映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2010年06月08日

『浮雲』成瀬巳喜男

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これは面白い。ちょうど昨日観た『ヴィヨンの妻』の設定そのままでヒロインを佐知=妻から心中未遂の相手女性(広末涼子)に置き換えたような作品だった。

戦時中、仏印(ベトナム)の日本農林省の事務所にて。小説家ではないがいかにも文系な趣のある痩せ形二枚目富岡(森雅之)は女一人で赴任してきたゆき子(高峰秀子)と恋に落ちる。
富岡は内地(つまり日本)に妻子があったが、二人が帰国した後は結婚しようと約束する。
だが夫の帰りを待っていた妻を見て富岡は離婚の決意を鈍らせる。

原作は林芙美子だが、富岡の容姿も言動も女からのモテ方もまるで昨日の太宰治原作『ヴィヨンの妻』の大谷にそっくり。だが作品として違うのは昨日の作品が原作も監督も男性であるのに、こちらは監督は男性だが、原作・脚本は女性の手によるものなので色男の女への視線手管の描写が辛辣なのとやはりヒロインが男の理想的存在(ま、取り敢えず日本男性の)明るくて素直で忍耐強い佐知という妻でなく、絶えず嫉妬し続け、ねちねちと愚痴を言い続け、何かと言うと泣きだすゆき子という腐れ縁の恋人(愛人とも言い難い)に変わり、男にとってはかなり疲れる存在になっている。それでもことあるごとに女性との関わりが生まれる富岡なのである。大谷より働く気持ちはあるのだがさほど金を作る能力はない。
太宰原作にも関わらず、包容力のある前向きな佐知のおかげで希望のある作品となった『ヴィヨンの妻』に比べるとこちらの方が遥かに太宰的なようであった(太宰知らんのに言えないが)

『放浪記』に比べると驚くほど美人になった。外見的には眉の違いだけなのか。女優というのは凄い。高峰秀子演じるゆき子がりんとした姿で仏印の森の中に立つのが美しい。何度も何度も愛する富岡に裏切られ傷つきでもどうしても別れきれない。
富岡は酷い毒舌家なのだが、ゆき子の方もかなり富岡に言うことは言っている。富岡はそんなゆき子からの罵倒を受け流してしまう気質のようでこの二人は別れそうで別れきれずずるずると関係を続けていく。その間にも富岡の妻もあるし、二人が心中の話をする旅先で知り合った若い女性と富岡が突然恋仲になってしまったりもする。この若い女性おせい(岡田茉莉子)はむっとした顔で登場するのだが富岡は文字通り一目惚れで彼女と関係を持ちそのまま温泉に入るという早技を見せる。昨日の大谷なんぞまだまだ甘ちゃんだ。
その後も富岡の部屋に飲み屋の若い娘が勝手に座ってたりとゆき子の心は休まらない。
やっと富岡の妻も若い恋人おせいも死んで(って考えたらおっかないね)二人きりになれるとゆき子は富岡の新しい赴任先・屋久島へ同行する。ところが何と言う運命か、やっと夫婦のような生活ができることになった途端、ゆき子は奇妙な病気になってしまい毎日が雨のような湿気の多い屋久島で激しく咳きこみ命を落とす。今迄散々裏切り続けてきた富岡はここにきてゆき子を甲斐がいしく看病していたのだが仕事中にゆき子が死に、最期を見とりながら男泣きに泣き崩れるのだった。

恋愛物ってあまり観ないのだが、なんだか浮かれたものだとか、お涙頂戴ものだとかになるんだろうけど、これはこれでもかと苦い味のものだった。ゆき子も富岡も甘い言葉など殆どなくいつも互いを悪く言ってばかり。なのに別れきれない男女の仲。っていう奴ですな。
『放浪記』のふみ子に比べると自分的には拒否な話だがやはり監督も脚本も俳優も上手いせいか観てしまった。ここまで凄まじいと面白くなる。
高峰秀子はこの作品でも声も表情も殆ど暗いのだが、時折はっとするほど美しくなる。

そんなゆき子が途中結婚する相手がなんと彼女をほぼレイプしたかのような初体験をさせる男・伊庭杉夫(山形勲)なのだが、インチキ宗教家になって大金持ちになりゆき子と結婚して暫し裕福な暮らしをさせてくれるのだ。結局嫌な思いをするのが嫌だと言って逃げ出してくる。その後、病気になるのだが一体ゆき子は何故病気になってしまったんだろうか。不気味でもある。

監督:成瀬巳喜男
posted by フェイユイ at 23:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『ヴィヨンの妻 〜桜桃とタンポポ〜』根岸吉太郎

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色んな生き方がある。どの生き方がいいのかは本人がこれでよし、と思うかってことなんだけど。

本作のヒロイン佐知は低きに水が流れるが如くの生き方で自分を主張せず運命に身を任せながらもその時その時を懸命に生きていく、という今ではちょっと珍しくなってしまった女性像だが、かつての日本女性の典型というか少なくとも理想の女性だった。しかも夫である大谷が言うように「何を考えているのか判らない。何か隠していることがある」不気味さ、言いかえればミステリアスもある。且つ器量がよくて明るい気性なら佐知のような3人の男から菩薩のように思慕される。
咥えるに佐知はややエキセントリックでもある。結構なにを言いだすかなにをやり始めるか判らない。始め辻を好いてていきなり大谷と結婚してしまう。突然居酒屋に押し掛けて働きだし店の看板娘(既婚子持ちでありつつ)になってしまう。夫を助ける為、弁護士・辻と「大谷に言えないようなこと」をやってしまおうと町のコールガールからルージュを買ったりする、風変わりな女性でもある。
何事にも抵抗せず、自由気ままにふるまっている。

比較してしまうのが先日観た成瀬巳喜男監督『放浪記』のふみ子である。彼女は運命にも男にも絶えず挑みかかり戦い続け傷つき苦悩する。佐知と違って男からも女からも嫌われる確率が高そうだ。反面強く支持されもしそうな女性である。
できるなら佐知のような生き方の方が本人も周囲の人間も傷つかずしんなりと暮らしていけそうだ。だからこそこういう素直な女性を鑑とする価値観が日本にあるのだろうが、そういう生き方にどこか反発していったからこそふみ子のような女性の生き方を目指す時世になったんだろう。反発する、というのはもっと自己を出したい、ということだ。佐知のように男に添って生きるだけの生き方に疑問を持ったのがふみ子の生き方なのだが、男や運命に反抗し生きることはやはり傷つき疲れることになるのだ。
佐知のようにしなやかに抵抗せず生きるのとふみ子のように文句をぶちまけながら戦い血を流して生きるのとどちらを選ぶかはその人それぞれである。とは言え、普通の女性ならその二つの折り合いをつけながらしたたかに生きていってるんではなかろうか。
私自身は佐知のような生き方をしながらふみ子のような生き方でありたいと願っている。

さて本作の出演者については、浅野忠信の大谷は彼のこれまでの役の中でも際立った演技だと思う。情けない男でありながら女がすぐ惚れてしまう色男を感じさせる。
佐知の松たか子。私は彼女の顔はTVで見るのだが、演技というのは映画として初めて観るようだ。佐知が夫の犯罪を居酒屋夫婦から聞かされ笑うという箇所が最初にあり夫婦もつられて笑うのだが、これは相当難しい演技になる。実を言うと松たか子のこの笑いが納得いかず一度観るのを止めてしまったのだ。2度目観て難しいのだろうと我慢したが終始彼女の佐知というのが私にはしっくり感受できなかった。
工員の妻夫木聡も弁護士の堤真一もいいとは思えなかったので私には合わない映画だったのだ。浅野だけがいいと思えるのも困ってしまう。
広末という人もほぼ初めての気がするが、彼女は良かったし、綺麗だった。心中未遂後、広末演じる女が佐知に会って「ふふん」という顔をするのが好きに思えたのは私が佐知が嫌いだからなんだろう。

戦う女性より癒しの女性を求めるのはいた仕方ないかもしれないが私は反抗してみたい。

佐知が万引きで捕まった場面に新井浩文がちょこっと出てたよ。

監督:根岸吉太郎 出演:松たか子 浅野忠信 室井滋 伊武雅刀 広末涼子 妻夫木聡 堤真一 光石研 山本未來 鈴木卓爾 新井浩文
2009年 / 日本
ラベル:人生 女性
posted by フェイユイ at 11:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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