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2009年06月10日

『華氏451』フランソワ・トリュフォー

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FAHRENHEIT 451

これは観ねば観ねばと思いながら延び延びになってやっと今になって鑑賞。
というのはすでに内容が判っていたからでもあるし、演じる俳優たちがそれほど観たくなる欲求を抱かなかったからだが。
しかしやはり原作レイ・ブラッドベリ。監督フランソワ・トリュフォーとロマンチスト双璧と言いたい創作家たちの手になる作品ゆえ観始めるとこれはもう見入ってしまうのである。

何といってもまず素晴らしいのはその当時にあるものをそのまま使っただけ、のSF的背景・衣装・小道具。
やたらと予算だけは高いCGだのなんだのの豪華さだけが際立つ作品にはさほど興味はわかないが、なんとか工夫して未来的なイメージを出してみせるこの手作り感が愛おしい。
とはいえ赤い車で疾走する黒い服の男たちの外観は充分不気味に思えてくる。
モンターグの変化がとても興味深い。初めは政府側の消防士の中でもめざましい活躍を見せて昇進も確約されている男である。
(ところで日本語で消防士というのは凄く訳として困るね。ファイヤーマン、だとそのままの意味でいいのに)
彼らの仕事は「人々に余計なことを考えさせてしまう『本』というものをすべて焼却してしまうこと」
家は皆防火されているのでファイヤーマン(消防士)の仕事は消火ではなく『本』を燃やすことなのである。

彼は一人の若い女性クラリスに出会う。彼女は本の大切さを知っていてモンターグに目を付け仲間にしたいと近づいたのである。
モンターグには妻がいて一日中TV番組を見ては薬を飲んで何も考えてもいないし、覚えてもいない。そんな妻とクラリスをジュリー・クリスティが両方演じているというのも面白い。
何も考えずに生きていたモンターグは本を読みたいと思ってしまう。
そしてたちまちのめりこんでしまい、「追い付かねば」と読みあさるのである。
こんな世界には生まれたくないが、彼のその時の喜びを考えるとぞくぞくする。
ディケンズを読む楽しみ。
今までそれを知らなかった。なんということだ。
字を読み、物語が頭の中に入り込んでくる喜び。彼らの姿が浮かび彼らの心が自分の中に伝わってくる。喜びも悲しみも怒りも。文字が物語となるのだ!
ここでTVはすっかり悪役となって登場する。TVの中の人々は自分の「いとこ」であり、自分もTV番組に参加できることが何よりも楽しみとなる。
そしてついにモンターグが本を焼き尽くす消防隊長に我慢できず殺害してしまうのだが、政府はモンターグを追いかけることをあきらめ、だが大衆を満足させるためにモンターグを追い詰め撃ち殺す偽の映像を放送するのである。
まさか、ここまでは、と思うのだが、今のTV番組で実際やらせだの誇大表現だの偽りの映像だのと騒がれるのを見てると満更ありえなくもないのかもしれない。

TVに脳を侵されていく人々と対照的に「本」を愛していく人々が描かれる。
TVにも面白くて為になる番組もあるよ、とふて腐れる御仁もおられようがここでの「本」を愛する人々の描き方がとても素晴らしいので我慢していただきたい。
本を燃やす隊長を殺したモンターグはクラリスから聞いた森の奥の「本の人」(ブックピープル)のいる場所へと向かう。
その人々は一人ひとりが自分の好きな本を暗唱できるように覚え込んでいるのである。
たとえ政府が本を焼き尽くしても彼らの頭の中には「本」が入っている。死にそうな老人は孫に自分の「本」を伝承する。
モンターグは持ってきたエドガー・アラン・ポーを懸命に読み始めるのだった。
一人ひとりが図書館である、というなんともロマンチックな発想ではないか。大好きな本を覚え、次に伝える。いつかまた本にできる日が来るだろう。そしてまた禁じられたらそれを覚えて伝えるのだ、という彼ら。
もうラストも知っていたのになんだかじんわりしてしまう。美しいラストシーンなのである。

監督:フランソワ・トリュフォー 出演:オスカー・ウェルナー ジュリー・クリスティ シリル・キューザック アントン・ディフィリング アン・ベル
1966年 / イギリス/フランス


ラベル:思想
posted by フェイユイ at 23:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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