映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2009年01月09日

『黄色い涙』犬童一心

黄色い涙.jpg

この映画、なんとなく気になるが絶対観るぞというほどもなかったのはやはり私にとって犬童一心監督が『ジョゼと虎と魚たち』は◎だが『メゾンドヒミコ』は二重×で嵐さんたちは嫌いじゃないけど是非観たいという人たちでもない、という微妙なところだったからなのだが、とにかく原作の永島慎二さんの映画化というのが気になってしまうのだった。

といっても私にとって永島慎二は一昔前の漫画家さんなのであって青春に影響を受けた、という存在ではない。作品も殆ど知らないという有様である。
だがかつてある時、ふと読んだ雑誌に僅か数ページのマンガが載っていてそれは暑い夏の日、ある少年(小学校中学年くらいだろうか)が母親が外出するので年若いおばさんの家へ夕方向かう途中で友人に金魚を少しだけ見せてもらって金を払う。物凄くおっぱいの大きな女性をみて「すげー」とか言ったりする。
おばさん(といってもお姉さんくらいの若さ)の家でテレビを観てると恋人同士がチューしたりしてる。お姉さんが「なんでそんなテレビ見てるの」なんていうと少年は「うーん」なんて言ってる。
暫くするとお姉さんが『ギャー』と叫ぶので見るとおっぱいのとこにゴキブリがいる。少年がつかまえようとするとゴキブリは逃げてお姉さんのおっぱいをぎゅっと掴んでしまう。
おねえさんは子供相手だから「チェッ。逃げられたじゃない」とか言ってふてくされてるが少年はお姉さんのおっぱいがぼよんとした感触だったのに衝撃を受けてしまう。
そしていきなり家に帰ると言って飛び出して金魚を買うのである。
という内容でまだ若かりし私は一体なんだこのマンガ、起承転結もあったもんじゃない、何の意味もないじゃないか、とあきれたが何故か不思議に物凄く気になって何度も何度も性懲りもなく何度も読み返した。ほんの数ページだし。
一体このマンガが何を描いているのか何度読んでも判らなかったし、何故こんなに気になるのかもわからなかった。
ただ夏の日を表現する影の描き方とか金魚が涼しげに描かれていて上手いなあとは思った。
そして読まなくなっても数十年時折思い返してはあれは不条理なマンガだったな、なんとなく描かれたイメージだけのマンガだ、と何度も考えた(馬鹿だ)
たまたま夫もそのマンガを読んでいてある日永島慎二絶賛会になった。絵が抜群にうまくて子供達が可愛くて物語が他の人と全然違う。凄い人だ。
「でもあのマンガは意味がわからない。雰囲気だけがいいが何も言っていない」と私が言ったら「あれはテレビでキスしてるとか胸の大きな女の人を見てるだけじゃ感触が判らない。少年は叔母さんのおっぱいを触って柔かさを知ったんだ。金魚も遠くで見てるだけじゃなく飼ってみることで本当の感触や実態が観察できるということ。つまりバーチャルじゃなく実体験をしようという意味だ」と言われ、数十年の疑問がやっと解けた。そういった夫も「今まで気づいてなかったのに説明しようとしたら勝手に思いついた」と笑った。なるほどなあ。
この話で何が言いたいのかというとそのくらい永島慎二さんは私にとって長い間忘れられない謎をかけた人だったのである。

永島慎二というと浮かんでくるのがつげ義春である。
私はどちらかといえばつげさんに惹かれたのだと思う。強烈なエロティシズムとそれこそ本当に不条理な世界。
そして同じように衝撃を受けその世界に魅せられた人たちが幾つもの映画作品としても表現されてきた。
なぜなんだろう。
強烈な世界を表現したつげ作品に比べ、永島慎二の世界は今ではあまり語られることが少ないのではないだろうか。私自身つげ作品のほうに惹かれていた。それはどうしてもつげのほうが強烈な性と生を描いていたからだろう。
それがこの映画の中でも語られていることでもある。

始めにも書いたが、自分は永島慎二の作品をさほど読んではいないので書くことが間違っているのかもしれない。
自分が知る範囲では永島慎二はこの映画の主人公が語っているとおり自分の信じる世界だけを描いた、それは青臭くて恥ずかしいほど純粋な世界のように思える。
それは私が大好きで読んだ『少年期たち』のイメージなのであるが。
ちょうどこの映画の最後に主人公が描いている手作りに飛行機を飛ばす話が入っている作品集である。
この作品集にはタイトルどおり少年期の切なく一途な思いが込められていてまさに珠玉の作品集なのだ。

話があまりに散乱しすぎた。
映画に戻ろう。

さて冒頭に書いたようにそれほど切望して観たのではなく途中で嫌になったらやめようかなどと思いながら観出した。
なんとなく散漫な作りで映画的でもなく嵐さんたちの演技もややおかしみを覚えたのだが結局最後まで観てしまった。
私にとっては単にこの映画を鑑賞したというより、映画を観ながら永島慎二のマンガを思い出し、キャラクターを重ねてみたり、また自分自身がこれと同じような青春の時期を送ったこともあってとても客観的に観れるものではなかった。
映画の中でまだその時間にいながら彼らは「この夏のような時期を送ることはないだろう」というセンチメンタルな感慨に襲われている。
だが年取って振り返ればさらにこの感慨は深いものになる。
他の青春映画と違い彼らのやっていることといったらせいぜいぐうぐうお腹をすかせて知り合いを訪ねまわったりたまに金が入るとご飯を食べて酒を飲むくらいの他愛のないことばかり。麻薬もセックスも犯罪もないノーマルな世界で青臭く夢を語る彼ら。狭いアパートの一室でギターをかき鳴らして歌うだけの彼ら。そんな青春を懐かしく思い出す彼らなのだろう。
またもや「これは一体何の意味があるのだろう」と思うのかもしれない。ここにはなにも描かれていないと。
だがこれは思い描いた夢なのではなく、皆が体験する青春なのだ。
自分の青春を思い出すことなのだ。

嵐さんたちはさすがにちょっと綺麗過ぎではあるだろうが(特に二宮くんと永島さんを重ねにくい)純粋なイメージはぴったりなのではないだろうか。
自分は小さい頃から二宮くんが(小さい頃、は二宮君にかかる)大好きであの頃はもっとクールできかん気のようだったがいつの間にか優しげなイメージになったし役者としてこんなに活躍するとは思いもよらなかった。ここでもさすがに格段の上手さである。ただしここでは何故か桜井翔に一番惹かれた。
女性は登場するがあまりどろどろとした恋愛沙汰は描かれていない作品だ。唯一二宮くんが元カノにいきなりキスをするシーンがどきっとするものがあって驚いた。

昭和を描いた作品の一つでもあった。
とにかく携帯電話が出てこないのがうれしい。

監督:犬童一心 脚本:市川森一 出演: 嵐(二宮和也 相葉雅紀 大野智 松本潤 櫻井翔) 香椎由宇 韓英恵 高橋真唯 菅井きん 志賀廣太郎 本田博太郎 田畑智子 松原智恵子
2007年日本


ラベル:青春
posted by フェイユイ at 01:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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