いているのだから。
且つ夫に不信感を抱きながらもどこかにまだ僅かな望みと愛情を見つけようとしているかのような妻をなんのためらいもなく裏切って若い愛人とよろしくやりながらその愛人女性もまた利用しようというまさに政治家らしい性格の男が犯人なのである。被害者の男性は嫌な部分もあったのかもしれないがそれでも自分を殺すことになるその男の為に半生を捧げてきたわけで、愛人を作るのは政治家活動としてまずい、というのは真っ当な意見なのにも関わらず、自分に誠実に尽くしてくれていた参謀をあっさり殺してしまうとは、一体なんという傲慢さなのだろうか。
今回ほど、犯人を追い詰め彼が作り上げた芝居を鮮やかな手際で暴いてしまうコロンボに快哉を叫びたくなったことはないだろう。
物語の汚さには閉口だが、ミステリーとしては非常に面白く、やや硬い印象だった『別れのワイン』もいいが、コロンボはやはりどこかひょうきんな場面があった方が好きなのである。
裕福な階級が相手役になるだけにコロンボのよれよれ具合がまた引き立ってしまう。
故障だらけのオンボロ車に情けない着たきりのコート。政治家ヘイワード御用達の洋服店でスーツを誂えようとして頓珍漢なことばかり言って最後には相手にしてもらえないコロンボが可哀そうである。しかしもし注文できてしまったら物凄い金額を請求されて卒倒しそうだが。

被害者は丈夫一点張りの服装なのに腕時計だけが華奢なのがおかしい、とかヘイワードがこっそり消音機付きの銃で窓ガラスと壁に弾を撃ち込んでおき、後で爆竹を鳴らすトリックだとか、洋服をなぜ10日前に注文していたか、とか様々な謎ときのある面白い一話なのだが、政治家ヘイワードを暗殺しようとする組織(無論ヘイワードのねつ造)が間違ってストーンを殺した時、ヘッドライトがどうしても彼に当たらないから撃てない、というのだけはあまりいただけない。暗殺組織が夜中に発砲する予定なのに照明も持たずに飛び出す、というのではあまりにへぼ過ぎるじゃないか。この逆というのならわかるけど。

面白い場面もいくつもあるがコロンボが歯科で治療をする、というのが最大のおまけ場面か。
「私もあなたもイタリア系なのにみんなイタリア系と言うとマフィアだと考えるんだから嫌になる」と歯科医が言う。しかし治療がこれもワイルドだなあ。
しかもイタリア系なのにオンボロ車でお洒落じゃない、というコロンボ。イタリア系としては異端だよなあ。

監督:ボリス・セイガル 脚本:アービング・パールバーグ アルビン・R・フリードマン ローランド・キビー ディーン・ハーグローブ
原案:ラリー・コーエン 出演:ピーター・フォーク ジャッキー・クーパー
1973〜1974年アメリカ
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2009年12月26日

『刑事コロンボ 完全版 Vol.10』「別れのワイン」

Any Old Port in a Storm

コロンボシリーズでも名作として名高いこの一品だがトリックや謎解きが他より増して鮮やかというほどでもないのに評価が高いのはやはり誰でも私同様ミステリーそのものより物語の雰囲気が好ましいかどうかで評価が左右されてしまうからなのだろう。
コロンボシリーズは昨日のドラマのような業界内部、という話もあるし小説、絵画、音楽などの芸術関係のミステリーが多く、その度ごとにコロンボが興味を示し即席ながらその分野の勉強をしてみせたりするのが楽しみの一つでもある。
特に今回はワインに全く知識のなかったコロンボが「私と同じイタリア系なんだから素質はあるでしょう」というようなことを犯人から言われたせいなのかたった1時間半ほどの勉強をしたらしい場面の後、ワイン界屈指の専門家である犯人カッシーニが驚くほどの上達を見せるのである。
しかもそれが利き酒の才能ではなく彼のワイナリーで作られているワインを調べ2番目に出されたワインは最初の物とは違うので「これかこれのどちらかでしょう」というコロンボならではの推理で当てるというのが実に上手い演出ではないだろうか。
またしょっちゅう言っているが犯人がヒステリックにコロンボを嫌がるのではなく実に冷静で常に落ち着いており最後には自供しますよ、という潔さも人気の理由なのかもしれない。

格調高い雰囲気だとかワインに関する知識に感心してしまう本作でコロンボと犯人であるカッシーニ氏は友情にも似た親交を深めていくのだが、彼ほど心が冷たい犯人もいない気がする。いや実際は今までの他の犯人も自分のことしか考えていない輩であったに違いないがカッシーニ氏が冷静沈着であるせいかその印象がさらに強まって感じてしまう。まさに彼はワインのことだけしか考えていないのだ。他によくある金儲けには全く興味がなく名誉欲も二の次で自分がワインにどれほど精通しているのか、という自意識だけが問題のようである。自分が自分をどう評価できるか、ということが全てなのだろう。
金をせびる弟はまだ許せても工場を安っぽいワイン会社に譲ろうとすることは許せず、自分に思いを寄せてくれ庇ってくれた秘書には迷惑しか感じていない。彼女はとうとう結婚を強要してしまうのだが、もしかしたら彼女にはまさか脅迫するつもりはなく彼がまるで彼女の存在にも愛情にも何の興味も示さないことからつい口に出してしまった気さえする。他に女性がいるようでもなく彼はワインだけが全て、という人間なのだ。それに気づいていすはずなのにそういう脅しをしてしまった秘書の女性が気の毒に思える。
そんな風にいわゆる「おたく」でいることがいけない、というわけでもないが、やはりそういう女性からの申し出を冷たく拒絶したり、レストランで他の客もいるのに大声でワイン係の失敗をなじったり(これはコロンボの企みだったのでさらに気の毒だった)する心の冷たさを見ていると「ワインのことだけしか考えてない人間」というのはやはり人間として悲しいものなのだと思う。
こんな男と結婚できなくてよかったよ秘書さんは。

コロンボは勿論そういう人間性の欠落した部分を感じとりながら彼と接しているのだと思うが、この短いドラマの中でそんな風に感じさせてくれるのはやはり名作たる所以なのであろうな。

驚いたのはイタリア系という設定のこの二人。ピーター・フォークはユダヤ系だし犯人役のプレザンスはイギリス出身であること。
イタリア系の役はイタリア系だろうと思い込んでいたのだが、まさかコロンボがユダヤ系だなんて思いもしなかった。
らしく見えてしまえば思いこんでしまうし、思いこんでしまえば疑いも持たないのだなあ。ピーター・フォークはフォークというよりコロンボだと信じてしまってるから。

監督:レオ・ペン 脚本:スタンリー・ラルフ・ロス 原案:ラリー・コーエン 出演:ピーター・フォーク ドナルド・プレザンス
1973〜1974年アメリカ
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2009年12月25日

フジファブリックのVo&G、志村正彦さんが29歳で急逝

フジファブリックのVo&G、志村正彦さんが29歳で急逝

驚いてしまった。
私は音楽をそれほどよく聞く、というのでもないのだが、最近毎日のように聞くのがフジファブリックで「メメメメメリケーン」と口ずさんでいたのだったが。
しょうもないファンで歌に一目惚れして聞き続けているのに写真すらよく見たことがなくてひたすら音楽のみにはまっていたわけで、今回初めて志村さんの顔をまじまじと見たのだった。こんな素敵な人だったんですねえ。
大好きでした、あなたの歌。

今年は忌野清志郎とかマイケル・ジャクソンとか滅茶苦茶好きだった歌手が亡くなり続けた。あんまりだ。
posted by フェイユイ at 23:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『刑事コロンボ 完全版 Vol.9』「毒のある花」

今回は出演陣が豪華。犯人の化粧品会社女性社長ビベカ・スコットにヴェラ・マイルズ(『サイコ』でジャネット・リーの妹)被害者の若い研究員にマーティン・シーン、ライバル会社の社長はなんとヴィンセント・プライスという顔ぶれで一気に勢ぞろい、という感じである。
特にマーティン・シーンはチョイ役なのだが女性社長の元ツバメであり野望に燃える若者、という設定で確かにハンサムという形容がぴったりであった。

且つ本作は化粧品会社が舞台であり、「一塗りするとしわがなくなり、その効果が一日保てる」という魔法のクリームがアイテムになっているだけにドラマ観賞の女性陣はただならぬ思い入れで観てしまうかもしれない。ほんとにこんな凄いクリームがあったら化粧品業界を我が物にできるやね。
コロンボの奥さんも愛用の化粧品会社は経営難でしかもライバル会社との熾烈な争いの中にある。美人で評判の女性社長は若い男性をとっかえひっかえ恋人にするのがお好きなのだが、かつてはそういう立場だった化粧品開発部の研究員カールは会社の開発とは別にこっそりとしわ取りクリームを作り上げていた。それを知った女性社長は彼に成分を聞き出そうとするが反抗され逆上し、傍にあった顕微鏡で彼の頭を殴打、死亡させてしまった。

今回は計画的犯行ではなく突発的な殺害なのだが、物語の面白いのと出演者のうまさと何と言っても女性社長の美貌に見惚れてしまうのだなあ。
そして事件にもう一つの事柄が絡んでくるのが面白い。それが『毒のある花』なのであるが事件現場に行ったコロンボはどうにも手が痒くなって困り医者である弟に聞くとその原因が「毒蔦=ポイズンアイビー」であることは判ったのだが、それは近所にはない植物でかぶれるはずがないという。女性社長ビベカも数日手が痒くてたまらず赤く腫れたので手袋を着けていた。彼女はコロンボの話からカールが開発したあのクリームを手につけた時からだ、と気づく。クリームはしわはとるが湿疹ができ痒みに襲われる代物だったのだ。そこへ警察が社長の部屋を捜索に訪れる。ビベカは惜しみもなくクリームの瓶を海へと投げ捨てるのだった。
いくらしわがとれてもかぶれるんじゃねー、とがっかりしてたら、コロンボがビベカに言う。
「あの痒みは顕微鏡のせいですよ。あなたも殺害の時触ったし、私もつい割れたスライドの破片を触ったんです」
なんと、カールは化粧品以外にも研究をしておりちょうど顕微鏡に「毒蔦=ポイズンアイビー」をはめ込んで見ていたのだ。その化学式が黒板に残されラテン語でToxicodendron radicansと書かれていたのだ。参ったねえ。そりゃ判んない。
つまり!ビベカが惜しげもなく捨てたクリームは「痒くなる失敗作」ではなかったのだ!ああ!
しかしどーせ彼女は殺人犯しかも二人の、となりもう成功は望めないだろう。
最後はあっさりとあきらめ警察官と伴って去って行った姿はさすが化粧品の女王の貫録であった。

女性観客はああ、とため息をもらしたろうな。あのクリームがあったらば。

今回はポイズンアイビーにウルシオールという成分がある、というのとその言葉が無論日本語の漆から来てるっていうのがへええということだった。痒そうだったなあ。
コロンボが顕微鏡を見た時何か忘れている、というのが義弟から見せられたお土産のスライドから顕微鏡のスライドを連想した、というのも面白い。私はあれをスライドっていうの忘れてた。何故かプレパラートは覚えてるんだけど。
ビベカのようになりたいという若い女性がファニーな顔立ちなのもなんとなくいい感じで。
しっかしアメリカ人の化粧品だとか美容だとかの産業ってこれどころではない陰謀野望が渦巻いている気がする。ドラマ・映画の題材として凄く面白そうだけどあんまり暴いても困るかな。
現場に残された落書きが鉛筆ではなく眉墨だから犯人は女性だという推理。
美人社長の化粧・髪型・ファッション楽しい。

何も計画的犯行でなくともこういう面白い作品もできる。美人が犯人だとコロンボもより活動的みたいだ。くすくす。

監督:ヤノット・シュワルツ 脚本:ジャクソン・ギリス(先日のは酷かったがやはりギリスさんのは面白いんだよね) 出演:ピーター・フォーク 
posted by フェイユイ at 22:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 刑事コロンボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ティム・ロビンスと破局のスーザン・サランドンに、32歳年下男性の影?

おしどりカップル、スーザン・サランドンとティム・ロビンスが破局

ティム・ロビンスと破局のスーザン・サランドンに、32歳年下男性の影?

破局のニュースを知った時はさすがにサランドンも60歳だし、ティムに若い恋人でもできたのかなあ、などと考えていたのだが・・・。
これではまるでティムがよく演じる映画の役柄のような。帰宅したら妻は浮気してた、っていう。
ほんとだったらなんだか気の毒なティム。またあの顔で泣きべそになってたのかも。まさか現実ではそんな、とも思うが案外本当だったりするのかも。
しかしスーザンやるなあ。
posted by フェイユイ at 20:30| Comment(0) | TrackBack(0) | ティム・ロビンス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月24日

『刑事コロンボ 完全版 Vol.9』「二つの顔」

Double Shock

コロンボシリーズの中でも特にトリッキーで面白い作品だった。
出足はいかにも胡散臭げなお調子者が犯人で例によってコロンボに盾ついたりと余計な口出しをして「見え見えじゃん」となるのだが、犯人の双子の兄(一卵性双生児、っつーか、無論一人二役なのでそっくり)の登場であっとなり、「あれ、ではさっきの犯人は案外どっちかわからんわけか?」と慌てふためいたのだった。
ところが進行するにつれ、やはり最初の弟の方が明らかに怪しい。一体何がどうなるんだと思いながら観続けると友人だと思って信頼していた弁護士が実は腹に一物ありでまたまた不安に。しかも老人である被害者の「孫ほども年の離れた」婚約者も変な感じなのである。
最初っから見えすいた、と思いながらも何故か物語が迷宮に入っていくようで不可思議な。さしものコロンボ警部もいまいちピンとこないでいる様子。しかも今回の目玉キャラクター「家政婦」さん。
お世話する一家を愛し抜くまさに家政婦の鑑のような女性なのだが、些か過激に過ぎるというのか、おかげでだらしないコロンボ警部は彼女の怒りを買う。
と言っても同情するなあ。私だって綺麗に掃除している部屋に葉巻の灰をボトボト落とされたり、綺麗に掛けていたはずのタオルを取ってきたり、大事な調度品を壊したり、おまけにTVを何度も映らなくされたりしたら頭にくる。
コロンボも「私だって必死であなたのご主人を殺した犯人を探しているんですよ」と反撃するがまたまた失敗しでかして彼女の傷つきやすい心に塩をすりこんでしまうような・・・ああ、しょうもないコロンボ。
これってのはつまり双子の兄弟が実は全く性格が合わなくていつもケンカしているのに互いの共通の目的「金」の為には手を組んだ、というもう一つの性格の合わない二人を見せたのかしらん。
大好きなドラマを何度も中断された家政婦さんにはひたすら同情する。
だらしないコロンボと几帳面な家政婦さんのやり取りが最高におかしく、そっくりの双子の正反対の性格という面白さと、老人と孫ほどに年の離れた婚約者たち、と様々な二つの顔があるのかな。
婚約者の女性の見事なプロポーションをコロンボが目の保養だと眺めている場面がエロチックな要素が少ないコロンボシリーズには珍しい色気かも。そう言えば今回の脚本は隠れたセクシャル担当のボチコ氏である。
且つ、コロンボがTV放送中の料理番組(犯人が料理研究家なのだ)に出演する、というハプニングが起きるのも見どころ。いつものコートと背広を脱ぎワイシャツ姿にエプロン掛けで卵を黄身と白身に分ける技を披露。しかしワイルドなやり方だな。TV放送に突然映されてどぎまぎしながら愛想笑いをしたりするコロンボが見れる。
そして何と言っても謎解きの場面。入浴中の叔父の風呂に電動泡立て機をつっこんで感電死させた為、家政婦さんが見てたTVが映らなくなる。
もし犯人が風呂場から地下のヒューズの場所まで移動するのにどんなに急いでも60秒以上かっかる。だが、TVは20秒で復活していた。
その為には共犯者が必ず必要なのだ。
そっくりな顔であること、同じように叔父の遺産を受け継ぐ身であること、双子の兄弟という設定にする必要のある面白い事件だった。

監督:ロバート・バトラー 脚本:スティーブン・ボチコ ピーター・アラン・フィールズ 出演:ピーター・フォーク マーティン・ランドー ジャネット・ノーラン ポール・スチュワート
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2009年12月23日

『刑事コロンボ 完全版 Vol.8』「断たれた音」

The Most Dangerous Match

今回は一体どうしたんだろうか?
トリックや謎解きの部分は工夫が見える。補聴器が必要な犯人がその機械を装着せず犯した殺人の際に音が途切れたことを気づかなかったことが最大のミスだった、という種明かしなど他にないほどの面白さがある。
だがそれ以外の設定・物語はどうもいただけない。前回に一番面白い時期か、と思ったのが嘘のような作品に思えた。
まず最悪なのが犯人。コロンボに追い詰められ次第に苛立つ、というのならまだしもこの彼、初めからぶち切れてしまっていてコロンボ作品の犯人としてはまず最低のキャラクターではないだろうか。コロンボの敵役というのは何と言ってもコロンボが一見かっこ悪く見えてしまうほどの優れた人材でコロンボが周りをちょこまかしても鷹揚に構えていて欲しい。まさに好敵手という関係で騙し比べをしてくれるような人物でいて欲しい。同じタイプばかりではおかしくなってしまうかもしれないが、本作の犯人のように始終神経質に苛立ち、コロンボの質問にも陳腐な答えを繰り返し(つまり犯人が、というよりドラマを作っている側が使い古された答えをまた言わせているってことだが)追い詰められて公の場で尻尾を出し最後には絶叫しながらコロンボを罵倒する、っていくらなんでも酷過ぎる犯人描写ではないか。
犯人の殺害動機と方法というのは色々あったが、チェスの現チャンピオンが元チャンピオンの復帰に怯え、試合直前に殺害してしまうなんて犯行としても見え見えであるし、何とも情けない発作的殺人で今までの犯人の中でも最も馬鹿馬鹿しくしょぼくれた奴であった。またその犯人の特徴が「耳の聞こえない(遠い)」人物だというのは今なら設定し難いことかもしれない。

脚本は他にいいものを書いている(『二枚のドガの絵』など)がこの回に関しては何故こんな変な展開になってしまったのか。
元妻という女性が最初は犯人に憎悪を抱いているような描写だったのに途中から全く違った感情を持っているのが不自然で意味が判らない。
犯人が殺害後に元チャンピオンの弔いゲームだみたいなことを言って数人対戦の公開チェスを催すのだが、その場でゲームをしながらコロンボと事件についてやり取りする、というのは奇抜な演出だとしてやったのかもしれないが、現実離れしすぎているとしか思えなかった。

こういう時はコロンボ自身も犯人への迫り方がじれったいような嫌らしさを感じさせるからおかしなもんである。確かに犯人が言うような芝居がかった方法で鬱陶しい。
愛犬の登場だけがなんとか場を救った感じがしたが、このコロンボは好きになれなかったなあ。

何故犯人がここまで勝ちにこだわるのか、何故被害者はあんなに優しいいい人で犯人に付き合ったのか。何故犯人の元妻が元チャンピオン側に着いていたのか、何故途中で犯人への態度が変わったのか、その辺りの書き込みをして欲しい。
後、被害者が手術後注射をしたことで容体が急変したのでコロンボがアンプルの鑑識を求めるとそれは捨てた、というので終わってしまったが、体内に残った薬の成分、という鑑定はされないのかな。

監督:エドワード・M・エイブラムス 脚本:ジャクソン・ギリス 出演:ピーター・フォーク ローレンス・ハーヴェイ
1972〜1973年アメリカ
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2009年12月22日

『ロシアン・ブラザー』アレクセイ・バラバノフ

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ълат/brat
(しっかしこの画って何?)

何の導きだったか突然ロシア映画に手を伸ばしてしまった。ロシア、という国は時代が近くなればなるほどどういう国であるのかどういう状況なのかが判らなくなってしまうような気がする。何しろ知っているロシアというのはドストエフスキーだのツルゲーネフだのからロシア革命を経てゴルバチョフ、エリツィン、プーチンなどの名前を知っているだけにしか過ぎないという私である。どうやら今でもかなりおっかない国のようだ、という感覚だけである。
さて例によって何の予備知識もなく(というか、どうやらヤクザな話のようだってくらい)観た本作であるが、これがなかなか面白かった。

暗くどんよりと重く観ているだけで体が凍りつきそうに寒い映画なのだが、それはあえてそういう効果をだすことで物語をクールに見せているのであろう。
主人公が夢中になっているナウチルス・ポンピウルスの曲が絶え間なく流れる。
田舎から兄を訪ねてサンクト・ペテルブルグに辿り着いた青年ダニーラは徴兵を終えたばかりで何の蓄えも学問もない。殺し屋稼業に携わっている兄の求めるままにダニーラもまた殺し屋となっていく。

田舎から大都会へ突然入り込んだ若者、という物語は通常なら雑踏の中で手酷い目に会う、という描写になるところだが、この、まだ少年のように見えるセルゲイ・ボドロフ・ジュニア演じるダニーラは何も恐れることもなく彼が「悪」だと感じた者に対して制裁を食らわしていく。そして「都会は力だ」と言ったドイツ人に対して「都会には弱い奴しか住んでない」と言い捨てるのである。
一体、この物語から何かロシア社会の意味を汲み上げられるのか。それとも確かに弱者は都会の力に飲み込まれてしまうものなのだからこそ、ダニーラという超人的な若者、しかしその生まれ育ちは貧しく教育もないのだが、を登場させ絶対にあり得ない力で都会に住む悪党たちを成敗していった、ということなのだろうか。
まだあどけない童顔のダニーラは金も権力も何らかの才能なども持ってはいないのだが、強い意志と身じろぎひとつせず悪人を叩きのめしてしまう腕力、そして銃を持たせれば何の呵責もなく人を殺してしまう精神を持っているのである。
その一方で道端で細々と物売りをしているドイツ人やぶらぶらしながらその日暮らしをしているような少女、夫に暴力を振るわれている中年女性、ヤクザに襲われる弱虫の男性などにはひたすら優しくいたわるのである。そして自分をヤクザに売った兄貴に対しても恨んだりはせず、昔兄が自分に優しかったことを話して「ブラザー、兄弟」だと抱きしめるのである。尚且つ兄を虐待したヤクザどもをぶっ殺す。

こうして書いていけば、この映画がロシアで物凄い人気だったのも当然のような気がする。貧しくても何の後ろ盾がなくても自分の力で悪い奴らをぶっ飛ばしてしまう爽快感。弱い者は助け、彼らがその弱さゆえに彼に冷たい仕打ちをしても恨んだりすることもしない。
まさに大衆が求める正義の味方、なのだが、作品からそういった昔風の押しつけがましさがないのはヒーロー役であるセルゲイ青年があまりにも普通の可愛らしい青年で朴訥として見えるからなのだろうか。気取ったところがない無垢な青年としか思えないからなんだろうか。
この素晴らしいダニーラを演じたセルゲイ・ボドロフ・ジュニアが事故により30歳の年齢ですでに亡くなっているという事実が衝撃だった。

こんないい映画だったのに私が一番気になってしまったのは最後ダニーラが町を離れモスクワへ旅立つ時、ヒッチハイクでトラックに乗せてもらうんだけど、どういうわけか運ちゃんがダニーラを気に入った様子でにかにか笑っている。ダニーラも笑い返すんだけどその様子がどうにも意味ありげで。
大体、作品中にも女は登場するんだけど一人はお母さんに見間違える年上の女性とダニーラにたかるヤク中の若い女でそれはどうでもいいなだけど、肉体関係を持った彼女たちより町であったドイツ男やヤクザに苛められるラジオディレクターや兄貴との関係の方がより親密に描かれているっていうのが凄いツボの映画だったんで、ラストの運転手オヤジとのにやにや笑いが妙に気にかかるのであった。ダニーラ可愛いしねー。二人の女に酷い仕打ちにあったんで今度はオヤジかよーとか。
含み笑いだけで終わるこの作品、気になるなあ。

監督:アレクセイ・バラバノフ 出演:セルゲイ・ボドロフ・Jr. ヴィクトル・スホルコフ スヴェトラーナ・ビスミチェンコ ユーリー・クズネツォフ マリア・ジェコワ
1997年ロシア
posted by フェイユイ at 23:18| Comment(0) | TrackBack(0) | ロシア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「007」シリーズ第23作は「ショッキングな展開」に

「007」シリーズ第23作は「ショッキングな展開」に。脚本家が明かす

って。どんな?どんな?
以前ダニエルが「そろそろゲイのボンドが出て来てもいいんじゃ」って言ってたけどまさか・・ね?
もしそうならほんとショッキングだわ。しかも007はダニエルに決まりみたいだし(他の人ならそこまでないかも?)
posted by フェイユイ at 18:57| Comment(0) | TrackBack(0) | ダニエル・クレイグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月21日

ベン・ウィショー『Bright Star』の日本公開情報

ふぇでり子さんからベン・ウィショー『Bright Star』の日本公開情報いただきました。ありがとうございます!!

ふぇでり子さんによると情報誌『FRaU』のおすぎさんの記事の後に出ていた小さめの映画紹介の所に『Bright Star』の写真が出ていて2010年の初夏公開と書かれていたそうです!!
私もネット上に何かないかと探したんですが力及ばずでした。

もーこれは絶対本当!であって欲しいですね!!!
本屋さんに走らねば!


『Bright Star』

posted by フェイユイ at 23:38| Comment(6) | TrackBack(0) | ベン・ウィショー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『刑事コロンボ 完全版 Vol.8』「溶ける糸」

A Stitch in Crime

今回はなんとあのレナード・ニモイが犯人として登場。私的には彼の登場が一番の目玉である。
しかも優秀かつ冷静沈着な外科医というまさにぴったりの役どころ。

実はニモイが『スタートレック』以外の作品に出てるのをちゃんと観たのはこれが初めてかもしれない。あの独特な風貌が一般社会ではどうなるのかと思ったら極当然にハンサムであった。すらりと長い手足とぴくりと持ちあがる眉はそのままである。
野心家で切れる頭脳を持つ彼はいつものようによれよれで現れたコロンボの才能をすぐに感じ、最後の最後までコロンボを悩ませる。
今回の他との相違点は作品の中で二つの殺人が行われるが第三の殺人、というより本当はその殺人こそが本来の目的であったその殺人が未然に防ぐことができるか、ということにあった。
その為にコロンボは他では見せることのない激昂を犯人にぶつけるのである。
果たして犯人である外科医は再手術の必要を察し、これまた落ち着いた策略で(被害者は落ち着いてはいられないとんでもない状態になってしまうが)再手術で己の罪を隠そうとする。
コロンボは他の作品でもたびたび説明されるが怖いものや注射や手術などが大の苦手で今回も別の医師の説明で手術状況を見せられるのだが、気持ちが悪くなって目をそらすのだが、命がかかっている被害者の再手術の際は目をくぎ付けにして様子を見守るのである。
冒頭では犯人の凶器である金てこにゆで卵をぶつけて割ったりするふざけた場面があるのだが、被害者を守ろうとする為に激しく怒りを表す姿や手術後すぐに部屋の中に入っていくコロンボの懸命さにちょっと打たれる。

この場合の犯罪の凶器が溶ける糸である。心臓手術には形が残るパーマネントの糸を使うのだが、もし溶ける糸を使えば患者は数日で死んでしまうのである。
コロンボはニモイ扮する外科医に再手術を促し、そこで取り換えて摘出するはずの「溶ける糸」を摘発するつもりだった。
だが、手術後すぐに中に入って捜索したのに何も見つからない。
コロンボは負けを認め引きさがるが、思い出したのはいつも冷静な医師がその時だけ激しく怒ってコロンボに詰め寄った「いつもと違う態度」だった。
彼は怒りを演じてコロンボが身に付けた手術着のポケットに素早く「溶ける糸」を隠したのだ。
最も見つからない場所、それがコロンボのポケットだった。

うーん楽しい。ブラウン神父みたい。
ニモイの外科医を観てたらこの前まで観ていた『白い巨塔』の田宮二郎みたいに思えてきた。
日本でコロンボ作るなら田宮=財前は出て欲しいやね。って無理でした。

監督:ハイ・アヴァーバック 脚本:シリル・ヘンドリックス 出演:ピーター・フォーク レナード・ニモイ アン・フランシス
1972〜1973年アメリカ
posted by フェイユイ at 22:40| Comment(2) | TrackBack(0) | 刑事コロンボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月20日

『刑事コロンボ 完全版 Vol.7』「偶像のレクイエム」

Requiem for a Falling Star

コロンボを観直しててまったく感心してしまうのはどの回も色々な面が他のと違うように工夫されていることだ、というのは何度も書いたと思うが今回もまたさらに唸らされてしまった。

コロンボシリーズは何と言ってもコロンボ警部の個性が物凄く強烈なのでその部分だけが、彼の話し方とか仕草とかがすぐ思いついてしまうのだが、無論こんなに世界各地で長く愛されているのはやはり物語にそれぞれの特徴があって飽きさせない面白さがあるからだろう。
しかも今では当たり前の猟奇趣味だとか性的犯罪の露骨な描写は抜きなので多くの国で許容されるし家族団らんで観れるのも強みであるに違いない。
その上で様々な創意工夫がなされているわけであるが、普通回が進めばマンネリだとかネタ切れだとかになりがちだがコロンボシリーズ14作目にしてますます脂がのってきて話もより練られていると思えるのは脚本家や演出家が入れ替わってやっているからというのもあるのだろうか。
とはいえ今回は脚本・演出が前回と続いている。このジャクソン・ギリスという方がコロンボシリーズの脚本を一番多く手掛けていてしかも水準が高いのだ。

本作のコロンボで最も変わっているのは確かに殺人事件現場は観客の目の前で起きるのだが犯人の動機が実は最後まで判らない、ということにある。
最初は被害者と恋仲になっているゴシップライターの男から弱みを握られ強請られたことで起こした殺害計画が偶然による間違いかと思わされる。大女優である犯人の余裕のある言動や華やかな様子にコロンボ同様見惚れてしまうのである。そしてコロンボと共に彼女の行動が何を示しているのかを少しずつ知っていくことになる。
今回のコロンボは青春時代の思いで深い女優さんから優しく接してもらえることでかなり嬉しそうで観てても可愛らしい。背の高い役者の出番が多いのでコロンボの小柄さが目立つ。華やかな映画界が舞台のせいか、彼の貧相ぶりがますます強調されているようにも思える。愛車もいつもに増してオンボロになってしまったようだ。
またネクタイがいつも同じだと大女優ノーラから指摘されお洒落な金色のネクタイをプレゼントされるのだが、「明日そのネクタイをしてないと結婚記念日なのでまずい」と言っていつものネクタイを取り返す。
また「女房があなたの大ファンなので電話に出てもらっていいですか」と妻に電話する、という貴重な場面があるのだが2回とも買い物に出ていて代わりに甥っ子が大女優と話してどうやら大興奮になったようだ。
この大女優ノーラを演じているのがアン・バクスターで先日私はやっと彼女の『イヴの総て』を観てそれこそ大感激だったのだが、彼女の実際の衣装デザイナーであるイデス・ヘッドがそのままアカデミー衣装デザイン賞を取ったイデス・ヘッド本人の役で登場してコロンボに贈るネクタイを運んでくるのだ。楽しいねえ。

監督:リチャード・クワイン 出演:ジャクソン・ギリス 出演:ピーター・フォーク アン・バクスター メル・ファーラー イデス・ヘッド
1972〜1973年アメリカ
posted by フェイユイ at 22:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 刑事コロンボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月19日

『刑事コロンボ 完全版 Vol.7』「ロンドンの傘」

Dagger of the Mind

アメリカ・ロサンジェルスの警部であるコロンボがスコットランドヤードを視察する為ロンドンを訪れ、そこでシェークスピア劇の俳優夫婦による殺人事件に出食わす、という思い切り楽しい設定である。

自分がロンドン子なら大好きなコロンボがやって来たというのでわくわくして観たに違いない。
ところでこの回、小池朝雄氏が風邪気味だったのか、相当なしゃがれ声で初め他の人かと思った。かなり調子が悪そうでいまいちコロンボらしからぬ口調だったのとせっかくアメリカ英語とイギリス英語の差を楽しめるので今回だけは途中から英語オーディオに切り替えてしまったよ。慣れるとこれもいいかも、だ。

さて、物語の展開はいつも通り、ロンドン在住の俳優夫婦、どうやらシェークスピア劇は初めての様子。かなりの意気込みであったにも関わらず彼らのスポンサーであるサー・ロジャーが彼らに利用されたことを怒り劇の中止を決意したと言いだした。
慌てた夫婦はサーを止めようともめている最中に動転した妻リリーの投げたクリームのビンが夫ニックに押されたサー・ロジャーに当たってしまいなんとサーは死んでしまったのだ。
思いもよらぬ出来事に二人は激しく動揺しその場では死体を隠した後、マクベス上演後に彼の邸宅に遺体を運び階段から落ちて死んだように画策するのだった。

その後、コロンボ警部がロンドンへ到着し、旅行かばんがなくなったとかで大騒ぎになるのだが、ありゃ偶然とはいえ昨日の『フランティック』も旅先で旅行かばんがなくなった騒ぎだったのになあ。なんだかやっぱり映画って連動していく気がする。
スコットランドヤードを視察?見学?勉強?しにしたはずのコロンボ警部は地元警部の案内ですっかりお上りさん気分で衛兵だのロンドンの風景だのをカメラで撮りまくり。大はしゃぎのコロンボが可愛いのである。しかしスコットランドヤード警部はロサンジェルスからわざわざ派遣された腕利き警部と言われる男がテンで冴えない小男で格好もよれよれなので胡散臭く思っているのがありあり。ま、コロンボはいつものことで慣れてるのでそんなことで怒ったりはしない、っていうかそれが「手」なんで。
まあまあ、とにかく、シェークスピア劇『マクベス』にちなんで夫婦による恩義あるサー殺害。そしてロンドンの雨、傘、パブ、執事、とイギリスを連想させる色んな小道具を駆使しての物語展開。ロサンジェルスの話口調とは違う会話とロスっ子とは全く異なるつんととりすましたロンドンの人々の中で小柄なコロンボが不思議な違和感を醸し出しながらも事件を解決していく。
コロンボって見かけはよれよれだけど美術音楽演劇と物凄く興味の幅は広いのだよねー。
あ、そういえばサーの死が事故ではない、と疑問を持ったのは彼が読んでいたと思われる(つまり偽装した)『不思議の国のアリス』の高価な蔵書をこともあろうにページを開いたままテーブルの上に伏せて置いておく、という本が最も傷むことをやっていたからなのだった。これもイギリスらしい本の選択であり高価な本だとコロンボがすぐに気付くのも彼の知識を物語る。

最後にコロンボが頭脳だけでなくマジシャン並みのテクニックを見せてくれる。ここんとこの種明かしは人によっては狡いと言われてしまいそうだが、要は犯人を立証することなので、私的には却って違うパターンで面白い、と思ったのだが。

もうひとつイギリスらしいエピソード。コロンボが地元警部に「クラブに連れていく」と言われスポーツクラブかと思ったらよく話に聞く社交の場の(って言う説明でいいのか)クラブで豪華なお茶を用意され恐縮する。そこで「ここはやっぱり女人禁制なので?」って聞くのがおかしい。答えは「何故そう思うのですか」だったんだけど、そうじゃないのかな。

監督:リチャード・クワイン 脚本:ジャクソン・ギリス 出演:ピーター・フォーク リチャード・ベイスハート オナー・ブラックマン
11972年〜1973年アメリカ
posted by フェイユイ at 23:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 刑事コロンボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ベン・ウィショー『ブライトスターBright Star [DVD] 』予約開始

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Bright Star [DVD]

ようやく『ブライトスター』DVD予約開始。
と言っても発売はまだまだ先3月ですかー。道のり遠し、ですなあ。
posted by フェイユイ at 20:07| Comment(0) | TrackBack(0) | ベン・ウィショー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『フランティック』ロマン・ポランスキー

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FRANTIC

これまたポランスキー非常に上手い、非常に楽しめる、そしてやはりとても暗い彼のテイストが溢れんばかりの作品だったなあ。

前回観た『赤い航路』よりもソフトでしかも娯楽性が強いので結構軽く楽しめるのだが、そのくせやはりミステリアスな美少女だとか淫靡な雰囲気だとかなんともやるせないラストだとかはしっかりロマンらしさを表現している。と言ってもエマニュエル・セニエはこれに出てから『赤い航路』で妖艶な美女(というか美少女と言う方が似合ってるのだけど)を演じているのだね。たどたどしく愛らしい英語は共通してる。

医学学会で発表する為パリを訪れたアメリカ人医師リチャード・ウォーカーとその妻サンドラ。ホテルに着きリチャードがシャワーを浴びていた僅かの間に妻が忽然と消えてしまった。
ちょうどその時かかって来た電話で話した後、サンドラは何者かに連れ去られたようなのだ。
果たしてサンドラの行方は。言葉の通じないフランスで頼りないパリ警察に愛想をつかしながらウォーカーは走り回る。

ゆったりとした導入部からとんでもない事件に巻き込まれていく、という展開はポランスキーの形式のようであるが、どれもとてもいいのだよな。これはまた車で移動しながらパリへ入り込んでいく風景が私好みでたまらないのである。
シャワーを浴びている間に妻が消えてしまう、というのはなんだかヒッチコック風な感じ。ヒッチに負けないくらいのユーモア感覚もたっぷり含みながらハリソン・フォードらしい男っぽいアクションも楽しめる。
ハリソンが大柄でいかにもアメリカ人らしい武骨な感じなのもキュートで、どんどんわけが判らなくなって追い詰められ、泣き出してしまうのも可愛いのである。
大げさには演出しないのだが笑わせてくれるユーモアのセンスは本作でもたっぷりなのだが、男らしいハリソンが女の子が渡っていけた屋根の上をぐらぐらしながら歩いて結局滑ってしまい大切な謎を秘めたスーツケースを屋根の上のアンテナに引っ掛けてしまい中身がばらばらに落ちていく顛末は高所恐怖症(私が)なので怖いやらおかしいやらで困ってしまった。可哀そうなのはハリソン=ウォーカーで彼こそがずるずる滑る屋根の上で縮みあがった上に愛しい妻を助ける鍵であるスーツケースの中身をばらまいてしまい、靴を脱いだら靴下ごと落ちてしまい踏んだり蹴ったり。ついに裸足で歩かねばならない惨めな姿になってしまう。
しかも女の子をかっこよく助けようとしたら思い切り殴られて気絶。アーメン。
奥さんが行方不明、多分誘拐で笑いごとではないのだがでかすぎて頭をぶつけてしまうようなハリソン=ウォーカーが女の子に助けられながらパリを彷徨う姿は情けなくもいじらしいのであった。

ハリソン=ウォーカーが一途な男性らしくエロチックな少女には誘惑されず、ひたすら妻を探し続けるのはちょっとじーんとしたりして。
エマニュエル演じるミシェルはどうしてあそこまでこだわってしまったのかなあ。この辺のつきつめ方が次の『赤い航路』でも発揮されてるようである。
若い女の子とおじさんであるウォーカーの食い違い方もどこも同じだな、という感じでこれもおかしい。
セニエが出てるのもあるが本作と『赤い航路』は共通点が多いのかもしれない。
パリが舞台で異国人(本作がアメリカ人であちらはイギリス人)がパリに対して憧れと溶け込みきれない感覚がある。それはエマニュエルが演じるパリの少女によってさらに強く印象付けられる。裕福だが平凡で幸福な夫婦が危機を迎え再び幸福を取り戻す。
それはやはりパリとパリの少女という異国人には憧れの存在によってもたらされる不思議な体験なのである。

監督:ロマン・ポランスキー 出演:ハリソン・フォード ベティ・バックリー  エマニュエル・セニエ 
1988年アメリカ
posted by フェイユイ at 23:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『第一容疑者 1』

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PRIME SUSPECT 1

70年代アメリカ警察物『コロンボ』を観てるのに90年代イギリス警察物に手をつけてしまった。主演はヘレン・ミレンさすが20年前なのでかなり若い、と言ってもそんなには若くないので(笑)あるが。
いやあ、70年アメリカ警察物と違って暗い暗い。思い切り惨たらしい裸の死体が出てくるし。独り舞台で事件をあっという間に解決してしまうコロンボと違って(約100分ほど)前後篇合わせて180分という長丁場。前篇だけ観て止めればなんてこたないのだが、気になって気になってそんなこたできまへん。せめて今回だけでも、と観通してしまった。
警察内部で信頼され切ってるコロンボ警部と違い、本作ヘレン・ミレン扮するジェーン・テニスンは今回からその座に就いたのであるが前警部の急死による急遽着任というか彼女がごり押しでその地位に就いたという陰口を叩かれ以降女性蔑視の差別の中で初仕事に取り組んでいく。
アメリカ警察物に比べるとどことなく日本の警察物に似た感のある地道な捜査活動。これぞと思う容疑者はいるのだがそれを実証する為に四苦八苦する。ここではコロンボ的名推理はないのだよねえ。
というか、一人コロンボ並みに閃いたのはジェーンでも彼女の相棒的存在の男性でも他の男たちでもなく署内でこまごまとした雑務をこなす女性なのがちょっとおかしかったりもしたのだが、多分これは女性が活躍する、ということでの彼女の閃きだったのだろうな。だってあれが全てを決めたわけで、どうして他の奴はピンとこなかったのやら。やれやれ。

なにしろヘレン=ジェーンはプライベートでは、これってやっと一緒になれた、みたいな関係なんだよね、みたいな彼から「仕事仕事でまったく俺のことなんかこれっぽっちも考えてくれないっ」てんですったもんだの挙句逃げられてしまったようなのだ。とほほ。
仕事では彼女を目の敵にしていた嫌〜な奴が実は犯罪と関わりがあって途中から消えてしまい、そいつに焚きつけられて女性上司に不満だった部下たちも次第にジェーンを認め一丸となって容疑者を追及していく。最後は男性部下たち皆から事件解決の祝福を受けることになるのだが、容疑者は依然己の無実を言い張る、という苦い後味がイギリスものらしい感覚であった。

実に渋い作品で昨日観た『劔岳』の幼稚さの真逆のような味わい。あの作品もこういう大人の苦さを持っていて欲しかったねえ。この渋さ、止められなくなりそうだ。
女性差別ってここまで酷いのか、と思ってしまうのだが、実際もっと辛いものなのかもしれない。
途中突然登場するテレンス・アムソンは一体何者?子役の少年が可愛かった。

監督:クリストファー・メノール 出演: ヘレン・ミレン トム・ベル ジョン・ベンフィールド ジョン・ボー トム・アダムス ジョン・フォーゲハム ジョン ハウ ゾー・ワナメイカー
1990年イギリス
タグ:犯罪 警察
posted by フェイユイ at 00:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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