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2010年03月07日

『懺悔』テンギズ・アブラゼ

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MONANIEBA/REPENTANCE

この作品の面白さはもう恐ろしい域に入ってるとしか言いようがない。ブラックジョークとシュールな映像に一体どうなってるのかどうなるのか笑いながらも恐怖の予感がひしひしと迫ってくるとんでもない映画だ。

今だからできる、などと思おうとしたらこの映画の公開時期は1984年だからまだゴルバチョフが書記長になる以前に作られているわけでその時期にこの作品を作ってしまうのは容易ではなかったのではないか。
アフタンディル・マハラゼ演じる市長ヴァルラムの奇怪な風貌と笑顔と歌う姿は忘れられそうにない。ちょび髭に黒い服の隆々たる体格の持ち主はヒットラーやスターリンをごちゃ混ぜにしたカリカチュアで小さな縁なし四角眼鏡をかけてにっこりと笑う目が不気味だ。反体制ではないかと思える家族の家に天使の姿で現れ歌声を聴かせ、その後に小さな娘から父母を引き離して死に至らしめるという惨たらしい仕打ちをする。
このおぞましい市長の姿は様々な独裁者を思い起こさせるのだがそういう人物が一方では奇妙にも芸術面に心酔していることがままあることを彷彿とさせる。

物語はある女性がケーキ作りをしていいる最中、夫から「偉大な男の死」を聞くところから始まる。
夫は彼の死を嘆き悲しむが彼女はその男の死に冷たく反応する。
場面が変わりその男の葬式である。男は権力者であったらしく丁重に葬られる。だがなんということか、次の日男の遺体は掘り返され自宅の庭に放置されていた。再び葬ってもまたもや遺体は掘り返される。信奉者と家族は墓を柵で覆い、見張りをする。やがて墓荒らしが現れ孫のトルニケによって捕まった犯人はあの冒頭のケーキ作りの女だった。
裁判中、彼女は何故何度も市長を掘り起こしたのかを説明する。そしてこれから何百回埋められても何百回掘り起こすと言い放つのだった。
彼女こそはヴァルラム市長によって両親を奪われ殺されたあの小さな娘だったのだ。

ヴァルラムの息子アベルは彼とはかなり違う小心で思い悩み揺れ動く存在であることを父役と同じマハラゼが素晴らしい二役を演じ分けている。
そしてヴァルラムの孫になる青年は父と祖父に絶望し命を絶ってしまうのだ。
この3代にわたる人間像がそのまま時代の移り変わりにおいて人間がどう変化していくのかを表現していて何とも巧みである。
父の悪行を知り、その為に息子が罰を受けてしまうという間に挟まったアベルは懺悔をするがその相手が悪魔だった、という悪夢を見る。そしてついに多くの人々を死に至らしめた父ヴァルラムの遺体を崖の下に放り投げてしまうのだった。

そして場面は冒頭のケーキ作りの女性に戻る。道行く年取った女性が「この道は教会へ行くのか」と問いかける。女性は「ここはヴァルラム通り。教会へは行きません」「教会にいけない道など何の意味があるの」と老女は言い捨てて去っていく。

もしかしたらこれまでの物語はすべて女性の頭の中だけでの想像だったのかもしれない。
だとしてもそれはそれでこういう弾劾が頭の中だけでしか起こせないという批判にもなる。冒頭から最後まで実に様々な暗喩やイメージに満ちた作品なのである。しかもそれらがおかしくてたまらないのだが、実に不気味で恐ろしい笑いなのだ。
裁判中ルービックキューブで遊んでいる裁判官がいてどうしても色合わせを完成しきれない。
アベルが懺悔をする時、それを聞く男が魚を食べている。魚はキリストを意味するのだが、その男は悪魔であり父ヴァルラムであった。

恐ろしい作品なのだ。だが、ロシアの恐怖の時代をとんでもない笑いにして鋭く描き出すその手法は力強く生き生きと訴えてくる。

監督:テンギズ・アブラゼ  出演:アフタンディル・マハラゼ ゼイナブ・ボツヴァゼ エディシェル・ギオルゴビアニ ケテヴァン・アブラゼ イア・ニニゼ
1984年ロシア


ラベル:歴史
posted by フェイユイ at 01:10| Comment(0) | TrackBack(0) | ロシア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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