映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2010年05月02日

『ホロコースト-アドルフ・ヒトラーの洗礼-』コスタ・ガブラス

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AMEN. 

なんという大人の映画なんだろうか。先日観た『ミッシング』もその手法の巧さと共に訴えてくる情愛に打たれたが、本作にもまた優れた技法と感情が込められている。
ナチスの非道とユダヤ人の悲劇を描いた映画は数多いがややもすればその描き方に好奇心が現れている場合もある。それはスティーブン・キングが『ゴールデンボーイ』で表現したような恐ろしい情景を観たいという欲望にもなる。本作はその類の趣味嗜好を持つ者をがっかりさせてしまうだろう。なにしろここにはそうしたナチの残虐行為、憐れにやせ衰えた人々が苦しみのたうつ姿や様子がまったく描かれないのだから。
そして機関車はその扉を閉めて走り、帰りは開け放して走る。閉められた扉の中に誰がいるのかは判るはずだ。そして彼らがどこへ運ばれ、どういう運命が待っているのかも。
こうした表現の上で彼らの為に何かをしようと行動をとった二人の男。一人はナチス親衛隊の中尉。もう一人はカソリックの若き神父。二人ともユダヤ人は敵対する存在でありながら同じ人間としてユダヤ人の不幸を見過ごせず権力と戦おうとする。
SSであるゲルトシュタインはヒトラーとナチスが非アーリア人や障害者を収容してはガス室に送り込み殺戮しているのに気付き、この行為を世界に知らせようと奔走する。あえて親衛隊に残り自国の残虐行為を証言しようと考えたのだ。
カソリックの総本山ローマ教皇の側近の父を持ち自らも信頼を受けている若い神父リカルドはゲルトシュタインが親衛隊でありながらユダヤ人を救おうとしている姿に触発されまた自分が傍観者であったことに罪の意識を抱いて我が身にユダヤ人の印をつけ輸送機関車に乗り込むのである。
彼らの必死の抗議がすぐ理解されることは叶わなかった。ゲルトシュタインが家族と別れ命がけで書いた報告書は20年後に認められたという。
自分たちが属するものを裏切ることになっても、目の前にいる人々が殺されていくのを見過ごせなかった二人。その結末がどちらの人生においても無情なものだったことが悲しい。ただこのような人たちの行動が時を経て認められたこと、こういう素晴らしい映画として観ることができ多くの人に感動を与えたことが彼らの魂を少しでも癒せたらと思うのだが。

ゲルトシュタインの友人を装って狡猾に生きのび南米へ逃れる将校こそが昨日観たメンゲレ医師であったのか。

監督:コスタ・ガブラス 出演:マチュー・カソヴィッツ ウルリッヒ・トゥクール マーセル・ユーレス ウルリッヒ・ミューエ ミシェル・デュショーソワ ハンス・ジシュラー
2002年 / フランス/ドイツ/ルーマニア/アメリカ



ラベル:信仰 愛情 歴史 戦争
posted by フェイユイ at 22:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『MY FATHER マイ・ファーザー 死の天使 アウシュヴィッツ収容所 人体実験医師』エジディオ・エローニコ

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My Father, Rua Alguem 5555

ほぼ戦争映画ブログと化しつつあるがどうしても気になるので止められない。
で今夜はこれだが本作の場合は映画そのものというより主役のトーマス・クレッチマンを観たいからであった。映画の内容は邦題が示すようにナチス親衛隊将校であり、医師として恐ろしい人体実験を次々と行いアウシュビッツ収容所で死の天使と呼ばれたヨーゼフ・メンゲレの罪を追っていくものではあるが、主軸はその息子ヘルマンの父親に対する懊悩を描くことにある。
クレッチマンが演じるヘルマンは終始父の犯した罪とそれに与えるべき罰を自らが行うか司法へ送り込むかそれとも息子として見逃すべきなのか、を迷い続ける。彼の友人であるロベルトや父親からも「お前は何を考えているのかさっぱり判らない」と言われ続けるのだがヘルマンは最後まで自分の考えを割り切ってしまうことはできないのだ。
残虐非道な人体実験を行ったメンゲレをチャールトン・ヘストンが威厳のある演技で見せ、苦悩し続ける息子ヘルマンをトーマス・クレッチマンがその素晴らしい肉体にそぐわないほど気弱にさえ見える繊細さで演じている。クレッチマンは180センチを超える大柄であるのに父親のヘストンや友人が彼より遥かに大きい為華奢にさえ見えてしまう。また他では多く彼自身がナチス将校を演じて軍服をまとっていたがここではまっさらのTシャツ姿なのであるがそれが却って彼を美しく見せていて他にないほど魅力的だ。思いつめるあまり熱を出し友人のベッドに寝込んでしまう様などなんて愛らしい姿なんだろう。愛しく思えてしまうではないか。
が、気になる、というか若干恐ろしい気がするのは父親の思想と行為を憎み、差別的な言葉を口にする友人ロベルトをたしなめているヘルマンだが結婚相手に選んだ女性がドイツ北部生まれの金髪碧眼であるというまさに父親が選別したかのような容姿であること、ブラジルの黒い肌で黒髪の女性から誘惑されそのつもりになろうとしても接触することすらできず嘔吐してしまうなどヘルマンの奥深い無意識では父親の思想もしくは選別が働いているのではないかと感じられる表現である。これがメンゲレの息子である人の描写であったのか、映画製作者の演出だったのか。
ナチス将校の父と現代に生きる息子。観ている途中ではあまりにも通例どおりの表現なのではないかという気がしていたがこうして思うとなかなか深く考えさせられるのではないか。後々思い出していくのかもしれない。

最初の目的だったトーマス・クレッチマンを観るという意味では文句なしにじっくり観れる。彼はナチス将校を演じるには表情が優しすぎるのだがこの揺れ動く苦悩の青年役はぴったりであった。

監督:エジディオ・エローニコ 出演:トーマス・クレッチマン チャールトン・ヘストン F・マーレイ・エイブラハム トーマス・ハインツ ドニーズ・ワインベルク
2003年イタリア/ブラジル/ハンガリー
posted by フェイユイ at 00:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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