映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2010年02月11日

Aleksei Chadovアレクセイに一目惚れ

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Serko

昨日『チェチェン・ウォー』を観てから頭の中はアレクセイのことでぐるぐる。
他の映画を観たいと思っても全然ないのだよね。輸入すればいいけどさ。ロシア語どうするさ。
こうやって観ていると張孝全とどう違う?って気もするけど^^;
どーせこういうタイプが好きなのよ。
しかし『チェチェン・ウォー』なんてタイトルだったら女子が観てくれそうにないなあ。
凄くいいんだけど。
ああ、なんて可愛いんだアリョーシャ。


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2010年02月10日

ベン・ウィショー『The Pride』続報&画像

ふぇでり子さんから続報&画像いただきました。ありがとうございます!!!
しかしそれがなんと

「ベンの舞台「the pride」ですがベン(演じるオリバー)が
レイプされてしまうシーンもあるのだとか。
それもとてもショッキングな場面らしいのですが。

ボンデージや鞭などの言葉も出ています。
インタビューや制作発表でのいつものベンの穏やかな様子からはとてもそんな刺激的な作品だと思えなかったのでびっくり。

しかしこの画像の青いポスター、なぜベンだけ昔の写真なのかしらん??」

といううわー!!!な内容でした。うわうわ。
いったいどんな芝居になるのでしょうか。
観たい。けど観れない。苦悶。
せめてふぇでり子さんからいただいた画像をじっと見つめることにいたしましょうか。

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素晴らしすぎて・・・絶句。
posted by フェイユイ at 19:11| Comment(5) | TrackBack(0) | ベン・ウィショー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月09日

『チェチェン・ウォー』アレクセイ・バラバノフ

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VOYNA/WAR

今、すっげえ興奮しててどうしよう、頭混乱してます。
っていうのはまたすげえ映画観てしまって、ってさっきもそんなこと書いたのに何興奮ばっかしてんのかと言われそうだが、どうしようもない。

今度の興奮は映画そのもの、というより主人公イワンを演じたAleksei Chadovアレクセイ・チャドフ。最近こんなに可愛い子観たことないってくらい好きなタイプでどうしよう、どうしよう。
まだ少年のような顔立ちでちょっと小柄な体つきがたまりません。
一体この映画って。
アレクセイ・バラバノフ監督って先日観た『ロシアン・ブラザー』でもセルゲイ・ボドロフという童顔な可愛い青年を主人公にしてドンパチやらせるのが迫力あってかっこいい映画にしていたんだけど、その5年後に作られたこれもめちゃキュートな少年(のわけないよな、こんな映画で)っぽい男子主役で一見物凄く好戦的な作品を作ってしまった。
『ロシアン・ブラザー』の方がまだ社会派的な要素があって認められると思うのだがこちらは徹底的に描写が酷いんで戦争嫌い(戦争好きっていうのもどうか、だが)には叩かれそうな作品になってしまってる。
でもこれはこれで主人公が義理と人情の部分で巻き込まれていって戦争をやってしまったらどんな結果が待ち構えているか、っていうのを結構きっちり描いている硬派な作品に仕上がっている、と私は思う。
思うのだが、今日はそれどころじゃない。
この主人公ってアメリカだったらなんか筋肉むきむきのおっさんが(それはそれでいいが)演じるとこなのだが、バラバノフ監督はまるで可愛い青年にやらせてしまったのである。
はっきり言ってこれはアレクセイのりりしさ、愛らしさを表現したいがためのイメージフィルムではないの。思い切り短くした髪もちょっと傷をつけたまだ愛らしい顔もほどよく細身な体もうわーん、私がゲイの男だったら絶対背後から抱きしめたいほどエロチックで我慢できない。

気の毒なのはチェチェンの兵士たちで(気の毒がっていいのかよくわかんないが)彼の魅力を映しだす為の標的となってしまったのだ。
彼らの捕虜となってしまったアレクセイ=イワンとイギリス人の男女と他数名はチェチェン側に身代金200万ポンドという大金を要求されてしまう。
イギリス人ジョンは恋人のマーガレットを人質として取られ単身イギリスへ戻るが金は全財産をかき集めても40万ポンドにしかならずTV局から一部始終をカメラに収めることで20万ポンドを約束された。
ジョンは仕方なく集めた金を持って共に保釈されたロシア人イワンを訊ねる。イワンは途方に暮れたジョンの手助けをすることに決めた。

数年軍隊にいたとはいえ若いイワンの捕虜救出の為の戦いぶりは凄まじく前作『ロシアンブラザー』での主人公のクールな戦いっぷりがここではさらに本格的な戦闘として描かれる。
イワンの攻撃はただジョンの恋人マーガレットを救うことが目的なのでチェチェン人への殺戮はある意味常軌を逸しているのだが無論そこで生ぬるい正義を持ちだしていれば自分達が殺される敵地なのである。
とはいえ、そういう状況を作り出して凄惨な殺戮場面を作り上げるこの作品に反感を持たれてしまうのも否めない。
ただイワンが正義の味方で敵の命は奪わない、という描き方をしていないのはむしろ正当でこの後彼が殺人者として裁判にかけられる、という最後も頷ける結果となっている。

が、しかし私の興味はひたすらイワン=アレクセイの魅力なんで、しつこいが、この映画が彼のプロモーション映像だと信じてしまうのである。
きびきびとした動きのなんと美しいことか。なんて危険な表現なんだけど。
斜め上から見た時の鼻のラインが愛しくてたまらん。
この興奮って『マッドマックス』でメル・ギブソンを初めて観た時に似てるかもしれない。そういえば缶詰を食べるシーンが似てる(馬鹿)
ああ、ロシア人ってお目にかかれそうにないなあ。
これの時からもう時間経ってるし、変わっちゃったかな。煙草を吸うのがこんなかっこいいって久しぶりに思った。

ところでイワンが物語を語っていく、というこういう構成も好きだ。それにこれでイワンが死んでない、ってのがわかる。逆にそれがスリリングじゃない、って言う人もいるかもしれないが、この作品に限ってはイワンを最後まで観たかったからね。
どこか暗い雰囲気もまたいい。私の書き方で随分酷い映画みたいになったかもしれないが、戦争や捕虜になることの恐ろしさ、自分で戦わねばならない責任感や社会がどう対処するのかを描いた作品なのである。
タイトルや写真が内容を反映しておらず残念だ。

監督:アレクセイ・バラバノフ 出演: アレクセイ・チャドフ イアン ケリー ユークリッド インゲボルガ・ダクネイト セルゲイボドロフジュニア インゲボルガ・タブクナイテ
2002年ロシア
posted by フェイユイ at 23:06| Comment(0) | TrackBack(0) | アレクセイ・チャドフ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『顔』阪本順治

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面白い奴を観てしまった。ほんとにこれってなんでこんなにおかしいんだろう。
っていうのはもう主演の藤山直美さんの凄さがほぼ理由の大半を占めている。物事を知らない私もさすがに彼女の芝居をしてるのもTVでちらりと観てずば抜けて上手いのは認識してるつもりだったけどいやもうずば抜けた凄さだった。

なんかほら、日本映画でコメディアンっていないって話があって確かにTVでは今お笑いの人がたくさんいて私も大好きなんだけどこと映画になってしまうと映画の作り手との呼吸もあるし映画で大笑いってあんまりないような気がする。三谷幸喜の映画とか観ずに言うなと言われそうだが。でもあの人の場合も普通の俳優さんたちでコメディアンっていうのじゃないみたいだし、さらに女優で笑いっていうのは皆無かな、なんて思ってたのがいっぺんに吹き飛んだ。なんという思い違いか。
もういるだけで悲しくておかしい、おかしくて悲しい。
牧瀬里穂演じる美人の妹と違い30歳過ぎてもまったく恋人も友人もなく実家のクリーニング屋の一室でひたすらミシンを踏み繕いものをして手伝っている娘。バージンである。少女マンガとTVドラマで恋愛を夢見ているのだからその気がないわけではなさそうだ。
優しい母親と違い美人の妹はそんな姉を疎ましく思って帰宅ごとに虐めていた。
そんなある日唯一の理解者である母親が急死する。妹は姉に対し「ずっとお姉ちゃんが恥ずかしかった。実家を店に変えて私と恋人が住んでいいのなら今迄の恥ずかしさを許してあげる」と言いだす。
姉・正子は「許さんでええ」と言って妹を殺し、家を出る。

今迄引きこもりで誰との接触もなかった正子が誰にも頼れない自分だけの力で逃亡生活を生き抜いていく。
今迄何もうまくやれなかった、自転車乗りも水泳も。セックスも女友達もいなかった。
そんな正子が親を失い、妹を殺したことで家を出てから何もかもを体験していくのだ。強姦されそうになったのがきっかけとはいえ男とのセックス(恋愛ではない)を体験し、ハンサムな男性にときめきを覚え、女性と友達になり、男性から好意も持たれるのだ。自転車に乗れるようになり水泳は浮輪つきでできた。
恐ろしいほど悲しくおかしい正子の逃亡生活はそのまま彼女が40歳を過ぎてからの青春であり成長である。
何もできないはずの正子は何もできない正子ではなかった。
家を出た途端あれもこれもやっちゃうんだもん。こんな短い間に(7ヶ月くらいと言ってたっけ)外で働くこともお化粧して人を楽しませることもできた。
一体正子は今迄なんだったんだろうなあ長い間何もできないと思い込んでいただけなんだ。
でもそれをやる為に美人の妹を殺さねばならなかった。
その代償がなければ正子は家を飛び出していけなかったのだ。
人生の中でこれを消すことができたら、と思うことがある。
正子が妹殺しをして家を飛び出したのでなければ律子さんの店でずっと働いていれたのに。
仕方ない。
正子はそこも飛び出しとある島の見ず知らずのお婆ちゃんの家で住み込んで働いてる。でもまたそこでも正体を知られ慌てふためく。
彼女が殺人犯だったことを知った島のお巡りさん達は大慌てで探し始めるが正子を見つけることができない。やっと発見した正子は海を横断している途中であった。泳げない彼女は浮輪に挟まって海原を前進していたのだ。

まるでパピヨンだ。

いやパピヨンを観た時は笑わなかった。感動の涙を覚えたものだ。彼の目の美しさに見惚れた。
なのに正子はおかしい。
おかしくて泣けてくる。その姿はまるで美しくなく見惚れない。
逃げる姿もかっこ悪い。男に犯されてもかっこ悪い。「あぁーっ」と悲鳴をあげても色っぽくないし、切なくない。犯された後の姿も色っぽくない。うう。
そんな無様なまったく綺麗じゃない正子がどの一瞬か綺麗に見えたりする。気の迷いかもしれない。
そんな正子を藤山直美はなんだかもうぼけえとしてるようで凄い感じで演じてみせてくれた。
周りの男達も女達も凄くよかったな。佐藤浩市、豊川悦司、二人ともかっこよくてさ。大楠道代さんがすてきだった。
そんなしょうもないような人間ばかり出てくる映画を阪本順治監督はとんでもなく面白い映画にしてしまった。

よかった。

正子が3回くらい「ぁあーっっ」って叫ぶんだけど途中の2回は笑えるんだけど3度目の「あーっ」は慟哭であった。
妹に「生まれ変わってくると思ってたのに」と泣く正子なのだ。

監督:阪本順治 出演:藤山直美 豊川悦司 牧瀬里穂 大楠道代 中村勘三郎(勘九郎) 國村隼 岸部一徳 佐藤浩市 内田春菊
2000年日本
ラベル:犯罪 家族 女性 人生
posted by フェイユイ at 20:05| Comment(2) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月08日

ベン・ウィショーの新しい舞台「ThePried」

ベンの作品を観ることもできず悶々としながらも、別の映画を観て毎日を過ごしてる不届きなフェイユイにふぇでり子さんが素敵な情報を教えてくださいました。ほんとにありがとうございます!!!

「ベンの新しい舞台「ThePried」の記事なんですが、左端の2コマ目の所で
インタビュー音声とスライドショーが観られます♪
ゲイ役だけあって男性とのキス場面もありました。

http://www.nytimes.com/2010/02/07/theater/07whishaw.html

ベンの役名はオリバー。
なんでも1950年代の絵本作家のオリバーと現代のオリバーの話が交互に
組み合わされたものらしいです。
現代のオリバーはセックス依存症で夜ごと 相手を求めてさまようのだとか・・」

ああ、悶絶ですねえ。

http://www.nytimes.com/interactive/2010/02/07/theater/20100207-ben-whishaw-multimedia/index.html


でこういうのもありましたよ。

「ThePried」
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posted by フェイユイ at 23:02| Comment(0) | TrackBack(0) | ベン・ウィショー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『真空地帯』山本薩夫

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無実の罪で服役させられた一兵士が帰って来た軍隊の中で己に降りかかった理不尽な運命に苦しみあがく、というような内容であろうと思って観たのだが、確かにそうではあるが想像したほど悲惨な状況ではなかった(とはいえ自分は嫌だが)と思ったのはどうしてだろうか。

この原作によって軍隊の内情が初めて本格的に書かれた、ということなので衝撃的だったに違いない。
つまり、その後はこれを上回るような「酷い仕打ち」を描くことになったはずなので後でこれを観た自分は「それほど酷くない」と思ってしまう、ということなのだろうか。
かといってこの作品がつまらないわけではなく非常に面白く観てしまったのだった。
それほど酷くない、と思ったのは主人公が言われるように孤立無援ではまったくなく終始彼の味方になってくれる會田という3年兵がいてくれからなのであった。
この人は誰に対しても面倒見がいい温厚な人柄なのだが特に主人公の木谷には何の見返りもなくむしろ損害を受けることもあるのに何かと世話を焼いてくれるのである。ところが主人公の木谷は彼に対してあまり恩義を感じてもいないようなのが不思議だった。孤立無援だと思い込んでいるだけなのかもしれない。
私的には木村功演じる木谷にまったく共感が持てない一方この曾田さんにはとても惹かれてしまい、彼と染や若い兵士との関係の方により興味が向いてしまうのだった。
木谷よりいつも殴られて虐めぬかれる大学出の人の方が可哀そうであった。

こうして軍隊の中で人間性を失い人は兵隊となるらしいのだが、確かにどこの国でも軍隊というのは似ているわけでこうして理不尽な世界の中で正気を失わねば戦争という最も理不尽な行為はできないということなんだろう。
本作ではそうした軍隊生活が写実的に描かれていき先日観た『海と毒薬』のような台詞での説明的な描写に偏っていないのがよかった。
ただし古い映画だからなのか、削除された部分があるのかフィルムや音声が悪いのは仕方ないとしても明らかに場面が跳んでしまう箇所が幾つもあるのが気になった。名場面というのか写真でみた場面まで無くなっているようだった。

以前観た映画で兵隊に入った年数が古いほど偉い、というのを知ったけどこれを観ても2年兵なのか3年兵なのかで違いがある。主人公は服役しているが4年兵になるのでここでは最も古参で威張れるわけである。
主人公の来ている服が上等だというのの説明がなかったので想像だが、戦争も終わりに近づくほど服装の質も落ちたのだろうか。主人公は古い兵士なので服がいいものなのかな、と思ったのだが。

とにかく戦争や軍隊がどんなに理不尽で恐ろしいものなのかは何度も教えてもらった。
こうしてDVDでそういう映像を観ているだけの自分がどんなに幸福なことか。しみじみと思う。

監督:山本薩夫 出演:木村功 利根はる恵 神田隆 加藤嘉 下元勉 川島雄夫 三島雅夫
1952年日本
ラベル:戦争 軍隊
posted by フェイユイ at 00:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月06日

『TOKYO!』「インテリアデザイン」ミシェル・ゴンドリー

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「インテリア・デザイン」
ミシェル・ゴンドリー監督作品というとガエル・ガルシア・ベルナルが主演していた『恋愛睡眠のすすめ」しか観てないのだが(『ヒューマン・ネイチャー』も観る予定だったのだがまだ予定の段階)それとかなり似たテイストのある作品であった。
出だしちょっとかったるそうなんで飽きるかな、と思ってたら意外にも面白くてはいりこんでしまった。
『恋愛睡眠』と同じように田舎(メキシコを田舎とすれば)から東京(あちらはパリへと)にやってきたお上りさんな主人公が都会の雑踏にもまれながら自分の夢を見る、みたいな思い切りオタク的なファンタジーですっごく可愛らしいのである。

もしかしたらこれは東京に住んでいる人より私みたいな外部の人間の方が素直に楽しめるのかもしれない。
信じられないほど狭いアパートに住む友人のところへ転がり込む田舎者の二人。一応恋人同士で男の子の方は加瀬亮が細っこい体つきに優しげな話し方でとてもフェミニンな感じに演じている。女の子は藤谷文子。知らないと思ってたが『ドモ又の死』に出てたのだ。父上がスティーブン・セガール氏なのだ。普通のだと女の子がしっかりしてて男が駄目駄目っていうのが日本映画は多いけどここでは逆で一見ひ弱そうで変な映画を作ってる男子のアキラのほうが案外器用になんでもこなしていく。一方のヒロコはアキラに「自分の存在を示そうとしていない」と言われたことにカチンときて拗ねて見せたりするけど気づいたらホントに自分は何もできない存在ででも周りの悪口には耐えきれなくてある日目覚めたら胸にポッカリ穴が開いている(つまり空虚さを感じてるわけね)そして足が棒になるほど歩き続けて行くうちに(ほんとに足が木の棒になってしまう)手も木になりそしてついに木の椅子になってしまう。
木の椅子になったヒロコは今までと違って色んな人から求められる。座ることができるから。
そしてある男性に拾われその人の家に落ち着くことになるのだ。
ヒロコを拾う男性を大森南朋が演じていて椅子がヒロコであることにはまったく気づいていない。彼は椅子であるヒロコに座り食事をしパソコンをし楽器を弾くのである。
ヒロコはやっと自分が人の役に立つ存在になれたのだ。

ヒロコが木の棒になっていくとこなんて凄く愉快なのである。アキラの映画ではヌードになれなかった彼女が思い切り往来で裸になってしまう(椅子は裸だからね)
難しいことを言う恋人の言うとおりの存在になれなくても自分は自分の好きなことをしながら存在していけるのが「東京」と言う町なのだ。

ゴンドリー監督の感覚はほんとに可愛い!っていうのがぴったりなんだけど、主人公ヒロコの拗ねかたも椅子になってしまう、っていうのも凄く可愛らしい。ゴンドリー監督は江戸川乱歩の『人間椅子』も御存じなのかな。あれでの椅子はあくまでマゾだが本作の椅子はあまりマゾっぽくはない。のんびり自分らしく生きている、と言う感じ。
映像のあれこれもキュートなものが多いのだが、ヒロコが入浴中にナオさんが帰って来て浴室を開けると風呂の中に椅子がいた、っていうのが滅茶苦茶好きだった。そんな椅子ヒロコを優しく拭いてくれるナオさんもいいなあ。一体彼の中でどう納得したんだろうか。

当たり前の感想だけど外国人が日本を撮るとやっぱり変なことに気づいて面白いんだよね。
一番の驚きは狭い部屋で、泊めてくれた友人が文句を言いたくても言わずにむっとして見せているだとか、アキラのバイトがラッピングだとか物凄い量を包まなきゃならない、と文句を言いながら結局真面目に働いてたり。
華奢な男の子とむっとしてる女の子の組み合わせだとかもとてもありがちでキュートで楽しかった。
妻夫木がおかまさんたちにからかわれている場面もよかったよ。

監督:ミシェル・ゴンドリー 出演:藤谷文子 加瀬亮 大森南朋 伊藤歩 妻夫木聡
2008年フランス/日本/ドイツ/韓国
ラベル:存在
posted by フェイユイ at 21:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月05日

『マリア・カラスの真実』フィリップ・コーリー

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CALLAS ASSOLUTA

オペラを聴きとる耳など不幸にも持ち合わせていないが無知な私でもその名は知っているマリア・カラスという女性を知りたくて観た。
舞台でさぞ見栄えがするであろうと思える迫力のある美貌と3オクターブという類稀な美声を神から授けられた女性はその幸運と引き換えにしたのかと思うほどの寂しい人生を送ったのだ、としか思えない彼女の物語だった。

そのまま映画にできる、というのか、こんな起伏の激しいドラマチックな人生というものがあるのだ。
ギリシャ移民の両親の間にニューヨークで生まれたマリア。母親はちょうどその前に亡くしてしまった可愛い息子の代わりとして男子の誕生を願ったが生まれたのはマリアであったことから彼女の存在を拒んだという。
悲しい誕生である。その母親は同じ女でも先に生まれていた姉のことは大事にしていたようだがマリアには酷く冷淡だったようだ。だが彼女の歌の才能に気づき条件付きで愛するようになる。

人間にとって何が一番不幸なのか、といって親に愛されないより不幸なことがあるだろうか。結局マリアと母親の確執は最後まで続きついに許し愛し合うことはなかったみたいだ。
では人間にとって何が一番幸福なことかと言えば両親に愛されその存在を誇りに思ってもらうことなのだと思う。
マリアにはそれが欠けていた。彼女の人生にはアイドルとして崇められることはあったが個人として愛されることがなかった。それは父と母の両方の愛を知らない為、彼女は愛される、ということができなかったのではないだろうか。無論両親の愛を知らなくても人に愛される人はいるだろうけど、親に愛されなかった人は他の愛も受け取ることができないように思えるのだが、どうなんだろう。

伝説の歌姫として名高いマリア・カラスだがその歌手の歴史はそんなに長い時期ではない。その上、彼女はその間にも度々声が出なくなるなどの理由で上演をキャンセルしてしまっている。
その為に傲慢だという罵声を長く浴び続けてしまった人でもあったのだ。
その当時を直接知ることもできないので彼女が身勝手だったのか、繊細なあまりに歌えなかったのか、想像するしかないが、完全でないなら歌えないという態度だったからこそ、彼女の女神のような美貌や気高さに惹かれたのではないかとも思えるのだけど。
彼女が愛した男性というのは他にもいたのかということも判らないがこの作品の中では僅かに3人が登場する。
夫だったイタリア人男性とかの海運王オナシスの共通点は金持ちっていうことだ。マリアはそれなりに二人からちやほやされるのだがそれが彼女に揺るぎない愛をもたらすことはできなかった。
3人目の同僚、歌手の男性はすでに下降線になっていたマリアに復活のコンサート活動へと誘うのだが、それは彼の娘の病気の為で仕事が終われば別れが待っていた。
よくは判らないが彼女は真面目な女性で他に男性もいなかったのだろう。この美貌があっても、彼女には寂しい愛情しかもたらされなかったのだ。
女性というのはやはり何かに打ち込んでしまうとそれと結婚することになり男性の愛までも欲することはできないものなんだろうか。
彼女自身若い頃求婚されて「私は音楽と結婚するのです」と答えている。それがすべてだったのかもしれない。

プードルだけが彼女を裏切らなかった。と言われても。

彼女は死んでからもその遺灰を盗まれ、その後見つけられて海へ散骨されるのだが、その灰が彼女自身のものか判らない、という説明。死んでもまでも彼女の願いはかなえられなかったのか。

たび重なるいざこざを繰り返しながらも彼女は長くない期間にその歌声を残した。その美貌も確かにミューズの名にふさわしい。

とは言え初めて彼女のことを聞いた時、日本人なら皆この美貌の歌姫の名が「カラス」って不思議な感覚にならないか。最も不格好で悪声の鳥の名を持っているなんて。日本語だから仕方ないとはいえ、この名前だからこそ覚えてしまう。髪も真っ黒だからますますイメージが重なる。

伝説の歌神は劇的な人生を送っていた。
が、そのドラマは酷く悲しく寂しい物語だった。
何故愛されない子供、という存在があるのか。悲しくてしょうがない。

監督:フィリップ・コーリー 出演:マリア・カラス アリストテレス・オナシス ルキノ・ヴィスコンティ ピエル・パオロ・パゾリーニ グレイス・ケリー ジャン・コクトー ジャクリーン・ケネディ マリア・カラス グレイス・ケリー トゥリオ・セラフィン ヘルベルト・フォン・カラヤン グレース・ケリー
2007年 / フランス
posted by フェイユイ at 22:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『海と毒薬』熊井啓

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この映画についての感想がどうもまとまらないのはこういう題材がどうしても怖いもの見たさの好奇心から観てしまったせいなんだろう。
まるで、罪の呵責に苦しむ「捕虜の生体実験手術」に立ち会った青年・勝呂に尋問する役の岡田真澄と同じ立場のような気持ちで彼らの体験を覗き見ようとするのは、スティーブン・キング『ゴールデンボーイ』の主人公みたいな欲望を持ってしまうからではないのか。
だが一方ではこの時代にいれば勝呂もしくは戸田のように何も感じない心、揺れ動いたとしても結局は流されてしまう人間であることも自覚しているからなんだろう。

映画は恐ろしい二つの手術を大きな問題として描いていく。一つ目はごく当たり前の病気治療の手術なのだが術中のミスにより患者は死亡する。担当医達は患者が術中に死亡したことで大きな責任問題になってしまうのを避ける為、数時間経過後に死亡したと報告するよう打ち合わせる。
第二の問題が「捕虜の生体実験手術」で数人の健康なアメリカ軍捕虜に麻酔をし、肺の摘出、心臓停止、脳に関する手術など様々な実験を行う。
主人公には対照的な二人の青年が登場し、勝呂によって罪の意識で揺れ動く心が戸田によって時代に洗脳され感動を失った心が表現される。この二つは程度の差はあれ殆どの人間が持つのではないだろうか。

熊井監督によるこれらの問題提議、手術の臨場感などには強い興味を持つのだが、一方熊井監督の演出、台詞での説明などには映画としての面白さを自分としては惹かれるものを感じないのは残念だ。
冒頭の尋問場面をはじめ台詞がどうしても洗練されていないように思えてそこで躓いてしまうのだ。これは監督の『サンダカン』の時も感じたもので惜しい欠点になっている気がする。

監督:熊井啓 出演:奥田瑛二 渡辺謙 田村高廣 根岸季衣 成田三樹夫 岸田今日子 神山繁 西田健 岡田真澄
1986年 / 日本
ラベル:医者 歴史
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2010年02月03日

『張込み』野村芳太郎

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自分は今は福岡在住なのだがもともと佐賀の産である。なのにこの映画、というか松本清張の小説としてもその設定を目にしたことがあるかどうか定かでもなかった。
まずは陰影のくっきりとしたモノクロ映像が美しく、また昔の佐賀の風景はさすがに自分にも記憶のあるものではないので初めて見る町の様子として新鮮に見てしまった。旧佐賀駅の光景などもこんな風だったのだなあ、という具合である。

東京で起きた強盗殺人事件で警視庁では主犯の石井は故郷の山口県か元恋人が今は結婚して住んでいる佐賀市内のどちらかへ逃亡しているはずだと考える。
若い柚木刑事とベテランの下岡刑事は組んで佐賀へと汽車で向かうんだった。
「酷く暑い」と言う言葉が何度も繰り返される。エアコンなどはまだない世界。汽車の中は小さな扇風機があるのみで人々は絶えずハンカチで汗を拭う。
犯人が会いに行くのではないか、と推測される女はこじんまりとした一軒家で前妻の子供のいる銀行家の夫と暮らしている。殺人犯の男の恋人だった女とは思えない地味で平凡な主婦にしか見えない。しかもケチで亭主関白な夫に日々必要な金だけを与えられ、家事と前妻の子の世話だけに日々を忙殺されている。まったく生気のない女なのだ。

家の中の情景は殆どが木材のしつらえで窓を思い切り開け放しているので今と感じがまったく違う。暑くてたまらないはずなのだが、なんだかのびのびとして心地よさげに見えるのは観ている今が冬だからかな。実際はたまらないのかもしれん。
暑くてたまらないから刑事の張り込み中とはいえ、ほぼ裸か下着姿。しょっちゅうお茶を飲んだり氷をかじったりスイカのでっかいのを食べたりしてる。
見張っている女の日常風景もごく当たり前のことしかしてないのだが、今見れば木造の家の様子や洗濯物の干し棹からミシン買い物の風景まで何を見ても感心して観てしまう。何しろ亭主が風呂に入る時は外で炭をくべているのだ。ただでさえ暑いのにご苦労なことだ。なのにガミガミ夫は風呂の水は朝から入れておけ、とか怒鳴っている。何だこいつ。
少々これは上手くいきすぎとは思うがちょうど女の住む家の前にお誂え向きの宿屋があって二人の刑事はここから女を張りこむのだ。
しかし女の毎日は計ったように同じことの繰り返しで一週間二人は見ているだけの時間を過ごす。
恐ろしく単調で退屈なはずなのにこの1時間強のこの部分も飽きないで観てしまうのは脚本のうまさと映像の美しさのせいだろうか。田舎町を映すのにちょっと洒落た風のジャズもなかなか合っている。

タイムリミットの一週間が過ぎ、ベテラン刑事が佐賀警察に報告の為外出している間に女の家に奇妙な傘売りの男が訪ね、その後女が外出をした。はっとした若い柚木刑事は単独で女の跡を追う。
女はバスで多久へと向かったらしい。
男と会うのだ。
まるで死んでいるかのように感情のない女がこの外出時に日傘をくるくる回す。それだけで何の台詞もないのだが初めて女の気持ちが動いたのが判るのだ。この女性は今幸せな気持ちになっている。
柚木刑事は殺人犯が女と出会った際の行動に緊張する。が、女は昔の恋人に笑いかけ拗ねてみたり甘えたりとまるで今までの彼女と違うのだ。
柚木刑事はその姿を見て動揺する。だが彼の仕事は女の生きがいになるはずだったその男を逮捕することだった。

柚木刑事は家庭の事情があって彼との結婚を迷っている恋人に電報を打つ。どんな事情があっても愛する人と結ばれなければあの女のように死んだ日々を送ることになるのだ、という決意を持って。

絡み合った会話は殆どないのだがそれぞれの人生を簡潔に描いていく手法がなんとも職人的にうまい。
町の情景も懐かしい、というより見慣れないほどの昔のもので舗装されてない道路やバスや車の形も家並みもまるで知らない違う世界である。人々の心情もまた。昔の人はやはり真面目なのである。
あの奥さんはあの後、どうしたんだろう。柚木刑事が想像したように今迄通りの死んだ生活に戻ったんだろうか。
違う、と思いたいのは今の考えなのかなあ。

監督:野村芳太郎  出演:大木実 宮口精二 高峰秀子 田村高広 菅井きん 浦辺粂子
1958年日本
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2010年02月02日

『トキワ荘の青春』市川準

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『黄色い涙』も思いのほかじんわり来てしまったのだけど、こちらはまたそれ以上に胸に詰まるものがありました。

芸術家の物語・映画というのは色恋沙汰に満ちて波乱万丈で面白いことが多いのだがこと日本の漫画家という芸術家だけはその期待を持つことはできないだろう(と多分日本人なら皆思ってるのでは)
イメージ的には(私の場合はほぼ昭和だが今もそうそう変わらないのでは)男女問わず田舎で夢を見ながらせっせと自分の世界を漫画に描いて海千山千の東京の出版社編集部から目を止められたらここぞとばかりに追い立てられ責め立てられ狭い部屋に閉じ込められて昼夜を問わず漫画を描かせられる。酷い状況でありながら田舎者の彼らは自分の夢がかなったことと頭のいい都会の編集者らに時には煽てられ時には諭されて奴隷のように漫画を描き続け、死なないように栄養剤などを飲ませられながらも自分の陥った地獄に気づいていない。まさに蟹工船に乗せられたのにそれに気づいてないが如くなのだ、というものである。
しかも他の芸術家と違い「漫画家」というと今でもちょっと笑われてしまう昔ならもっとその地位は低かったはずだ。
そんな憐れな存在ながら本人達は多分とても真面目で真剣に漫画という芸術を極めようと努力している。少なくとも昭和の漫画家のイメージはそんな感じであった。

『黄色い涙』では永島慎二と思しき漫画家が主人公となり、本作では寺田ヒロオ氏がトキワ荘に集った若き漫画家達の兄貴分的存在として描かれている。二人の共通点は(少なくとも映画内では)世間に媚びず子供達の為にいい漫画を描きたい、という信念を持っていることである。そこにまたノスタルジーが感じられるのであろう。
申し訳ないが私は永島慎二さん及びトキワ荘の他の方々(石ノ森章太郎、赤塚不二夫、藤子不二雄、つのだじろう、つげ義春)は知っているが当の寺田氏のことはまったく知らなくて漫画を見てもさすがに読んだ覚えはなくさらに申し訳ないが確かにこの漫画ではあまり読みたいと思わなかった、かもしれない。
『黄色い涙』の永島氏がどのくらいの売れ行きだったかは知らないが氏の漫画は自分も読んで酷く感銘を受けたし、多くのアーティストに影響を与えているのは有名である。
本作の寺田さんはその人格で周囲の人に愛された方で「いい人だ」と言われる。だがその作品は時代遅れで堅苦しいと評価されてしまう。編集者からは「言うとおりに書かないと売れませんよ」と苦言を呈されるがやはり自分を殺してまで作品を描くことはできないのである。
とはいえ、共に暮らしていた藤子不二雄、赤塚不二夫、石ノ森章太郎たちは自分の描きたいものを描いてその上で売れていくのに彼だけは(ということでもないのだろうが)そうした商業的路線から外れてしまうのだ。
しかしこうした青春を送った人は彼以外にも数多くいたに違いない。名前が残る漫画家になれた人物はほんの一握りのはずなんだから。
ただ寺田氏の略歴に書かれているように氏があまり幸福な人生でなかったのなら悲しいことだ。でも本当のところは判るんだろうか。

思ったとおり昭和の若き漫画家たちの青春は貧しい。色恋沙汰も皆無。波乱万丈も起こらない。狭くて古いアパートのそれぞれの部屋で自分の夢を漫画に描くだけである。映画の2時間弱物語はそれだけ。悩みは漫画。喜びも漫画。水野英子女史が登場した時だけちょっと画面が明るくなった気がした。いや男性的にはあまり嬉しくはないだろうが。威勢がよくてちょっとだけ跳んでる。でもセクシーではない。水野女史に対してまったくそういう視線がない男たちであった。(なににろ彼女の漫画も迫力あるからなあ。私は『ファイヤー!』しか読んでないけど)
むしろ石ノ森さんのお姉さんがちょっと色っぽい感じで。しかしやはりこの時代女性はご飯をよそう役として登場するのだな。

彼らの悩みはご飯で最初寺田氏が手塚治虫先生から出前の差し入れをしてもらうシーンは観てるこっちも助かった気がした。
仲間が集まってもあるのは玉ねぎとキャベツかなんかを炒めたのに安酒しかない。そんな風なので差し入れの大福が実にうまそう。
人のいい寺田さんはいつも誰かからお金を貸して、と言われて気の毒なのだ。
薄暗い部屋の中で漫画を描き、数人の青年がいるのにこれという事件もなく毎日が過ぎていく。波乱は出版社がつぶれることと自分の漫画が連載になること。
編集者に漫画家になるのは無理だあきらめろと言われた赤塚不二夫が(そうだったんだね)石ノ森の助言で才能を認められ一足先にトキワ荘を出ていく。
そんな後輩たちを寺田は静かに見守っていく。だがその心の中には苦しみがあったに違いない。
それでも藤子たちに「相撲をとりませんか」という無邪気な誘いを受ける寺田さんなのである。

こういう生活をしたわけでもない。でも物悲しくなってしまうんである。
何かを強調するわけでもなくぼんやりとフェードアウトしていく一つ一つのエピソードという演出が胸に迫る作品だった。

とはいえ、実は自分的には男性版だけでなく女性漫画家たちのこういう作品を作ってくれないかなあ、と願うのである。
どうしても作り手が男性が多いので女性漫画家にはあまり視線がいかない、か、作っても若干むむむなものになりそうなのだが。TVではちょこちょこそういう番組もあったりするので近い将来あるかもだ。
無論、萩尾望都や竹宮惠子とかね。森脇真末味なんかもいいなあ。
高河ゆんなんかの同人誌ものなんかも興味あるが。
この辺はまだ生々しくて無理、かな。

藤子氏の一人を阿部サダヲが演じてたのがおやまあだった。

監督:市川準  出演:本木雅弘 安部聡子 鈴木卓爾 柳憂怜 桃井かおり 阿部サダヲ さとうこうじ 大森嘉之 古田新太 生瀬勝久 翁華栄 松梨智子 北村想
1996年日本
ラベル:青春
posted by フェイユイ at 23:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月01日

『蟹工船』SABU

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主人公に松田龍平で一緒に蟹工船で働く一人が新井浩文しかも二人がつるんでいる場面まであるとなったら『青い春』の九條と青木を彷彿とさせてしまうわけでまるでその後の二人か前時代の二人か、などという妄想と共に楽しませていただいた。

とにかく驚かせてくれるのは(といっても判ってはいたんだが)松田龍平の存在感の恐ろしさ。恐ろしさっていうのはどうだかだけど、ほんの少し台詞をいうだけでもなんか他の人たちと全然違うと感じるのはどういうものなんだろう。
本作の彼は今まで観てきた松田龍平とは随分違う言動をする。それは九條の時の彼のキャラクターがどの作品にも投影されているようなところがあって無口でやや退屈気な感じ、という倦怠感がいつもあった。『悪夢探偵』などはその代表かもれない。
今回は『蟹工船』という支配者から虐げられた労働者が自分達の権利を勝ち取るために戦う意志を持とうと呼びかける指導者という役柄なので原作の時代背景もあってか皆の前で大声でアジテーションを行う熱い男を演じている。ぼそぼそと小さな声で口数も少ない印象であったのが意外にも声を張るとよく通って迫力があるのに驚いてしまったのだ。確かに彼がリーダーとなって聴衆を鼓舞すれば一種洗脳されてしまうようなカリスマ性があるのではないだろうか。無口であってくれるのが安心であるかもしれない(変な心配してるが)
はっきり言って作品的には力量や深みが足りなくて観客が思想を変えてしまうほどの陶酔感を持っていないのだが、それを松田龍平が語る時だけはうっかり染まってしまいそうな何かがあるのである。周囲の配役も悪くないだけにもう少し演出の技が欲しかった。
という、これはもう単に本作の作り手がまったく「アカ」でないからなのではないのだろうか。そして今の時代で共産主義を訴えることの意味が昔とは全然違ったものになってしまっている。新しい世界を作る理想的な思想ではなくあちこちで失敗し衰退した思想体制だと判ってしまったからだ。
当時原作者はこの物語で共産主義思想を咎められ拷問を受けしんでしまったのだ。まさか拷問が怖かったんじゃなかろうけど『蟹工船』の中で血を吐くように訴えた労働者の権利、という強い要求が今の人間に足りないのは仕方ない。就職難、不当な首切り、と取りざたされてもやはりかつての人々のような、つまりこの蟹工船で働いていた人々に対する思いのような激しさは欠けてしまっているのだろう。
それはどうしようもないものだろうがそれなのにあえてこの題材を使ったなら本気でそこまで感じさせるか、今らしい違った設定に変えてしまえばよかったのかもしれないが。
とりあえず今風のテイストを取り入れながら原作通りの労働者の権利を要求、という形で制作された。
奇妙な笑いも含まれていて私としては結構楽しむことはできた。
新井浩文も青木じゃないんだけど本当に九條=松田龍平と組んで演じるのが嬉しそうに思えてしまう。久しぶりに顔をゆっくり観れるほどの出演だった。

監督:SABU 出演:松田龍平 西島秀俊 高良健吾 新井浩文 柄本時生 木本武宏 三浦誠己 竹財輝之助 利重剛
2009年日本
ラベル:思想 松田龍平
posted by フェイユイ at 22:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『テス』ロマン・ポランスキー

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Tess

これを観るまで(という恐ろしく長い時間)『テス』という作品は、ナスターシャ・キンスキーが主演だったので(しかも監督もスキーなので)ロシアか東欧かポーランド辺りの物語だと思ってたらトーマス・ハーディ原作のイギリスが舞台だったのだ。しかしナスターシャの顔からイギリス女性が連想できなかった。

ポランスキーという人はとてもユーモアを持っている監督でどの作品にもどこかおかしさがあるのだけど、この作品でとてもおかしかったのはテスの夫になる牧師という人がとても不運なこと。多分観客としてはテスに共鳴して観てしまうのでこの男はとんでもない悪い奴ってことになるんだけどこの男の目線で見たらとても笑える。というのはナスターシャ=テスの美しさをそのまま清らかさと勝手に思いこんだ彼が結婚した後告白されたのがすでに性体験済みで子供を産んだ後その子を死なせてしまった、という辛い過去を背負った女性であったこと。そのことに衝撃を受けた彼はテスを放り出してしまうのだがこの弱気な坊っちゃんの唯一の性体験はロンドンでの年上女性との2週間だったわけでしょ。偽りの愛だった、なんてかっこつけてるけど実際は坊や過ぎて捨てられたのかもしんないしそれを誤魔化してたのかもしれない。せめて今度は自分より幼い少女だったら負けないだろうと思ったらどっこい彼女の方がウワテだったんで泣きっ面になったっていうことはないのかな。その後もテスから何度も手紙で帰って来てと言われてもなかなかセックスに自信が持てなかったのかもしれん。なにしろこの二人まだいたしてないわけですよね?この坊っちゃん牧師、怖れていたのかも。
その後なんとか体験を増やしたのだろうか。テスにやっと再会する牧師。テスに「遅すぎる」と怒られるけど彼としては男になるのに時間がかかったのだよ。それにテス自身きっとプレイボーイ風のあの一番目の男より坊っちゃん牧師みたいな可愛い男子が好きだったわけでしょ。テスって本当にあの一番目の男が嫌いなんだよね。徹底的に嫌ってる。何故あそこまで?
で、坊っちゃん牧師がやっとテスに再会して「僕はあの時の僕じゃない!(経験積んだってこと?)今度こそ君を離さない!」って言ったらテス「彼を殺してきた」って(爆)どこまで先につっ走るんだテス。正直ここで笑ってしまいそうになった。牧師の身になって考えたらやっと彼女に追いついたのに彼女はもっと凄い人になっちまった。もう牧師さん目が点になってたけど。ここでまた茫然としたらもう駄目っ点でなんとか自分を立て直して逃亡し途中でついに性体験を終えた。よかったよかった。しかし汽車に乗った牧師を窓からテスが覗きこむんだけど、あのシチュエーションは駄目なの。どうしてもドリフ思いだして笑ってしまうんだよね。どんだけ足速いんだ(いや汽車はまだ走ってないと思うんだけど)

いや私が突っ走ってしまって申し訳ない。決してこの映画を笑おうとしたわけではない。ポランスキーの手腕がここでも光る素晴らしい映画作品なのだ。
でもでもどうしても考えてしまう。ポランスキーといえばホラーと笑いが常にある。この映画もその高い格調の中に隠れた笑いとホラーがあるのではないか。無論エロチシズムもまた。
テスが一番目の男に苺を食べさせられる場面は非常に印象的でエロチックなのだが、頑固に「自分で食べます」と拒否しておきながら結局は男に咥えさせられてしまうのがテスの特徴で彼女の生き方そのままになっている。
真に清純で美しい少女テスが父親の聞いた「お前の家系は由緒ある名門なのだ」という貧乏人にとっては何の意味もないような一言から間違った道へと歩き出すことになり殺人者にまであってしまうとは、なんという恐ろしい一言だったのか。それはどんなホラーより恐ろしくまたおかしさも含んでいる。そしてそんな不幸な運命に弄ばれ悲しみと苦しみの表情を見せる美少女という設定はちょうどホラーの物語の中で叫び逃げ惑う女性にエロチシズムを感じてしまう男性にはこれ以上ないセクシャルなものであるに違いない。
そんなテスを演じるという生贄にナスターシャの美貌と初々しさはぴったりなのである。
彼女がボロボロの服を着て髪を乱している時ほど嗜虐的な思いを抱いてしまうのではないだろうか。

テスは何故あんなに一番目の男が嫌いだったんだろうか。女を見下したあの物言いが腹立たしかったのか。
それに引き換え何故牧師は好きなのか。さほど彼の方がより素敵とも思えないが。観客としてあんなにむかつく男もないが彼は彼で不幸なのだ。許してもいいはずのテスの過去をどうしても許しきれず貴重なテスの若い期間を捨ててしまった。やっと踏ん切りがついて戻ったら彼女は元の木阿弥一番目の男のモノになっててしかもそいつを殺害した罪で死刑。彼がテスを自分の愛する人として傍に置いたのはほんのわずかな時間だけ。不幸な男である。

さておとといの『青いパパイヤの香り』昨日の『細雪』と本作『テス』女性年代記という3作を続けて観ることになった。
どれも素晴らしい映画である。自分としては『細雪』の倒錯性に最も惹かれてしまうものである。

監督:ロマン・ポランスキー 出演:ナスターシャ・キンスキー ピーター・ファース レイ・ローソン リー・ローソン デヴィッド・マーカム アリエル・ドンバール
1979年 / フランス/イギリス
posted by フェイユイ at 00:46| Comment(4) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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