映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2010年06月05日

『マジック』リチャード・アッテンボロー

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MAGIC

内気な青年コーキーは小さなレストランでマジックを見せる芸人だが誰からも注目されることがない。
が、腹話術人形ファッツと相棒になってからは人格が変わったかのように巧みな話術で客を惹きつけTV局でのショーをマネージャーから持ち込まれるまでになる。
だがその為には身体検査が必要だと聞いた途端、コーキーは生まれ育った故郷に逃げてしまうのだった。

昔むかし観て以来の久しぶりの観賞だった。こういうサイコ的な話は好きなのだが、昔観た時何故マネージャーがコーキーとファッツが話しているのを観て「お前は狂っている」と思ったのかが疑問だった。芸人なら自分の部屋でも練習するのは当然だろうしむしろ熱心だと褒めてもいいくらいだしマネージャーとしては彼がおかしかろうが観客に受けて金が儲かれば万々歳なわけでノリノリで練習して見事な腹話術をやってる彼を観て失望するわけはないと思ったし、今もそう思うのだがねえ。身体検査でそういうのが異常だとか判明するのか。腹話術師の皆さんはほぼこういうタイプじゃないのかなと以前も今も思うのである。
ただこれはマネージャーから見た感想で恋人だったら話は別だ。この時点でコーキーの恋人になるペグはファッツの話を喜んでいるがもし二人が本当に暮らすようになってしょっちゅうこの調子だったらきっと苛立つこと間違いなし。恋人とマネージャーの感想が逆ではないかと思うのだ。

そういう自分的にはしっくりいかない部分もあるのだけどさすがにアンソニー・ホプキンスの演技には見入ってしまう。人形ファッツ君の演技にも恐れ入る。ペグの亭主をじっと見る目つきはどう見ても本物みたいだった。アンソニーが離れたのに一度瞬きをする場面があったのだが、あれは一体どういうことだったんだろう。本当に魂が入ったのかと驚いた。

コーキーは内気な青年という設定だが売れなかったマジックの席でも好きなペグの前でも突然激昂するような、やはりどこか切れてしまう異常性がある。アンソニー・ホプキンスはそんな内気さと激しさが混じり合うコーキーの人格そしてファッツの人格までも巧みに演じていく。
コーキーがファッツに「お前がいないと何もできない」と言いファッツは君は一人でやっていたんだ、と答える。その通りなのだがそれはやはりファッツという別の顔を通さなければ表現できないものだったのだ。

ペグを演じているアン・マーグレットが綺麗だ。コーキーのマネージャーにバージェス・メレディス。ロッキーのトレーナー役のイメージが強いあの人だ。

監督:リチャード・アッテンボロー 出演:アンソニー・ホプキンス アン・マーグレット バージェス・メレディス エド・ローター ジェリー・ハウザー デビッド・オグデン・スティアーズ E・J・アンドレ
1978年アメリカ
posted by フェイユイ at 22:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『アンナと過ごした4日間』イエジ・スコリモフスキ

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お婆ちゃんと二人住まいの内気な中年男がレイプ嫌疑をかけられ投獄。出所してからその原因である女性アンナの部屋へ四晩通いつめ再び侵入・泥棒・レイプ未遂(?)の嫌疑で投獄される。再再度出所した男は再再度女性の元へ急ぐが。

主人公台詞字幕が「婆ちゃん」ってなった時、主人公も「ばあちゃん」って言ったんで驚く。ポーランド語も「婆ちゃん」は「ばあちゃん」?実は「バブチャ」であった。へえー。

圧倒されるほど徹底して暗く重い背景が美しい。どの場面を観ても飾られた絵画のようだ。時系列が入り乱れ台詞は殆どなくやや精神を病みもしかしたら知能にも不安がありそうなみすぼらしい中年男が主人公である。その男が「愛」を感じる女性は時の経過とともに年齢も重ねたように見えたが男はずっと中年男としか見えなかった。
時系列がシャッフルされているので混乱するが出所後に病院の焼却炉で働いている為酷い臭いと手の汚れが沁み込んでしまっている。
その男が愛してしまう女性も病院で働く看護師であり男が四晩を過ごす頃には顔にも疲労と年齢が深く刻まれている。
イェジ・スコリモフスキーという名前すら知らなったのだが、緻密に組み立てられた素晴らしい作品だ。重厚でありながらユーモアが隠されている。この感じはロマン・ポランスキーにもつながる気がするが、なるほど1962年『水の中のナイフ』でスコリモフスキーが脚本、ポランスキー監督なのだった。
日本男性の起こした事件がヒントになったという本作は、確かに監督の冷静な目で作られているようだ。
内気な為ストーカー行為に及ぶレオンに対し、甘ったるい救いを与えたりはしない。出所後彼は別に泥棒の嫌疑をかけられ(それがヒントで彼は指輪を贈るのだろうけど)冤罪であるレイプ事件についても侵入についてもアンナは「あなたは犯人ではないけど」と承知した上で指輪を返し二度と会わない、と告げる。
最後思いつめたようにアンナの家に向かって急ぐレオンの目の前に高い塀がそびえ立ちアンナの家に近づくことも覗くこともできなくなっていた、というこのラストは辛辣で何となく監督の意地悪な笑い声が聞こえるようだ。私もつい笑ってしまったんだけど、鬼か。

この冷たい笑いについ司馬遼太郎氏の『人斬り以蔵』を思い出してしまう。全然話は違うのだが、あの小説において司馬氏は珍しく主人公を嫌っている。あまりにも醜く惨めに蔑まれた以蔵の描写なのだ。
あれほど嫌っているわけではないが本作のレオンの描き方も情け容赦なく悲哀に満ちている。一途に愛しても見返りすらない。(これは以蔵が武市を思う気持ちと似てるなあ)
以蔵を読んでいると虫唾が走るのにも関わらず武市への一途さに惹かれ何度も読み返してしまう。レオンもやはり気持ち悪いのだが何故か見入ってしまうのだ。

真夜中のヘリコプターの場面(といってもヘリは映っておらず音と風と光でそう感じる)が印象的だった。

監督:イエジ・スコリモフスキ 出演:アルトゥル・ステランコ キンガ・プレイス イエジー・フェドロヴィチ バルバラ・コウォジェイスカ

2008年ポーランド/フランス
posted by フェイユイ at 00:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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