映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2010年05月25日

『NHKスペシャル チベット死者の書 第1回 ドキュメンタリー 仏典に秘めた輪廻転生(りんねてんしょう)』

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小学生の頃はどうしたものか夜布団に入ると様々なことで長い時間悩み苦しんだ。その殆どは「世界の終わりが来たらどうしよう」などという壮大深遠なものでいくら考えても答えが出るはずもなく毎晩繰り返し思考したものだ。そのまま成長すれば哲学者か宗教家になれたかもしれないが思春期も過ぎ大人になる頃にはトンと考えなくなり今ではそんなことで思い悩む夜など一夜もない。布団に入った途端眠りこける日々である。一番の悩みはかつかつの金でどう生活していくかという目の前の日常であり疲れきって眠るだけだ。

そんな自分ではあるがさすがにこの年まで生きているとなんらかの知識はぼんやりと蓄えられている。いつの間にか死についても自分なりの解釈がおぼろげに浮かんではいる。

今日この映像を観ているとおおよそ自分が思っていたものの再確認のような感じであった。無論それは今迄見聞きしたものの総まとめなのであり、自分はやはり仏教的な考え方の方が落ち着くのだなと思ってしまう。チベット仏教はまた独特なものであるらしいが「49日」なんていう死後の大切な数字は日本も同じである。死後49日の法要を終えるとほっとするのだ。
輪廻転生という考え方もごく自然に思える。というか死んでしまうとそれで終わりで何もかもなくなる。魂もない。という考え方はどうしても理解できない。何度考えても死んですべてがなくなるのならこの「思い」はどうなるのか。記憶がなくなるのは理解できるとしてもすべてが無になるというのは想像できない。ただ天国に溜まっていくのではなく新しく生まれ変わる。ここでダライ・ラマが言われるように「古い服を脱ぎ新しい服を着る」という考えのほうがしっくりくる。という感覚的なことしか言えないのだが。

ただそういう風に思っていながらもダライ・ラマというチベットの最高僧侶が代々生まれ変わりであり、前ダライ・ラマが亡くなった後、次代のダライ・ラマを探す、という話を以前聞いた時はさすがに驚いた。本作では他にも人々の為に活動していた徳の高い僧侶の生まれ変わりという少年が登場してくる。不思議としか言いようがない。そういう責任をおって勉強し成長していかねばならない少年というものは大変なストレスだと思ってしまうのだが、信じ切っていれば違うものなのだろうか。

映像がアメリカに移って、エイズで死期を迎えようとしている40代の男性に彼の精神的なケアをしてくれる団体の男性が英訳された『チベット死者の書』を読んで聞かせる場面がある。死期を迎えた男性がそのことによってどのくらい安定したのかは判らないが今迄死について他人と話し合ったことはなかった。これを聞いて死を受け入れるのもいいと思った、などと言うのには少し驚いた。そういうものなのか、しかしそれで彼が癒されたのならよかったが。というかむしろ本を読む男性がエイズの男性の手を握って傍にいてくれていることが何より心の支えのように思えたのだが。

最後に老人と彼の玄孫に当たる赤ん坊が並んで映しだされる。赤ちゃんというのはなんというエネルギーを持っているんだろう。どこかで誰かが息を引き取り、こうして若々しい息吹として生まれてくる。
老人は遠からず命を終えるだろうけど、今抱き上げたような命をまた授かると信じているのだろう。

これを観てると真っ先に『ツインピークス』思い出してしまった。光に包まれるー。

1993年9月23日放送 NHKスペシャル


ラベル: 宗教
posted by フェイユイ at 22:44| Comment(1) | TrackBack(0) | 北・中央アジア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『落ちた偶像』キャロル・リード

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THE FALLEN IDOL

グレアム・グリーンの素晴らしい脚本をキャロル・リード監督が見事に演出した秀作ということで私もそれにはまったく反論はない。非常に面白く楽しめた。
が、なんだか昔の話ってどこかひっかかるなあ、という思いもする。一体それは何故なんだろうか。

主人公はフィリップというフランス語を話す可愛らしい少年だ。彼は大使館の大使の息子でパパの仕事でロンドンに来ていて英語を話しているんだから凄いものだ。
事件は彼のママが病気療養から退院するのをパパが迎えに行くところから始まる。
そして事件に巻き込まれる可愛らしいフィリップ少年がつかなくていい嘘をつけばつくほど大好きなベインズが罠に嵌まっていくという事態になっていく。
状態をかき回す少年に苛々する人もいるのかもしれないが私としては少年は立派に頑張っておると見えるわけで何といっても腹が立つのはベインズのほうだ。犯人はベインズではない、ということになるのだが本当に彼は無実なんだろうか。

ロンドンの大使館が舞台。そこに住むフィリップ少年は執事であるベインズが大好きでベインズも彼を可愛がっている。
フィリップ少年の父親は大使(フランス?フランス語を話してるのは確か)で、入院していた妻を迎えに出かける。館内には召使とベインズ夫妻がフィリップ少年の面倒をみていた。

フィリップはベインズを崇拝していると言っていいくらい好きなのだが、それは彼がフィリップを心から可愛がってアフリカでの体験談などを楽しく話してくれるからだ。一方ベインズ夫人は神経質で何かとフィリップ少年に当たり散らすのだった。
昔の話って何故かこういう「ヒステリーを起こす年増女性」というキャラクターがしょっちゅう出てきてた。今はあまりこういうタイプって登場しないよね。ヒステリーって言葉も殆ど聞くことがないし。何故昔の年増女性はヒステリーを起こす(タイプがいる)と決まってたんだろうか。
その夫のベインズはフィリップをとても可愛がっているいい大人という役割。温厚な彼はヒステリックな妻に失望していて今若い女性と不倫関係にある。恋人には妻と話をつけると言いながら妻に向かうと逃げられる、というよくあるパターンなのである。
そしてベインズ夫人は夫の不倫を嗅ぎつけ外出したふりをして二人が仲良くしている2階の部屋を覗こうと階段脇の飛び出した場所に入り込み落下して死んでしまうのだ。
確かに事故である。
だがこの温厚なベインズがさっさと話をつけていたら少なくとも夫人は死なずにすんだのに。あっちにもこっちにもいい顔をしようとしてベインズ夫人は死んでしまった。彼が殺したのではないけれどそういう風に追い詰めてしまったとも思えるのではないか。無論殺人として立証はできないが。
無垢な少年にも「アフリカで色んな冒険をした」ような嘘をついて英雄視させベインズ夫人が死んだからいい方向に向いたもののもし死んでなかったら恋人にだってそのまま嘘をつき通してだらだら不倫関係を続けたのではないのかなあ。
このベインズ、全くぬらりくらりと食えない奴である。この後、恋人と結婚したとしてもまた嘘の人生を繰り返していくんではなかろうか。

さて死んでしまった(殺されたと言ってもいいと思う。人格を全否定された存在なのだ)ベインズ夫人は誰が観ても死んでしまってすかっとする、という役割を当てられてしまった気の毒な人でもある。優しい夫に怒り狂い、可愛い少年の罪のない行動にヒステリーを起して暴力をふるったのであるから「死んでしまっても当然」の人なのだ。本当に?
今の人ならこういう表現(ああ、ヒステリー女だな、っていう表現)はされなかったろうに。時代のせいで十把一絡げにヒステリー女というカテゴリにおいて抹殺されてしまった。一体何故ミセス・ベインズはこういう女性になったんだろうか。かつてはベインズも彼女を愛したんだろうに?今の恋人に対するように?
ところでベインズの不倫相手ってベインズ夫人となんだか似てる。痩せて神経質そうな。子供相手にずけずけ文句を言うところもそっくりだ。結局結婚したら第2のベインズ夫人になるだけみたいな気もするのだけどねえ。

もう一つ。最近はあんまりこういうフィリップ少年のような「純真無垢さゆえに空気が読めず物事を撹乱していく」という子供の役はないのでは。子供が純真無垢、というのももう流行らないし、却ってしっかり物事を把握してたりする。不倫関係なんてすぐ見破ってしまい話が作れない、か、違う話になる。
こういう物語ってステロタイプばかりだからこそ成立する話なのだ。

監督:キャロル・リード 脚本:グレアム・グリーン 出演:キャロル・リード ラルフ・リチャードソン ミシェル・モルガン ボビー・ヘンリー ソニア・ドレスデル ジャック・ホーキンス
1948年イギリス
ラベル:サスペンス
posted by フェイユイ at 00:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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