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2010年03月15日

『父、帰る』アンドレイ・ズビャギンツェフ

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Возвращение

すっかりはまってロシア映画を観続けてる毎日だが、この国の映画ほど良いのと悪いのが両極端なのもないかもしれない。
で、今回は文句なしに良いの方。

お涙頂戴感動ものかと敬遠してたらまたもや勘違いであった。ぱっと見、物凄い不条理作品なのかと思われる展開で先日観た『フリークスも人間も』が童話的に不思議世界ならこちらは現実的な不思議である。
高い櫓から下の海に跳びこめるかどうかで少年たちが男らしさを競っている。中に一組の兄弟がいて兄アンドレイはすぐ跳びこめたが弟イワンはどうしても恐ろしくて海へ飛び込むことができない。意気地なしと嘲りを受けたイワンは冷たい風に裸を震わせながら櫓の上から動くことができない。心配した母親が駆け付け泣きじゃくるイワンを慰めるのだった。
そんな兄弟に母親が告げる「パパが帰って来た」と。二人が覗き込むとベッドに男が横たわっている。起きて来たその男は二人を旅行に連れていくと言う。男らしい父親に好意を持つ兄アンドレイと命令的な態度に反感を持つイワン。パパであるその男はぶっきら棒な態度で二人を車の旅に連れ出す。

12年ぶりに帰って来たその男が本当に父親なのか、彼は今迄どこにいたのか、何故今迄帰ってこなかったのか、何故急に帰って来たのか、何の説明もない。最後まで何も判らない、という奇妙な物語なのである。
ただ映像が何かを示しているようなのだ。
最初、二人が見たベッドに横たわる「父親」の構図が足の裏から見たキリスト像、マンテーニャの『死せるキリスト』を思わせる。
というか実は私は赤いキリストと呼ばれるチェ・ゲバラの遺体写真を思い出したのだ。出会った瞬間に死を思わせる父親の姿である。
二人は古い写真を引っ張り出し、どうやら彼が父親らしいことは確認するのだが、大人の男らしさに畏敬の念を持つ兄アンドレイと違い弟イワンは反発をする。とはいえイワンの反抗はいかにも子供っぽいものなのである。
ここで櫓から跳びこめた兄アンドレイとまだ跳び込めない弟イワンの違いが明確になってくる。アンドレイは大人になる資格を得ており、イワンはまだ成長しきれていない子供なのだ。海に飛び込むことがキリスト教における洗礼の儀を表しているのだがイワンにはまだそれができない、ということになる。
こういったキリスト教的なイメージ、というものがはっきりと出ているのだが、西洋の物語で何度も何度も登場してくる『オイディプス』のイメージもまた感じられる。男子の成長において特に顕著な「父親殺し」というものは多くの場合はそれに代わる何らかの行動で示されるものだが、ここでは直接イワンの行動が父親殺しに結びついてしまうと言う強烈な表現方法であり誤魔化しがない。そして本物の父親かとイワンに疑われた男はその死によって初めてはっきりと「パパ」と呼ばれイワンの涙を感じることになる。
冒頭で二人が見た「死せるキリスト」の姿の予感は外れてなかったのだ。
そして母親と肉体的交わりななくとも母に強い愛情を持つイワンが父を殺す(結果となる行動をとる)オイディプスの物語も汲みとれる。

こうして父親と二人の息子の旅がどのようなイメージで作られているかは明確なのだが設定・筋書きは曖昧に伏されている。特に気になるのは3人が渡った島で父親が掘り起こした箱の中身だろう。
二人の息子は父親の掘り出した箱を知ることもなく、箱諸共に父親を海に沈めてしまうことになる。一体あの箱には何が入っていたんだろう。

初めて認識する父親に激しい嫌悪と反感を覚えるイワン少年と対照的に荒っぽい大人の男に憧れを持つ兄アンドレイ。弟はそんな兄が媚びていると蔑むがアンドレイの方が大人に近づいているからこそ尊敬の念を持ち礼儀的であることをイワンはまだ気づいていない。
見た目も反抗的なイワン君の子供っぽさと違いアンドレイ役のウラジーミル・ガーリン君は見た目も美少年であったが、悲しいことにこの映画の後、撮影現場の湖で亡くなった、と書かれていて驚いた。映画の内容と重なるような悲劇だ。

監督:アンドレイ・ズビャギンツェフ 出演:コンスタンチン・ラヴロネンコ イワン・ドブロヌラヴォフ ウラジーミル・ガーリン ナタリヤ・ヴドヴィナ
2003年ロシア


ラベル:家族 宗教 愛情
posted by フェイユイ at 22:42| Comment(0) | TrackBack(0) | ロシア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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