映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2010年03月09日

『生きる Zhivoy/alive』アレクサンドル・ヴェレディンスキーAleksandr Veledinsky

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Zhivoy / Alive

アレクセイ・チャドフ出演映画輸入盤第3弾。とは言ってもこれはアレクセイ主演ではなくなーんと彼のお兄さんであるアンドレイ・チャドフが主演なのである。が、アンドレイとアレクセイは年齢もたった一つ違いでもあるし双子じゃないかと思うほどそっくり瓜二つ。体格もほぼ同じくらいなのでぱっと見じゃ判らないほどなのだ。
しかしよく見ればやはり違う。お兄さんのアンドレイの方がやや端正なのかもしれない。鼻は二人とも細くてつんととがってるように見えるんだけどアレクセイの方がやや鉤鼻っぽくなってるのに比べアンドレイは先がもう一つつんと上がっているのでこれは好みだけど自分はアンドレイ的な形が本来好きかも知んない。目はアレクセイが薄い茶色なのに(やや緑が入ってる)アンドレイは濃い青でこれも美点なのだが。
なのだが、なぜかやはりアレクセイが好きなのだなー。
だって、ずーっとアンドレイが出てて「アレクセイにそっくりだなあ。アレクセイだと思って観てたらそう思えるかも」などと考えながら観てたのに3分の2過ぎてアレクセイが登場したら野暮ったい司祭の格好で眼鏡に髭だらけの顔なのにどきどきっとしてしまったのだ。
不思議だなあ。
作りはほぼ同じって言うくらい似ててやや兄アンドレイがハンサムなんだけどアレクセイから感じる雰囲気は凄く違うのだ。
役柄もあるんだけどアンドレイが強く張った糸みたいなきつさがあってシリアスなのにアレクセイはどことなく力が抜けているのだね。それが目にも現れて優しい感じなんだ。
それにしてもキュートな兄弟だ。

物語はチェチェン戦争に行った若者たちのその後を描いたもので主人公キールは片足を失って義足をつけている。仲の良い仲間二人は死んでしまった。
だがその二人の戦友は幽霊となってキールについて回るのだった。
戦争によって心が荒んだキールは恐ろしい犯罪を犯してしまう。誰と出会っても通い合うものがない。
そんなセルゲイの前に一人の司祭が現れる。

兄弟でしかもそっくりな二人が演じている様子が一番不思議だった。
アレクセイは最初のイワン以外はメソメソタイプが多いみたいだけどアンドレイはちょっと違う。

しかしよく煙草吸う、よく酒を飲む。噂通り。

監督:アレクサンドル・ヴェレディンスキーAleksandr Veledinsky 出演:アンドレイ・チャドフ アレクセイ・チャドフ マキシム・ラガスキン アレクサンドル・ロバク 
2006年ロシア


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2010年03月08日

『この道は母へとつづく』アンドレイ・クラフチューク

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ITALIANETZ

この映画には非常に不満な部分と物凄く惹かれる部分があって困ってしまった。

不満な部分と言うのは最初からちらちらと感じはするのだが、次第に強くなり最後が決め手となってしまうという最悪な状態かもしれない。作品と言うのはどうしても始まりより最後がどうなるかどう感じるかで印象づけられてしまうものだろう。しかしそれがあっても自分には惹かれるものがある。

この作品は6歳の孤児ワーニャが皆の羨望を受ける「優しそうなイタリア人夫婦の養子」として選ばれたにもかかわらず突然「本当のママに会えるかもしれない」と思い立ち何の保証もないままにママの消息が判るかもしれない前にいた孤児院を訊ねる、という行動に出るのである。
会ったこともないママへのワーニャくんの一途な思いが切なく涙を誘うのがこの作品でしかも「実話である」という保証書つきなので「こんな上手くいくはずがない」という否定は打ち消されてしまうことになる。
だがロシアや世界各地の貧しく身寄りのない子供達を襲う(この作品中でも話題に出る)臓器の為の人身売買そして(この作品中では出なかった)性的な嗜好による人身売買などの横行を考えるとこの物語の奇跡的な結果を「あーよかった」で済ませるだけでいいのか。ワーニャの代わりにイタリアへ行った男の子、その前に別の養父母に行った子供は幸せになれたのか、そしてワーニャも手紙では嬉しそうだが、その後その幸せが続いたのかどうかは想像するしかない。
しかも映像では姿を見せないワーニャのママなる人物がとても優しげな声だったのがわざとらしく思えてしまい、ではそんな優しくて看護師として真面目に働いている「ママ」が何故ワーニャを孤児院に捨ててしまったのか、探そうともしてなかったのか、単純によかったね、とは言えない気持ちになってしまう。もしかしたらその後また母親に売られる可能性だって無きにしも非ず、ではないか。

ではどこに惹かれるのか、と言えば物語の前半部分である。この作品はワーニャくんの「母をたずねて」が題材なのになかなか出発しないので結構じれったく思う人もいるようだ。
だが自分はそこの部分が好きなのである。
小さな古びた孤児院、子供を売っては酒びたりになる院長と時々やって来るブローカーのマダム、養子に行くことが決まったワーニャを「イタリア人」と呼んでからかう子供達。そんな子供達は本当はワーニャが羨ましくて仕方ないのだが、悲しい気持ちをこらえてワーニャをからかっているのだ。
こんなことを言うと「浅はかな」と誹りを受けそうだが昔から自分はどこかで孤児に憧れている。
この作品を観てると監督も同じ気持ちを持っているのではないか、と思うほど子供達が生き生きと可愛らしく描かれている。
特に大きくなった子供達の生活の様子が何とも魅力的でどこか拗ねている彼らがとても素敵なのだ。
子供達にかっこいいと言われてるバイクに乗った少年たち、孤児たちの面倒をみてる少女、そしてどうやら売春をして彼らの資金源になっている少女、無論彼らに明るい未来が見えるわけではないが、頼るものもなく身を寄せ合って生きているような彼らが小さな部屋に集まって何か食べたり話したりしている様子がここだけ院長も大目に見ているのか、自由気ままな雰囲気で見惚れてしまうのだ。
特にバイクの少年と売春の少女はできるものならこっちの物語を観てみたい気になってしまった。
売春少女はイールカと言う名でママ探しに一所懸命なワーニャの手助けをする。ワーニャが書類を読めるよう字を教えたり貯めた金を盗んで(と言っても殆ど彼女の売春の金だろうけど)ワーニャを孤児院から連れ出してしまうのがかっこよくてどきどきしてしまう。

この映画が「実話による感動もの」みたいなのではなくてそうした孤児たちの友情物語であったらもっと好きになっていたかもしれない。せめてママがみつからないか、もっと悪い人だと判ったら。
それにしても本当のママに会いたい、という気持からではなく「臓器売買や性的玩具として養子になる」ことに恐怖を抱いての逃走劇だったら、本作の持つ童話的な味わいはなくなってしまうのだろうな。

アンドレイ・クラフチューク監督が後に作った『提督の戦艦』を先に観たが、本作の方が断然よくできている。あれも実在の人物の映画化だが規模が大きいので難しかったのか。こうしたこじんまりした物語の方が合っているのかもしれないし、こちらの方でもっと充実していってくれればいいと思ってしまうのだが。

ぁ、肝心のワーニャくんについて書いてない。このいじらしさにはやはり魅せられる。何だか犬が何の疑いも持たずひたすら主人の居場所を探して帰ってきた、みたいな切ない感じ。絶対泣ける。

監督:アンドレイ・クラフチューク 出演:コーリャ・スピリドノフ マリヤ・クズネツォーワ ダーリヤ・レスニコーワ ユーリイ・イツコーフ ニコライ・レウトフ
2005年ロシア
ラベル:愛情 家族
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2010年03月07日

『懺悔』テンギズ・アブラゼ

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MONANIEBA/REPENTANCE

この作品の面白さはもう恐ろしい域に入ってるとしか言いようがない。ブラックジョークとシュールな映像に一体どうなってるのかどうなるのか笑いながらも恐怖の予感がひしひしと迫ってくるとんでもない映画だ。

今だからできる、などと思おうとしたらこの映画の公開時期は1984年だからまだゴルバチョフが書記長になる以前に作られているわけでその時期にこの作品を作ってしまうのは容易ではなかったのではないか。
アフタンディル・マハラゼ演じる市長ヴァルラムの奇怪な風貌と笑顔と歌う姿は忘れられそうにない。ちょび髭に黒い服の隆々たる体格の持ち主はヒットラーやスターリンをごちゃ混ぜにしたカリカチュアで小さな縁なし四角眼鏡をかけてにっこりと笑う目が不気味だ。反体制ではないかと思える家族の家に天使の姿で現れ歌声を聴かせ、その後に小さな娘から父母を引き離して死に至らしめるという惨たらしい仕打ちをする。
このおぞましい市長の姿は様々な独裁者を思い起こさせるのだがそういう人物が一方では奇妙にも芸術面に心酔していることがままあることを彷彿とさせる。

物語はある女性がケーキ作りをしていいる最中、夫から「偉大な男の死」を聞くところから始まる。
夫は彼の死を嘆き悲しむが彼女はその男の死に冷たく反応する。
場面が変わりその男の葬式である。男は権力者であったらしく丁重に葬られる。だがなんということか、次の日男の遺体は掘り返され自宅の庭に放置されていた。再び葬ってもまたもや遺体は掘り返される。信奉者と家族は墓を柵で覆い、見張りをする。やがて墓荒らしが現れ孫のトルニケによって捕まった犯人はあの冒頭のケーキ作りの女だった。
裁判中、彼女は何故何度も市長を掘り起こしたのかを説明する。そしてこれから何百回埋められても何百回掘り起こすと言い放つのだった。
彼女こそはヴァルラム市長によって両親を奪われ殺されたあの小さな娘だったのだ。

ヴァルラムの息子アベルは彼とはかなり違う小心で思い悩み揺れ動く存在であることを父役と同じマハラゼが素晴らしい二役を演じ分けている。
そしてヴァルラムの孫になる青年は父と祖父に絶望し命を絶ってしまうのだ。
この3代にわたる人間像がそのまま時代の移り変わりにおいて人間がどう変化していくのかを表現していて何とも巧みである。
父の悪行を知り、その為に息子が罰を受けてしまうという間に挟まったアベルは懺悔をするがその相手が悪魔だった、という悪夢を見る。そしてついに多くの人々を死に至らしめた父ヴァルラムの遺体を崖の下に放り投げてしまうのだった。

そして場面は冒頭のケーキ作りの女性に戻る。道行く年取った女性が「この道は教会へ行くのか」と問いかける。女性は「ここはヴァルラム通り。教会へは行きません」「教会にいけない道など何の意味があるの」と老女は言い捨てて去っていく。

もしかしたらこれまでの物語はすべて女性の頭の中だけでの想像だったのかもしれない。
だとしてもそれはそれでこういう弾劾が頭の中だけでしか起こせないという批判にもなる。冒頭から最後まで実に様々な暗喩やイメージに満ちた作品なのである。しかもそれらがおかしくてたまらないのだが、実に不気味で恐ろしい笑いなのだ。
裁判中ルービックキューブで遊んでいる裁判官がいてどうしても色合わせを完成しきれない。
アベルが懺悔をする時、それを聞く男が魚を食べている。魚はキリストを意味するのだが、その男は悪魔であり父ヴァルラムであった。

恐ろしい作品なのだ。だが、ロシアの恐怖の時代をとんでもない笑いにして鋭く描き出すその手法は力強く生き生きと訴えてくる。

監督:テンギズ・アブラゼ  出演:アフタンディル・マハラゼ ゼイナブ・ボツヴァゼ エディシェル・ギオルゴビアニ ケテヴァン・アブラゼ イア・ニニゼ
1984年ロシア
ラベル:歴史
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2010年03月05日

『スター・オブ・ソルジャー』クリストフ・ド・ポンフィリー

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L’ Etoile du soldat

ロシア映画のアフガン介入映画『9 rota/The 9th Company』、アメリカ映画は『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』そして外側の目としてのフランス映画である本作『スター・オブ・ソルジャー』を観て、まだアフガニスタン自体の映画は観てない、というのではどうしようもないがレンタルできるのはないかもしれない。
昨日観た『チャーリー』映画では嫌悪すべき存在であるソ連人たちとアフガニスタン人の人格・人間性というものはまったく描かれていなかった。『9 rota』と本作ではアメリカ人というものの人格・人間性が描かれていない。そしてそれぞれにおいての味方側は個々の人格・人間性が生き生きと描かれていく。互いに互いは「悪魔」であって恐ろしい憎悪の的でしかない。それが当然と言えばそう言うしかないがそんな風にしか思えないからこそ戦争というものができてしまうんだろう。

本作では主人公はソ連軍の一兵士であるが物語はジャーナリストであるフランス人ヴェルゴによって語られると言う方式になっている。
フランス人の彼はアフガニスタンの各地を渡り歩いてカメラに収め記録を取っていく。彼はアフガニスタンの兵士たちから強い信頼を受けていて外国人で(多分)異教徒でありながら友人としての待遇を甘んじている。自然ヴェルゴはアフガニスタン側でしかも過激派ではない人々の目で見、判断しているだろう。彼らにとってアメリカ人は姿の見えない武器だけを供給する存在であり、ソ連軍は味方と称して自分たちを武力で抑えつける恐ろしい存在である。そんな彼らの中からアフガニスタンのある部族の捕虜となってしまうソ連人ニコライは脱走しようとして失敗しだが彼の命を奪いはしなかったアフガニスタン人の間に入っていき、御祈りを捧げ言葉を覚え、衣装も変えて彼らの生活に馴染んでいくのだった。

実話をベースにした、とあるが一体どこまでが事実でどこからが創作なのかは無論判らない。平凡なロシア青年だったはずのニコライが辿る運命はあり得ない童話なのか当然起こりうることなのか。
だがどちらにしてもこの作品がフランス人監督によるものでここに彼の考えが反映しているはずである。言葉でも説明しているように彼にとってはアメリカは世界中に戦争をばら撒き自国の経済利益しか考えない国であり、ソ連兵士ニコライは無邪気なロックミュージシャンで、アフガニスタンの戦士たちは誇り高買き男たちなのである。
直接ここに関わってはいない国フランスの人間の視線でありややロマンチックであり過ぎるとしてもそれもまた一つの視線であるのだろう。

監督:クリストフ・ド・ポンフィリー 出演:サッシャ・ブルド ドニ・マノヒン, パトリック・ショーヴェル
2006年フランス/ドイツ/アフガニスタン
ラベル:戦争 歴史
posted by フェイユイ at 23:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月04日

『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』マイク・ニコルズ

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Charlie Wilson's War

先日アレクセイ・チャドフ出演『9 rota/The 9th Company』を観てもう少しアフガニスタンへのソ連介入の映画を観たくてこれを見つける。
気持ち的にすっかりロシア側について観ようとしてる昨今、この映画を観ていいものか、というか観通す気になるものか、と思いつつも観賞。しかも主演が好きの範疇にいないトム・ハンクスで脇にもっと好きの範疇でないジュリア・ロバーツときては一層観る気が萎えそうだったがこの内容ならあえてこの二人主演でよかったとここだけは安堵するのであった。

後で気づいたのだが監督がマイク・ニコルズだったのだ。どおりでよくできていて面白いわけなのではある。
チャーリー・ウィルソンという政治家が観るのもうんざりするほどのある意味典型的俗物政治家でありながらふと見たTV報道からアフガニスタン支援行動を促進する羽目になっていく。
彼を焚きつけるのが宗教と政治に鋼の意志を持ちながら介入していこうとするテキサスの富豪夫人ジョアン=ジュリア・ロバーツ。
「アメリカの理想として共産主義国ソ連を叩き潰す」のは冷戦状態であるアメリカとしては表立った行動は取れない。チャーリーはジョアンに誘導されながらイスラムの国アフガニスタンに武力支援をすることでソ連を撤退させ自国の優位を示し、世界平和に貢献したと自負している。
だが戦後のケアにまでは手が回らず武力支援は秘密裏に行われたことでアメリカが支援したことは人々の記憶に残らず、学校建設などで名を売ることも叶わなかったのだ、とチャーリーは言い訳をする。
一見アフガニスタンを支援することでアメリカの優位を示し、世界平和に貢献したはずの行為はその後、タリバンなどの過激派を育てることになり果ては9:11を引き起こすことになる、という図式が見えるというわけである。
ここでシーモア・ホフマン扮するガストが禅の師匠という小話をする。「ある少年が馬を買って喜んでいたが、師匠は「今に判る」というのである」
卑小な存在である一政治家がとんとん拍子でソ連攻撃を成功させ皆に讃えられたが「今に判る」ということになる。
しかしその後もアメリカは軍事介入を繰り返しては世界中から批判を引き出すことになってしまうのだが今度の「今に判る」が恐ろしい。

トムとジュリアのどちらも近寄りたくない人間の役であったので彼らが演じてくれてよかったと思う次第である。
チャーリーの美女秘書団はとても可愛らしかった、と逆に思ったんだけど。結構頑張ってたよ。
シーモア・ホフマンが上手いのはもう当然である。

チャーリーが秘書に少年時代の思い出を語る場面があるのだが隣人に住む嫌なイギリス人が自分の愛犬を残酷に殺したので彼の花壇を焼いた後、政治家だったその男を落選させる為に選挙権のないチャーリーが唯一持っていたトラクターの免許で黒人たちを95人投票所へ連れていき別の立候補者に投票させて難いイギリス人を落選させる、という話をする。彼はここで「その時アメリカという国が好きになった」と言う。やる気になれば少年でも嫌な奴をやっつける自由と力を持てるというのだろう。しかしこの話の中にすでに「嫌な外国人」を「黒人たち=力のない助けるべき人々」を利用して自分の理想を達成させるというチャーリーの「やり方」が萌芽してるのだ。ちょっと愉快な話のようにも聞こえるし、確かに愛犬にこんな仕打ちをする奴は許せないが、黒人を利用するあたり、なんだかむかつく男である。

監督:マイク・ニコルズ 出演:トム・ハンクス ジュリア・ロバーツ フィリップ・シーモア・ホフマン エイミー・アダムス ネット・ビーティ オーム・プリー エミリー・ブラント ケン・ストット ジョン・スラッテリー
2007年アメリカ
ラベル:戦争 政治
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今夜『ストリートレーサー』でアレクセイに浸る

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ロシア映画を貪り観ていこう、と予定を立てたのに早々アレクセイ・チャドフに出会った為に心はもう上の空で今夜はどうしても我慢できずもう一度『ストリートレーサー』観賞。

いやあもー可愛いったらなあい。
デビュー作らしい『チェチェン・ウォー』からかなり時間は経ち確かに肉体的にはロシア人らしい特徴というべきか他で観る写真では太めだったりする時もあるのだが(でもまた痩せてる時もあるので調整大変なのでは)本作はひたすら可愛い。
相手役(ん、アレクセイが相手役だったりして)の女の子は若いけど結構迫力ある顔立ちなのに(いや凄い美女です)どう見てもアレクセイの方が弟みたいなんだよねー。それにこの物語って女の子カーチャは結局元カレの方が好きなんだよね。なんだか切ないアレクセイなのだ。
しかも元カレはアレクセイを好きになってしまってるような?
とにかく可愛さ全開でがんばっておりますアレクセイ。
アリョーシャ演じるステパンもキュートだけどその弟君がまたなかなかいい感じでうれしい。

ところでロシア映画って幾つか観てて思うんだけどナンパする時結構すぐに男が「結婚しようよ」って言うんだよ。いくらなんでもプロポーズのタイミングとしては早過ぎだと思うんだけどこれがロシアでは普通なのかな。弟君なんて好きになった年上の女性に「いい夫になるよ」だって。そうか、そういう売り込み方をするのかー。

アレクセイ・チャドフについてあれこれ知りたいと思っても日本のメディアには殆ど上がったことがないだろうし、ぼちぼち外国を探索したりしてます。私のことなんでゲイ方面から探したりするのですが、あらやっぱりゲイの方からも人気あるようでちょっと喜んだり(笑)そういえばゲイっぽい写真もありましたっけ。小柄でベビーフェイスだからどうかな、とは思ったんですがほらなんかゲイ人気というとダニエル・クレイグのようなたくましい男性を想像してしまいますもので。アレクセイは顔が幼いですが体もそれなりに鍛えたりもしてるようなのでいけるのかもしれませんね。『ミルク』を観てゲイの役もいいと思ってくれてるようなので期待したい。

アレクセイをこうしてずっと観てくるとやはり私は同じようなタイプを好きになってることを再確認。そりゃそうだよね。
それにしても本作で観れる彼の目のアップは貴重。薄い色彩の茶色とグリーンが混じった綺麗な色あいなのです。
顎が好きですねあのかくっとした顎のラインがたまりません。てことはやっぱり誰かさんに似てるんだわね。あーあ。

上の写真は映画とは関係なく。
posted by フェイユイ at 01:00| Comment(2) | TrackBack(0) | アレクセイ・チャドフ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月03日

『72M』ウラディーミル・ホチネンコ

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これは掛け値なしに面白い映画だったなあ。

冒頭から非常にとぼけた味わいのあるテンポを持っている作品でこの不思議な空気感にすぐに惹かれてしまった。なんなんだろうか、この緩い調子は。ふざけているようで何か深い含みをもっているのか、とさえ思わせてしまうのである。

ロシア潜水艦の演習直前の水兵たちの様子が何とものんびり映し出される。艦長は海に投げ込んだ帽子を水兵達に取らせたり、大尉がまだ来ないので連れてこないと全体責任だと言われ探しに行くが途中でラップを聞いてたりとどうにもぬるい。ソ連(ロシア)の軍隊は過激に恐ろしい地獄のような所だと本で読んだが、どうもここはそれほどの場所ではないようだ。

やっと潜水艦は発進する。ここから物語は大きく動き出すのだが、それでも発射される魚雷をカモメが目で追ったりしてるのがおかしいのだが。
だがここで発射した魚雷が第二次世界大戦中放置されていた機雷に触れ、爆発を起こしてしまう。潜水艦はあっという間に破損し海水が流れ込んでしまうのである。

突然の出来事に乗組員たちはどうしようもない。
眠っていたアルロフ大尉と若い水兵モロドイ、そしてただ一人兵士ではない学者チェルネンコ3人はもう少しで天井に着くほどの水の中になんとか浮かんでいた。死が迫った極限の中でアルロフは二人と共に生き延びる出口を探す。
実はあるハッチの向こう側の部屋は浸水しておらず10人の乗組員が生き残っていたのだ。

向こう側の兵士たちは自分たちが犠牲になる恐れの中で3人を救う。だがどちらにしても危険な状態に変わりはない。
しかも望みの綱の潜水服は一着を除いてすべて不良品だったのだ。
兵士たちはあえてその潜水服を兵士ではないチェルネンコに託し、助けを待つことにする。
頼りなげな中年男チェルネンコは必死に海上へと登り岩だらけの海岸を倒れそうになりながら駆けていくのだった。

ラスト、よれよれのチェルネンコが助けを呼べたかどうか、可能性は低いとしか思えない。街の明かりはまだ遥かとおいのだ。
潜水艦の中では兵士たちがただじっと助けを待っている。

うん、なんだか深読みすればロシアの今の状況を意味しているのかもしれない。というか色々な国の人がまさに自分たちだ、と思えるのかもしれない。
とんでもないおかしさと悲しみを含みつつ静かな余韻を残してくれる映画であった。

監督:ウラディーミル・ホチネンコ  出演:セルゲイ・マコヴェツキー チュルパン・ハマートヴァ マラト・バーシャーロフ アンドレイ・クラスコ ディミトリー・ユリヤノフ
2004年ロシア
posted by フェイユイ at 00:30| Comment(0) | TrackBack(0) | ロシア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月02日

『9 rota/The 9th Company』フョードル・ボンダルチュク

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9 rota

アレクセイ・チャドフ映画輸入盤第2弾、といってもこの前観た『セルコ』の1年前の作品。
アメリカ側から言えば「アフガニスタンへのソ連侵攻」を題材にした映画であるわけでどうしてもそういう見方をすることが多いと思うのだが、本作ではアメリカ映画が描きようのない方向から表現していることになる。
それにしてもその表現方法はまるでアメリカ映画の軍隊ものをそのままソ連軍にしただけのようにも思えて不思議なネガを見てるようだ。おっかない鬼軍曹にしごかれ、仲間たちとの厚い友情が育まれていく。
本作のアレクセイは名前が先に出されてはいるが、控えめな存在になっている。
むしろジョコンダ役のコンスタンチン・クリュコフの方が目立つ役柄で2枚目で絵が得意で経験がないのに射撃の腕前が際立っているというかっこいいキャラクターなのである。
アレクセイ演じるボロベイは気が弱くて腕っぷしもてんで弱いという虚弱な青年でガールフレンドはいるが仲間がある女性と交代でセックスを楽しんでいることに激しく反発するという可愛らしい性格の持ち主で皆からは非常に可愛がられている大人しい存在で彼が特別に彼ら兵士の中で活躍をするわけでもない。あくまで9人の若者の一人、という描き方だった。無論少しは他の人よりアップが多めかもしれないが。

アフガニスタン介入の為の軍隊に入った若者たちは家族や恋人と「2年間の別れだ」と約束して激しい訓練に耐え、彼の地へと赴く。
だがそこで彼らを待ち受けていたのは想像を絶する地獄であった。

アレクセイ・チャドフはやはり最初の映画が戦争ものなのでどうしてもそちらが多くなるのか。それとも先日書いた通りやはりロシアは戦争映画が多いってことなのか。またもや坊主頭のアレクセイである。『チェチェン・ウォー』から3年しか経ってないのでまだまだ愛らしい。今も愛らしいけど。
ハンサムなジョコンダとの絡みが殆どなかったのが残念だったけど、仲間にもたれかかったり何故かキスめいたことをされたりと皆から可愛がられている存在だった。

こうしてアレクセイを追って観てると結構違った役柄を演じているのである。俳優って同じ役柄を求められてしまいがちだけど本人も色々と違う役に挑戦しているんだろうか。最初の『チェチェン・ウォー』の強靭なイメージが焼き付いているのだが他は可愛い役だったりお調子者だったりと違うものを選択しているのかな。
また他のを観るのが楽しみである。

監督:フョードル・ボンダルチュク 出演:アルトゥール・スモリャニノフ アレクセイ・チャドフ コンスタンチン・クリュコフ
2005年ロシア
posted by フェイユイ at 00:53| Comment(0) | TrackBack(0) | アレクセイ・チャドフ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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