
ようやく観ることができた。このドキュメンタリー映画の感想を書くのは内容によってはかなり大変なことなのかな、とも思ってしまう。
なにしろ、他の方の感想批評文を読むとこの作品に立腹している人が多くて思った以上の罵倒で溢れていたので小心者としては冒頭に逃げを打ちたくなってしまったのだ。
などと言うことを書いたのは自分はとても面白いと思って観てしまったわけで、それすら日本人としては許されない感想なのか、と思ってしまう。
とにかく私は靖国神社という遠い場所へ行ったことがないし、多分一生行く事はないだろう。行きたくないとかいうのではなく、今まで考えたことすらなかったからだが、この映画を観てたらどんな雰囲気なのか一度行ってみたい、とさえ感じたのであるが。
そういえば以前中国俳優の姜文が靖国神社に行ったことで中国人から大顰蹙を買ったという報道をみたが、ちょっと行ってみたくはなると思う。無論中国人である姜文さんとは意味が違うだろうが怖いものみたさみたいな感じである。
多分この辺でも私の軽薄さに激怒されている方がいそうである。
他の方の感想では「日本人なら・・・」というフレーズで括られている文が多いのだが自分は徹底的に日本人だがこの作品に激怒だとか不快だとかはまったくなくて難しい題材なのによく頑張ってここまで作られたものだと感心してしまう。
妙に生真面目で厳かな空気が満ちていて不思議な場所である。その中で軍服姿で行進する人もいれば、昔話をする年配のご婦人方が座るベンチに「サッポロビール」と書かれているのが変におかしかったり、先祖を連れ帰りたいと激昂する台湾の女性、国歌斉唱する人々の前で反対を叫ぶ日本人青年、アメリカ国旗を掲げるアメリカ人、そしてたくさんの静かに歩く日本人達。
どこか気分が高揚していて何かあると喧嘩が起こり大騒ぎとなる。そしてそれを抑え止める人々。
どの人にも様々な歴史があり思いがあるのだから、これが真実だ、これが正解だ、という単純なものがあるはずもなく。
刀鍛冶の老人が中国人である監督に問いかけるが答えられるわけもなく老人もうまく答えられない。二人の会話が国の違いと年齢の違いとで(老人の話し方も危ういので)うまく噛みあわないことが答えのようにも思える。
この日本刀を問題のシンボルのようにして批判していることに不快を覚える人もいるようだが、作品を形作る技巧としてうまく効いていると思えた。日本人の精神を表すものとして使われることも度々あるわけでやはり使い道を間違えば、というか武器なので鞘から抜けば危険なのである。注目されてしまう鍛冶職人のご老人には気の毒だが刀作りの工程も興味深く、やや淡々とした作品に緊張感を持たせてくれる場面であった。
映画の内容についての感想をまだ書いてないようだ。
「戦争は人を狂わせる」と思う。
この作品を観ていてもやはり戦争のせいで人間はおかしくなってしまうのだ、と判る。こんなに年月を経てもその影響は消えはしないし、その年月の間にまた生まれる苦しみもある。
普段は温厚でも戦争という苦しみが人を変えてしまう。
その強烈さを逆に利用する人もまたいる。
そしてまた、自分が悪だとは思いたくない。この映像作品一つでもなかなか受け入れることが難しくなってしまう。現実にそうだとしても何か難癖をつけ、言い訳を探してしまうのだ。
賛同する人にも反感を持つだろう。
だがそれも仕方ない、とも思う。歴史の中で刻まれた深く鋭い傷跡は長い長い年月をかけなければ癒されることはないのだろうから。
そんな中でもこういう作品が製作され迫害を受けそうになりながらも観ることができたのは意義あることではないだろうか。
ところでこの映画を観て初めて「ラッパのマークの正露丸」の意味とあの音楽が食事の合図だということを知った。(食事=腹痛っていうのが凄い)あー、本当に何も知らない自分である。
監督:李纓
2007年 中国/日本