映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2010年02月28日

『僕の村は戦場だった』アンドレイ・タルコフスキー

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Иваново детство

初めて観たのはいつだったんだろう。自分もまだ少女という枠の中にいた時だったんだろうか。物語は当時の私には難しくただ戦争というものがこんなにも恐ろしいのだと感じさせる暗い画面と銃砲の悲しげな響きに戸惑うだけだったかもしれない。
その時、私の心に残ったのは主人公のまだ幼いと言っていい少年イワンの痛々しいほどの美しさだった。
真っ暗で何も見えない沼地を歩いて渡ってくる少年イワンを同じロシア軍に捕えられ若い将校ガリツェフのもとに連れてこられる。ガリツェフ中尉は質問をするのだが年に似合わず大人びて落ち着き払った少年はその問いを無視して司令部を呼び出せと命令口調でいい渡すのだった。

折れそうなほど細い体と細長い手足。泥だらけになっていた少年は確かに軍の斥候として働いていたのだった。
ガリツェフの疑いも解け体を洗ったイワンは金色(モノクロフィルムではあるけど薄い色の髪だ)の髪の毛先が渇き大きな目が可愛らしい少年なのだがその目はいつも悲しみに溢れているように見えるのだ。
体を洗って少しだけ食事を口に入れたイワンはどっと疲れが襲ったのか眠ってしまう。ガリツェフ中尉が抱き上げると本当にまだ小さな少年でしかない。
目が覚めたイワンはまだ司令部が来ないのかと気にしている。そこへやっと現れたホーリン大尉を見て初めてイワンは嬉しそうに駆けよって跳びついて喜んだ。

ここまでのイワンの描き方に打ちのめされてしまった。
少年が魅力的に描かれた映画は数多くあるが、ここまで印象的に今迄記憶に焼き付いているのはイワンだけである。
戦争によって家族を家族を殺された、という悲劇が彼の美しさを際立たせてしまっているのは辛いことではあるが確かにその通りなんだろう。
そして映像は復讐にとり憑かれてしまい半ば狂気に陥ろうとしているイワンの苦悩と思い出の中の愛らしい少年であるイワンを交互に見せていく。
夢の中のイワンは優しいママと可愛らしい妹との楽しい生活の中で過ごしている。
ママは井戸の中に星が見えると言う。星にとっては昼間が夜だからそこにいるのだと。イワンは手を伸ばして井戸の中の星を掴もうとする。
ママが運ぶバケツの水を飲んでにっこりと笑うイワンの可愛らしさ。
雨の中リンゴをいっぱい乗せた馬車にイワンと妹が乗っている。馬車は浜辺へつき砂浜にリンゴがこぼれ落ちる。その林檎を食べ始める馬たち。イワンと妹は砂浜を走り出す。先に走っていた妹を追い抜きイワンは走り続けるが、その前に大きな樹が立ちふさがる。

素晴らしく美しい幻想なのだが、それらはイワンの記憶の中の夢でしかない。優しい母も可愛らしい妹もこの世には存在しないのだ。そしてまたイワンも。

母親に可愛い笑顔で問いかけていたイワンは戦争の中でその笑顔をなくしてしまったのだ。

戦争は大人がするものだ、と言ってイワンを学校にやってしまおうとする将校たちにイワンは反抗する。戦争は大人がしても殺されるのは子供たちなのだ。
イワンの記憶の中で死んでいった子供達の悲鳴が聞こえている。

酷く辛い悲しい作品なのだが、私はイワン少年の綺麗な横顔に見入ってしまう。愛らしく跳ねた金色の髪をロシアの帽子で包み込みざっくりとしたセーターを着た細い体と細い脚が少年の儚げな魅力を出している。大人びた口をきいてそのくせホーリンやカタソーニチに子供っぽく甘えたりする可愛い可愛いイワン。
彼と同じように家族を亡くして木のふれた老人と話す時のイワンの目には悲しい思いが込められている。

タルコフスキー監督作品で観た他のものはもっと幻想的で難解になっていて、この作品もその要素は持っている。
くだくだしい説明はなく映像のみで物事を語っていく。

戦争の悲劇を衝撃的に伝えている作品でありイワン少年と彼に関わったガリツェフ、ホーリン、カタソーニチらの描き方にも惹かれてしまう。
特にイワンが綺麗なナイフに見惚れてしまう場面は少年らしさが際立つがそれを見たカタソーニチが代わりのナイフを探してやろうというのがイワンを可愛く思っている気持ちが伝わってくるのだ。
煙草を吸いすぎるホーリンを心配して止めさせるイワン、だとか、偵察に行く最後の時ホーリンに抱きついてキスをするイワンの姿も切なく思えた。

この作品レンタルで借りることもできず、長い間観なおしたくて叶わなかったのをやっと観ることができた。
イワン少年の美しさも作品の瑞々しさも最初に観た時以上に素晴らしいと感じさせる作品だった。

ところで最近ロシア映画に凝りだすきっかけともなったのが今夢中のアレクセイ・チャドフ主演の『チェチェン・ウォー』でこれもまた戦争ものになってしまうのだが、この主役もイワンであった。イワンというのはロシア男性に最も多い名前なのだろうけど自分の中では行かなくてもいいのに自分の身を犠牲にして戦う少年(アレクセイの方もあの時はやっと20歳になるかならずかなんで少年に入れてもいいだろう)というイメージが凄く似ている、と思っていたのだが、今日観てみたら少年の名前がイワンだったので(名前は忘れていた)驚いたのだ。やはり歴史は繰り返すのか。
ともあれそれは酷く嬉しい一致であった。

監督:アンドレイ・タルコフスキー 出演:ニコライ・ブルリャーエフ ワレンチン・ズブコフ イリーナ・タルコフスカヤ
1962年ロシア
posted by フェイユイ at 22:14| Comment(1) | TrackBack(0) | ロシア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月27日

『提督の戦艦』アンドレイ・クラフチューク

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ADMIRAL

実在の人物であったというコルチャーク提督の戦いと愛の物語。ロシア軍とドイツ軍戦艦の戦闘シーンは迫力がありNHKで先日放送された『坂の上の雲』はどうやらこれを真似て作ったのではないだろうか、と思われるほどそっくり。
また美貌の人妻アンナとの不倫恋愛も絡み、またロシア革命勃発によって貴族である彼らは祖国を愛し祖国の為に命がけで戦いながら追われる身となっていく。
コルチャークを演じたのが『ナイト・ウォッチ』『ディ・ウォッチ』でアントン役だったコンスタンチン・ハベンスキーだったので私的には親しみやすく観れたかな。

非常にまっとうな大河ドラマ的な作りなのである意味観やすいし、ある意味そっけなく物語が進んでいく。
他の西洋国や日本、アメリカなどと違うのは何と言っても戦争の英雄でありながら政治体制の変革によって反体制のレッテルを貼られてしまうことだ。
共産主義の赤軍に対し彼らはボルシェビキと戦う白軍となり追い詰められついには処刑されてしまう。彼の心には愛国心が満ち、その命を敵国との戦いに捧げた、のであっても彼は処刑されてしまったのだ。
驚いたのはこの映画を作ったのがロシア人なのであり、革命が起こる直前に「今から暗黒の時代が始まる」というナレーションが入り貴族であるコルチャークを立派な人物だったと描いている(不倫はしてるが)ことが、ロシアという国はそんな風に表現していいんだと改めて認識した。
ロシアからソビエト連邦からまたロシアへという歴史をちょいとお勉強したかったら観ていい映画なんではないだろうか。

それにしてもアントンを演じていた時のコンスタンチンはなかなかよい、と思っていたのだが本作のアレクサンドルは正直言ってかっこよくないのではないか。彼がアンナに一目惚れするのは判るが、このアレクサンドルに恋するかなあ?身は引き締まってるが顔がぽにゃってて軍人らしくない。それにはっと恋に落ちてしまうような場面がないのだよね。何故アンナがここまで惹かれたのか、というような場面がないのが残念だった。

最後の処刑シーンがあっさりしていたのはよかった。妙に感動的に死んでいったりしないのがいい。英雄であったコルチャークがあっさり殺され凍った湖にほいと投げ込まれる、というのが悲しいのだ。

やっぱりロシアは寒そうだ。うっかり水に入ってしまうともう足が腐ってしまうんだ。恐ろしい。

監督:アンドレイ・クラフチューク 出演:コンスタンチン・ハベンスキー エリザヴェータ・ボヤルスカヤ セルゲイ・ベズラコフ ウラジスラフ・ヴェトロフ アンナ・コヴァルチュク
2008年ロシア
posted by フェイユイ at 23:13| Comment(0) | TrackBack(0) | ロシア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月26日

『ラフマニノフ ある愛の調べ』パーヴェル・ルンギン

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LILACS

ちょっと前に私が「音楽家映画」に凝った時があってちょうどその頃このDVDが出る頃だったので観ようかな、と思っていたのだがあまりに評価が低いようで(いつも評価が低いと逆に観るのだが)演奏場面が目的なのにあまりそれがないのではなあ、と観るのを止めたのだった。
今回再チャレンジしたのは目的が「音楽」じゃなく「ロシア」なのでロシア人が出てればなんでもいいや、てな理由だった。
何しろロシア映画って作品探すと殆どが戦争映画なんですぜ。それも思い切り右翼的な感じの。おいおい左翼じゃねえのかよ、とかいうつっこみはこの際おいといてとにかく戦争マニア的なタイトルがズラリなのである。例えば『ナチスの墓標〜レニングラード捕虜収容所〜』だとか『PQ-17 -対Uボート海戦』とかな(まだ観てはいない。案外面白いのかな?)(そーゆー私が一番好きなロシア映画が『チェチェン・ウォー』って)次はいかにも名作な感じの堅苦しい奴。泣けそうな奴ね。たまにはいいけど続けて観るのはなあ。こういう軟弱系音楽家映画なんてぜーんぜんないのだ。その中でひときわ異質な本作タイトル『ラフマニノフ ある愛の調べ』なんて。これしかない。借りるっきゃないでしょ。
で観てみた。

どうして評価が低いのかな?って思うほどまともにいい映画だった。
多分そういう評価の方はラフマニノフが好きで詳しい人なのかもしれない。
私は彼の曲も人生もまったく知らなかったのでかなり熱心に観てしまった。彼の奥さんナターシャを演じていたのがちょい前必殺の女性スナイパーをやってたヴィクトリア・トルストガノヴァだったのでいつ撃たれるかとひやひやもんだった。
ああ、こんなちゃちゃばかり言っとらんと。

私自身演奏目的で観てたら評価は低かったかもしれない。何しろここに描かれているのは苦悩するラフマニノフで終始「演奏したくない」「作曲したいのにもう10年間していない」と愚痴ばかりこぼしてる鬱状態の彼の姿でピアノに触れている時間はあんまりないのである。
しかし私はロシア目的なので、亡命したラフマニノフの物語でほぼ舞台がアメリカであるにも拘らず原語はロシア語ばかり。
ロシアにいられず、しかしアメリカの空気では作曲がはかどらないセルゲイの苦悩をハンサムなエフゲニー・ツィガノフが魅力的に演じている。
彼の心を癒してくれるのは祖国ロシアで彼が愛していたライラックの花。そしてライラックの花束をいつも贈ってくれるのは彼を最も愛してくれるその人だった。

セルゲイが愛した貴族の女性、彼を愛した強力なコミュニストの女性、そして従妹であり彼のことだけを一途に愛するナターシャ。
時代背景などを絡ませながら彼と女性の愛情劇で綴っていく。
ひたすらロマンチックで甘いラブ・ストーリーではあるが自分目的としては非常に楽しめた一作だった。

監督:パーヴェル・ルンギン 出演:エフゲニー・ツィガノフ ヴィクトリア・トルストガノヴァ ヴィクトリア・イサコヴァ ミリアム・セホン アレクセイ・コルトネフ
2007年ロシア
posted by フェイユイ at 22:44| Comment(7) | TrackBack(0) | ロシア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月25日

『セルロイド・クローゼット』ロブ・エプスタイン ジェフリー・フリードマン 

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THE CELLULOID CLOSET

もうバレバレでしょうが先日ジェームズ・フランコが『ハウル』の主演だという記事で出てきたロバート・エプスタイン、ジェフリー・フリードマンの監督作品ということで観賞。
何しろ1996年製作の映画なので「ゲイ映画」をテーマとして取り上げたドキュメンタリーとして観るにはやや古きの感無きにしもあらず、だが、でもそんなに違和感がないっていうのはなかなかこの方面の成長の遅さを物語っているのかなあ。というわけでゲイ映画の筆頭に来るべき『ブロークバックマウンテン』は語られません。勿論我が愛するベン・ウィショーの『情愛と友情』もだね。『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』もまた。
とはいえ、ゲイ映画(男性同士、女性同士どちらも語られる)の代表作を挙げるなら、先に書いた映画を除けば(他にもあるけど、まあまあ)まず出てくるタイトルがずらり。今現在でやってもあまり変わらないかもしれない。

私が物凄く共感を持ったのはインタビューを受けるゲイの方たちが「ストレートを描いた映画の中に少しでもゲイ的な要素がないかと探し回った」というところ。
幸か不幸か残念ながら私はゲイではないがそういう場面を探し回る情熱だけはかなり持っている。威張ってもしょうがないが。
も少し言うならあんまり露骨に出てくるより「暗に匂わせた」「ゲイ的な象徴を使う」「含みを持った言い回し」などを感じるのが大好きである。きっと今本当のゲイの人から嫌な顔をされたかもしれない。
しかし確かにそれくらい映画はストレートが本道でゲイはここで語られる通り、怪物であり気持ち悪い存在として描かれその末路は死あるのみ、なのである。『 フリービーとビーン 大乱戦』は私もTVだかで観た記憶があるのだが女装したゲイがトイレの中で残酷なほど撃ちまくられ死んでしまう。ストレートな観客は気持ちの悪いファゴット(おかま)が酷い目にあって殺されるのですかっとして大笑い、ということらしい。私は随分昔に観たきりなのに記憶があるってことはかなりショックだったに違いない。アメリカ映画の中で「ゲイ」が描かれる代表みたいなもんだ。
かと言ってアメリカ映画において「ゲイ」を真剣に肯定的に描くことは無理だった。彼らはあくまで気持ちの悪い怪物でしかなかったのだ。
また当時の検閲がゲイを映画上に登場させることを許さなかった。
肯定的なゲイは皆切り捨てられてしまったのだ。
そこで「頭の良いゲイの製作者たち」は「頭の悪い検閲者たち」に判らない裏技を使った。「ストレート」に表現せず婉曲な表現方法で判る人に判らせる、という奴だ。
おかしかったのは『赤い河』での二人のカウボーイの会話、男がハンサムなモンゴメリー・クリフトに話しかける「いい銃だな、見せてくれよ」モン、少し恥ずかしげに腰から銃を取り男に渡す「いい銃だな、俺のも見るか」二人で互いの銃をじっくり見る。じゃああれを撃てるか、と言って二人で離れた缶の撃ち合いっこを繰り返す。
無論銃は男の象徴でそれを見せ合ってさすっては「いい銃だな」って言うので見てるゲイ君は思わずにやり。おまけにふざけて撃ちあいっこなんてね。
『ベン・ハー』なんてゲイっぽいとは思ったがこんなに意識して作っていたとは思わなかった。ヘストンに話すと演じきれなくなるから彼には適当に誤魔化して相手役の俳優のみに事情を話し、彼の役とベン・ハーは少年期に恋人同士で再会してよりを戻そうとしている、という演技をしてもらったらしい。すげえな。

そんな風にして多くのストレート映画で関係者たちはこっそりとメッセージを送り続けたのだ。

だがやはり本当ははっきりと表現したい、という気持ちが真実だろう。だがはっきりと表現すればそれは殆どが悲劇として描かれてしまう。
差別され暴力を受け切り離され殺される。
或いは恐ろしい殺人鬼として描かれる。
隠れたメッセージでなければ同性愛者がまともな存在としては登場しないのだ。

長い映画の歴史の中でそれはほんの少しずつ変化してきているが、それでもまだまともに当たり前の存在として表現されることは少ない、と思う。
本作でインタビューを受けるゲイの出演者たちの声の多くは「最後に死なないゲイの映画を求める」って言ってると感じたがそれは私も強く思うことでまずそこからだと思うのだ。それは『モーリス』の後書きで作者のE・M・フォースターが言っていた「この物語はどうしてもハッピーエンドにする必要があった」という言葉に表されている。あの映画が今のアメリカででもゲイ映画の上位にランクインされているのはそこにあると思うのだよね。

それにしても思うのは男同士はまだそれでも描かれているがことビアンに関してはほぼ皆無と言ってもいいのではないだろうか。
先日観た『噂の二人』のなんと言う悲劇。本作でも取り上げられていて主人公の一人を演じたシャーリー・マクレーンが「あの時作品のテーマの重要さをまったく認識しないで演じてしまった。私が演じた彼女は泣いて恋人に謝る。本当は戦うべきだった」と語っている。素晴らしい発言だが仕方なかったと思う。しかしその映画を見たビアンの女性は「昔の映画だ、とはいえあの映画を観るとやはり自分の姿だと思う。いつもは自分自身に誇りを持っていてもどこかで彼女と同じ悲しみを感じているの」と言っていた。シャーリーの演技はそう思わせるだけの力を持っていたと私も思う。悲しくて二度は観たくないけど。
映画界は殆ど男性で出来上がっている。例えゲイ男子が多くてもやはり男だ。ビアンの映画は所詮ストレートの男の為のエロ映画の一つになってしまう。大好きな『テルマ&ルイーズ』はあくまで女の友情物語であってビアンとは言い難い。スーザン・サランドンが話してた「ラストシーンでキスをするのはただ絆を確かめただけ。『明日に向かって撃て』のブッチとサンダンスもキスすればよかったのよ。でも彼らはその代わりに男らしく銃を抜いたってわけ。実際にイチモツ(と言ってた)を出すわけにはいかないもの。そうしたら警察にもっと撃たれる理由を作ったわね」なるほど。
ゲイ映画を語るドキュメンタリー、と言っても女性同士はなかなかこれというのがない。

ビアン映画って本当にこれというのがなくてしかも「暗喩」なんていうのもあんまりないだろう。
ここで取り上げられていたヒッチコックの『レベッカ』のデンヴァース夫人は確かに今は亡き女主人レベッカに恋をしていたのだろう。あの物語が大好きだったのはデンヴァースのレベッカへの愛の為に主人公が虐めぬかれるという設定だったからだ。
私にとって一番心惹かれたビアンものは手塚治虫プロで制作された『アンデルセン物語』の中の『雪の女王』で山賊の娘がゲルダを好きになるのだが彼女はカイを助ける為に自分を行かせてと頼む。娘が辛い気持ちでゲルダを手放すのが切なくてたまらなかった。
この物語にどのくらい手塚氏が介入しているかは判らないが手塚治虫さんは少年マンガ界で最もゲイを描いていることは確かだろう。
私が最も愛するブラックジャックの恋人は男性だ。昔は女性だったが男性になった。ブラックジャックの手で。
今思うと別に男性にしなくてもよかったんでは?と思ってしまうのだが、ブラックジャックの趣味だったのでは?と疑ってしまう。しかもその男性になった人に恋をしてしまう男子まで登場する。「あの人は昔女性だったんだ」というのが彼の恋の理由だが、今男性なのにその理由って?やはり手塚氏の漫画は性を超越してる。
話がそれてしまった。

悲しむべきは日本映画のゲイシーンなのではないだろうか。私は他の点では日本映画の素晴らしさを讃える者であるが同性愛を表現する、という点においては「ほのめかし」を探すのも大変な気がする。先日観た『TAJOMARU』も桜丸を主人公にしてくれてたらと思ってしまうのだが。この辺に関しては中国・韓国映画の方がどんどん先に進んでいってしまってるのではないだろうか。

暗喩やほのめかしを探すのも楽しいがやはり求めるのは素晴らしく上質の感動的なゲイ映画、なのだ。
男性同士だけでなく女性同士も増えて欲しい。そのためには女性監督がもっと増えることが不可欠なんだろうな。昨今、少しはビアン的な話題が増えてきてるような気もしているのだが。男同士に比べたら僅かなものとしても。その男同士もなかなか難しいのだからな。ホームズとワトソンが怪しいのは昔からです。

監督:ロブ・エプスタイン ジェフリー・フリードマン 出演:トム・ハンクス スーザン・サランドン ウーピー・ゴールドバーグ シャーリー・マクレーン トニー・カーティス アントニオ・ファーガス
1996年 / アメリカ
posted by フェイユイ at 22:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ベン・ウィショー公演『The Pride』報告!いただきましたよ

只今、アリョーシャに浮気中の私ですが^^;はーやさんから有難いベン・ウィショー公演『The Pride』の貴重な報告いただきました。
深く感謝いたします。寛大なお心にお礼申します^^;^^;^^;
ではいつもまるで目に浮かぶかのようなはーやさんの素晴らしいお便りをどうぞ!

『The Pride、観てきましたよ〜♪2月19日と21日の2回。
大まかなあらすじは、他サイトなどでご存知かと思うので省きますが
ご存知のようにベンは、あの長い首を強調するかのような短髪に変身、
宙にひらひらとなびく長い指先、そして、しなやかな体つきを生かした衣装も手伝って、
『Cock』の時よりさらなるGay Vibeを発散してましたよ〜☆
2008年のOliver(ベンの役)は、かなりセバスチャンを彷彿とさせる感じで、
全体を通して彼のセリフで笑いを誘うシーンが多くて、
1950年代のOliverでは、時代とともに若干古風な語り口で滑舌麗しく
彼特有のリズムを持つ声が耳に心地よかったです。
以前よりベンの作り出す役柄の評価として幾度か見かけた、
Likable(好かれやすく、すみにおけないキャラ)っていう
表現が、ここでもぴったりのような役作りのような気がしました。


1幕目(1950年代の設定)では、温厚だけど、どこか影のあるスマートなスーツ姿で登場のOliver(絵本作家)でしたが、
2幕目(2008年のOliverはフリーのジャーナリスト)では打って変わり、黒いボクサーブリーフ一丁に上半身裸で登場。
OliverがSMプレイをチラッと繰り広げている…というショッキングな設定
(Oliverは正座して上半身を床にうつ伏せ状態で、Naziのユニフォームを着たS役男性に『俺のブーツを舐めてみろ〜!』とか指図されている)で始まり、
その後、S役の男性と過激かつユニークな会話が展開され、その最中に3日前に家を出て行った
OliverのBoy friendのPhilip(Hugh Dancy)が荷物を取りに来て、
Oliverの『別れたくない〜、僕がわるかったああ』みたいな泣き言とともに口喧嘩を展開。
この時、ベンが胸板をちらつかせながら着ていた長めのグレーのニットガウンが、とても似合ってキュートでした。

他共演者とも強力なアンサンブルで、Hugh Dancyは甘いマスクに
似合わず、どっしりとした存在感で難しい役(50年代=ゲイである自分を認めたくない既婚者、しかし
混乱の中Oliverをレイプしてしまう。現代=OliverのSex Addictぶりに辟易して別れ話を持ち出す彼氏)をこなしていたように思います。
ベンのか細くひーらひらした、ナーバスブレイクダウン気味のコミカルなキャラと好対照でした。

あと、この芝居のポイントとなる時代変換の見せ方がスタイリッシュかつシンプルで
とても気に入りました。ベンの着ていた光沢のある黒いスーツがライティングの妙で
赤っぽいスーツに変化し、バックの音楽と共に時代が変わったことを表現したり、
時代が変換するごとに、お決まりのような暗転にはならずに、次の幕のキーパーソンとなる人物が、
そっと現れストーリーがゆっくりと展開していく感じが心地よかった。


で、出待ちもしちゃいましたっ♪ ベン、黒いニット帽をかぶって、とってもいいオーラを発してました。
暖かい笑顔とともに『Thanks for coming!(来てくれてありがとー)』って言ってくれて、
ちょっと発音が怪しかったけど、私の名前も覚えていてくれました〜♪感激☆ 頭いいな、やっぱり。
少し話をして、最後にほっぺキス&背中をさすりあいながらの、ちょっぴり長めのハグを頂き…というか
私が放さなかった(笑)?…別れ際に、『Keep yourself warm.(暖かくしてね)』と、キラキラお目目を見開いて
乗り出すように元気に言ってくれて、完全にノックアウトされました〜☆
ロンドンに帰って来た今も、心は温かいままでございます…。

たまたま、その日には脚本家(Alexi Kaye Cambell)なども来場していて…私の隣の席だったのですが、
芝居中大笑いしてたかと思えば、居眠りも展開…ベンも他の共演者たちと、どこか夜の街へ繰り出す感じでした。
舞台はとても好評らしく、1週間公演延長が決定、劇場での、チケット一日の売り上げの記録を作ったそうな。
ゲイのメッカのストリートにある、古いこじんまりとした劇場(300人位収容)だったのですが、
今までそんなにチケットが売れない公演ばかりだったのでしょうか(笑)
あと、ベンは劇場近くのスパ&マッサージショップへ行ったりするみたいです♪』

うは、羨ましいです。
ベンの素晴らしい演技と魅力的な姿を想像して暫し夢の中へ。魂だけでも飛ばして観たいものです。

下の写真もはーやさんからいただきました!多謝!

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posted by フェイユイ at 11:05| Comment(5) | TrackBack(0) | ベン・ウィショー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月24日

『イースト/ウェスト 遙かなる祖国』レジス・バルニエ

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EST-OUEST

知っているつもりではいたがソ連時代の苛烈な政治体制の恐怖を改めて見せつけられた。監督はフランス人だが脚本は同ヴァルニエ監督の他にロシア人のボドロフ(映画監督である)も加わっているのだからこの物語は嘘ではないのだろう。
(ところで昔は学校でソ連と習うのだが、ロシアという響きが好きでそっちを使いたかったものだ。今はロシアでいいのに時々ソ連と言ってしまう。でもやっぱりロシアが好きだ)

時は1940年代、愛する夫が祖国ソビエトへ帰りたいという願いを叶える為にフランス女性マリーはソビエトに移住する決意をする。
たくさんの亡命した帰国者たちと共にマリー一家(彼女とアレクセイと息子セルゲイ)は希望を胸に船路につく。
だが彼らを待ち構えていたのは非情なソビエト連邦の政府機関に携わる役人と兵士たちだった。家族は離散させられ歯向かう者はその場で銃殺。アレクセイは医師だった為に政府から特別に待遇される。だがフランス人であるマリーは最初からスパイ容疑で監視されるのだった。

密告が当たり前、という話がそのまま物語になっている。ソ連のある粗末な家に共同で住むことになるアレクセイ・マリーたち。そこには数家族がひしめき合って暮らしていた。
その中に、両親も祖母までもが反体制だということで処刑されてしまった若者サーシャがいた。彼は有望視される水泳選手だったがフランス語を勉強していた祖母の影響でフランス語を話し、ヨーロッパへ逃亡したいという願望を持っていることをマリーに打ち明けるのだった。

強い絆で結ばれていたはずのアレクセイとマリーが理不尽な社会体制の中でその愛に歪みが生じてしまう。
マリーは夫がソ連の枠に組み込まれてしまったと感じ、愛していたはずの自分を見捨ててしまった悲しみに襲われる。
だがアレクセイはソ連体制下では自分たちがどう足掻こうと助かるものではないことをすぐに悟ってしまったのだ。
彼の思惑は10年をかけて愛するマリーをフランスに逃亡させる機会を見つけ出すことだった。

自由の国で生まれ育ったマリーの強い反発は同じような環境に住んでいる者なら誰でも共感してしまうだろう。
そして妻を愛しながら自分がその人を恐ろしい場所へ連れてきてしまったことに苦しむアレクセイの辛抱強い脱出計画とそこに隠されていた深い愛に涙してしまう。

しかしねえ、実は私はこういう物語に物凄く惹かれる。あーっと。この世界の中に行きたいわけではないよ。それどころか誰よりも行きたくない。行きたくないからこそ、怖いもの見たさ、だってこれより怖いものってそれほどないくらい怖いよね。
誰も信じられない世界。すべての人が密告者。劣悪な環境。共産主義の理想はどこへやら。あるのは巨大な政治支配といつ逮捕され、投獄され処刑されるか、と怯える日々。一部の人々が強大な権力を持つ世界。それは資本主義を遥かに凌駕する。すべてが理不尽な謎のからくりの中で動いていく。
絶対行きたくないからこそ、ましてや住みたくないからこそ、こうして恐る恐る覗きこんでしまうのである。

自由の国への逃亡を互いに望むことで繋がりを持っていく人妻マリーと大学生(?)サーシャが激しい愛情を持ってしまうのもいた仕方ないと思ってしまうのだ。そこに本当は妻を愛し抜いているアレクセイの苦しみも加わってマリーって不幸だがこんなに愛されて、と羨ましく思うのもおかしいのかもしれないが。マリーはまた息子セルゲイからも愛されていてママが可哀そうで泣いているセルゲイの姿が痛々しいのだ。

これはやはりロシア映画ではなくフランス映画である。
つまりはこういう状況であるからこそ、マリーは夫と息子と若い男性にこれ以上ないほどの強い愛を受けることになったんだろう。平和でどこを見ても楽しいものが溢れている世界ならマリーのことをこんなに狂おしく思ってくれることはなかったのかもしれない。
そう思うとフランス映画ってやはり愛なのだなあと思ってしまうし、こういう愛の形を描きたいが為にはソ連の政治体制が必然であったのだ。

凍えそうな荒波の中を6時間かけて泳ぎ続け密航する船に辿り着いたサーシャはマリーを助けられない絶望に手首を切って自殺しようとする。
アレクセイは共産党員になったふりをし、マリーを密告させない為に他の女と浮気をし10年間の間ひたすら僅かな機会を狙い続ける。
セルゲイもすっかり共産党員の若者に成長したその環境も捨ててママと逃亡することを決意する。
自由を奪われ、6年間の収容所生活を強いられ愛する夫と若い恋人を失ったと勘違いしながらマリーは愛され続けていた。
幸せ、だったけどそれはずっと後で判ったのだなあ。

最後の切ない微笑みが心を揺さぶるアレクセイ(という名前も心揺さぶるが)を演じたのがオレグ・メンシコフ。ついこの前『コーカサスの虜』で「ハンサムな相棒サーシャ」を演じたのが彼だった。
そしてその時主人公ワーニャを演じたのが今回サーシャのセルゲイ・ボドロフJr(今回脚本のセルゲイ・ボドロフの息子)ここではオレグ=アレクセイの妻マリーと年の差を越えて深く愛し合う青年の役。あの純真な愛らしさと大柄な体はここではまたより魅力的でマリーに勧められて川で水泳の練習をする為にワックスを塗る。マリーもそれを手伝うのが二人をより緊密にしていく。この練習方法が後の密航の為の6時間の水泳につながっていくのだが。彼のマリーへの純粋な愛を見ているとこんな素晴らしい若者を演じきれる青年がもう逝ってしまったのだとは信じたくない気持ちになる。朴訥とした雰囲気の彼、年を取ればもっといい役者になれたろうに残念で仕方ない。
マリー役のサンドリーヌ・ボネール。3人の男に愛されフランス女優の心を動かす彼女。聡明な美人であり強い女性であった。
そして物語を最も強く動かす役がソ連で芝居公演を行うフランス女優役のカトリーヌ・ドヌーブ。約束したからにはソ連すら恐れない、というど根性に痺れる。彼女だけがマリーを救えたのだからねえ。いやあ、どんなアクションヒーローよりかっこよかった。男前だね。

監督:レジス・バルニエ 出演:サンドリーヌ・ボネール オレグ・メンシコフ セルゲイ・ボドロフ・Jr. カトリーヌ・ドヌーヴ
1998年 / フランス/スペイン/ロシア/ブルガリア
posted by フェイユイ at 21:38| Comment(0) | TrackBack(0) | ロシア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月22日

『Serko/セルコ』Joël Farges/ジョエル・ファルジュ

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Serko

ここ数日いつものように映画を観ていたわけだが、実のところ心はアレクセイから離れず、かなり苦しい観賞をしてたのだ(なら観るなってことだが)とはいえ日本版のアレクセイ・チャドフ出演映画はもう無くなってしまったのでもう一度観返すしかないのだが、とうとうまたもや輸入盤に手を出す羽目になってしまった。
で最初の海外版は『SERKO』英語字幕はついているのだがどうせ私には殆ど役には立たない。立たないがやはりついてた方が判りやすい。有難いこってす。

アレクセイが主人公なのだが、フランス映画である。確かにフランス人はこういうロマンな話がとても好きなのではないだろうか。
というか私はそれこそ夢中で観てしまった。時は19世紀。18歳のコサック中尉ドミトリー・ペスコフが皇帝に訴える重要な使命を帯びてアムールからサンクトペテルブルグまでのおよそ9000キロを一頭の白い小柄な馬に乗って旅をする、という物語である。
気の遠くなるような道のりの中で彼は幾度となく餓え、傷つき、死に直面するのだが、その度に出会った人々、多くはアジア人である。
白い馬に乗ってまっ白な氷原を走っていくアレクセイ・チャドフの姿はまるで童話の世界そのもののようで彼の可愛らしい容姿からして神話の物語をそのまま再現しているかのように見えてしまうではないか。
毛皮のコートと大きな帽子を被り白い馬に乗ってどこまでも広がる氷の大地を駆けていく。現実に見ることはない遠い国の情景に酷く惹きつけられてしまう。
『白い馬』というアルベール・ラモリスの奇跡のような映画があるが、少年のようなアレクセイと白い馬セルコの物語もそれに勝るとも劣らない美しいイメージを感じさせてくれた。
アレクセイ=ドミトリーが小柄な白い馬を愛おしそうに抱きしめる光景は忘れることはできない。

ドミトリーはその愛らしさゆえか彼は瀕死になるたびに誰かから助けられる。特に女性からは何度も体で温めてもらえ、求婚までされてしまう。
アジア系の女性達と旅をしながら影人形劇を公演しているフランス人フラゴナール(ジャック・ガンブラン)もまたドミトリーの物語に惹かれていく。この影絵が物語をより幻想的に思わせてくれる。

モンゴルのホーミーを聞いたり不思議な凍りついた中国人の老人に出会ったりドミトリーの氷の国の旅は今迄私が知らなかった世界に連れていってくれた。

凍りついた湖の上を白い馬に乗った若者が遠い国を目指して駆けていく、というイメージはこれまで観た映画の中でも最も忘れられない美しい記憶になって残るだろう。
そんな若者の役を演じていたアレクセイ・チャドフの愛らしい姿も心に留めておきたい。

監督:Joël Farges/ジエル・ファルジュ 出演:アレクセイ・チャドフ ジャック・ガンブラン
2006年フランス/ロシア

Serko動画
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2010年02月21日

『ハウル』アレン・ギンズバーグをジェームズ・フランコが演じてたのだね

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なんだかちっともチェックしてなかった第60回ベルリン映画祭。寺島しのぶさんが女優賞を取られてめでたい!などと喜んだりした後でコンペ部門の作品名を今頃見る始末。
うひゃあ、となったのは遅すぎて恥ずかしいのだが『ハウル』!
なんとアレン・ギンズバーグの物語なのではないか。しくしく。今頃気づくなんて。
しかも監督はロバート・エプスタイン、ジェフリー・フリードマン。ギンズバーグを演じているのがジェームズ・フランコではないか。とほほ。馬鹿馬鹿。今頃知るなんて。
まあ早く知ってもどうせ観れないけど。
と開き直ってる場合ではなくこれはもう気になるではないか。
ベン・ウィショーの『Kill Your Darlings』の行方がどうなるか不明な今、ギンズバーグを映像化している方々がいらっしゃったのねー。
しかも監督がロバート・エプスタイン、ジェフリー・フリードマン。主演がジェームズ・フランコ!しつこい・・・。
ああ〜。これはもう観れるのね。いや日本に来るかどうかは判らないわけだが。DVDでいいので早く見せてくれー。

しかしギンズバーグがジェームズ・フランコ?あの…全然似てない・・・んですけど。いいのか?いいのかな?いいか。
ルシアン・カーは登場するのかなあ。

ジェームズがアレンが好きなのは嬉しいね。
ラベル:同性愛 芸術家
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『TAJOMARU』中野裕之

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これはなかなか面白かったねえ。あの黒澤明『羅生門』を題材にして小栗旬主演と聞いてへえと思ったものの監督は知らない新人監督というのでやや疑心が起き次は脚本が市川森一と聞いてまたまた興味が湧いて観賞。思った以上に面白く観入ってしまった。

つい先日松山ケンイチ主演の『カムイ外伝』を観たばかりなのでつい比較してしまうがどうせだから思い切り比べてみたい。
私的には監督が崔洋一で主演がお気に入りの松山ケンイチなので観る前は断然『カムイ外伝』の方に期待を持っていた。何か凄い面白さがあるのではないか、と考えたかったのだ。
だが正直言って観た感想は「イメージするカムイ外伝そのまま」であっと驚かせてくれるようなモノを感じることはできなかった。忍者アクションなのでやむを得ないのかもしれないがCGを多用したアクションもそれが何か特別な所まではいきついていないと思ってしまった。
カムイを演じた松山ケンイチは予想以上に「悪くなかった」が映画自体に感動をしないではなかなか登場人物に魅力を感じることは難しい。

一方の本作は黒澤『羅生門』のイメージをかなり大胆に取り入れながら物語をまったく違うものにしていく、という面白い趣向に私自身はかなり入れ込んで観てしまった。これからどうなる?とはらはらしながら映画を観るのもそうそうない。少なくとも『カムイ外伝』ではまったくそうしたスリルを感じることはなかったので同じように元ネタの映像がありながらここまで緊張感の違いがあるものか、と思ったのであった。
それはやはり脚本の違いからくるわけで、ただマンガの『カムイ外伝』をそのまままる写ししたようなあの映画と思い切りこねくり回して楽しんでいる本作では原作をどちらも知っている者としてはわくわく度も違ってくるわけである。

主演の二人の出来栄えとしても自分的には松ケンを褒めたくてもここまで作品自体の面白さに差があり、主人公の魅力を表現したとなれば小栗旬の方に軍配を上げてしまうしかない。
例えば『カムイ外伝』の記事でも書いたのだが同じように無口な男であるのだが心の声をナレーションと言う形で表現した本作と全部口に出してしゃべらせてしまったカムイでは「無口な男のかっこよさ」の表現として明らかにカムイは負けてしまっている。これを観てどうしてカムイを黙ったままで語らせなかったのか悔やまれてしまうではないか。
また本作の直光はカムイのような強さはなく、盗賊の多襄丸や桜丸にはてんで弱いのが却って魅力なのである。と言ってもカムイは無敵に強い男なのだからこれは仕方ないが。
脇役の面白さも本作が勝っている。またカムイの場合はせっかくの「非人という差別」に置かれた身である、という題材が曖昧で殆ど効果的に使われていなかかったのも惜しい点だった。

と言う感じで『カムイ外伝』と比較すれば非常によくできていた、と言えるのだがすべて満足とまではいかない部分もあった。
というのは今度は『羅生門』と比較してしまうからでもあるのだが、きっちり過不足なくまとめあげた彼の作品に対し、本作は登場人物の行きつ戻りつが多く時間的にも長過ぎて散漫になっているのでは、と思えるし、姫の行動に対する直光の誤解をわざわざ台詞説明で解説してしまうのは興ざめしてしまう。白州の場面からの展開は冗長すぎしゃべり過ぎであった。すべてが明るみに出なくてもいいのではないだろうか。

しかしそういう欠点など目をつぶっていいや、とも思わせるのは桜丸である。
彼は『羅生門』にはない配役でこの作品の中で一番魅力的なキャラクターもしかしたら彼の方が主役であるべきかも、という役ではないだろうか。
元々盗賊の身でありながら芋一個を盗んで捕まったところを高い家柄である畠山兄弟の弟直光から救われ家臣となり兄弟のように育てられるがその実彼は御所様の慰み者として(つまり男色を強要されておったわけだ)幼少の頃から耐え忍び生きて来た。だが桜丸はその寵愛を利用し畠山家を乗っ取ることに成功する。
一旦は逆賊として捕えられたが、御所様の愛情により正義が捻じ曲げられて再び権力を手に入れる。ここまでが好きだったなあ。
「正義が必ずしもいいことを産むとは限らない」とまあ正しいのか正しくないのかは判らないがそういう台詞を残して御所様が去って行かれたとこまでよかった。
あれであの後、姫は突き落され直光は処刑、じゃ駄目ですか。そうですか。それじゃ正義が泣きますか。
あそこから先はやや偽善的に過ぎて説明的過ぎて急に落ちてしまったよ。
もっと滅茶滅茶でもよかったのだがなあ。

変な盗賊一味になってしまうのだとか今風の音楽だとかは案外様になっていた。小栗はガタイがいいのであのような襤褸服が似合う。
ショーケンの手つきがいやらしくてよかった。などなど楽しめる点が多かった。姫がまったく知らない女優だったのも入り込めた要因かもしれない。

監督:中野裕之  脚本:市川森一 水島力也 出演:小栗旬 田中圭 やべきょうすけ 池内博之 本田博太郎 松方弘樹 近藤正臣 萩原健一 山口祥行 柴本幸
2009年日本
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2010年02月20日

『ウルフハウンド 〜天空の門と魔法の鍵〜 』ニコライ・レベデフ

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VOLKODAV IZ RODA SERYKH PSOV/WOLFHOUND FROM THE TRIBE OF GREY DOGS

ロシア映画というと重くて暗いというイメージがあるのではないかと思うのだがその期待を裏切らない、ファンタジーの中でもアメリカ製より遥かにどっしり腹にくる風格である。
なんといっても今の映画で、主人公の男が終始(少年期を除いて)髭面というのは今風の無精ひげは別として珍しいのではないか。奴隷時代が髭面でも姫の御前に出る頃にはすっきり髭を(何故か)剃っているものだ。
おまけに他の奴らも髭男ばかりなのでその方面の趣味(おもに髭ゲイの方)の方にはお勧めだが、なかなか見分けが難しい。
とはいえ主演のアレクサンドル・ブハロフはその髭であっても非常に魅力あふれる男性で顔の傷も様になっている。姫の誘いに怖気づいて逃げ出すようなウブな可愛らしさもあって素敵だった。

画面もストーリーも演出も重くて暗い雰囲気があり、魔法の鍵にしても物語の展開にしてもかなり地味なテイストになっているのだが、ヒロインである姫が小柄でとても若く愛らしいのに姫らしい品格を持っているので惹きこまれて観てしまうんだろうか。
マスコットの動物が蝙蝠っていうのも渋いではないか。

ファンタジー作品として特別に目新しいとは言い難いのだが、どこまでも冷たく暗く重々しい雰囲気が好きである。

監督:ニコライ・レベデフ 出演:アレクサンドル・ブハロフ オクサナ・アキンシナ アレクサンドル・ドモガロフ イゴール・ペトレンコ アルチョム・セマーキン
2007年ロシア
ラベル:ファンタジー
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2010年02月19日

『コーカサスの虜』セルゲイ・ボドロフ

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KAVKAZSKIJ PLENNIK

様々な思いを引き出させてくる作品であった。
コーカサス(カフカース)という馴染みのない舞台である。トルストイが原作の為その名前だけは頭に残っていたが実際の場所は映画やTVで見ることもなく想像もできない。こんな激しく切り立った山脈を展望できるような場所だとは考えてもいなかった。
そこに住む人々の顔もまたエキゾチックとしか言いようがない。
長い間、チェチェン人はロシア人に征服されまた抵抗し、という歴史を繰り返してきているのだが、無論私などはそんな史実を遠い世界のこととぼんやり聞いたり読んだりしていただけである。
ロシア人監督の手による映画であるがそんな彼らの戦い(というのか上手く言い表せないのだが)の様子を映像として観れることはやはり今迄のぼんやりした感覚とはまったく違うものを思い知らされた。

タイトルが示す通りロシアの文豪トルストイの小説をもとに現代のチェチェン人対ロシア人の対立する姿として描きだされた映画作品である。
主人公ジーリン=ワーニャを演じているのは私が先に観た『ロシアンブラザー』で鮮烈な印象を残したセルゲイ・ボドロフjrである。またセルゲイ・ボドロフ監督の息子さんなのだが、この素晴らしい俳優が数年前に若くして亡くなられていたと知って愕然としてしまった。
本作の彼は朴訥として純真な兵卒がぴったりの風貌で相棒サーシャ役のオレグ・メーシコフが気障な感じすらする二枚目なのと対照的だ。
チェチェン人の老人の捕虜となってしまったことでサーシャは兵卒のワーニャに冷たく当たるのだが、黙って我慢しているワーニャと次第に仲良くなっていく。
二人を捕虜にしたチェチェンの老人はロシア軍に捕虜となっている息子と交換する為にロシア人の二人を捕まえたのだった。
二人の面倒を見るのはロシア人に舌を切り取られてしまったチェチェンの男と老人の娘(まだほんの少女である)である。
捕虜交換交渉は長引き町の者たちは老人があまりに長くロシア人を置いたままなのでそのこと自体に不満を持ち始めていた。

物語は淡々と進むのだが、その中には関係した人々の愛憎が複雑に描かれていく。
サーシャとワーニャは互いの足を鎖で繋がれ離れられない状態にされ特にサーシャはそのことで苛立つこともあるが次第に純朴なワーニャに好感を持ち始め「お前を必ず救ってやる」と言いだす。ワーニャは最初から仲良くなりたいという気持ちを持ち続けている様子なのがまた可愛らしい。
老人に脅されワーニャは母親に助けを求める手紙を書く。父親は亡くなってしまったのだ。一教師である母親は遥か遠いコーカサスの山奥に息子を救い出す為駆けつけるのである。そしてロシア軍の将校やチェチェンの老人と一人で直談判するのだがまるで恐れることもしない母親に驚いてしまった。(不覚にもどっと涙がこみ上げた)
この作品には押しつけがましい演出はないのだが、捕虜となったワーニャの周りに彼を愛する人々が幾人もいる。
彼を捕まえた老人もその娘もいつしかワーニャに愛情を持ってしまった。
老人の息子はロシア軍に殺され老人はワーニャを銃殺しようとして果たせない。
自由の身となったワーニャの頭上を行く戦闘ヘリはこの後チェチェン人の街を襲ったのだろうか。

静かに怒りを描いた作品である。
彼らはロシア人のワーニャを愛してしまい、ワーニャも彼らとせめて夢の中で再会したいと願うのだが、彼らは現れてはくれない、という彼の悲しみが作品の幕となる。

チェチェン人の家族との交流も嘘くさくなくじんわりと染みてくるが、ワーニャとサーシャの関係もまた心に残る。
鎖で繋がれた捕らわれ人というのは高倉健の『網走番外地』を思いださせ、あの作品は大変なコメディだったが本作もこの部分はちょっと笑わせる箇所になっている。
それにしても父親のボドロフ監督は浅野忠信が主演した『モンゴル』を撮ったりとその後も活躍されているのに本作の主人公を演じたこの純朴そうな若者である息子さんが亡くなってしまっていたなんて惨いことだろうか。『ロシアンブラザー』の彼の素晴らしさを観るとさらにその思いは強くなると思う。

監督:セルゲイ・ボドロフ 出演: オレグ・メーシコフ セルゲイ・ボドロフ・Jr. ドジエマール・シハルリジェ スサンナ・マフラリエバ
1996年 / カザフスタン/ロシア
ラベル:歴史 戦争
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2010年02月18日

『暗殺・リトビネンコ事件』アンドレイ・ネクラーソフ

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REBELLION THE LITVINENKO CASE

「ドイツ人は皆ナチスなのか」「そうではない。ナチスとそれを容認している人々だ」という話が本作の中で語られる。実際に恐ろしい行為をする人はごく少数だがそういう行為に無関心でいる多数者がそれらの犯罪を野放しにしエスカレートさせていくのだと。
この映画の作者は自分がそういう無関心である為に自国が腐敗していくのを見過ごしてはいられず声をあげたのだろうが、なんという勇気なのかと思いやってしまう。
まったく無勉強である自分だがそんな私でもこのリトビエンコ事件はさすがに耳に入って来たし最近になってロシアではジャーナリストたちの不審死が度々起きたことも聞いた。
暫くはまるで平和な国になり着実に自由な国の一つになっているのだろうと思い込んでいたのだが。
ロシア人は独裁者を求めているのではないか、という問いかけに監督はそんなことはない、と否定する。だがどこか不安げに聞こえなくもない。そんな体制を求めることがあるのだろうか、と思いながらも帝政ロシア、ソビエト、そして今のプーチン政権を思うとあの広大な大地の国の本質はなんなのだろうか、私には判りようもない。
ただ本作の冒頭からあちこちで映し出される赤ん坊までも含む様々な暴動による被害者の痛ましい傷跡(幼い子供達が手足を失い泣いている姿)を見るのは忍びない。
平和で豊か少なくとも衣食住の足りた生活を送りたいのはすべての人々の願いだろう。
そして穏やかな精神でいられる社会。
友人はいるが誰が密告者か判らない、などという世界は恐ろしいではないか。
最近になってロシア映画に興味が湧き、幾つか観たところでアレクセイ・チャドフにはまり込んでしまって当初の目的からずれてしまった。それはそれで嬉しい予定外だが。
それにしてもこんな政権下で自由な映画を作るなんて無理に決まっている。あの『チェチェン・ウォー』の凄まじさもこういう体制の為に許される映像なんだろうか。それにしてもあの作品には裏返した体制批判があるのだと思うのだが。

リトビネンコが美しい奥さんと可愛らしいまだ幼い息子と一緒に仲睦まじく歩いている様子はごく当たり前の幸せそうな家族で朗らかに笑って跳ねている男の子がいじらしい。彼が自分はどうなってもいいが息子の為に亡命したのだという言葉が切ない。この可愛い少年はパパから愛され一緒に歩くのが嬉しくてしょうがなかったはずなのに。

正しいことをする為には命を賭けなければならない。奇妙な言い回しである。

監督:アンドレイ・ネクラーソフ
2007年ロシア
posted by フェイユイ at 23:07| Comment(0) | TrackBack(0) | ロシア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月17日

『カムイ外伝』崔洋一

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非常に楽しく一気に観てしまった感じ。なのだが。

最近なんだかこの手の映画を観てると二つの思いが湧いてきてどちらが正しいのか、っていうのはおかしいが自分がどっちに傾いてるのか、傾いたがいいのだか、己のことなのに判らなくなってくる。

っていうのはこの作品もそうなんだけど「いい」と言われたり「よくない」と言われたりしているようだ。自分にとっても特に『カムイ外伝』は幼少のみぎりより恋い慕ってきたカムイを実写化したものなので思い入れは尋常でなくある。その上でも松山ケンイチのカムイはかなり満足いく造形だったのは想像以上であった。
だが、こと映像に関しては二つの思いがこみ上げてくるのだ。
これを単なる時代劇アクション娯楽映画として楽しむならば、上出来の作品だと思う。カムイの置かれた環境「非人」という差別の中で生き抜いていく為に自ら忍びの世界に入りまた抜け忍になるという運命もある意味「箔付け」だとしてもいい。皆で抜け忍ごっこをして遊んでも構わないわけだ。「うぬ」だとか「ヘンイバットウカスミギリ」とか「イズナオトシ」ごっこをしてもいいだろう(ちと危ないが)
けれども自分としてはどこかでもっとマニアックに「なんだこれ」的なほど変な映画にして欲しいという欲望を持ってしまうのだ。
つまり中国映画&ドラマで言えば楽しい武侠アクションもよいが、王家衛の『楽園の瑕』に惹かれてしまう、ということである。
この映画でカムイの生い立ち、差別の苦しみの部分が曖昧になっている為に彼の背負った重荷がよく判らない、という不満を持つ人もいるかもしれない。でも私としては(どうせ知ってるし)そう言う部分は描かずに謎として或いはこの位の曖昧さでいいからそのままもっとわけのわからない映画にして欲しかった気もする。と言ってもそれを作ったらきっと受けは悪いだろうが。
第2弾も予定中のようだが思い切ってそういう方向へ行ってはくれないだろうか。

松山ケンイチは運動神経がよさそうなのでアクションに関しては問題なく素晴らしい。変なCGなど使わずに彼の動きでできる範囲内でやってくれただけの方がよかったのではないかとさえ思える。
逆にあれっと引っかかったのは台詞。というのは松ケンが悪い、というよりマンガを見てるとカムイは非常に無口で話している時もほんのわずか。怒りを持った時も松ケンのように叫んだりせず(だから叫ばせた監督がね)つぶやく、か、心の中で叫んでいるような感じがするのだが。
ま、それこそ思い込みである。

松ケン以外の配役もよかった。小雪さんはぴったりだし、小林薫さんはもっと観ていたかった。色っぽい人である。伊藤英明の不動もかっこよかった。結構悪い人がうまい。

冒頭、白土三平氏の漫画が出てくるのであの素晴らしいマンガを思い出してしまう。あのマンガを忠実にアニメ化してもらうほうが嬉しい気もするのだが。それはそれで無理、だろうな。

監督:崔洋一 出演:松山ケンイチ 小雪 伊藤英明 大後寿々花 イーキン・チェン 金井勇太 芦名星 土屋アンナ イ・ハソン 山本浩司 小林薫
2009年日本
posted by フェイユイ at 22:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 松山ケンイチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月16日

『レッド・スナイパー 〜独ソ最終決戦〜 後編』ヴァチェスラフ・ニキフォロフ

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Na bezymyannoy vysote/ON AN UNNAMED HILL

ほんとに日本のアニメみたいなドラマだった。
とにかく女性スナイパーのオリガがかっこよくて彼女の狙撃場面だけでも観る価値ありかな、と。それにくっついてるお調子者の二等兵コーリャ=アレクセイ・チャドフが可愛いったらないんだけど。

当たり前だけど『チェチェン・ウォー』で信じられないほど強い若者を演じたアレクセイがここではてんで弱っちい男をやってるのだが、彼には魔法がかかっていて絶対に弾が当たらない。
というのは無論偶然にしか過ぎないのだがレイ・ブラッドベリが描いたあの純真な兵士みたいに飛び交う砲弾の中を走ってきた挙句、敵を狙撃せんばかりだったオリガに抱きついて怒られてしまうのがおかしい。

他のレビューを見ると随分評判が悪いようだけどそんなに酷くはないと思うのだがなあ。アニメ的なだけでなくどこか日本の映画っぽい雰囲気もあったりして。
詳しい人が見ると戦車が変てこらしいが私にはどうせ見分けがつかんから気にならない。

そして目的のアレクセイはたっぷり観れるのだからなんの文句もない。
クールなオリガにまとわりつきしゃべりっ放しのお調子者の役でおどけた顔もかわゆいが時折見せる真面目な表情がいいのだよね。
それにしても最後は絶対キスシーンになるのか、と思いきやとうとうしないままだった。ロシアのTV番組ってキス駄目なのか?それにしては冒頭に女性の裸が映ったんだけど、それはいいんだ。まあ、物凄くちいさかったけど。

監督:ヴァチェスラフ・ニキフォロフ  出演:ビクトリア・トルスガトノバ ヴィクトリア・トルストガノヴァ アレクセイ・チャドフ ニコライ・シンドヤーキン アレクセイ・ヤグリッチ
2004年ロシア
posted by フェイユイ at 22:33| Comment(0) | TrackBack(0) | アレクセイ・チャドフ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月15日

『レッド・スナイパー 〜独ソ最終決戦〜 前編』ヴァチェスラフ・ニキフォロフ

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NA BEZYMYANNOY VYSOTE/ON AN UNNAMED HILL

アレクセイ・チャドフ歴訪の旅。今回は今までになく軽薄なアレクセイが見どころ。どうしても『チェチェン・ウォー』のイメージが強烈なので殆ど別人のようだ。戦争ものなので外見は同じく坊主頭で可愛らしいのだが。思うにアレクセイとしても同じ役続きじゃつまらないのでがらりと違う役を演じたのだろうな。惚れた欲目だが、と言っても結構上手い、と思う。
そして彼とバランスを取るようにクールにかっこいいのが女性スナイパー・オリガ。ほんとに素敵。かっこいい。今回は彼女にぞっこんになってしまった。
本作がTVドラマなのか、ややストーリーが散漫なのだが、もっと彼女を観ていたい気にさせる。クールな女スナイパーと軽薄な若い二等兵くんの関係、なんていうのも結構いいもんだ。

しかしこの戦争ものの雰囲気って日本のアニメ的に思えるのはどういうわけなんだろうか。年寄りが多く出てくるのだけは違うが(日本の戦争アニメって本当に子供しか出てこない。のでつまんないのだ)なんだか画面に漂う雰囲気が非常に似ている。ってことは両方ともなんか嘘っぽくて軽々しい、ということになるのかもしれない。
第二次世界大戦中に女性のスナイパーというのは現実にいるのだろうかと調べたら実在するのだね。知らなんだ。しかもちゃんとロシア軍にいた。
彼女が本作のオリガのモデルなのかもしれないが、やや骨太な顔立ちでしかも美人であり無口で無表情な冷たさがたまらない魅力である。
もう一人マリューチン中尉という男性も男前として登場。
アレクセイ演じるコーリャ・マラホフは道化的な役割で物語を導いていく。コザックダンスも披露してくれる。

物語が上手くまとまらない跳びとびの感があるのだが、そういうのもなんかアニメっぽいのだよね。
しかしまあ私はそういう感覚は嫌いではないのでこの奇妙なブチブチ感も含め、アニメっぽいキャラクターもまた楽しく観ていっている途中である。

監督:ヴァチェスラフ・ニキフォロフ 出演:ヴィクトリア・トルストガノヴァ アレクセイ・チャドフ ニコライ・シンドヤーキン アレクセイ・ヤグリッチ
2004年ロシア
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2010年02月14日

『デイ・ウォッチ』ティムール・ベクマンベトフ

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これがアレクセイ・チャドフ、可愛いっす
DAY WATCH/DNEVNOY DOZOR

普通面白い映画の2弾目はパワーが落ちてつまらなくなるものだが、これは『ゴッドファーザー』ばりにUが本格的に上回ってきた。
と言うのは私的には言い過ぎでもない。
Tではハリウッド風映像手法が煩すぎる気がしたがUではそういうわざとらしさが無くなって本物になってきた、と偉そうだがそんな風に感じられるのである。
しかもぐちゃぐちゃ感が大好きな私としてはこのまとまりのないアンダーグラウンドな雰囲気がたまらない。なんとはなしに作者としては(原作も監督も)どこか「闇」の方に肩入れしてる気がするのだが、それは自分がそうだからだろうか。
目的であるアレクセイ・チャドフの出番が少なく或いは皆無になってたらどういようという危惧も杞憂となった。彼の出番はT以上に多くてしかもかなり美味しい役、というかすげえ感じる役だったので元々シリーズものの原作なのだから最初からこういうつもりであったのだろうか、『ナイトウォッチ』からまたさらに2年後の作品になるのだが、アレクはまだ相変わらず可愛らしい童顔のままである。
しかも作品のゲイセクシャル度はさらに上がっていて、ハラハラさせられてしまうじゃないか。
まあ、父と息子関係が多いけど。アレクセイ演じるコースチャは肉屋を営む親父と二人暮らしなのだが親父さん可愛いコースチャとは似てないかなり異形の(すみません)オヤジなのだが息子を溺愛してる様子。コースチャも父思いの可愛い息子で仲が良い。
狭いアパートで仕事後に二人で洗濯中。コースチャが親父に「ズボンも洗おう」と言って椅子に乗ったオヤジのズボンを脱がせてあげる。何しろ椅子に乗ってるんで目の前にズボンの股ぐら部分がある、という際どい体勢なんだけど優しいコースチャは気にせず脱がしてくれるんですねえ。いやもうゲイ的目線では危なっかしい位置関係でして。ま、別に父子だし何もないんだけどね^^;
「これを洗ったら履くものがない」「夜だからいいじゃない」というやり取りも場合によってはやばいんだけどさ。
というか、これで昨日の疑問が解けた?つまり「何故コースチャはパンツ姿で玄関のドアを開けたか」この家族は貧乏で夜は服を洗濯してしまうんで服がなくてパンツ一丁だったんだ?
ぁ、違う。あの後、外出したんだった。
そしてさらに興奮だったのは最後近く、「闇」の世界の跡取り息子とも言うべきイゴールの誕生日パーティが高層ビルの最上階で行われていた。
アントンに濡れ衣を着せたのはコースチャの父親と彼を操っていた闇のボス・ザブロンだとばれる場面で罪を負って出ていく父親の仇とばかり、コースチャがナイフ代わりの曲がった木刀(みたいな奴)を振りかざしてザブロンに襲いかかる。だがボスをそんな技では倒せない。ザブロンは素早くコースチャの手を止め、木刀を自分とコースチャの胸の間に渡す。そして「タンゴ」の合図で踊りだすのだ。
闇のボスと胸を木刀で支えあった死のタンゴを踊らされるコースチャ。男同士のダンスというのはこれまでも何度も観たがこんな恐ろしい危険に満ちたダンスはなかった。ボスはコースチャの首を抱えるようにして体を抱きしめる。ボスの体には傷がつかないが木刀はコースチャの胸を貫くのだ。激しい苦悶の表情をしたコースチャはそのままボスに抱きかかえられて踊り続ける。そしてボスはコースチャを抱いたまま高層ビルの最上階から飛び出した。目をつぶったアレクセイの顔がとても綺麗なのだ。
他には可愛い毛皮の帽子をかぶって女性の部屋へ行くアレクセイがキュートだったなあ。

さて面白いのは(っていうかゲイぽいのは)主人公アントンの方にもあって、彼が仲間のオリガと肉体を交換する、という箇所がある。これは結構ありがちだけど、その後、アントンの精神を持ったオリガの肉体のほうで物語が進む。オリガ(中身はアントン)はスヴェータの家へ泊まりにいくのだがアントンとスヴェータは互いに思いながら心を打ち明けられないでいる関係。特にアントンは何故かスヴェータを冷たくあしらってしまい彼に好意を持つ彼女は落ち込んでしまうのだ。
だがアントンの精神を宿したオリガはシャワーを浴びるスヴェータに愛を打ち明け、その後レストランで食事をしたりする。中身がどうであれ外見はオリガなので奇妙にもビアンな関係になってしまう二人にくくくなのだ。

後どーでもいいけど闇の軍団が地下鉄に押し寄せて先頭の奴が駅員のオヤジさんにキスするシーンがあるぞ。これは単にロシアだから不思議ではないのかなあ、と考えてしまった。

なんだか内容には触れず変なとこだけ抜粋したが、それほど面白かったのである^^;
いやあこれは面白楽しい。この後、ティムール・ベクマンベトフ監督はアンジェリーナの『ウォンテッド』を監督することになるのだが、ふーむこれなら観ておくべきかなあ。
アントンをスヴェータとイゴールが取り合いする場面もなにやらぞわぞわだったし。

ということで『ナイト・ウォッチ』『ディ・ウォッチ』非常に面白いいい映画だった。アレクセイの役割も文句なく嬉しい演出だった。
しばらくこのイメージを思い出して楽しめるわ。

監督:ティムール・ベクマンベトフ 出演:コンスタンチン・ハベンスキー マリア・ボロシナ ウラジミール・メニショフ アレクセイ・チャドフ
2006年ロシア
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『ナイト・ウォッチ』ティムール・ベクマンベトフ

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NIGHT WATCH/NOCHNOY DOZOR

これもロシアで大ヒットを飛ばした、という触れ込みのようでちと心配になるが、こちらは昨日の『ストリート・レーサー』は違う独特の雰囲気たちこめたダークファンタジーで楽しめた。

肝心のアレクセイ・チャドフはほんの2箇所と少しくらいの登場なので満足とはいかないが『チェチェン・ウォー』からまだ2年後ほどの出演なので顔立ちは全然可愛いままの少年のよう。
一体どんな役なのかと思ってたら主人公アントンのお隣さん的な存在で主人公が「光」に属しているのに友達関係でありながらアレク演じるコースチャは「闇」の仲間に属していていわば敵なのである。なのに二人は何故か(説明がないので)友人らしく(と主人公が台詞で言っている)アントンは何か困るとコースチャの部屋を訪れる、といった具合なのである。随分年齢は違うと思うのだが。
最初のアレクの登場は「光」に属するアントンが「闇」と戦う為に「血が足りなく」なり人間とは違う「異種」としての仲間と思しきコースチャを頼ってドアをノックすると、アレクセイ登場。何故か上半身裸でパンツ姿である。名前が刺繍してあるみたいなのだがロシア語が判んない^^;何故パンツがアップになったのかもわかんない。アントンが首を突き刺して頼むと「判った」と即答。かなり親しい関係のようだ。
だが彼の父親はアントンが敵である「光」に属していることで快く思っていない。どうやら息子のコースチャはまだそこがよく判ってなかったらしい。アントンの方も認識してなかったみたいだが。
息子の頼みで肉屋である父親は渋々彼に「豚の血」を分けてやる。豚と人間は似ているから、だそうだ。豚の血を飲み込んだアントンは力がついたらしく戦いに出る。
コースチャの親父は息子に奴が血を飲むのは我々闇の仲間を殺す為なのだから助ける必要はない、と忠告する。コースチャはここで初めて事態を把握したようだ。

とても不思議な匂いのするダークファンタジーで私はこういうタイプが大好きなのだ。
いわばアメリカ製でない匂いがある。例えばメキシコのギレルモ・デル・トロ監督の『ヘルボーイ』に近いような。
とはいえマンガチックで明るさのあった『ヘルボーイ』に比べこちらは本当に重くて暗い。どちらがいいと言えないほど私的にはどちらも好き。ただし、本作には自分としてはかなり入れ込みたい特徴があってそれはどことなくこの作品が同性愛的な描写が多いところなのである。
極めて健全な男女の愛に満ちた『ヘルボーイ』に比べ『ナイトウォッチ』は女性が幾人も登場するのに何となく女性のセクシャル度が低い。『ストリート・レーサー』みたいなセクシーガールを配置しない。
本作できわどい色っぽさを感じさせるのはアントンの息子らしい少年イゴールくんである。とびきりの美少年で一目で惹かれてしまうのだが華奢な裸を長く見せたりシャツを引き裂かれたりするのがどきどきしてしまう。アメリカ映画ではちょっとできそうにない。
また酷い傷を負ったアントンが「光」である「ナイトウォッチ」のボス・ゲッサーに手当てをしてもらうという場面は奇妙にセクシャルである。深い傷で気を失ったアントンが仲間によってボスの部屋へ連れていかれるのだが、ボスが上着を脱いで(!)こっちへ連れてこい、と言った後皆を出て行かせる(!)二人きりになったボスはアントンのシャツをはだけてへそ辺りから針みたいなのを抜き取り(?)それから彼の胸に手を突っ込んで(!)かき混ぜて治療するのだがなんだか物凄い猟奇的な場面で且つ性的な行為のようにさえ思えてしまう。
アントンは女性の恋人がいる、と言う設定なのだが彼女との接触シーンは皆無でボスとコースチャとイゴールとの接点しかないのでなんだか妙な気分になってしまうのだ。
大体アントンとコースチャは敵同士なのにどういう関係なのか。
アントンと自分が敵だと知った後もコースチャはまたアントンに「女性の服を持っていない?」と聞かれ(何故女性の服を持ってるのさ)母親の服を彼の部屋へ届ける。ここでの二人の会話がまたなんとなく意味ありげなのだ。

まあいいけど。どうせ私の妄想ですだ。

とにかくアントンは「光」コースチャは「闇」でコースチャたち「闇」に属する仲間は人間の血を求めるバンパイヤで渇くと欲望が抑えられなくなるのである。うー、欲望が抑えられなくなったアレクセイが見たいぞ。

物語は「ナイトウォッチ」つまり光に属するアントン達のことなのだが、彼らは闇に属するバンパイヤ達を見張っている、ということなのだ。
それは1000年前から「異種」である二つの勢力「光」と「闇」の間で交わされた契約を破る行為をしたものは他の種族から取り締まられる、ということであるらしい。
ところが実際は「光」たちが「闇」たちを一方的に支配している様子なのだ。しかしここで恐ろしい事態が起きる。
光の「ナイトウォッチ」アントンはかつて人間の女性と恋に落ちるのだが、彼女のお腹には赤ん坊がいた。アントンは仲間の呪術を使う女性にそそのかされその赤ん坊を堕胎させてしまうことに賛同する。
その行為を知った息子イゴールは父親に反発を覚え「闇」の側についてしまうのだった。

ダークファンタジーというか『スターウォーズ』を連想してしまう。
それにしてもこの根暗さがとてもいい。
『ディウォッチ』にもアレクセイが出ていることを願いつつ。できればも少し多く。
イゴール君もまた観れるかな。

監督:ティムール・ベクマンベトフ 出演:コンスタンチン・ハベンスキー ウラジミール・メニショフ ディマ・マルティノフ マリア・ボロシナ アレクセイ・チャドフ
2004年ロシア
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2010年02月12日

『ストリート・レーサー』オレグ・フェセンコ

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Стритрейсеры, Streetracers

うはあ、観ました。アレクセイ・チャドフ主演のロシア製カーアクション映画『ストリート・レーサー』これはかなり肩を震わせて笑えます。

まあとにかく私の目はアレクセイ・チャドフに集中。『チェチェン・ウォー』から6年ほど経過してるのでどう変化したのかが気になるところだったのだがやはりそれだけ年を重ねた男らしさが出ていていましたね。
作品が明らかに娯楽そのものなのでバラバノフ監督のような切れたアレクセイの魅力はないもののアイドル的な愛らしさに溢れていたと言っていいでしょう。特に顔アップが多いのは嬉しいところ。彼の目の透き通った美しさを堪能できましたのです。
アレクは身長175センチあるらしいですがこの中にいるととても小柄にみえるのがまた愛らしい。ロシア人ってやっぱデカイ?特に敵役のイケメンくんは長身だなあ。
まあ本作もある意味、アレクのプロモーション的映像で前よりたくましくなった体つきだとか、髭のおかげで少し大人っぽく見えるようになったのかな、とか楽しませていただきました。
カーチャとのラブシーンもなかなかセクシーで可愛かったしね。

と、アレクセイ目的は充分満足だったのだが、映画自体に関しては。
私なんぞは車のことなんか何も知らないのだが、それでもやたら日本車が頑張っているのに親密感を持ってしまうのではあるが、メインレースなんて敵がフェアレディZで主人公がフェラーリに乗って高速道路で競走なんて普通逆だろと思うんだがロシアではフェアレディの方が格が上なのか。ヒロインはトヨタセリカだがド派手なピンク塗装で古臭くお洒落じゃないのが侘しいが今現在四面楚歌なトヨタがここでは一番目立ってたような。
私みたいにアレクセイ目当てのような下心ありで観てる分にはたっぷり顔アップが観れてよかったのだが資本主義国一般観客には観る価値を探すのは難しそうだ。

なんといってもロシアでは本作が初のカーアクション映画なんですと。ロシアってそうだったんだ。本国ではヒットしたらしいし、別に他国の評価まで期待しないならこれでいいのだろうし、楽しんでいるところをよそ者が文句つけることもなかろうが。しかしこれは確かに発展途上。一般観客にとって、こういうハリウッド的アクションの模倣というのは観るに忍びないものがあるものだろう。

とはいえ、私はしっかり楽しませていただきました。
一般的には本作は『ワイルドスピード』という映画の真似だと言われてようなのだが、私はそれを観てないので何とも言えない。多分そうなのだろう。しかしまあ私が最初に思い出したのは映画『頭文字D』でそれというのもなんかこの映画の乗りが香港映画っぽいせいもあったからだと思う。やはりハリウッドではない低予算のアクションモノを作るとどことなく香港映画的なテイストになりがちなのかもしれない。
ただしカーアクションに日本スタッフも加わって『イニD』の面白さには及ばない。やはりオリジナリティがなければどうしても面白い映画にはならないのだ。逆に言えば予算がなくても独特のテイストを持っていればマニア受けしかしないかもしれないが特筆したくなる面白さを持てるはずなのだ。だがこれはそういう類のものではなくあくまでもハリウッド的カーアクションをロシア人スタッフ・キャストでやってみたかった、ということなんだろう。

あー、いつになったら面白い話になるのか。
っていうか。結局私が面白かったのはアレクセイがしっかり観れた、っていうことだけなんだけど。
それにしても20歳そこそこで『チェチェン・ウォー』みたいな凄い映画の主演をした俳優が6年近く経ってこんな映画の主演をせねばならんとは。人生ままならない(ああ、また横道にそれた)
一番恐れていたのは^^;彼がまったく変な人になってたらドウシヨウ、ってことだった(笑)ブログの装丁まで変えたのに一作でまた変えるのか、とかなり不安だったのだが(ははは)その心配は無用だった。
小柄な感じはそのままで(って175センチあるのにロシア人の中だとこんなに小さく見えるのだ)年相応に可愛くて声もやや低くなっていてこれはよかった。体は前よりたくましくなって嬉しいし、アップがやたら多いので目がくっきりと見れる。どの人もそうだけどとても薄い色合いなのだよね。透き通るような茶色と緑が混じったような綺麗な色彩なのだ。
ヒロイン役の女の子も凄く可愛いくて敵役の男性もハンサムで長身でこっちの方がモテそうな気もする。
気になったのは最後、レース後にこの敵役のドッカーがアレクセイ演じるステパンに駆け寄って救い出す場面。あれれ、ドッカーってステパンが好きだったんだ。彼が求めていたのはステパンだったのだね、と気づいた。
と言う風でこの映画のストーリーかなり滅茶苦茶でよく判んないのである。そんなことはどーでもいーのだろう。

多分ロシア人製作者たちはこれが他国で評価されることは期待していない。自分達だけの楽しみで作っている、と思いたい。そうでなければかなり痛い。
そしてたまには私みたいなアレクセイ目的もしくはカーチャ役のマリーナ目的なんていう方もいるだろう。マリーナの青い目に参った人も多いはず。
そういう人たちにはこの映画、他にないほど彼らの姿がたっぷり観れると思うので満足できるはず。
アレクセイの綺麗な目の色と半ケツを観れたからなあ。ああ、この映画でいい監督&制作スタッフが目をつけてくれてまた『チェチェン・ウォー』くらいのいい映画に使ってほしい。と思うのだが、実際はいい映画にも出てるのに日本で観れるのがこの映画ってことだけかもしれないが。
この映画でも彼のセクシーさ、キュートさには惹かれましたが、もう少し大人の映画に出て欲しいよ。


監督:オレグ・フェセンコ  出演:アレクセイ・チャドフ マリーナ・アレクサンドロワ スタニスラフ・ボンダレンコ
2008年ロシア
posted by フェイユイ at 23:26| Comment(0) | TrackBack(0) | アレクセイ・チャドフ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ベン・ウィショーの変な踊り Bucks Fizz

ふぇでり子さんから問いかけがあり、はーやさんが答えてくださったベン・ウィショーが上演前にやる「変な踊り」の Bucks Fizz ってこれでしょうか?

Bucks Fizz - Making Your Mind Up


でもこれって協力者必要ですよね。

ベン、右側女性パートをやってください(笑)
posted by フェイユイ at 09:14| Comment(2) | TrackBack(0) | ベン・ウィショー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月11日

今夜もアレクセイ・チャドフ妄想

アレクセイ・チャドフに溺れて他に何も集中できない。
アレク以外の映画を観る気がまったくしないので今夜はブログいじり。
まだたった一作しか観てないのにどうしたことだろう。というかこの一作だけかもしれないんだけど(わわ、こういうこと言っちゃいかん)とはいえ、この一作だけでも私には充分すぎるほどの魅力なのである。

昨日も結局また『チェチェン・ウォー』観てたのだけど、久しぶりに(かな?)残虐なアクションものを観てやはりこういう映画に惹かれてしまう自分に気づいてしまったりとかもあったのだけどアレクセイの魅力だけでなくバラノフ監督の暴力の演出ってかっこいいのだよね。
映画としても凄く好きな仕掛けが色々あって主人公のロシア人イワンと彼に助けを求めるイギリス人ジョンが同じ名前であるとかね。
それにしてもバラノフ監督『ロシアンブラザー』ではアメリカ人を貶めていたのだがここではイギリス人。まったくもう登場するイギリス人ジョンはここでは極めてイギリス的に描かれながらかなり惨めな存在として描かれてしまう。
捕虜にされても恋人のマーガレットをひたすら守り続ける様子はイワンが言うように紳士的なのだが、何故かマーガレットはジョンに愛想をつかしてロシア人将校に恋心を抱くのである。
ジョンがマーガレットを救う為に故国へ帰って必死で金を集めるのは立派だがここでTV局から金を出す代わりにドキュメンタリーを撮って来てくれ、と頼まれる。ジョンは約束通りマーガレットを救う為にチェチェン軍の基地に入る時などは頭の上にカメラを乗せて跳びこんでいく。根性があると言えばそうなのだがイワンから見ればあまりに商業的過ぎて呆れてしまうのだ。またこれはドキュメンタリー映画が得意なイギリス人を皮肉っているようにも取れる。

あ、また映画の話に夢中になってしまうな。
ここではもっとアレクの話をしたいのだが。

これは監督の演出なのか、彼自身の動きなのか、まだ判らないのだが彼の仕草、体の動かし方が素晴らしく綺麗で見惚れてしまうのだ。
煙草の吸い方が酷く素敵なのだが、とにかく最初から最後まで戦っている時も歩く時もそれがないと生きていけないのかと言うくらい吸いまくっている。そのくせ顔はまだ幼くて実年齢はこの時20代前半だと思うのだがまるきり子供みたいな表情である。これはバラノフ監督『ロシアン・ブラザー』の主人公のセルゲイ・ボロドフも同じで監督はこういう童顔の青年が恐ろしいほど強い、というのが好きなんだろう。どちらも冷酷、と思えるほど徹底的な暴力をふるう。セルゲイの時は女性との交流もあったがここではまったく彼に恋人がいるような描写がない。それで余計に少年のような純真な姿に見えてしまう。それはちょうど同じロシア映画で本当に大好きな『ぼくの村は戦場だった』の男の子観たいに思えてきてしまうのだ。(少年、というと今でも真っ先にあの少年が思い浮かぶ。少年ゆえの残虐さ、ともいえるのか。心が震える美しさだった)

アレクの画像をあちこちから拾おう、と頑張ったのだが大体自分がそういうのが苦手なんであるが、それでも少し集めてみると映画とは全然違う、それでいてやっぱり可愛い純朴そうな感じである。
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なんだか裸のもあって恥ずかしい気もするんだけど、やっぱりこういうのはないといけないのかな。
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上を向いてキスをするのが可愛い。
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セーラー服もキュートです。
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抱きしめたい愛らしさ。
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でまた脱いでます。
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恥ずかしくてうつむいてしまう。
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こういう感じがいいなあ。
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まだまだ一部ですが。
ってこれ私しか楽しんでないか。
いいけど。

明日からアレク映画、少ししかないけど観ていくよ。
楽しみでうずうずする。

『チェチェン・ウォー』でのアレクの声も好き。声もまだ少年ぽいの(笑)ちょっと高め。
ロシア語の発音も心地よいなあ。
それとジョンと話す為に本作では殆ど英語で会話がなされるんだけどカタコトの英語がまた可愛くていいの。たまんないなあ。
posted by フェイユイ at 21:34| Comment(0) | TrackBack(0) | アレクセイ・チャドフ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする