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2010年03月17日

『ジュリア』フレッド・ジンネマン

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Julia

遠い昔の少女の頃、観たはずなのだが正直言ってまったく覚えてなかった。つまりまったく内容が理解できなかったんだろう。
覚えているのは(と言ってももしかしたら他の何かの映像での記憶かもしれないのだが)ジェーン・フォンダ扮するリリアン・ヘルマンがタイプライターを窓から放り出すとこと重要な任務を背負った汽車の旅が物凄い緊張感で怖かったことくらい。それと彼女が住んでいる家の目の前に海と砂浜があって物凄く羨ましかったというようなことであった。

確かにこうやって観なおすとそんなに難しいわけではないのだが当時の西洋の状況をまったく知らないままではすんなり感動しにくかったろう。
それでもリリアンとジュリアの関係がかっこよく大人の女性の世界と映画ではそれほど濃密に描かれることがあまりない女同士の友情が緊迫感のある状況の中で表現されていることに強く惹かれたのだった。

リリアンは幼い少女期から自分より遥かに大人の雰囲気を持つジュリアに憧れている。ジュリアがリリアンをどう思っているのかは詳しく語られることはないがそれでも幼馴染であり無二の親友として長い間深い友情を感じているのは伝わってくる。
ジュリアは若い時から非常に頭がよく勇気のある女性で裕福な家庭に生まれ育ちながら労働者階級の人々に強い関心を持っていた。リリアンはそんなジュリアを尊敬し、その美しさを感じるのだ。
『ジュリア』は映画作品ではまだ少ないレズビアンの愛情を描いた作品としても挙げられるが、この作品で表現されたことだけでは友情と言って欲しい気もする。それほど女同士の友情を描いた作品は少ない、ということなのかもしれない。(作品中で嫌な男から二人の関係を揶揄される場面があってリリアンが怒る。男は肉体的なことを指していてリリアンとしては二人を汚されたようで腹がたったのだ。私としてはどちらでもいいのだが、この作品としては友情でいいと思う)

リリアンがジュリアの願いを引き受けてナチス時代にユダヤ人でありながらベルリン経由でロシアへ向かう旅の緊迫感は耐えがたい。大きすぎて目立つ帽子の中に仲間を救う為の大金を詰め込んであるのだ。
リリアンを常に誰かが見守っているのだが、彼女自身はそれが判らない。誰が敵で味方なのか、捕まれば自分が処刑されるかもしれない恐怖を押し殺してやっとジュリアに会えるのだが。
長い間待ち望んだジュリアとの再会は僅かな時間で、彼女は暴動の時に受けた怪我で義足になっていた。
止めようとしても止まらないリリアンの涙。若く美しかったジュリアは今も美しいが彼女はあまりにも大きな責務を背負っていた。
そして彼女には赤ん坊がいてリリアンに養育をお願いしたいと言うのだ。その赤ん坊の名は「リリー」ジュリアは娘にリリアンと同じ名前を付けたのだった。

その後、ジュリアは暗殺され、リリアンは必死で彼女の娘「リリー」を探し出そうとするがあまりにも手がかりがなかった。
リリアンは嘆き悲しむ。夫であるダシール・ハメット(無論あのダシール・ハメットである)はリリアンを慰め「君は僕より長く生きるよ。しぶといからね」と言う。

やがて夫も亡くなり一人物思いにふけるリリアン。とても悲しい物語なのに心の中に灯りがともっているような気がする。

大人になってずっと年取って観なおしてもやはりかっこいい映画だった。ジュリアが素敵で私も惚れてしまう。いいとこばかり見せすぎって思う人もいるみたいだけど、こういう人、こんな風に思える人っていると思うしそれがまた女性だというのが惚れ惚れ。
リリアンが作品が書けずに夫に当たり散らしてるとこも好きだな。ダシールさんもかっこいい。
あんな風に海辺の家で執筆してること自体がかっこいい。
夫と暮らし戯曲を書きながら遠い国に住み、力なき労働者達の為に活動する友を思う。
うーん、やっぱりかっこよすぎかも。でも憧れる。浜辺の焚き火の傍で酒を飲むのも素敵。

監督:フレッド・ジンネマン出演:ジェーン・フォンダ ヴァネッサ・レッドグレイブ ジェイソン・ロバーズ 
1977年アメリカ


ラベル:友情 女性 歴史
posted by フェイユイ at 21:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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