映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2010年04月12日

『日本のいちばん長い日』岡本喜八

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自分も含めて戦後生まれで戦争を体験していない日本人はこの映画の原作がノンフィクションであるのは信じ難いのではないんだろうか。且つ脚本が橋本忍であると知ればそうそう嘘ではないのかと次第に恐ろしくもなってくる。岡本喜八監督の個性的な脚色があると考えてもあの終戦を告げる玉音放送の前日がこんな凄まじい一日だったとは。だが製作者たちも俳優陣も戦争そして終戦を体験してきた人々が多いはずのこの映画なのである。もし同じ話を戦争未体験の若い世代が作り直したらここまでの狂気は過剰だとしてもっと大人しい演出に変わってしまうに違いない。当時を過ごした方には申し訳ないがそれほどの異常さ、滑稽さを感じてしまうのだ。またそういう精神状態でなければ戦争の中に入っていることができなかったのだと思うとやはり悲しく恐ろしいものだと感じさせられる。岡本喜八監督作品は反戦を願うあまり酷く狂気じみたおかしく思えるのだが本作もまた非常にシリアスながらそれが逆により滑稽じみてくるという凄まじいコメディなのかもしれない。そういうことを書くこともやや怖いのだけど。

戦争を終わらせる、という今の目からみればほっとするだろうと思える事柄がこんな大変なことだとは。
「最後の最後まで戦い抜く」と教えられそれが骨の髄まで沁み込んでいる人間に突然「止めろ」と言って止められるものではないのかもしれない。敵との戦いで死なずに生き延びた人間が味方の手によって殺されてしまう。それほど人間の脳に植えつけられた呪縛は簡単に解けないのだ。
直接戦いに赴く軍人であるほどまた年寄りよりも若い実戦者たちほどその呪縛は強いのだ。今の人間から見れば彼らも生きた時代さえ違えばごく普通の若者であり得たかもしれなのに戦時教育の呪縛は彼らを捕えて放さなかった。
作品は戦争によって膨大な数の人々が虚しく死んでしまったことを憂い二度とこういう悲劇が起きないことを願って終わる。自国だけでなく世界中に平和をと願いたい。

しかしまた、こうした狂気は戦争時には特に強烈に起きるが平時でも異常な状態で生まれてしまうことがままある。
精神を捻じ曲げられながら、それと判らない。どちらにしてもそういうことが起きて欲しくないものだ。自分の身にも。他の人にも。
とはいえ、それが完全に無くなることは難しいのだ、どうしても。

監督:岡本喜八 出演:三船敏郎 山村聰 志村喬 笠智衆 伊藤雄之助 佐藤允 戸浦六宏 井川比佐志 久保明 小林桂樹 宮口精二 加山雄三 島田正吾
1967年日本


ラベル:戦争 サイコ
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2010年04月10日

『ナチスの墓標〜レニングラード捕虜収容所〜』トム・ロバーツ

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IN TRANZIT

久しぶりのダニエル・ブリュール、ということもあって観てみた。彼は相変わらずの美形で役柄も単なるいい男でないのが似合っていたが私としては彼にやたらと絡まれる役のトーマス・クレッチマンが素敵であったな。

時は戦後なのだがソ連軍の捕虜となっているドイツ兵士たちと彼らを監視せねばならないソ連の女性兵士たちの物語である。
やはりこれは男女平等である共産主義の軍部だからこそ起き得るお話ということになるんだろうか。他で観る大概の捕虜物語は捕虜も見張りも男だからこういう事態にはなり難いのかもしれないが。
女性兵士だけが管理するレニングラードの収容所。厳寒の地に送り込まれたのはドイツ軍の捕虜だがソ連軍の大佐パブロフは彼らの中に戦犯が紛れ込んでいることを知り、女性医師ナターシャに彼らの一人と肉体関係を持って探りを入れることを提案する(命令というほどきついものではなかったな)
夫がいるナターシャは驚き動揺する。彼女の夫アンドレイは戦争の傷を受け脳に障害を持つ身になっている。彼女はドイツ兵士の中のマックスという男に次第に惹かれていった。
こういう話が実際にあるんだろうか。
男たちばかりの捕虜と女だけの監視。その中で恋が芽生えていく。捕虜たちに楽器が与えられ開催されたダンスパーティで知り合った敵同士のソ連女性とドイツ男性が次々と深い仲になっていく。
だがスターリンとドイツの交渉が済み彼らの帰国が認められ恋人になっていた男女は別れることになる。
そして女医ナターシャは障害を持つ夫が連れ去られマックスは帰国することになり孤独の身となった。

恐ろしい邦題がついているが原題は『IN TRANZIT』マックスが送り込まれまた連れ去られた。そして夫もまた。時は移り変わっていく。戦争は彼女からすべてを奪ってしまった。
何の楽しみも知らない娘ジーナも束の間の喜びを知りそして死んでしまったのだ。
時折訪れては捕虜だけでなくソ連の女性兵士たちにも脅威を与える大佐にジョン・マルコビッチが扮している。いつもながら何を考えているのか判らない狂気を感じさせる役者である。
どういうものか酷く評価が悪いようだが、自分としては結構面白いものに感じられた。女医ナターシャ役のヴェラ・ファーミガの青い目が美しく魅力的であった。

監督:トム・ロバーツ 出演:ジョン・マルコビッチ トーマス・クレッチマン ダニエル・ブリュール ベラ・ファーミガ ナタリー・プレス エヴゲーニイ・ミローノフ ジョン・リンチ
2006年 / ロシア/イギリス

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2010年04月09日

『エイリアン3』デビッド・フィンチャー

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ALIEN3

そして何故か突然『エイリアン3』である。というか先だって『Uボート』を観てたらこれを思い出して観たくなったのだ。
ギーガーのあの恐ろしい一度観たら絶対忘れられない『エイリアン』のデザインはもとより映画作品としても秀逸だと思うが自分は特にこの3作目が好きで、好きなのだが今まできちっと観たことがなかったのでこの際観てみることにしたのだ。
まあどんな作品だってそうだろうが、この『エイリアン3』も観る人にによって駄作だったり秀作だったりするようだ。私にとってはこんなに面白いのはない、くらいなんだけどそれぞれだからしょうがない。
それにしても渋い作品である。シガニー・ウィーバーが出てなかったら物凄く陰鬱な映画になってしまいそうだ。普通、彼女と恋仲になる男くらいちょっとした色男にしてくれてもよさそうなもんなのにかなり酷い面々である(すまん)シガニーが美女である上に男前も兼ねてるみたいなもんなのでまあいいけど。一番良い役で宗教家的存在の黒人眼鏡氏くらいだろうか。アジる時の声がかっこいいっす。
シガニーは坊主頭がさらに男前ですらりとした長身に惚れ惚れ。その辺ですね。

さて舞台は牢獄惑星。住人は囚人と看守合わせてたった25人ほど。黙々と労働と宗教で毎日を過ごす平和な場所であったらしい。そこへたった一人の女であるリプリーが転がり込みとんでもない疫病神となってしまう。
彼女とともに入り込んできたエイリアンが次々と彼らを食い物にしていく。リプリーとただ一人肉体関係を持つことになった医師までが命を落とす。パニックになる囚人たち。そんな中でリプリーは体の変調を感じる。彼女の体内にエイリアンの子供が産みつけられていたのだ。

とにかく全編気持ちのいい場面が一つもないような作品である。おぞましい星の悲しい住人達。エイリアンに襲われても誰からも救助される望みもない。
大概のアメリカンストーリーならばリプリーのアイディアと皆の力でエイリアンをやっつけリプリーも手術なりを受けてめでたし、で終わりそうなもんなのに彼らがどんなに勇気を持って果敢に闘っても全員が殺されてしまう、たった一人だけを除いて。その彼もただ他の牢獄に移されるだけなんだろう。リプリーの選択した道は体内に宿った悪魔ごと灼熱の地獄に落ちること、自己を犠牲にするしかなかった。その姿は磔になるキリストのようでもあり、また我が子を抱き抱えるマリア像のように美しいのだった。
この物語のどこが面白いんだろう。未来SFでありながら舞台となる場所はまるで時代を遡ったかのような古めかしさで機械類は壊れた物ばかり。人々は松明を持ち、肉体労働を強いられている。
彼らの拠り所は宗教で禁欲を心がけていた為女性が現れても突然反応することがなかった。
リプリー達は何の武器もない状態でエイリアンと戦うことを決意する。それは松明を持ち自分たちの肉体を餌にして奴をおびき出し焼けた鉛を浴びせる、という旧時代のアイディアに頼るしかない。
迷路のような狭い地下道を走り回り叫び声で合図する。情けないほどの作戦に命を賭ける囚人たち。だがそんな彼らの切ない必死の行動も恐ろしい怪物の前には何の意味もなく無残に次々と襲われ喰われてしまう。憐れな人間でしかないのだ。美しいヒロインは自殺し、彼女を守った勇敢な男たちも怪物には惨めに喰われてしまうのだ。こんなに恐ろしい物語があるんだろうか。
そして目的を達成することができなかったユタニ(湯谷?)社はため息をついて惑星を閉鎖する。

あの通路を走り回る場面が一体どうなってるのやら判らないのだがとにかく怖いではないか。しかも全然逃げ切れないのだよ。人間がここでは追いまわされる虫けらにしか過ぎない。何の命の重さもないんだ。簡単にぐちゃって潰されて体液が飛び散ってしまって終わりなんだよ。
こんなに侘しいアメリカ映画ってそれほどないのじゃないか。
その虚しさがたまらない後味の一作だ。それがいいのだよ。

監督:デビッド・フィンチャー  出演:シガニー・ウィーバー チャールズ・ダンス チャールズ・S・ダットン ランス・ヘンリクセン ポール・マクガン ポール・マッギャン ブライアン・グローヴァー
1992年アメリカ
ラベル:SF
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2010年04月08日

『夏の嵐 Sommersturm』Marco Kreuzpaintner

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なんかごにょごにょ探していたら珍しくこういうの見つけてしまった。私はあんまりネット探し物得意じゃないんで非常に稀な拾いモノだった。たまにはこういうこともあるものなのだねえ。

と妙に落ち着いて書いてしまったが実は見つけた後かなり焦りまくって観たんだけどね。取り繕ってみせた^^;

うむ。なんだかよかったなあ。他愛のないといえば他愛のない話だけど主人公トビ君を演じてるRobert Stadloberがちょっとハリソン・フォードみたいな顔でも少し年取ったらかなりいかつい顔になってしまいそうなんだけどまだ少年らしい華奢さが残ってる為に酷く愛らしい表情に見えたりしてときめいてしまったのだった。
タイトルの『Sommersturm』=Summer Storm:夏の嵐というのも少年期らしい胸騒ぎなタイトルでよいではないか。ボート部に属するトビは同じ部員のアキムに恋をしている。黒髪のエキゾチックでハンサムなアキムの顔をいつもじっと見つめてしまうのだ。
だが表向きには無論仲の良い親友としての関係を保っている。アキムはブロンドヘアのサンドラと相思相愛で彼とトビの関係は次第に彼女が入り込む割合が増えてきているのだ。そういうトビも実はサンドラの友人アンケと恋人同士ということになってしまっている。アンケはとても綺麗な女の子でトビにかなり積極的である。普通の男の子だったらたまらなく美味しい状況であるのだがトビはセクシーなアンケに何も感じることがない。彼女が夢中で迫ってくるほどトビはどうしていいのか判らなくなってくる。

トビのアキムへの思いが切なくて悲しいのだがそういうトビもアンケに中途半端な態度だったりトビを好きになる男の子レオにはちょっと冷たかったりしていかにも若い時らしい自分勝手さが表現されておりまする。
アンケちゃんは綺麗すぎセクシーすぎなんじゃあ。こんな可愛い女の子勿体ないですぜ。
トビを好きになるゲイの男の子レオくんもなかなか可愛いんだけどとにかくトビの片思いの相手アキムが凄いハンサムなんだよねー。

トビ達が属しているボートクラブは競技会での優勝を目指してキャンプ地で練習することになる。
クラブは男女混合でトビが思いを抱くアキムはサンドラといちゃつきっぱなし。トビは次第に離れていくアキムを見つめるしかない。
キャンプ地では彼らの傍に「ゲイのボートチーム」も合宿練習に訪れていた。トビは堂々とカミングアウトしている彼らを観察する。とはいえトビの気持ちはアキムから離れることはない。ゲイの若者たちの出現やアキムがどんどん自分から遠ざかっていく現実のなかで彼の心は揺れ動く。
そしてトビはとうとう片思いを隠しきれなくなりついアキムに軽くキスしてしまい逃げられる。茫然としているトビにゲイチームが近づいてきて慰めるように一日を過ごすことになった。中でもレオという少年はトビに好意を抱いている。
ハッと目が覚める。いつの間にか眠っていたのだ。背中は真夏の太陽で酷い日焼けをしてしまった。そんなトビにレオは優しく手当てをしてくれた。
トビくんてレオから気持ちのいいことをしてもらうのは好きなんだけど心から好きじゃないの^^;肉欲だけなんだなあ。結局アキムが好きなんだよね。
って言ってもそう簡単に心変わりするのもどうだかなんでこれはこれでいいんですよ。って若い時これ観たら「えーどうしてレオが可愛そう」とかぎゃーぎゃー言ったろうけど、みんなまだまだ子供だもんね。ひと夏の恋よ(煙草スパー)こんな美しい思い出を作っただけましってもんだよね。普通もっとしょぼいもんよ(侘しいこと言うなよ)
トビだって若干鼻でか過ぎ(ドイツ人だから(ほんとはオーストリア人みたいですが)こんなもんですか。自分らが低すぎですか)だけど背も高いしかっこいいもん。ソルジャーみたいな顔だ。
女の子にもこんなにモテてさ。先生にも気に入られてるし。レオみたいな可愛いゲイの子と体験できたし。アキムとだって親友だ。
でも恋人にだけはなれない。
そこが辛いんだよね。

夏の嵐は本当にキャンプ地を襲う。そんなに「劇的」ってほどでもないけどこの嵐で壊れたものが少しずつ修正されたりする。
ごちゃごちゃになって駄目になってしまいそうだったトビがまた元の彼に、いや少しは成長できたんだろうか。
そんな感じで夏の嵐が吹き去ったのだった。

監督:Marco Kreuzpaintner 出演:Robert Stadlober Kostja Ullmann Marlon Kittel Hanno Koffler
2004年ドイツ

こちらなど→ Sommersturm

↓で観るとロベルトは全然ごつくなくてキュートで細いです。可愛い。
Robert Stadlober/Hanno Koffler (Summer Storm) - David Lamble/ClaudesPlace.com
ラベル:同性愛 友情 青春
posted by フェイユイ at 23:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月07日

『天国と地獄』黒澤明

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黒澤映画って観るのはいいけど感想書くのは気が引けるなあ。嫌いなら色々書けるんだろうけど好きである以上書けることは「面白い」の一言に尽きてしまう。

がむしゃらに働いてきた男がここぞという人生の賭けの場面で全財産をつぎ込もうと決意した時我が子が誘拐されたと聞かされる。が、すぐに誘拐されたのは一緒に遊んでいた使用人の子供だったと判る。運命を賭けるべき金を他人の子供の為に払うのか。それとも幼い子供を見殺しにするか。
黒澤監督の映画は今風の一人ずつのカット割りじゃなくて舞台劇のように全体の人々の表情や動きを見せるので却って新鮮に見える。観る者は一か所ではなくあちこちに目を配らないといけないのでそれだけでもかなり大変だ。憤る権藤氏、うなだれる誘拐された子の父親、心配そうに見守る権藤夫人、成り行きに困る警官たち、そして権藤氏を裏切ろうかどうか考えている片腕の男。台詞の説明がなくても彼らの様子だけで心の動きが伝わるので一つの画面から発信される情報量が物凄く多い。退屈しないのはこういった観る者に注意を要求する緊迫した画面が多いからじゃないだろうか。ぼんやりしていられないのだ。
権藤氏はやや荒っぽいけど心根は正しい人だと言う信頼を得ている人物である。それは彼が何度も「誘拐犯に金は払わん」と言いながらどうしても躊躇してしまっている態度に現れているのだが、ついに彼が犯人に金を渡すことを決意してからは彼がほっとしているように見えること、そして使用人の子供である少年を見つけた時、その子供が犯人から逃れて走ってくる時、我が子を見つけたかのように名前を呼ぶことに現れている。

物語はこの少年が戻ってきたところで第一幕が下りたかのように転換する。
ここまでは権藤氏と見えない犯人の物語だったのが戸倉警部と正体を表した犯人に移っていく。内容もスピーディなサスペンスから渋い追走劇へと変わる。激しい音楽が重厚なものへと移っていくかのようだ。
大概は前半の派手な面白みに後半の地味さが負けてしまうのだがこの作品においては後半ますます惹きこまれていってしまう。
「ボースン」始め警官たちの描写が魅力的だ。黒澤映画では「正義」というものが率直に表現されるが、ここでも戸倉警部の「権藤氏の金を必ず取り戻すのだ」という意気込みが胸を打つ。

とはいえ、この作品が単なる勧善懲悪だけではないというのは犯人を山崎努が演じていることにも表れている。彼がどんな環境でどんな思いをしてこういう犯罪を犯したかは細かく描かれてはいないのだが醜い存在として登場しているのではないことが青年にも共感を持たせているのだろう。
それにしてもここで描写されるドヤ街の凄まじさには驚いた。こういう時代があったのだ。『野良犬』で見せられた街の様子も興味深かったが本作のドヤ街のおぞましさは日本の映画であまり登場しないのではないんだろうか。

そしてラスト。一体犯人は権藤氏に何を言いたかったのか。権藤氏は彼から何を受け取ってしまったのか。
権藤氏は結局あの金を犯人に渡したことでそれまでの地位を失ってしまったが再び新しい道を歩き始めている。
叩きつけるような犯人の独白は中断され物語は激しく唐突に終わる。
映画館で観たならば、いやあ凄かったねえ、とふらふらになりながら家路につくのであろうか。

監督:黒澤明 出演:三船敏郎 香川京子 江木俊夫 仲代達矢 木村功 加藤武 三橋達也 江木俊夫 佐田豊 島津雅彦 山崎努
1963年 / 日本
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2010年04月05日

『U・ボート ディレクターズ・カット』ウォルフガング・ペーターゼン

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DAS BOOT

こんな面白い映画観たことないぞ!っていうくらい面白かった。
って、この台詞結構多用してて価値薄くなってるかもしれないけどホントにめちゃ面白かった。

戦争映画で「面白かった」っていうのは何故か後ろめたいというのか、本来ならもっと真摯な態度で拝観しなければならないような、そして真面目に論じなければならないような抑圧があったりするものだが、とにかくこの映画で感じるのは「面白い」という感覚であって無論そこに戦争だからこそあり得る緊張感を前提にしているからこその面白さなんだろう。
だからと言って自分がこの艦に乗り込みたいかと問われればそれはもう絶対拒否する恐ろしさなのである。映画で疑似体験するだけに留めたい。もしいい気になって乗り込んだりしたら中でヴェルナーが言った「自分を極限状態に置いてみたかった。母親も誰も頼る人もいない現実を体験したかった。それが今だ」と言うことになってしまいそうだ。

潜水艦という状態で閉じられた狭い鉄の筒の中に男たちがぎゅうぎゅう詰めになって飯を食っては排泄しベッドは交代という毎日を繰り返していく。こんなに食事場面が多い戦争映画もあんまりないような気がする。とにかくすることが他にない。唯一の楽しみはレコードをかけることくらい。その中で特に艦長がかけさせた「ティペラリーソング」はなにせ敵国であるイギリスの歌というのがとても愉快でこの歌が流れる二つの箇所を好きな場面に選ぶ人も多いようだ。
潜水艦の戦争と言うのは敵が見えない。どこに相手がいるんだかもよくはわからない。映像としてはつまり敵を映さなくてもすむ。描かれるのは艦内にうごめいている男たちだけに絞り込まれるので必然締まった物語になりやすいのかもしれない。本作は特に映像をあちこちに移さず艦長達の目線に集約しているのが効果的だ。
狭い艦内を行ったり来たりする兵士たち。なんとか通れるだけの幅しかないその通路ではあちこち食事をしたりしてるのを乗り越えて走り回る。
艦長がかっこよくてたまらない。ユルゲン・プロフノウ。自分が観てた映画にも多々出演してるのに意識してなかった。悔しい。
男らしさが溢れる彼だが、嵐の中で水面に浮上して進む潜水艦の上で叫びながら突進していく様はややおかしくもあっていやそこが素敵だった。彼の信頼を得ていたのに恐怖で突然切れてしまい艦長を失望させ再び活躍してお褒めの言葉をもらう「幽霊のヨハン」も忘れ難い。一体なんなんだろう、このキャラクターって。でも確かに潜水艦の中にはこういう乗組員が一人はいそうだ。そのくらい劣悪な環境なのだ。
そう、もう敵はイギリスだけじゃない。この恐ろしい環境がすでに敵で彼らをじわじわと圧迫してくる。
敵から逃れるため艦長の命令で潜水艦は深く沈み込んでいく。あちこちでうめき声のように艦がきしみだす。ぞっとする音だ。ぎぎぎぎ、という音を聞きながら若い兵士たちはいや何度も体験してきたはずの者ですら死の恐怖を感じる。さらに艦長が艦を潜航させるとボルトが飛び、水が物凄い勢いで入り込んでくる。この恐怖を彼らは何度も何度も味わわなくてはならない。
そして艦長でさえその成功を確信することはできなかった、難攻不落のジブラルタル海峡を渡れという軍部からの命令。艦長は果敢に挑んだが艦は攻撃を受け浮上することができず、280メートルという深さに落ち込んだ。様々な機器が破壊されどうすることもできない。

しかしここからが凄まじく、ドイツ魂というのか根性というのかいや他の誰でもこの危機にならここまで頑張れるのか、判らないがそれでも何とかして機械を修理してしまうのはさすがドイツ人、と言っていいんだろうか。不屈の魂、辛抱強く最後まで諦めない粘りにあっぱれと言いたい(って何故こんな古臭い言い方になるんだろ)めげずに頑張った幽霊ヨハンも偉い。
もう観てるだけでへとへとになりそうで、映画とは言えこの作業にずっとかかりきっていた彼らはさぞへたばったことだろう。

しかし緊迫して場面でも食べ物があちこち登場。緊急事態なのにぶら下げられたバナナが揺れているのが笑える。ソーセージを咥えながら走る兵士がいたり。
結構笑える場面が配置され、その為より緊迫した状態を感じさせられる。そして最後は、喜びに沸いた彼らもあっという間の攻撃にさらされる。そうした皮肉な結末がこの映画作品の最後として優れていた、と私は思う。

監督:ウォルフガング・ペーターゼン  出演:ユルゲン・プロホノフ ヘルベルト・グレーネマイヤー クラウス・ベンネマン ヘルベルト・グリューネマイヤー ベルント・タウバー マルチン・ゼメルロッゲ
1997年 / ドイツ
ラベル:戦争 
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2010年04月03日

『ランニング・フリー 〜アフリカの風になる〜』セルゲイ・ボドロフ

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RUNNING FREE

ボドロフ監督の作品はなにかちょっと風変わりなものが多いのだけど自分には凄く共鳴できるものばかりでこの作品などもぐっさり的を射られた感じなのであった。
ボドロフ監督という人は異国にたまらないファンタジーだとか郷愁だとかを感じて観る者にもそれを感じさせるのであるがこの作品などはまさにそれでロシア人なのにも関わらず遠いアフリカの平原を駆けていく馬の群れに憧憬を持ったのではないだろうか。
仔馬がナレーションを担当する、という面白い設定で無論物語も仔馬の目線で進んでいく。人間はあくまで脇役なのである。遠い昔シートン動物記だとか『野生の呼び声』だとかを夢中になって繰り返し読んだ人間には懐かしい思いをさせてくれた。特にアメリカ文学(だったと思うが)野生馬を捕まえて乗りこなす少年の物語が大好きだったのだがタイトルが思い出せない。

アフリカへ労働馬として輸送されていく馬達の中で一頭の白い馬が仔馬を産み落とす。それが本作の主人公ラッキーだ。
アフリカ着くなり馬たちは泳いで岸へ上がらねばならず、ここでラッキーと母馬ははぐれてしまう。まだ乳が必要なラッキーと母馬は互いを必死で探すが二頭は別々の場所へ運ばれてしまった。しかも赤ん坊のラッキーは他の馬達に脅かされ水も飲めず弱ってしまう。そんなラッキーを見つけ連れ出してくれたのがある屋敷の馬番として働いている少年リチャードだった。
リチャードは白人の少年ではあるが両親もなく孤独な身の上だ。衰弱しきったラッキーだったがリチャードの優しい手のぬくもりと看護で元気を取り戻す。

ボドロフ監督作品は共通点があって主人公が孤独で過酷な運命に遭遇すること、その中でたった一人強い絆の友がいること、母親が主人公に強い愛情を持っていること(いろいろな形ではあれ)そして自由を求めて手に入れること、である。主人公が女性になっても同じなのだ。
加えれば動物が好きということで、本作はその動物が主人公になっている。
以前『白い馬』を観た時、一体馬にどうやって演技をさせたのかその映像に驚いたが、本作はさらに主人公となって行動し、感情表現をして何の違和感もない、どころか共感を持ってしまうのだ。
砂漠で馬が生きていけるわけがない、と思ってたらそこに住む黒人の少女に水の見つけ方を教わり様々な困難も乗り越え立派な強い馬と成長していく。
戦争によって大好きな少年リチャードと別れを余儀なくされてしまうが長い時間を経ての再会には涙があふれて仕方なかった。身寄りもなく小さな存在の彼も飛行機を操縦する大人へと成長し母を求めて泣いたラッキーは馬たちのリーダーとなってアフリカの大地を自由に駆けまわっていたのだ。

こういう話が本当にあったんだろうか。
まるで夢の中だけでしかあり得ないような美しい物語だった。

監督:セルゲイ・ボドロフ 制作:ジャン・ジャック・アノー 出演:チェイス・ムーア アリ・ヴァーヴィーン ヤン・デクレール グラハム クラーク マリア・ギールボア
1999年アメリカ

動物ものというのは悲しい話が多かったりするのが嫌なのだが映画では仔馬のナレーションを人間の青年の声が吹き替え(っていうのもおかしいが)ていたので少なくとも仔馬の時には死なないようだな、とひとまず安心して観ることができた。
ラベル:友情 動物
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2010年04月01日

『レッド・ウォリアー』セルゲイ・ボドロフ/イヴァン・パッセル

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NOMAD

やはりセルゲイ・ボドロフ監督ってなんか掴みどころのない不思議な作品を作る。
『モンゴル』で知った時、チンギス・ハンを日本人の浅野忠信に演じさせるなんて(アメリカンネイティブの血も入っているという)変わったロシア人監督だと思ったが、もっと前の作品ではカザフスタンの英雄をメキシコ人にさせてたのね。ならまだしも同じアジア人の浅野氏のほうがいいのかもね。とはいえ私はあんまりそういうとこは気にならないほうではあるかもしれない。それに主人公のクノ・ベッカーがなかなか魅力的であったしね。
物語の本筋はいかにも英雄譚の典型で親を亡くし(本作では母親だけだが父とは別れて成長する)賢明な師匠に教えを受け厚い友情とひたむきな恋、という設定である。
『ベアーズキス』も多分彼好みのメルヘンなのであろうが本作もまた異国の監督がモンゴルからカザフスタンにかけての広大な草原でのファンタジーに思いを寄せたということなのではないだろうか。ロシアはここではまったく登場しないが僅かに「ロシアと手を組んでは・・」という台詞で関係させたのかな。
使われる言葉が英語であるのだけはさすがに興ざめで敵が来た時に「ニュースです」と言われると萎えてしまいそうだ。メッセンジャーとかアイラブユーとかパハップスとか言わないで欲しい、と言ってもしょうがないか。
馬の使い方は物凄い迫力があったと思う。以前角川映画でチンギス・ハンをやった時は大草原と馬の映し方があまりにもちゃちでさすがに日本人は騎馬民族じゃないなと(当たり前だ。でもクロサワは馬も上手かった(しゃれではないが))がっくりしたものだが、本作は久しぶりにわくわくする思いで観れた。
だが面白かったのはラストの大決戦ではなくマンスールがジュンガルのハーンの前で矢を射られながら馬で走る場面ではなかったろうか。親友エラリとの対決とその後のエラリの言葉「最初の一撃でお前だとわかった」は胸に迫った。

またこの映画で一番印象的だったのは主人公より師匠オラズだった気もする。ちょっと若すぎた気もするがこれもかっこよかったのでまあいいとしよう(偉そうだ)演じたジェイソン・スコット・リーは中国系アメリカ人なのだ。なんという多国籍なカザフスタンだろうか。すべてのことを観通しているといった風情のこの師匠は何もかも計算したうえで少年たちを集めたのだろう、エラリは気の毒だった。きっと気づいていたんだろうね。

すべてセルゲイ・ボドロフ監督の壮大な夢を映し撮った作品なのである。

監督:セルゲイ・ボドロフ/イヴァン・パッセル  出演:クノ・ベッカー ジェイ・ヘルナンデス ジェイソン・スコット・リー マーク・ダカスコス
フランス/カザフスタン2005年
ラベル:歴史
posted by フェイユイ at 23:01| Comment(0) | TrackBack(0) | ロシア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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