映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2009年04月19日

『ペインテッド・レディ 〜肖像画の淑女〜』後編 ジュリアン・ジャロルド

pペインテッドレディ.jpgペインテッドレディ.jpg
PAINTED LADY

なかなか楽しめたものの、前編の高い緊張感からかなり滑り落ちた後編、という感じかなあ。

ジュリアン・ジャロルド監督は『キンキー・ブーツ』にしても『情愛と友情』にしてもどこか煮えきれなくて、物足りなさと説明不足を感じてしまうのだが、本作からしてそういう傾向を感じさせている。
前半はね、これはまあ脚本のせいかもしれないけどとにかく美術ミステリーの雰囲気が濃厚で水準も高いのだが、後編になったらそういう美術の香りがなくなってしまったのが残念だ。後編はアクションを見せようということなのかもしれないが、せっかく前半に作り上げた学術的な楽しみを後半で失ってしまうのでは欲求不満になってしまう。
吊り下げられたセバスチャンが矢を射られてここでも「聖セバスチャン」の逸話となるのだがセバスチャンという名前だとこう射られていてはたまったものではないなあ。
ミステリーの元凶が同性愛関係にあった若き頃のチャールズとタッシだったということで物語がヘレン・ミレンと同性愛父子の二つに分かれていてそれがうまくかみ合っているのか、別にこれだとセバスチャンを主人公にして彼はゲイであることを父親に黙っていたが実は・・・というだけの話にしたほうがすっきりいくような気がする。
だってこれだとセバスチャンってぼーっとマギーが解決してくれるのを待ってるだけでどうもカッコ悪い。しかたないよね、ヘレン・ミレンを主役にして、という企画だったんだろうから。そこに同性愛絡みのミステリーを思い切り注ぎ込んでしまってるんだから。
セバスチャンが主人公だったらあそこで殺されたりせず、最後、父の恋人だった男性と対決することになるわけでこりゃなかなか怖い見せ場ではないか。セバスチャンもタッシに恋したかもしれないしね。ちょっと怖い展開だ。絶対そっちがよかったんじゃない?ヘレン・ミレンを脇役にするわけにはいかないだろうけど。
このドラマですごくよかったのはマギーの妹夫妻。ちょっと抜け加減のオリバーと生真面目なスージーは二人ともいい感じだった。しつこいけどこの二人が探偵でもよかったような(ヘレン・ミレンの立場ないな)

とても興味を持たせるけど、何か釈然としない、というのがジャロルド監督の特色なのかもしれない。
それにしてもフランコ・ネロは男らしくてかっこいい。やっぱりそういう系の設定だったのだと納得。『ケレル』の時もぶつぶつ言ってるだけだし、これでも話をするだけだけど、素敵ですわ。

監督:ジュリアン・ジャロルド 出演:ヘレン・ミレン イアン・グレン フランコ・ネロ マイケル・マロニー イアン・カスバートソン
1997年イギリス

追記:というわけでジュリアン・ジャロルド監督作品を3本鑑賞したことになった。3本とも表現は違えど同性愛を描いたものである。
いまだに同性愛をおおっぴらに題材にすることは難しい中でここまで大胆に正面きって表現してくれるのは嬉しいことなのだが、内容としてはやはり(というべきなのか)いまいち腰が引けてるというのか消極的に思えてしまうのだよね。
3本とも監督が脚本を書いていないので監督だけの責任とは言えないかもしれないがそれでも3本が3本ともどこか逃げている気がしてしまうのだ。それだけ同性愛というテーマが表現しにくいことなのか。単に監督の主義なのか。
『キンキーブーツ』でも不満だったのは主人公の男性とドラァグクイーンである男性とが親密な関係にならなかったことで主人公役のエドガートンが「ローラとキスしてもよかったんだけど」と言ってたのにそういう場面を作らなかったのは妙に肩すかしだった。そう言えばフェデリ子さんからも「マシューがベンともっと深い関係になってもよかったんだけど、と言っていた」と教えてもらったのだが俳優たちが大いにその気なのに監督が怖気づくというのも残念なものである。
それと3本とも男達の間に女性が入り込んでくることでゲイ関係が壊れてしまう、という展開になっているのはもやもやしてくる。
特に『情愛と友情』はセバスチャンとチャールズの間にジュリアが入ってきて二人が別れてしまうように思えるが、原作では(まだよく読みこなしてないので違うかもしれないが)チャールズとジュリアが深い関係になるのはもう少し後であり、セバスチャンがチャールズから離れるのはチャールズがジュリアというよりブライヅヘッドの家族特に母親マーチメーン夫人と深い関係になったからのように思える。セバスチャンが酷いアル中になってしまうのも宗教的な苦悩(多分自分がカソリックで禁じられた同性愛者であることに対しての苦悩)なのであってジュリアの存在のせいではないと思うのだが、映画ではジュリアが元凶のように見えてしまう。描き方が原作と映画で違うのは仕方ないとしても「女が原因で別れた」という描き方は陳腐な気がしてしまうのだ。
『ペインテッドレディ』でも父チャールズが恋人の男性から女性に心を移したことがすべてのミステリーの元凶であるわけで、息子セバスチャンにしても男性と性的関係を持つというだけの設定なので伴侶としての男性の恋人は存在しないのが寂しい。
とても興味を惹く題材を映像化するのに、どこか不満が残る作品になってしまうのはせっかくの題材から逃げてしまっているせいではないのだろうか。
男同士が別れた原因が女のせい、というのはこれ以上はいただけない。


posted by フェイユイ at 22:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。