映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2010年05月16日

『ピアノ・レッスン』ジェーン・カンピオン

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The Piano

波打ち際に置かれたピアノ、という幻想的な映像の美しさと音楽も心に残るが、設定と脚本の見事さに心騒ぐ。
理詰めでこうも攻めてこられるとわくわくしてくるではないか。

まず女主人公エイダは言葉を話せるのに6歳で話すことを止めた、という。19世紀スコットランドの裕福な家に生まれた女性には当時自分を表現することができなかった。
エイダはその時代に反逆する女性の戯画である。声を出す、というのはそのまま自分を表現することだ。声を出さないと言うエイダは自分を表現することを拒絶しているのだ。そしてピアノを弾くことだけが自己表現になっていく。ピアノの音は言葉ではないのでそれの意味を聞きとるのは難しいだろうが嫁ぎ先の義母は彼女の音を耳障りなものと受け止めた。彼女には判ったのである。そしてエイダは夫にはピアノを聞かせない。また彼女に恋するベインズは彼女のピアノを聞きピアノを媒体にしてエイダとの関係を結んでいく。ピアノの音が彼女の声なのだからベインズの感覚は間違ってなかったのだ。

彼女は父が選んだ縁談を受けてニュージーランドに住む夫の元へ行く。
彼女にはすでに10歳ほどの娘がいる。その経緯を娘であるフローラがある女性に語る場面がある。
「父は音楽家で母とは言葉がなくても通じ合うことができた。父は事故で死に母はそれから話さなくなった」すでにエイダが言う6歳の時から話すのを止めた、という説明と異なっているのだが、他の部分も本当とは思えない。エイダが寝物語に娘に話す場面があるのでこれは彼女の作り話にすぎないのではないか。こうであって欲しかった、という願いなのではないのだろうか。
声を出す、というのはそのまま自分を表現することだ。声を出さないと言うエイダは自分を表現することを拒絶しているのだ。

娘フローラはもう一人のエイダのような役割を担っている。彼女は話さないエイダの代わりに他人と会話をする。反逆児であるエイダと対照的にフローラは彼女の道徳的一般的な感覚の役割でその為エイダが浮気をする場面では追い出され彼女の夫に対する裏切りを知らせにいくことになってしまう。例えエイダにとって情愛が必要だったとしても彼女の道徳は自分自身に罰を与えたのだ。ピアニストにとって最も大切な指を失うという罰を。

エイダが長旅を経て到着した時、二人の男は違った言葉を言う。
夫であるステュワートは「思ったより小さい。発育不良だ」
もう一人の男ベインズは「疲れているんだ」
ここはあまりも判りやすい対比でおかしいくらいだけど訪ねて来た自分を見て容姿を批判する男と体調を心配してくれる男とどちらを好きになるだろうか。
ステュワートはまるきり当時のヨーロッパ貴族男性の戯画そのもので対面だけを案じ嫁いできたエイダが自分を愛するのは当然だが、忍耐強く待つ紳士的優しさは自分にある、と一人思い込んでいる。
ベインズはまるで現地の野性的な男たちの気風が入り込んでしまったかのような野蛮な人格でありエイダに素直に女性を感じ性愛を求める。
彼女の女性を求めたベインズを愛したエイダに世の中の男性は驚きを持つのだろうか。
ベインズがエイダを女性として愛したことでやっと夫はエイダに女性的な魅力があることに気づく。
それでもステュワートは自己を失うほど愛するということができない。エイダに拒否されれば紳士的に自分を押さえる。だがエイダの浮気には逆上し暴力をふるう。そしてまた感情を押さえてベインズとエイダが結ばれることを許すのだ。
エイダが女性として目覚めた時、ステュワートが彼女の愛を素直に受け入れていたらもしかしたら夫婦としてやり直せたかもしれない。が、彼はどうしてもすべてを捨て去るような愛し方ができなかった。それを求めながらもできなかったのである。

エイダは自分の声であるピアノの鍵盤に愛の言葉を書いてベインズに渡そうとする。
ステュワートから許された二人はピアノを乗せて船で別の場所に移るが海の上でエイダはそのピアノを海に捨てるよう頼む。一旦はピアノと共に海に沈もうとしたエイダだが彼女は自分の力で浮き上がり生き延びる。
かつての女性であればピアノと共に死んで終わりだったのだろう。
エイダは古いピアノを海底に沈め夢の中で声を失った彼女はピアノの傍で死の眠りについている。
だが新しく生まれ変わったエイダは新しい指(義指)をつけて新しいピアノを弾き、そして言葉を話そうとしているのだ。彼女が自分を表現するには愛する男の深い愛(それは肉体と精神の両方)が必要だったのだ。

映画の中で『青髭』が上演される。
夫の言いつけを守らず秘密の部屋の鍵を開けた妻達が次々と殺され、その首が飾られている。
これもエイダの状況そのもので非常に判りやすい。これを観劇していたマオリ族の男性が「とんでもない奴だ!」と叫んで舞台上に駆けつけるのがおかしいのだが、なんて素敵な男なのかと惚れてしまう。
実際の上演中こんな男性ばかりいたら困るだろうが女性が乱暴されているのを見て後先考えずやっつけにいく男性に女性は惹かれてしまうのではないかな。
ここで夫と観劇するエイダの横にベインズが座ろうとするとエイダが止めさせる。ベインズを見るエイダの目が今迄の無性なものではなく女性的なエロチシズムに変わっている。ベインズをからかっているのだ。エイダの中で女性が溢れ出して彼女は変化していく過程の演技がすばらしい。

監督:ジェーン・カンピオン 出演:ホリー・ハンター ハーヴェイ・カイテル サム・ニール アンナ・パキン
1993年ニュージーランド/オーストラリア/フランス


posted by フェイユイ at 01:08| Comment(4) | TrackBack(0) | オセアニア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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