映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2010年05月30日

『彼女の名はサビーヌ』サンドリーヌ・ボネール

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ELLE S’APPELLE SABINE

今日観る映画にこれを選んだのは特別意図があったわけではない。
だが観始めて暫くするうち、なんとなく昨日観た『砂の器』と重ねて考えてしまった。
どちらも完全に治癒することは困難な非常に重い病気に家族がかかったことでその絆が思いもよらずほどけていってしまう、ということが描写されている。

無論二つの家族の状況は正反対と言えるほど違うだろう。だが、病気が発症するまでは(本作の場合は何とも言えないが少なくともサビーヌが異常に乱暴な行動を起こすまでは)非常に仲の良い家族であったことは同じで強い結びつきがあったと思える。
本作でサビーヌに異常性が現れ始めたのは姉妹が別れて暮さねばならなくなった時から、という話がある。この監督であるサンドリーヌともう一人の姉妹と別れ母親と二人きりで生活した頃から暴力を振るい始めたのだと。その後、どうしようもなくなった家族はサビーヌを病院に5年間入院させることになり退院した時サビーヌはもう昔の彼女ではなくなっていたのだ。
少女の頃、女優である姉と同じくらい美しくピアノを弾きこなしオートバイにも乗っていたサビーヌ。そんな彼女には確かに小さな精神の歪みがあり「おかしな子」と呼ばれていたのではある。
だが彼女を破壊してしまったのは家族と別れ病院に閉じ込められ多量の薬物摂取、それから病院の厳格な規則を彼女がどのくらい耐えられたのか、もし反抗した時どんな体験をしたのか、そういうことはもう想像するしかないのだろう。
病院内でサビーヌは何度も壁に自分を打ちつけるなどの自傷行為をし、体重も30キロ増え、様々な記憶を失っていたのだという。
退院後、サンドリーヌの努力で新しい施設に入れた彼女はいつもよだれを垂らし、殆ど話せなかったのだ。
映像は若い頃のサビーヌのビデオを映しだし、彼女がチャーミングではつらつとした美少女だったことを示す。現在のサビーヌの外見、どんよりとした目や緩んだ体つき、荒廃した精神と比較すると胸が塞がれる。
妹であるサビーヌを病院に入れたことでこんなに変貌したことを隠すこともなく映しだす姉サンドリーヌの心の強さにも驚かされる。サンドリーヌの淡々とした表現に見入ってしまう。最後「サビーヌと再び旅行することはできるのだろうか」という言葉に彼女の切ない願いが込められているに違いない。

今書いてどきりとしたがここでも『砂の器』と重なるキーワードが出てきてしまった。「旅」である。
若いサビーヌはアメリカに憧れ姉サンドリーヌとアメリカ旅行を楽しむのだ。姉妹だけの旅行は本当に楽しそうで、この時が二人にとって一番幸せな時間だったのだ。
二つの作品で「旅」をする場面が最も幸せであるのは偶然ではない気がする。

そしてその後サビーヌの精神は崩壊していく。家族と離別する悲しみが彼女をより荒廃へと追い立てたのだとサンドリーヌは語る。

『砂の器』において精神が破壊されたのはハンセン病の為病院に入れられた父親ではない。健常者である息子、秀夫=英良のほうだ。
彼は強い絆で結ばれた父親と離されたことを恨み続けたのだろうか。他者から見れば恩人である三木巡査は彼にとっては有難い存在などではなかった。だから巡査の家を飛び出したのだ。(映画では放浪癖があった為か、となっていたが)
願いもしないのに愛する父親と無理矢理切り離された秀夫は持ち前の才能と人好きのする外見で一流音楽家になり政治家の娘との結婚を目の前にするほど登りつめていく。自分はその行動が昨日は醜く感じられ嫌悪感を持ったのだが、彼はそうしなければならないほど精神を荒廃させてしまったのだ。無論サビーヌのような自閉症なのではなく公には優れた人物としか見えないのだが彼の心は父親と切り離された時から腐り始めたのだ。それは彼自身も気づかないことだったのかもしれない。
一流音楽家になった秀夫=英良の前に三木巡査が現れ入院している父親に会いに行こうと言った時彼は拒否した。猛然と抗議した三木を秀夫は殺すのだが、その殺害の動機は登りつめた自分の障害になるからではなく誰からも「いい人、素晴らしい人」と言われる三木が秀夫にとっては最大の恨みの人物、彼がいなければ父親といつまでも一緒にいられたのに、彼が二人を離した、善意という名のもとに、ということなのではないかと、思ってしまったのだ。無論三木の行為は誰が見ても正しい本心の善意なのだ。だが本当の善意が絶対に誰も悲しませないというわけではない。事実この物語では秀夫の精神が大きく歪み、別の道もあるという寛容性を失わせている。社会に対する復讐というものに人生を賭けることが良い生き方だとは思わない。不幸な人生だったのだ。

さて本題に戻ろう。
私が重ねて考えた二つの作品の徹底的な違いは『砂の器』では崩壊したまま終わった家族の関係が本作では再生されていくことである。
本作でサンドリーヌは妹サビーヌに対する一時期の間違いを修正しようと試みている。
彼女のような家族がいること、自分が彼女に対して判らなかったこととはいえ間違った選択をしてしまったことをこうして映像として公開することの勇気に驚く。そして再び妹と交流する決意を持ったことに対しても。

以前の自分を観るサビーヌがふと元に戻ったのではないかとさえ思える瞬間があったのだが。

監督:サンドリーヌ・ボネール


posted by フェイユイ at 21:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『砂の器』野村芳太郎

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昔一度映画館で観たきりなのだが、その時深く感動し、何度もこの映画のことを思い出しては話題にしたものなのではっきりした記憶を持っているつもりだった。
今回観たのもその記憶をもう一度おさらいしようと言うものだったのだが。

これについては記憶の中だけに留めていた方がよかったのか。昔観た時や思い出す度蘇っていた切なさは今日感じることはできなかった。
物語は確かに覚えていた通りだが、特に後半の演出が思った以上に過剰でむしろ作品の良さを損なっているように見えたからだ。
テーマ曲『宿命』はこれの為に作られたんだろうから仕方ないとしても今聞くと感情過多に思え役者陣の演技も同じようにたかぶり過ぎでくどいのである。それが気になるせいもあって、前には感動の支障とならなかった英良の犯行動機も今回は納得がいかず虚しさだけを感じてしまう。また英良の現在の周囲の人々の描き方がどうにも気持ち悪い。何故芸術家というだけでなく政治家と結びつこうとしているのか、もよく判らないが、それは我慢するとしても、娘や愛人を描写する場面はなくてもいいと思える。特に愛人と英良の関係が煩わしい。愛人も本気で一人で育てるつもりなら黙ってさっさとどこかへ行けばいいのだ。英良も本気で子供がいらないのならちゃんと処置をすればいいではないか。などと枝葉末節で悪態をついてしまう。
丹波氏の演技が大げさなのはさほど気にしていないつもりだったが、刑事達面々の前で涙を拭いながら調査報告をするのは興ざめであった。
つまりはこういった演出過剰や音楽や男女関係の表現などがうざったいのである。英良が三木巡査を殺害したのも今風に言えば彼のおせっかいが過剰で「重い・・・」からかもしれない。

そうした記憶の中のイメージとの違いで落胆したのではあったがそれでも前半、丹波氏演じる今西刑事の調査の為の旅行、東北へと出雲へと大阪への旅の風景描写はとても素晴らしかった。
若い刑事と連れ立って或いは一人旅で列車に乗り田舎の人々を訪ね歩くと言う部分は今観ると昔より以上に味わい深く観ていた。映画館に寅さんこと渥美清氏が勤めている場面は効いている。
そしてこの映画の最も見せたい部分であろうハンセン病を患った父と息子の旅、これは今西刑事が言うように想像の中で思い描くものになるのだろう、病気の為に疎んじられ石をなげられ蔑まれながらも行くあてもない父子が寄り添って旅を続ける。抱きしめ合い、ささやかな食事をする場面にはやはりぐっと来るものがあった。
この映画の父子の旅の場面が映画史上に残ることには間違いない。
悲しく辛い旅なのにこの部分が物語の中で一番暖かく感じられるのだ。

監督:野村芳太郎 出演:丹波哲郎 森田健作 加藤剛 島田陽子 山口果林 緒形拳
1974年日本

ラベル:家族 差別
posted by フェイユイ at 00:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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