映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2010年04月21日

『青春残酷物語』大島渚

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この映画が作られた時はまだ自分も生まれてなかったし自分が青春時代に入った時には日本のこの頃の青春ものなどは(時代ものならいいが)なんだか御免こうむりたいものであった。何か卑屈な歪んだものを見せられる気がして遠ざけていたのだ。戦後の昭和、経済の高度成長の中で満たされない若者たちが気恥かしい欲望をさらけ出して先進国と呼ばれる世界を真似している、という映像を観たくなかった。
なのでこの映画を観るのは初めてだったのだが、無論作者が大島渚監督ということもあり怖れていたような反感だとかはなく確かに残酷な青春時代を観ることができた。

最後まで観ようと言う気になったのは韓国で暴動がおきたというニュースが入ったところからで、この映画には時代が写し撮られているのではないかと感じた時からだった。
学生だが何をするでもない清と真琴は「美人局」をして中年男たちから金を巻き上げていく。
私が「美人局」という言葉を知ったのは五木寛之の小説だった。これもまた若者たちが仲間の女の子を使って中年男から金を巻き上げると言う話だった。当時私は五木氏の小説からマリファナやら暴走族やらの話を読んで感心したものだった。五木氏の「美人局」はその金でラジオ局を開くという夢のあるものだったがこの映画の二人には何の目的もない。
偶然出会った清と真琴は生活能力もなくただ体を合わせ妊娠し堕胎をし美人局で逮捕される、というだけの青春なのである。そして思うようにならない世間に苛立つ。
真面目に正常な生活を送っている者から見れば彼らはただの我儘者にすぎず金を払ってくれる大人たちに甘えているだけなのだ。
映画では二人は愛し合っていたはずなのにどうすることともできなくなる。「何をする?」「何をしようか」「どこへ行く?」「どこへ行こうか」そして二人は別々に死んでしまうのだ。
普通の他の人間ならこうした苦い経験の後に反抗や自由や甘えることを諦め、少しずつ大人になっていき何も判っていなかった若い日々を思い出すのだ。死んでしまうというのはそうした我儘な自分たちの青春なのかもしれない。

監督:大島渚 出演:桑野みゆき 川津祐介 
1960年日本


ラベル:青春
posted by フェイユイ at 23:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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