映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2010年04月12日

『かつて、ノルマンディーで』ニコラ・フィリベール

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RETOUR EN NORMANDIE

昨日観た『日本のいちばん長い日』が事実なのかフィクションなのかよく判らなくなってくる事実だったフィクションなのに対して本作『かつて、ノルマンディーで』は事実なのかフィクションなのか判らなくなってくるフィクションも含む事実、というところなのだろうか。
自分にとっては本作監督ニコラ・フィリベールもまだ観賞2作目のよく知らない人である上、中で語られる彼の師であるルネ・アリオ監督なる人物の名前すら知らないしもしかしてこれって全部フィクション?とまで思いながら観てしまったのだ。まあここまでドキュメンタリーめいた創作をする必要があるものなのかよく判らないがそういう試みなのかな、と半分考えながら観ていったのであった。とにかく何も調べず観るものだからこういう事態がまま起きる。

実際は確かに実際行われた撮影の同窓会的ドキュメンタリーであったようだ。
30年前にフィリベール氏が助監督として参加したルネ・アリオ監督『私 ピエール・リヴィエールは母と妹と弟を殺害した』という映画作品は一部の脇役を除き主要配役を実際の地元農民に演じさせた、というものであった。作品自体が農村部が舞台で主要人物も農民なのである。脇役というのはそこに属さない医師や弁護士という役柄に職業俳優を当てたのだという。
彼らは皆その時限りの俳優でその後は全員俳優ではない職業に従事している。人生の中でたった一度限りの俳優を体験したことを30年を経た今彼らがどんな人物になりどんな感想を持っているのかを当時助監督であったフィリベールが丹念に追っていく。彼が当時普通の村民だった人々に役を与えていったのだ。
しかしその内容はすぐ近くの村である若者が実の母と妹弟を殺害した、という恐ろしい代物なのだ。普通の人々だった彼らは突然殺人事件の当事者及びその関係者という演技を映画撮影されることになったのだ。
素人とはいえ役柄になりきり深く考えたという彼ら。そして周囲の人々の視線を受けることになる。
平凡に生きて来た人々にとってそれがどういう意味を持ったのか、とても興味深い作品だった。

しかしこの作品もまた一番目に観た『パリ・ルーヴル美術館の秘密』と同じく余計な説明をせず淡々と映像が続いていく形式で観る者に感動を押し付けないというのか(と言ってもラストの主人公の登場は演出であったかもしれないが、それにしても華々しくはない)クールなのである。ところがこの映画を作った本当の理由というのがフィリベール監督の父親が実は当の映画に出演していたにも拘らずその場面をカットされてしまった、ということにあったのだ。
そのフィルムは保管されていて今ここで息子ニコラ・フィリベールの映画の中で30年ぶりに公開される運びとなった、という顛末になるのである。
なんという!実に私情を挟まないクールな演出、と思っていたフィリベール監督のドキュメンタリーが思い切り私情のみで作られた作品だったのである。やるなあ。
気が引けたのか、音だけなかったのか?何故か音声なしの映像であったが父親の映画出演がここにかなったのである。
もう一人出演していたのにカットされたという出演者の今の映像もしっかり入っていたわけでフィリベール監督が素人ばかりの主要配役映画の同窓会ドキュメンタリーとして文句はないであろう。
実に楽しくて考えさせられる映画だった。

それにしてもこの元となる『私 ピエール・リヴィエールは母と妹と弟を殺害した』日本未公開らしいのだが、その内容に惹かれる。
『カポーティ』の映画で昔の作品のDVDが出てきたようにこれも便乗して、というほどこの作品自体が話題じゃないか。是非観てみたいのだが。
主役を演じた青年もやはり素人で参加したのだという。非常に内気で繊細な印象の若者で農家のじめじめした自分の部屋に引きこもって文章ばかり書いているイメージ通りの青年なのであった。
しかも当時なかなかの美青年で彼だけは監督にも認められ俳優になる為にパリへ行き他の演技にも挑戦したのだ。だが結局芸能界に馴染めずカナダへ移住した後、なんと神父になっていたのだ。
映画の中でのこととはいえ殺人者を演じた若者が宗教家になるなんて出来過ぎである。彼もまた殺人者になった青年になりきってその心を深く考えたのだった。
30年前に一度だけ他の人間になった経験を持つ普通の人々。
その時の思い出を楽しそうに語り合う彼らを観てると本当に羨ましいようなでも怖いような気持ちになってしまった。彼らの中に一人でも勘違いして変な方向に行ってしまった人がでなかったのも(まあそれはそれでいいけど)幸いだったんだろう。殺された母親の愛人役をやった男性の娘さんが「何故パパは愛人役なのよ」と言ってパパを苛めるのがおかしかった。パパも満更じゃなさそうだったけど。
フランス人だからこそのこの内容が受け入れられるのか。
殺人事件の主要配役、素人が地獄を覗き込むのは怖い気もするのだけどねえ。
でも興味は、湧いてくるねえ。

監督:ニコラ・フィリベール
2007年フランス


posted by フェイユイ at 23:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『日本のいちばん長い日』岡本喜八

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自分も含めて戦後生まれで戦争を体験していない日本人はこの映画の原作がノンフィクションであるのは信じ難いのではないんだろうか。且つ脚本が橋本忍であると知ればそうそう嘘ではないのかと次第に恐ろしくもなってくる。岡本喜八監督の個性的な脚色があると考えてもあの終戦を告げる玉音放送の前日がこんな凄まじい一日だったとは。だが製作者たちも俳優陣も戦争そして終戦を体験してきた人々が多いはずのこの映画なのである。もし同じ話を戦争未体験の若い世代が作り直したらここまでの狂気は過剰だとしてもっと大人しい演出に変わってしまうに違いない。当時を過ごした方には申し訳ないがそれほどの異常さ、滑稽さを感じてしまうのだ。またそういう精神状態でなければ戦争の中に入っていることができなかったのだと思うとやはり悲しく恐ろしいものだと感じさせられる。岡本喜八監督作品は反戦を願うあまり酷く狂気じみたおかしく思えるのだが本作もまた非常にシリアスながらそれが逆により滑稽じみてくるという凄まじいコメディなのかもしれない。そういうことを書くこともやや怖いのだけど。

戦争を終わらせる、という今の目からみればほっとするだろうと思える事柄がこんな大変なことだとは。
「最後の最後まで戦い抜く」と教えられそれが骨の髄まで沁み込んでいる人間に突然「止めろ」と言って止められるものではないのかもしれない。敵との戦いで死なずに生き延びた人間が味方の手によって殺されてしまう。それほど人間の脳に植えつけられた呪縛は簡単に解けないのだ。
直接戦いに赴く軍人であるほどまた年寄りよりも若い実戦者たちほどその呪縛は強いのだ。今の人間から見れば彼らも生きた時代さえ違えばごく普通の若者であり得たかもしれなのに戦時教育の呪縛は彼らを捕えて放さなかった。
作品は戦争によって膨大な数の人々が虚しく死んでしまったことを憂い二度とこういう悲劇が起きないことを願って終わる。自国だけでなく世界中に平和をと願いたい。

しかしまた、こうした狂気は戦争時には特に強烈に起きるが平時でも異常な状態で生まれてしまうことがままある。
精神を捻じ曲げられながら、それと判らない。どちらにしてもそういうことが起きて欲しくないものだ。自分の身にも。他の人にも。
とはいえ、それが完全に無くなることは難しいのだ、どうしても。

監督:岡本喜八 出演:三船敏郎 山村聰 志村喬 笠智衆 伊藤雄之助 佐藤允 戸浦六宏 井川比佐志 久保明 小林桂樹 宮口精二 加山雄三 島田正吾
1967年日本
ラベル:戦争 サイコ
posted by フェイユイ at 00:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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