映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2010年03月31日

『炎のジプシーブラス 地図にない村から』ラルフ・マルシャレック

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BRASS ON FIRE

『耳に残るは君の歌声』という映画も面白かったし、『ガッジョ・ディーロ』『ジプシー・キャラバン』とどれもロマの生活と音楽を興味深く観てその音楽に聞き惚れた。
本作はこれらの中においても最ものんびりとしてもしかしたら一番本当の生活に近いもののような気がするのだが。
とにかく登場するロマの村人の男たちが本気でその辺の田舎のおっさん的ないでたち言動でどこにでもいそうな人々である。

ドイツ人のヘンリーがルーマニアの地図にも載っていない村に住むロマのオヤジさんイオンと出会い、その音楽に惚れ込んで何度も訪問するうちに世界ツアーを計画する。
出だしは凍った湖に開いた穴から少年がホルンを拾い上げる、というとても美しい映像から始まる。まるでメルヘンのような一場面だがそこから始まる物語はメルヘンというよりとんでもなくどたばたしてる珍道中でおかしくてしょうがないでもやっぱりこれもメルヘンなのかもしれない。
何しろなんもないような凄い田舎に住むおじさんたちが楽器なんかも古い奴を修理しながら使っているような状態で街に住む大勢の人々を歓喜の渦に巻き込んでしまうのだから。
彼らに偶然出会ったと言うのも不思議なことであるがヘンリーと相棒のヘルムートは彼らを世界ツアーに連れ出す。が、他の物語とちょっと違うのは二人が二人とも彼らの村に住む女性(しかも従姉妹)たちと結婚し可愛い子供も生まれて大家族でツアーを始めてしまうのだ。子供にはちゃんとロマの血が受け継がれまだ赤ん坊に近いくせに皆に混じってドラムスティックでリズムをとってる。
ツアーはベルリン、ミラノそして東京へと渡ってくる。原宿で踊ろうとした彼らの前に警察の待ったがかかったが5分間のお許しが出た。なんだかなあ。
とはいえ東京での彼らの音楽も燃え上がり、作品的にも締めくくりであったので非常に素晴らしい演奏だった。この中でも特に力の入った熱い演奏だったのはどうしてなんだろう。などと言わなくてもいいか。
そして彼らは再びのんびりしたルーマニアの片田舎に戻る。美しい田園風景。彼らを迎えたのは冒頭、湖でホルンを拾った少年。村の楽器修理のおじさんに使えないほど壊れていたホルンを直してもらったのだ。
物凄く高価な楽器でなくても心底音楽に浸っている彼らの生活とのんびりした村の風景に今日も慌ただしく過ごした自分は憧れてしまうのである。

監督:ラルフ・マルシャレック 出演:ファンファーレ・チォカリーア
2002年ドイツ
ラベル:ロマ 音楽
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かっこよくて綺麗な男たちの画像

gogay.nu

Алексей Чадовアレクセイ・チャドフを探してロシアネットを彷徨ううちに何故かこういう場所を見つけてしまった。
と言ってもこの中にアレクセイはいなかったですけど。残念。
ゲイ画像を訪ね歩いたこともないし、こういう写真に詳しいわけではないですが結構すてきな写真が多くありません?
かなりの数あるので何日かに分けて探求してください^^;
アレクセイはいなかったけどさすがデヴィッド・ベッカムはいました。映画では『ブロークバックマウンテン』は当然ですが『情愛と友情』(ベン・ウィショー出演作)があってうれしい。マット・デイモンの『リプリー』もあったし。日本のでは『御法度』ありました。中国の『藍宇』もね。
マンガでは大好きな田亀源五郎さんの絵が何枚かありましたしボーイズラブなのも。
ゲイDVDの写真はさすがにあまりに立派な代物が陳列されててわわわわわですが時折入る芸術写真ぽいのが綺麗な男性ばかりで見惚れてしまう。こんなに充実してるサイトって珍しい?
ラベル:同性愛
posted by フェイユイ at 00:27| Comment(0) | TrackBack(0) | ロシア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月29日

『白鳥の湖』マイヤ・プリセツカヤ

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バレエを観るのが好きでとにかくダンサーというものに憧れ続ける自分であるがさりとてさほどきちっと作品を観通したことがない、という情けないバレエ好きである。
実を言うとこの『白鳥の湖』ですらちゃんと観たことがない。できるならレンタルできるDVDがもっと増えればなあと願うばかりなのだが、なーんと私でも名前を聞いたことがあるマイヤ・プリセツカヤの『白鳥の湖』がレンタルされてたのに気づき観てみることにした。

映像が物凄く古くてしかも一部酷く悪化してる箇所もあったのだが当時の観客の様子もちらちら伺えて面白いDVDであった。バレエ自体に対してはもう素晴らしい、としか語彙がないのであるがあまりにも定番の『白鳥の湖』でつまらないかと言えばまったくそういうことはなくやはりこれは深い物語だなあと改めて考えさせられた。
正であり白い姿の主人公二人王子とオデットに対し負であり黒い姿の悪魔ロットバルトとオディールというそれぞれ男女の形で対立がある。無論王子と白鳥のオデットの愛が崇高なものとして表現されるのだがオデットと悪魔ロットバルト、王子とオディールという組み合わせにもなりオデットはロットバルトの捕らわれの身であり王子はオディールに騙されて愛を誓う。観ている者もどこかで恐ろしいロットバルトや黒い姿のオディールに心惹かれるところがあるのではないか。多くの場合オデットとオディールを同じバレリーナが踊る、というのも女性の二面性を表しているようでもあり、悪魔に捕らわれたオデットという設定もオデットが完璧に純粋ではない何かを感じさせはしないか。
王子の騙され方がどうにも間抜けで若いから仕方ないとはいえ頼りない。案外本当にオデットより悪女のオディールの色香に迷ってるんじゃなかろうかと思えてしょうがない。悪魔ロットバルトは王子のそういう弱い部分を見事に突いてくる。いくら外見が似てたからといってまったく性格の違う女性にころりと引っかかってしまうなんて、一体この王子様オデットのどこを見てたんだろうかねえ。

などと様々な思いを巡らせ楽しませてもらった。
このバレエを観ている観客たちがうっとりと見つめ素晴らしい技巧に一つ一つ感心している様子を見るのも面白い。
道化師役のダンサーの技が凄い。

ロシア
ラベル:バレエ
posted by フェイユイ at 21:53| Comment(0) | TrackBack(0) | ロシア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月28日

『ベアーズ・キス』セルゲイ・ボドロフ

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BEAR'S KISS

セルゲイ・ボドロフ監督作品はどこか掴みどころのないイメージがあって多分最初に観たことになる浅野忠信主演の『モンゴル』も『コーカサスの虜』もちょっと変わった雰囲気のある作品だった。
本作はその中でも特に歪なものを感じさせる映画なのかもしれない。なのかもしれない、というのは私はそれほど奇異に思わなかったのだが主人公の少女が恋してしまうのが本物の「熊」でその熊がある時から「人間の男」に時折姿を変える、という展開がある種の人には受け入れ難いものだろうしさらに結末に至ってはこれを素晴らしい変化(へんげ)と思うのかくだらない嘘八百と感じるのかはそれぞれだろう。
自分にとってはボドロフ監督のお伽噺がじんわりと染みてくるようで大好きな物語であった。
色んなことが少しずつ隠された物語でもある。ローラには若くて綺麗なママがいて二人はサーカスの人気曲芸師なのだが、実はママは本当の母親ではなくローラが赤ん坊の時にキャンピングカーの傍に捨てられていたのをママが拾って育てたのだと言う。実はそれも嘘で本当はピエロが「悪い人」からローラを盗んできたらしい。「悪い人」っていうのは何だろう。ローラの育てのママは今の恋人と上手くいかなくてローラを残してサーカス団を去ってしまった。ローラのことを本当に愛してくれる人はいるんだろうか。
ローラと言う少女は感情をあまり表に出さない子で熊のミーシャを可愛がる時だけ笑っているようだ。いつしかローラはミーシャを恋人のように思うようになる。ある時からミーシャは人間の男に姿を変えるようになる。青年のミーシャを演じているのは監督の息子セルゲイ・ボドロフJrだ。この素晴らしい可能性を秘めた青年俳優はすでにこの世にいない。彼が出演した映画は私が観れただけでも『ロシアンブラザー』『コーカサスの虜』『イースト/ウェスト 遙かなる祖国』とどれもいい作品ばかりで彼の演技はどれも朴訥とした強い青年のイメージなのだがとても味のある魅力的なものなのだ。背が高くてがっしりした体格で顔は温厚で優しげで年齢を重ねていけばますます内容の濃い役者になれたと思わせるだけに残念としか言いようがない。本作の熊のミーシャもまた彼の個性を大いに生かしているのではなかろうか。おっとりとした雰囲気は熊っぽくて優しそうだ。裸になると若者らしく腰がきゅっとくびれているのが何ともセクシーでそれでいてローラに手出しをする男たちを容赦なく手荒くやっつけてしまう。人間になった今もシベリアの森を思い出して早く帰りたいと願っているミーシャ。
ローラはミーシャをシベリアへ帰したいときっと何も食べずただひたすら車を走らせたんだろう。ロシアとの国境で警備兵に捕まり懇願したローラはその時兵士たちに何らかの見返りをせねばならなかったのではないだろうか。「人間を殺した熊は人間になることは許されない」のなら二人が離れない為にローラは姿を変える。
今迄ローラを愛した人間はいなかった。初めて彼女を愛したのがミーシャだったのなら森の中へ入った二人はきっと幸せになれただろう。

昔、童話を読んでいると魔法で何か別の動物に姿を変えられる、という設定になっていて最後は人間になれて愛する二人は結婚しめでたし、という結末だったのだが、やっぱりこれに反感を持ったりもするのだよね。果たして人間になるのが本当に幸せなのか。
映画としては『シュレック』なんかが子供向け作品としてこれのアンチテーゼを示したんだと思うけど本作もまたそう。私もこういう結末に賛同するのであるがそれだけにクリスチナ・リッチの『ペネロピ』には失望した。何故豚鼻のままでいけないか?

この作品のイメージを形作る様々なモチーフにも惹かれる。ローラたちが働き生活するサーカスの一団、ローラたちに占いをするロマの人々、シベリアを彷彿とさせる彼の地に住む人たちのホーミーの歌声。
すべてがまさにアジアの大地のお伽噺に相応しく不思議な夢の国のように感じられる。

監督・セルゲイ・ボドロフ 出演:レベッカ・リリエベリ セルゲイ・ボドロフ・Jr. ヨアヒム・クロル キース・アレン マウリツィオ・ドナドーニ
2002年カナダ
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2010年03月27日

『パリ・ルーヴル美術館の秘密』ニコラ・フィリベール

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LA VILLE LOUVRE

フランス映画の感想記事はいつも必ず「まったく不思議な」「わけわからん」といった形容ばかり書いてしまって我ながら進歩がないのだが映画のカテゴリがドキュメンタリーになってさすがフランスはフランス。やはりわけのわかんない不思議な作品になるのであった。

というか、一般的にドキュメンタリーというと何かを訴えたいのがテーマとしてあってそれをどのくらい観客にくみ取ってもらえるのか、理解してもらえるかが腕の見せ所であり重要性であったりすると思うのだが本作はただ淡々と美術館の裏方さんの仕事ぶりを見せていくだけでありそれらを説明するのは僅かな言葉のやり取りでしかない。無論掃除してるのや絵を運んでいるのやどの絵を選ぼうかと思考してたり絵の修復をしてるのは見りゃ判るだろうと言われればそれまでだが丁寧に事細かくナレーションなりで説明を聞くのになれている身には随分ぶっきら棒にも思えるのではあるが。観る者はとにかく映像に登場する大勢の裏方たちが何をやってるのかはそれぞれの知識と観察力にまかせるとして観ていくしかないのである。それはちょうど作品中で「一つの部屋にダビデとモナリザを置いておけば観客は何の苦労もせずして満足するかもしれないがここには豊富な美術品があることを何時間も歩き続けて見せねばならないのだ」と言っているように単純な説明で知るだけでなく観ることで受け取っていかねばならないのかもしれない。

とはいえ私は(というかそういう人は多いと思うのだが)仕事をしている人を見るのが大好きだ。
子供の時デパートでケーキやまんじゅうを作っているのやら家の前で畳職人さんが畳を修理してるのを飽きもせず眺めていた。映画でも何かの仕事をしている映画はその過程を見てるのがとても心地いい。
本作はそういうのがどっさり集められているのだから私みたいな「作業フェチ」みたいな人間には堪えられない映像ではないか。
掃除してるのも楽しいしどうやったら運べるのか判らないほどでかい絵画を人間の力で持ち上げているのなんかは感心してしまう。そういう人たちに出す食事を作ってる厨房も忙しくてしかも美味そうでなんか突然体を鍛えている人やら空砲を撃って音響(?)を検査してる人達なんかはちょっと不思議である。
そういう忙しく立ち働く人々の間に歴史的名画がちらちらと見え隠れしている。
建造物の大きさ、所有する美術品と数と共に働く人々の数も半端ではなく自分としてはもう少しこじんまりした美術館がいいなあとも思うのだがやはりこれは行って見てみなければ判らないものなんだろう。自分が一生のうちに行けるとは思えないが。
ドキュメンタリーとは言えフランスらしい心構えの、そして美しい映画であった。
個々の誇りを感じてしまう。

監督:ニコラ・フィリベール
1990年フランス
posted by フェイユイ at 20:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月26日

『ワン・デイ・イン・ヨーロッパ』ハネス・シュテーア

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One Day in Europe

ヨーロッパ中のサッカーファンが熱狂するチャンピオンズリーグ決勝戦の日に4つの町で起きた出来事を描いたオムニバス映画。
サッカークラブチームの決勝戦スペイン・デポルティボとトルコ・ガラタサライという熱い対決がロシア・モスクワで行われるという架空の設定なのであるが、同じ日の4つの町での物語に共通点が幾つかあり、それがこの試合に熱狂するサポーターの騒動と主人公が何らかの形で強盗事件に巻き込まれること、そしてどの主人公もその土地において異邦人であり言葉が通じないもしくは通じにくいということである。
もう一つはタクシー、警察の車、バス、などという乗り物がアイテムとして使われることもあるだろうか。それはこの作品がジム・ジャームッシュの『ナイト・オン・ザ・プラネット』を意識して作られたと思われるからなのか。ところで自分は話題にもなり評価も高いと思われる『ナイト・オン・プラネット』をどうしても観終えることができなかったのだが(つまり面白くなくて)本作の方が楽しめた。
とはいえ、爆発的に面白い、というのでもなくうっすらニタリと笑ったりするような楽しさである。
ただこうして観てると確かに、外国人の主人公が言葉の通じない状態に置かれるというのは何らかの面白さは出てくるものなのだ。
1話目のロシアにおけるイギリス女性は理不尽な状況で強盗に遭い、親切な女性に付き添われ警察に行くが警察はサッカー観戦に忙しく言葉の通じないイギリス女性の不幸に付き合っている暇などないと言わんばかり。心優しいロシアのおばさんの力強い助けだけが主人公の支えになる。ところがおばさんが呼び出した息子と言うのが・・・と言う話。英語圏の人は話が通じるはず、と思い込んでいるふしがあるがモスクワ警察で彼女の事情を聴きに来た警官は「ドイツ語は話せる?」とくるのである。確かにロシアからすればイギリスよりドイツが近い。

第2話はトルコでのドイツ人。狂言強盗で保険金をいただこうとする男は警察で手酷い目に会う。

第3話はスペインで巡礼の旅をするハンガリー人がカメラを盗まれた挙句、スペイン警察のなんとも杜撰で責任感のない処置に会う。

第4話はベルリンでのフランス人の男女。東ヨーロッパを大道芸をして稼いで行こうと計画したものの身入りはさっぱり。そこで男の方が虚言強盗を思いつく。フランス人の男の方がベルリンの移民の町で強盗に遭ったふりをして保険金をせしめようと考え付く。
「芸は確かだ」と男は自信をもっているのだがそうなのかなあ何だか古臭くてしょぼいようにしか思えないのがますます二人は惨めに思わせるし女性の「彼がいつも失敗するとこが好きなの」というのも優しいと言うより侘しいぞ。私的にはこの物語が一番もっと観ていたい気になったのであるが。

サッカーファンという世界中で最もわけのわからん(いや私もかつてこのようなことをやってたんであえて言うんだけど)群れを取り込みながら侘しくおかしい4つの物語であった。
異邦人とサッカーファン、このパターンでいくと世界中で限りなく物語が作れるし、どれも切なくなりそうだ。

監督:ハネス・シュテーア 出演:フローリアン・ルーカス ミーガン・ゲイ ルドミラ・ツヴェートコヴァ エルダル・イルディズ
2005年 / ドイツ/スペイン
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2010年03月25日

なんだか今夜は ギガ☆バイト 愛してる

最近あれペース落ちてるじゃん、て感じなんですが仕事が忙しくて時間が足りないのもあるんですが実はそれだけじゃなくて危険な地帯に足を踏み入れてしまったのです。ことの始まりは先日書いた【perfumen】男2人で magnet を歌ってみた、なんですがワタクシそれ迄magnetが何かを知らなくて彼らの動画で初めて知ったんですね。で、勿論眼鏡さん&仮面1さんの歌&動画にもはまり込んだんですがそれがきっかけでmagnet【初音ミク・巡音ルカオリジナル】観ましてどああああと感じまくりましていやこれは私は求めていた世界だわと^^;で次々に歌っている方々のを堪能しまくってついに【寝下呂企画】magnetを普通に歌ってみたはずだった【ねる×Gero】に行きついてしまったのでした。



ねるたんもgeroりんも素敵過ぎて特にgeroりんの情熱に犯されましてもう何度聞いたか観たかわかんない。ゲロさんのしゃべりの巧さと歌声にいワシづかまれ、です。こういうのはやばいですよお。しくしく。もう立ち直れないかもなあ。ま、いいです。行けるとこまでいきます。ってこれmagnetの歌詞やんか。
あーもう完全に犯されとるなあ。
もうどれもこれもおもしろいんだけど昨日は【Gero】外国人が二人でゲーム実況したらこうなった【Toshizo】を楽しみました。ぞっこんです。
ラベル:ニコニコ動画
posted by フェイユイ at 22:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月24日

『消えたフェルメールを探して 絵画探偵ハロルド・スミス』レベッカ・ドレイファス

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STOLEN

とても不思議なドキュメンタリーでまるで作られた物語のような設定やエピソードの上に登場する絵画探偵なるハロルド・スミス氏(名前からして創作みたい。いや英語名が判るわけでもないが。ハロルド・スミス。やっぱり作った感じ)のキャラクターがまたずば抜けて異彩を放っておりこれは本当にドキュメンタリー?風の映画?ともう一度確かめたほど。
絵画探偵、という響きも珍しくて実在するのかなあ、と思ってしまうが彼の息子さんも同じ職業をしておられ物凄く忙しい状態のようで、それは無論彼らが優秀であるからこそなんだろうけどアメリカ各地で絵画が盗まれては彼らが呼び出され犯人を捕まえ貴重な美術品を助け出しているのである。
なんだか少女漫画にでも出てくるような設定だがスミス氏の容貌が一目見てはっとなってしまうのである長身痩躯の紳士然とした身なりで老体とは言い難いほどのかっこよさだがその顔全面が焼けただれているのだ。実は皮膚癌で全身を冒されているのだという。青年期の写真は特別と言っていい美男子でありながらまだごく若い時にその病にかかり、片方の目には大きな黒い眼帯をつけ鼻はなくなって付け鼻になっているという姿でありながらご本人はまったく意に介しておられない様子で威風堂々たる雰囲気なのだ。そして盗まれた絵画を取り戻す為には時間を忘れて没頭する仕事ぶりであり、驚くほどの多くの人々と出会い絵画盗難の原因を突き止めていく。多くの人と接するその様子に映画監督は敬意を表している。どんな相手に対しても変わらない態度。権力者に会っても怖れず犯罪者に会っても軽蔑することをしない。このドキュメンタリーは彼を撮る為に作られたものではなかったらしい。
本意は盗まれたフェルメール『合奏』の行方を捜すことと同時にこの絵が展示されていたボストンにあるイザベラ・スチュワート・ガードナー美術館とそれを作ったイザベラの人生を描くことだったのだろうが企画途中で知り合ったハロルド・スミス氏のキャラクターがあまりに素晴らしくて中心になってしまったということであるらしい。
なにしろ日本語タイトルは『絵画探偵ハロルド・スミス』である。原題は『STOLEN』だけだからして。
さてもう一つ不思議、というか当然なのかもしれないがこの映画はドキュメンタリー、それも進行形でのドキュメンタリーであった為に目的である「盗まれたフェルメールの『合奏』の謎」は未解決で終わってしまうのだ。ハロルド・スミス氏の魅力は充分伝わったが彼の探偵としての成功を見ないままに終わってしまうのはちょっと残念かもしれない。これがもしTVドラマシリーズの一つの回ならまだしもだが、というかそう思ってしまうほどハロルド・スミスという人物が際立っていたのだった。

監督であるレベッカ・ドレイファスは若い頃その絵をガードナー美術館で見て以来何度も足を運んだのだそうだ。私の方はそんな思い出は悲しいかなあり得ず、美術の本にあの有名な「牛乳を注ぐ女」の絵が載っててページを開けるたびに飽きもせず眺めたものだ。一体どうして普通のおばさんが牛乳注いでる絵にそうも見入ってしまうものか、と不思議だったが多くの人がそうなのであったのだ。黄色と青の色彩の美しさ、窓からの光がどうのと理屈をこねなくても絵画であるにも拘らずただの教科書の絵を見てるだけにも関わらずどうしても牛乳が注ぎ込まれているようにしか思えない一瞬がそこにあることにいつまでも観続けてしまうのだ。

そして映画はそういった絵画を集め自分の理想の美術館を作り上げることに一生を費やした女性イザベラ・スチュワート・ガードナーの人となりを、彼女と組んでヨーロッパで数々の名作絵画をアメリカへ運んだ男性との書簡を読みながら描き出していく。


私は前にも書いたけど、絵画ミステリーというのに凄く惹かれる。それは絵画自体のミステリーでもよいし、これのように絵画が盗まれるというミステリーでもいい。というのはどちらにしても単に絵の代金、というだけではない『絵画』というものに込められている魔力に多くの人が惹かれてしまい操られてしまうからだろう。
「エロイカ」が美術品の泥棒であることに私は大いに共感してしまうのである。

って共感してはいけないか。
本作でフェルメール『合奏』を盗まれたことに大きな悲しみと怒りを感じている人々を見ればやはり泥棒はいかんのである。

監督:レベッカ・ドレイファス
2005年アメリカ
ラベル:犯罪 歴史 美術
posted by フェイユイ at 22:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アレクセイ・チャドフ『"Ирония любви" Ironiya lyubvi 愛の皮肉』

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アレクセイ・チャドフの2010年映画

"Ирония любви"

"Ирония любви" Ironiya lyubvi 『愛の皮肉』

こちらも

もうひとつ

もうほんとに可愛いんですけど。早く観たい。っていうか観れる日が来るのか?
ロシア今大変ですが頑張ってください。
posted by フェイユイ at 00:51| Comment(0) | TrackBack(0) | アレクセイ・チャドフ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月22日

『アグネスと彼の兄弟』オスカー・レーラー

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AGNES UND SEINE BRUDER

悲しいコメディであったなあ。
人は誰しも他人には言えないような恥ずかしい性癖を持っているものなのかもしれない。己にとっては絶対必要な大切なそれであっても他人から見ればただの変態となってしまう。無論私にもあるわけで。言わんけど。
3人兄弟の物語である。3人兄弟の物語って昔話なんかでもよく使われる設定であるようだ。多くの場合は上の兄二人はそれぞれ性格的欠陥が有末の弟が正直人間だったりして始めは兄に騙されたりしても最後には幸せを掴んでめでたしになったりする。
本作でもそういう系統の流れをくんでいるというべきか、確かに二人の兄はかなり変てこな性癖の持ち主で観てるだけでもうへえとなりそうな近づきたくないタイプであるルックス的にも可愛くない。
末の弟はせがすらりとしたハンサムで一番まっとうな性格のようなのだが、性転換をして女性になっているのだ。

ううむ。
世間的に見て性転換したまっとうな人格の弟とかなり問題ありの人格(長男は電話中に(大)を排出し、妻や息子から何かと嫌われている。二男は父親が兄や弟に性的虐待をしていたという妄想だか本当の記憶か判らないものの為に強いトラウマを持っていて美女に異常な執着があり(っていうのはストレート男性なら当たり前?)覗きを止められない)を持つ二人の兄とでは、それでもやはり性転換者を「変な奴」と観るのではないかという皮肉も込められているのか。
しかしラストは童話とは違い、末の弟は病に倒れ死んでしまうという悲劇が訪れ、長兄は修復不可能かと思われた妻子と仲直りし何やら愛を取り戻した幸せな結末を迎え、次兄はなんと父親を殺害した後、念願だった恋人を持つことが叶い、外国へ逃亡して生き延びるのである。次兄物語にはまたもや「父殺し」が扱われ、父を殺した後やっと彼は成長することができる、という展開になる。

おぞましいような(言い過ぎ?)性癖を持つ兄二人が最後に幸せを掴むのに性転換した末弟マーチンそして今はアグネスという女性名の彼はずっと不幸なのである。昔愛したニューヨークのゲイである黒人歌手から捨てられたマーチンは彼がゲイ(男が好き)だからこそ「女になった」のだ。そして今同棲していた男性からは追いだされてしまい行くあてもない。そんなマーチンはかつて女性と結婚して息子がいるのである。
アグネスとなった彼が死を宣告されて元妻と子に会いに行く場面。元妻も彼を優しく迎え、なによりも小さな息子くんが嬉しそうに「パパだった」アグネスに抱きつくのが思わずじわっときてしまった。
そうしてアグネスは死を迎える。まだ幼くて幸せだった頃の小さな自分を思い出しながら笑って死んでしまうのだ。

優しそうだったアグネスの死。変てこな人間である兄達の幸せ。その幸せがどのくらい確固たるものであるかは保証できないが。
世界は混とんとしておかしくて悲しいモノであるのだ。

監督:オスカー・レーラー 出演:マルティン・ヴァイス マーティン・ファイフェル モーリッツ・ブライプトロイ ヘルベルト・クナウプ カーチャ・リーマン トム・シリング
2004年ドイツ
ラベル:家族 人生
posted by フェイユイ at 21:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月20日

『ニュースメーカーズ』アンダシュ・バンケ

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Горячие новости

先日の『ソードハンド』もそうだけど今迄に観たことのあるような設定でもちょいと違った味付けになるのがロシア映画の面白いとこだけど、こういうインチキのTV報道をする、という話はいまいち乗り気になれないのは自分がどこかTV嫌いなせいだろうか。
ロシアが舞台で政府やら軍部によって報道規制もしくは虚構の報道がなされる、というのはイメージ通りで意外性がない、っていうのが残念かもしれない。元々そういうことをしてるんでは?と思われているのではないだろうか。
というのはこれ実は香港映画『ブレイキング・ニュース』のリメイクなのだね。香港での設定ならまだ判るがロシアでこれをやるといつもそういうことをやってそうだと思ってしまうのが損してる。
警察官がテロリストに銃撃されて泣いてしまい威厳が地に落ちたことに慌て名誉回復の為にテロリストを一網打尽にする活躍をTV中継する、という企画を女性大尉が立てそれに乗っかったくせに失敗した彼女を罵倒する、などとにかく情けない警察である。最初からこんな企画を許可することがおかしいのだ。香港映画と比較してみると面白いかもしれないがちょっとまたこれ観る気はしないなあ。

コメディなら判るが(コメディなのかなもしかして)至ってシリアスな展開である。時々笑いもはいるんだけど。とにかく銃撃戦が多いのもかなり神経摩耗してしまう。
嬉しいのはテロリストの方と警官の方とそれぞれなかなかかっこいい男が配置されていて、それはちょっとよかったな。

おかしかったのは何故か「日本」が数回登場してきて、警察の上役が「日本の警察はもっと優秀だ」と言いだしたり(どうして?)派遣された軍隊の兵士達に振舞われた昼食が「スシ」で「このまぐろはいける」なんてタイムリーな話題が出て来たことだ。

最後はやっぱりどんよりした空気になるのがロシア映画らしい。

監督:アンダシュ・バンケ 出演:エフゲニー・ツィガノフ アンドレイ・メルズリキン マリヤ・マシュコーヴァ マクシム・コノヴァロフ セルゲイ・ガルマッシュ
2009年ロシア/スウェーデン
ラベル:警察 犯罪
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キリル文字

ロシア映画にはまってアレクセイ・チャドフに狂って今迄意識したことがなかったロシア語が突然必須課目に。
せめてアレクセイの名前くらい空で書けるようになりたい、と取り敢えず彼の名前を書く練習をしたのだが、Алексей Чадовっていう字を書くだけでも一度英語アルファベットを覚えてしまった脳が混乱してしまうのよ。アレクセイのイの字はまるでNを鏡映しにしてるみたいでしかも発音は「j」「イ」ってことになるしЧはYではなくて「tʃ 」でдはなんだかネット上でよく見る絵文字の一つみたいな「D」
アリョーシャの名前だけでもこんなに戸惑ってしまうキリル文字。

英語圏の映画だと私でもさすがにいくつかの単語は聞き取れたりもするのだが、ロシア語がわかるわけはなく。やっとなんとか聞こえるのは昔から一応知っていた「スパシーボ」(キリル文字で書くのは無理なんでカタカナで)「オーチンハラショー」とかはやはりよく出てくるし、「ダー」が「はい」で「ニェット」が「いいえ」なのはわかるわかる。後、「ダヴァイ」が「行け」っていうのも判るしよく出てくるんだけど気になったのが「ぽにょ」っていうの。これもどの映画でも必ず何回も言う言葉なんだけど字幕を見ててもその都度訳が違っててよく判らんかった。どうやら「了解」「わかった」ってことらしい。昔だったらなんも思わんかっただろうが宮崎アニメでその名前が有名になった後ではどうしても魚の名前にしか聞こえん。しかもむさいおっさんが「ポニョポニョ」言ってるし。って関係あるわけないが。
そうかあ。「わかった」ならよく使うわけだよね。長いフレーズで最後に「ポニョ」をつけて言うからなんだか可愛いなあ。いや私宮崎アニメは駄目なんだけど。キリル文字だとПонял

しっかしロシア語判る人はこんなことくらいをわざわざ書いてるのは苦笑でしょうが。
でもほらまたポニョもRが鏡文字になっててまるで『鏡の国のアリス』になったような気分なのだよ。その前のHは「エイチ」じゃなく「「エヌ」なんだからさあ。一番前の鉄棒みたいなのは「「ピー」でした。

この文章、ずっと先に読んで笑えるようになるとよいのだがね。ため息。
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2010年03月19日

『ソード・ハンド 剣の拳』フィリップ・ヤンコフスキー

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Меченосец

ロシア映画でほぼ間違いなく感じる重くて暗い雰囲気がたまらなくよい。
手の中に鋭い刃物が潜んでいて主人公の感情によってそれが出現し周囲のものを傷つけていく、という設定なのだが、このことによって彼は幼い時から耐え難い孤の中で生きていかねばならないのだ。
一体何故彼の腕の中に刃物が潜んでいるのか、の説明は一切ないのも却ってさっぱりしてるしそれを使って巨大な組織と戦うなんていうのでもない。孤独な男の純な愛の物語なのである。

ソードハンドの男サーシャに扮するアルチョム・トカチェンコは影のある思いつめた表情のとても良い顔で何だかバレエ・ダンサーのように見えてくる。彼が一途に愛することになるカーチャ役チュルパン・ハマートヴァは『ツバル』でヒロインを演じていたのだった。ほっそりした体つきが女らしく色っぽい。
こうして観ていると自分もやはりハリウッド的物語設定や展開に慣れていると感じてしまう。主人公も設定も展開も何もかも違って新鮮で面白いのだ。
深読みしようとすれば他人と違う素質を持っている為に苛められっ子になった青年がやっと見つけた愛も取り上げられてしまいそうになり感情を爆発させていく、というアイディアなのだろうか。最後に物理的にあり得ない破壊の凄まじさも彼の精神の爆発の結果として最近よくある孤独な人間が引き起こす数々の事件とも重ねてしまう。
彼には愛する人を失ってしまうという悲劇しか与えられないのだ。

どうにもどんよりした物語だ。心の中に剣を隠して孤独に生きる人間は愛を求めることも難しい。
私はこの主人公に惹かれてしまう。

監督:フィリップ・ヤンコフスキー 出演:アルチョム・トカチェンコ チュルパン・ハマートヴァ レオニード・グロモフ アレクセイ・ジャルコフ
2006年ロシア
posted by フェイユイ at 10:30| Comment(0) | TrackBack(0) | ロシア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月18日

心待ちにしてた『【perfumen】男2人で magnet を歌ってみた』を観た!!

【perfumen】男2人で magnet を歌ってみた


ほんと年甲斐もなくが恥ずかしいんですが、その存在を知ってからもう「perfumen」ぞっこんで毎日見てるという体たらくです。
最近は動画アップだけでなく公の場で活躍されてて凄いなあとわくわくする思いで見守っているわけですが、なにせ地方在住者の身、生を観に行くわけにはいかないし、せっかくのネットでの生放送も仕事中で半分しか観れない。しくしく。
学生でもあり4人とも忙しそうで動画を心待ちにしてたのですが、今回ななんと眼鏡さんが仮面1さんとのコラボでの歌声を(以前何度かされてるのですが)アップするという発表でより期待が高まっておりました。

で、これです!!!!!!!!
あまりにも素晴らしすぎて!・・・・絶句・・・・・。
どうしよ、どうしよう。
どうもできないが・・・。
これってやっぱり眼鏡さんと仮面1さんのこと???
ですよね。そう思っていいんですよね。
ずっとそう思ってたんですが・・・・。
行けるとこまで行って欲しいです。きゃ。
歌声はもー相変わらず素敵ですねー。歌って踊れてイケメンで頭よくてしかも××なんて夢のようだ。
イラストも素晴らしくて。書きおろし?眼鏡さんのご友人?
なんだか凄いなあ。
仮面2さんまでが参加されてるし。
白服さんが・・・(笑)
ますますのめり込んでいきそうですわ。

そして眼鏡さんの【perfumen】男1人で WORLD'S END UMBRELLA を歌ってみた


眼鏡さん、どこまで魅了する気ですか。ため息。
仮面2さん凄くかっこよくてこういうの詳しいなんてますます惚れてしまふ。

以前にも「perfumen」勝手にご紹介してしまったんですが、ここで初めて知った方はこちらをどうぞ。

perfumen blog

perfumenさん、勝手に紹介してしまってすみません。
素敵すぎて隠しておけませんでした。
これからもじっくり観賞&応援(って変ですが)させていただきます!

ラベル:perfumen
posted by フェイユイ at 11:53| Comment(9) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月17日

『ジュリア』フレッド・ジンネマン

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Julia

遠い昔の少女の頃、観たはずなのだが正直言ってまったく覚えてなかった。つまりまったく内容が理解できなかったんだろう。
覚えているのは(と言ってももしかしたら他の何かの映像での記憶かもしれないのだが)ジェーン・フォンダ扮するリリアン・ヘルマンがタイプライターを窓から放り出すとこと重要な任務を背負った汽車の旅が物凄い緊張感で怖かったことくらい。それと彼女が住んでいる家の目の前に海と砂浜があって物凄く羨ましかったというようなことであった。

確かにこうやって観なおすとそんなに難しいわけではないのだが当時の西洋の状況をまったく知らないままではすんなり感動しにくかったろう。
それでもリリアンとジュリアの関係がかっこよく大人の女性の世界と映画ではそれほど濃密に描かれることがあまりない女同士の友情が緊迫感のある状況の中で表現されていることに強く惹かれたのだった。

リリアンは幼い少女期から自分より遥かに大人の雰囲気を持つジュリアに憧れている。ジュリアがリリアンをどう思っているのかは詳しく語られることはないがそれでも幼馴染であり無二の親友として長い間深い友情を感じているのは伝わってくる。
ジュリアは若い時から非常に頭がよく勇気のある女性で裕福な家庭に生まれ育ちながら労働者階級の人々に強い関心を持っていた。リリアンはそんなジュリアを尊敬し、その美しさを感じるのだ。
『ジュリア』は映画作品ではまだ少ないレズビアンの愛情を描いた作品としても挙げられるが、この作品で表現されたことだけでは友情と言って欲しい気もする。それほど女同士の友情を描いた作品は少ない、ということなのかもしれない。(作品中で嫌な男から二人の関係を揶揄される場面があってリリアンが怒る。男は肉体的なことを指していてリリアンとしては二人を汚されたようで腹がたったのだ。私としてはどちらでもいいのだが、この作品としては友情でいいと思う)

リリアンがジュリアの願いを引き受けてナチス時代にユダヤ人でありながらベルリン経由でロシアへ向かう旅の緊迫感は耐えがたい。大きすぎて目立つ帽子の中に仲間を救う為の大金を詰め込んであるのだ。
リリアンを常に誰かが見守っているのだが、彼女自身はそれが判らない。誰が敵で味方なのか、捕まれば自分が処刑されるかもしれない恐怖を押し殺してやっとジュリアに会えるのだが。
長い間待ち望んだジュリアとの再会は僅かな時間で、彼女は暴動の時に受けた怪我で義足になっていた。
止めようとしても止まらないリリアンの涙。若く美しかったジュリアは今も美しいが彼女はあまりにも大きな責務を背負っていた。
そして彼女には赤ん坊がいてリリアンに養育をお願いしたいと言うのだ。その赤ん坊の名は「リリー」ジュリアは娘にリリアンと同じ名前を付けたのだった。

その後、ジュリアは暗殺され、リリアンは必死で彼女の娘「リリー」を探し出そうとするがあまりにも手がかりがなかった。
リリアンは嘆き悲しむ。夫であるダシール・ハメット(無論あのダシール・ハメットである)はリリアンを慰め「君は僕より長く生きるよ。しぶといからね」と言う。

やがて夫も亡くなり一人物思いにふけるリリアン。とても悲しい物語なのに心の中に灯りがともっているような気がする。

大人になってずっと年取って観なおしてもやはりかっこいい映画だった。ジュリアが素敵で私も惚れてしまう。いいとこばかり見せすぎって思う人もいるみたいだけど、こういう人、こんな風に思える人っていると思うしそれがまた女性だというのが惚れ惚れ。
リリアンが作品が書けずに夫に当たり散らしてるとこも好きだな。ダシールさんもかっこいい。
あんな風に海辺の家で執筆してること自体がかっこいい。
夫と暮らし戯曲を書きながら遠い国に住み、力なき労働者達の為に活動する友を思う。
うーん、やっぱりかっこよすぎかも。でも憧れる。浜辺の焚き火の傍で酒を飲むのも素敵。

監督:フレッド・ジンネマン出演:ジェーン・フォンダ ヴァネッサ・レッドグレイブ ジェイソン・ロバーズ 
1977年アメリカ
ラベル:友情 女性 歴史
posted by フェイユイ at 21:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月15日

『父、帰る』アンドレイ・ズビャギンツェフ

18364810.jpg
Возвращение

すっかりはまってロシア映画を観続けてる毎日だが、この国の映画ほど良いのと悪いのが両極端なのもないかもしれない。
で、今回は文句なしに良いの方。

お涙頂戴感動ものかと敬遠してたらまたもや勘違いであった。ぱっと見、物凄い不条理作品なのかと思われる展開で先日観た『フリークスも人間も』が童話的に不思議世界ならこちらは現実的な不思議である。
高い櫓から下の海に跳びこめるかどうかで少年たちが男らしさを競っている。中に一組の兄弟がいて兄アンドレイはすぐ跳びこめたが弟イワンはどうしても恐ろしくて海へ飛び込むことができない。意気地なしと嘲りを受けたイワンは冷たい風に裸を震わせながら櫓の上から動くことができない。心配した母親が駆け付け泣きじゃくるイワンを慰めるのだった。
そんな兄弟に母親が告げる「パパが帰って来た」と。二人が覗き込むとベッドに男が横たわっている。起きて来たその男は二人を旅行に連れていくと言う。男らしい父親に好意を持つ兄アンドレイと命令的な態度に反感を持つイワン。パパであるその男はぶっきら棒な態度で二人を車の旅に連れ出す。

12年ぶりに帰って来たその男が本当に父親なのか、彼は今迄どこにいたのか、何故今迄帰ってこなかったのか、何故急に帰って来たのか、何の説明もない。最後まで何も判らない、という奇妙な物語なのである。
ただ映像が何かを示しているようなのだ。
最初、二人が見たベッドに横たわる「父親」の構図が足の裏から見たキリスト像、マンテーニャの『死せるキリスト』を思わせる。
というか実は私は赤いキリストと呼ばれるチェ・ゲバラの遺体写真を思い出したのだ。出会った瞬間に死を思わせる父親の姿である。
二人は古い写真を引っ張り出し、どうやら彼が父親らしいことは確認するのだが、大人の男らしさに畏敬の念を持つ兄アンドレイと違い弟イワンは反発をする。とはいえイワンの反抗はいかにも子供っぽいものなのである。
ここで櫓から跳びこめた兄アンドレイとまだ跳び込めない弟イワンの違いが明確になってくる。アンドレイは大人になる資格を得ており、イワンはまだ成長しきれていない子供なのだ。海に飛び込むことがキリスト教における洗礼の儀を表しているのだがイワンにはまだそれができない、ということになる。
こういったキリスト教的なイメージ、というものがはっきりと出ているのだが、西洋の物語で何度も何度も登場してくる『オイディプス』のイメージもまた感じられる。男子の成長において特に顕著な「父親殺し」というものは多くの場合はそれに代わる何らかの行動で示されるものだが、ここでは直接イワンの行動が父親殺しに結びついてしまうと言う強烈な表現方法であり誤魔化しがない。そして本物の父親かとイワンに疑われた男はその死によって初めてはっきりと「パパ」と呼ばれイワンの涙を感じることになる。
冒頭で二人が見た「死せるキリスト」の姿の予感は外れてなかったのだ。
そして母親と肉体的交わりななくとも母に強い愛情を持つイワンが父を殺す(結果となる行動をとる)オイディプスの物語も汲みとれる。

こうして父親と二人の息子の旅がどのようなイメージで作られているかは明確なのだが設定・筋書きは曖昧に伏されている。特に気になるのは3人が渡った島で父親が掘り起こした箱の中身だろう。
二人の息子は父親の掘り出した箱を知ることもなく、箱諸共に父親を海に沈めてしまうことになる。一体あの箱には何が入っていたんだろう。

初めて認識する父親に激しい嫌悪と反感を覚えるイワン少年と対照的に荒っぽい大人の男に憧れを持つ兄アンドレイ。弟はそんな兄が媚びていると蔑むがアンドレイの方が大人に近づいているからこそ尊敬の念を持ち礼儀的であることをイワンはまだ気づいていない。
見た目も反抗的なイワン君の子供っぽさと違いアンドレイ役のウラジーミル・ガーリン君は見た目も美少年であったが、悲しいことにこの映画の後、撮影現場の湖で亡くなった、と書かれていて驚いた。映画の内容と重なるような悲劇だ。

監督:アンドレイ・ズビャギンツェフ 出演:コンスタンチン・ラヴロネンコ イワン・ドブロヌラヴォフ ウラジーミル・ガーリン ナタリヤ・ヴドヴィナ
2003年ロシア
ラベル:家族 宗教 愛情
posted by フェイユイ at 22:42| Comment(0) | TrackBack(0) | ロシア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月14日

『フリークスも人間も』アレクセイ・バラバノフ

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ПРО УРОЛОВ И ЛЮДЕЙ

アレクセイ・バラバノフ監督の『ロシアン・ブラザー』『チェチェン・ウォー』を観たのだが、こういうタイトルの映画もあると知って驚いた。観た二つは思い切りアクション映画だがこのタイトルはどう考えてもまったく違う世界を描いたもののようだ。しかも本作は先に挙げた二つの映画の間に作られているのである。不思議だ。
すぐに観たかったのだがいつも借りてるDISCASにこれがなくてGEOにあると先日知って慌てて借りたのだった。

よかった。

なんというか。無論タイトが示す危ない世界。ちょっと観ていいのか、不安になるドキドキする扉を開けると思った通りの淫靡な雰囲気に怯えながらも目が離せないのであった。
しかしなんというのか、やはり私、バラバノフ監督の感覚というものが物凄く自分と合っていて大好きなのである。『ロシアン・ブラザー』と『チェチェン・ウォー』そして『フリークスも人間も』とどれも比較し難いほどの出来栄えなのだ。またアクション映画で夢中にさせてくれた映画監督がこの方面の作品でも秀逸な感覚であることに驚きと嬉しさを感じさせてくれる。

こういう危ない世界。異常性愛やらその題名の「フリークス」を題材にした作品というのは多々あるが、そこに登場する人を単なる見世物ではなくきちんと物語の人物として描いているのがバラバノフ監督の他のとは違うところだと思う。特に西洋映画で結合双生児がアジア系の少年たちであったりするとただ登場するだけ、ということが多いのではないだろうか。しかしこの作品は際立った主人公が存在せず個々が同じくらいの割合で描かれる。結合双生児のコーリャとトーリャ(モンゴル人なのだがロシア人が養父母なので名前はロシア風)もしっかりと人格が表現されており特にコーリャは同じく重要な役割である年上の女性リーザに恋し性関係まで持つことになる。また二人のボーイソプラノの歌声が作品のイメージになるような美しさで、タイトルのフリークスは彼らのことなのだから作品の半分はコーリャとトーリャを表しているわけだ。

作品は20世紀初頭のサンクトペテルブルグが舞台であることを思わせるセピア色の映像。登場するヨハンという男は地下で猥褻な写真を撮らせている。
カメラマンが何故か映画中一番の二枚目なのだ。裕福な家庭の令嬢リーザはこのカメラマン、ヨハン、そしてコーリャから熱烈に愛されるが際立った美女でないところがバラバノフ監督の特色でもある。またカメラマンのプチーロフや双子の片方コーリャの純真さもバラバノフ作品に出てくる青年らしい魅力がある。
ヨハンやビクトルは結合双生児であるコーリャとトーリャを「フリークス」と呼ぶが二人はいたって真っ当な人間であり真っ当だと見えるヨハンやビクトル(彼は真っ当には見えないが)の精神がフリークだという皮肉である。最後ヨハンが冬の河に足を踏み入れ自殺するのかと思いきや、さすがロシアの冬の河は凍っていて立てるのであった。氷の破片に乗って流されて行くヨハンの姿はまさに薄氷を踏む、というところだろうか。
おぞましいような淫靡さではなくしかしエロチックな映画であった。

監督:アレクセイ・バラバノフ 出演: セルゲイ・マコヴェツキー ディナーラ・ドルカーロワ リカ・ネヴォリナ ヴィクトル・スホルコフ アリョーシャ・ツィデンダバエフ チンギス・ツィデンダバエフ ワジム・プロホロフ
1998年ロシア
posted by フェイユイ at 00:41| Comment(0) | TrackBack(0) | ロシア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月12日

「ベンはラブレターを書いた」の記事

はーやさんから嬉しいベン情報♪
いつもありがとうございます。最近ホント不真面目で申し訳ないのですが。ではではどうぞ〜。

『ロンドンの地下鉄でフリーで配布される新聞3月8日付『Metro』に、ベン君のインタビューが載ってます。

とても興味深いのが『僕にはポエムを書く素養はないけど、ラブレターなら書いたことがあります。一度だけジョニ・ミッチェルのラブソングの歌詞をラブレターに添えたりもしました。でも、十代の頃はペインティングがいつも僕の自己表現の方法でした。』☆★☆ベンからラブレターを貰っちゃった方で、どんな方なんでしょうかああ♪いいなあ。

映画テンペスト撮影の時は白塗りになった…って書いてありますが、以前の雑誌でのインタビューでは黒塗りと言ってましたけど、どういうことなんでしょう?どっちか白黒させて欲しいですね(笑)』

まったくどちらなのでしょうかねええ(笑)『テンペスト』いつ観れるのかなあ??
ベンのラブレターも読んでみたいですが、絵を描くのが好きなんですね。俳優の方って絵を描く人結構多いですね。やはりどこかつながるのでしょうか。どんな絵なのかなあ。
ジョニ・ミッチェルって私はあまり知らないんですがむしろ世代は私よりもっと上の人ですよね。ベンらしいというのか。

で紹介いただいたベン記事はこちら
Ben Whishaw: "I can’t write poetry. I’ve written love letters"

髪も綺麗ですが、目の色がなんといえばいいのか。うつくしい。
posted by フェイユイ at 16:38| Comment(6) | TrackBack(0) | ベン・ウィショー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月11日

『Serko』訳しながら少し観る

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Serko

今夜はあまり時間がなかったんだけどやっぱりアレクセイの映画が観たくて『Serko』を途中まで観たりどうしても内容をもう少しよく知りたくて最初に戻って英訳をしたりして(とにかく字幕の一字一句を追わなくては理解できないんで)過ごした。
やっとなんとか物語の状況が飲み込めたりして。いやそんなに難しい内容じゃないんだけどね。

アレクセイ演じるドミトリはコサックでアムール川近くに住んでいる。そこでは彼らコサックとエヴェンキが共存していた。
広大な平野が広がる大自然の中で彼らは動物を飼いまた狩りをして生活している。だが勇敢なコサックにもかかわらずドミトリは熊が怖くて狩りができず父や兄から馬鹿にされ自尊心を失ってしまう。
ある日、ロシア帝国のツァーリの使者が村に到着し、今ツァーリによって鉄道建設が計画されている。その労働者の食料としてエヴェンキが所持している馬を僅かな小麦と交換するよう命令する。
エヴェンキの長がこれを拒否すると使者は無情にも馬を射殺しエヴェンキの長の息子をも射殺してしまう。
エヴェンキはコサックであるドミトリ家族にも反感を持つようになる。
だがドミトリの兄の妻はエヴェンキで兄は妻と一族の味方となり父親と対峙する。その話し合いを聞いていたドミトリはツァーリに直談判する為に遥か9000キロを越えてセントペテルブルグへ向けて白い小型馬Serkoに乗って旅立つのだった。

という出だしである。
アレクセイは18歳のちょっと弱虫なコサックドミトリを演じている。コサックと言えば勇猛果敢というイメージがあるだけに笑えるのだが、アレクセイが演じるにはぴったりの役で白い小型馬に乗ったコサックの若者が広大な氷原を駆けていくというイメージはもうそれだけで童話の世界として広がっていく。
殆ど何も持たずに出発しているドミトリは様々な艱難辛苦を乗り越えて行かねばならないのだが、可愛いせいかあちこちで女性に助けられるのである。生き倒れになっててもハンサムだと美女に体温であっためてもらえるがブサだと凍え死ぬのかしらね。くすくす。熊が助けてくれるかも。

と言うわけで、今夜はこの辺まで。また四苦八苦しながら、って言うかアレクセイをじっくり観ながら訳していこうかな。
posted by フェイユイ at 23:27| Comment(0) | TrackBack(0) | アレクセイ・チャドフ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月10日

『チェチェン・ウォー』繰り返し繰り返しアレクセイ

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Война/Voyna /War

『チェチェン・ウォー』これで何度目か、の観賞だが何度観ても面白い。よく練られた脚本で簡潔な素晴らしい映画だ。
主人公イワンのナレーションが合い間合い間に入って物語を説明していくという構成もロシアとチェチェンにおける状況と彼らの関係が掴み難い外側の人間には判り易くなりまたこの映画で初めて観ることになるイワンの顔や人柄がすぐに認識できるというのも上手い工夫だ。

物語はカフカス地方の山奥でチェチェン人兵士たちに捕らわれの身となったロシア兵士たちとグルジアでシェークスピア劇を公演していたイギリス人男女とユダヤ人らが恐怖の体験をするところから始まる。
ここでは何となくトルストイの『コーカサスの虜』を思い起こさせる。コーカサスというのがカフカスのことだ。
『コーカサスの虜』でも捕虜は身代金を要求されるがここではその金を集める為に女性の方を人質にして男性であるジョンがイギリスへ解放されることになる。またロシア軍大尉が人質として残され若いイワンが軍へ人質交換を要求する為に解放されるのである。
イワンは軍に拒絶され諦めるが、ジョンは婚約者である彼女が強姦され殺害されることを確信している為必死でしかし要求額に満たない金をかき集め再びロシアに戻るが言葉が通じない為イワンを探しだすのだ。

ジョンの嘆願を受ける必要はないイワンだったが彼の義侠心がそうさせたのか、戦争を体験したこともない心もとないジョンを見捨てきれず手助けを引き受けてしまうのだ。

90分ほどの短めの映画ながら内容が非常に密にできている。ここで表現されるのは戦争反対というだけのメッセージではなく戦争が起きてしまう現実の中で人々がどんな状況に追い込まれていくかという描写なのだ。その中でもイワンのように2年前までは戦う方法も知らなかった普通の青年がテロリストを相手に殺戮を冒していくのである。その冷徹な神経と手口は残虐にも見えるが「人を殺した」と怯えるイギリス人ジョンに「これは戦争だ。戦っている間は考えるな。考えるのなら戦う前だ」と言い聞かせる。殺人に抵抗を感じるジョンと自分たちを守る為に戦うイワンは外国名として同じ名前である、というのが二人の立場を表現している。生まれ育った場所が代わっていれば二人の関係は逆になるのだ。
ジョンはイワンに助けを求め自らも殺人を犯していくが結局イワンの心を知ることはなかった。イワンを解り得たのは同じ兵士である大尉だけなのだ。

さてチェチェンのテロリストらに解放されたジョンはイギリスに戻る。
ジョンは資金繰りと助命の為にイギリスとロシアそれぞれにかけ合うのだが国は動いてくれない。
ここで乗り出してくるのがTV局でドキュメンタリーを撮るなら資金を出すという契約をジョンと結ぶのである。
ここら辺海外のドキュメンタリーや体験記を発表することが多いイギリスらしい設定というのか皮肉である。
頭にビデオカメラを取りつけてチェチェン軍と戦おうとするジョンの姿はコメディとしか言いようがないがそれがイワンの運命を大きく歪めてしまうのである。

イワンはまだ若い青年で除隊したばかりの身の上になる。チェチェンで死に直面して帰国したわけだが仕事もなく途方に暮れている状況でもあった。
ジョンの無理な頼みを引き受けてチェチェン兵の戦う覚悟を決めたそれからのイワンの行動は恐ろしいほどだ。彼も2年前は未経験でここまでなったというのだが、戦争なら何も考えずただ行動しなければいけない、という強い信念で次々とチェチェン人を抹殺していくイワンがまだ少年のようなあどけない顔をしていることに戦争のもたらす狂気を感じさせる。それは先日観た『ぼくの村は戦場だった』での小さな少年イワンと重なってくる。(名前が同じというのも奇妙に共鳴して感じられるのだ。ロシアで多い名前だとしても)

ジョンとの道中で、また捕虜が捕えらている集落の中で戦うイワンのまるで踊るような身の動きに目を奪われる。
出会ったチェチェン人の車に何の躊躇いもなく発砲し中の人間を引きずり出す。
煙草を絶えず咥え、銃を撃ち、手榴弾を投げ込み、敵のボス・アスランを抑え込む。
イワンの手榴弾で老人の腹は裂かれ、瀕死の兵士にとどめを刺す。

だがイワンには苦い結末が待っていた。すでに民間人になっていた彼は殺人を犯した罪で起訴されジョンの撮った映像がイワンを窮地に追い込む。ジョンがイワンの裁判で弁明をしなかったというのは信じ難いが婚約者を強姦から救えず彼女自身も失ったジョンにはイワンの存在が疎ましいものに変わってしまったんだろうか。
ジョンからもらった金は途中で捕まえて虐待して手下につけたチェチェン人の羊飼いと捕虜となって動けない体になっていた大尉にすべて渡してしまったイワンはこの人助けの為に青春の日々を牢獄で送ることになるのだ。
薄赤い夕焼けの下で敵同士であるはずのチェチェン人の羊飼いと元ロシア兵のイワンが寄り添い黙って座りこむ光景はなんとも奇妙に悲しい一体彼らは何のために戦い傷ついてきたのだろうか。

そして主人公イワンを演じたアレクセイ・チャドフの魅力をどう書き現わせばいいだろう。
ここでの彼は20歳ほどなのだがもっと少年にしか見えないような可愛らしい肢体とあどけない表情をしている。
そんな彼が人助けの為に決心し殺さねば殺される、という剥き出しの闘争心で人を殺していくのである。その結果投獄されることになる。
2年前まで何も知らなかったという彼がそこまで冷徹な殺戮者となってしまうという経験、ただ戦争だから殺さねばならないという理念が恐ろしい。恐ろしいがそれが事実なのだ。
困っている人を見捨てておけなかったという義侠心と人を殺すことに何の躊躇もない不思議な対立を併せ持っているイワンの刹那的とも言える行動にどうしても惹かれてしまうのだ。
今でもチャーミングな男性ではあるがこの時のアレクセイ・チャドフの美しさというのは何とも言い難いほどで少年らしい凛々しさと愛らしさに溢れている。捕虜時の汚れて髪の長い時、髪を切って兵士然とした服装になった時、どちらにも犯しがたいほどの魅力がある。
監督のアレクセイ・バラバノフは『ロシアンブラザー』でもセルゲイ・ボドロフ・Jrによって若者を鮮烈に描いてみせた。そうした青年の印象的な描写が素晴らしい。男性的でどこか物悲しい。

初めてアレクセイ・チャドフをこの映画で観た時「彼がこの映画しかなくても好きだと言える」と思ったのだが、予感が当たってしまったと言うべきか、いやまだ未見のものも数あるのだが、多分今迄のアレクセイの映画では本作がやはり突出しているのではないだろうか。
無論この先にはまたこれを超えるものがあると信じたい。
この辺は余計な言葉だった。
アレクセイ・バラバノフ監督がアレクセイ・チャドフにイワンという心に残る若者を演じさせてくれたこと、それをこうして観れたことが嬉しい。
なんというか、私にとってはただひたすら「かっこよくてたまんない映画=crazy and cool movie」なのである。

監督:アレクセイ・バラバノフ 出演:アレクセイ・チャドフ イアン ケリー ユークリッド インゲボルガ・ダクネイト セルゲイボドロフジュニア
2002年ロシア

10156.jpg
それまで長袖を着てたのに雪景色になった途端何故か袖のない服に着替えたイワン???寒くないのか、ロシア人って
posted by フェイユイ at 23:19| Comment(0) | TrackBack(0) | アレクセイ・チャドフ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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