映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2009年07月19日

『情愛と友情』ベンとセバスチャンという奇跡

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ベン・ウィショーのことを毎日のように書きながら、それでも他の映画をせっせと観続けている私だが、(レンタルなのでとにかく順番があるのだ。自分で課した順番だけど)さすがにこの辺で彼の映画を補給したくなってしまった。
ダニエル・クレイグが好きで買ったDVDもあるので結構色々観れるんだけど私にとって一番心が震えてしまうのはやはり『情愛と友情』のベン=セバスチャン・フライトなのだ。
というかもうセバスチャン・フライトが好きだ。ベンだと思いださないくらい。(この見方は間違ってはいないと思う。ベンも頷いてくれるはず)
『パフューム』を観てなんて凄い役者なんだろうと思い、ベンのことはこのブログを見てもらえれば判るけどずっと追いかけて観てみた。素晴らしい才能を確認した。でもそれですっかり満足してしまうものだったのだが、セバスチャンに出会ってからはベンに対する思いがまったく違うものになってしまった。

まずベンについて語るのが恥ずかしいので(今さら何なんだ)マシューについて言えば、こうして観ているとチャールズがマシュー・グードで本当によかったと思う。その美貌も勿論だけどクールに見つめる目、セバスチャンとジュリアに惹かれ揺れ動き自分が何者か判らない余生を送る知性的な男性を素晴らしく演じている。
セバスチャンのベンとのバランスもとても素敵だし、我儘なセバスチャンをあやすようなそれでいて彼の魔力に溺れてしまうことを恐れて逃げ出してしまう不安定で繊細で頼りなげな部分を持ち合わせている。
貴族と庶民という対比ならむしろ素のマシューとベンは逆なのかもしれないように見えるのだが、作品に入ってしまえば何の違和感も感じない。
私自身はベン演じるセバスチャンに陶酔してしまったのだが、その効果はマシューの端正でしかもどこか茶目っ気も見える落ち着いた雰囲気がセバスチャンの魅力を引き出してくれているのだ。
しかも抜群に背が高いのでセバスチャンがとても華奢で可愛らしく見えるのが嬉しい。

ベンはとても声と発音に魅力があるのだが日本で普通にDVDとして観れる主役作品『パフューム』と『情愛と友情』(これは準主役なのだけど)のどちらも台詞が極端に少ないというのも不思議である。
しかしそのせいでベンには台詞がなくても人を引き付ける演技ができるのだと言うことを知らされる。
殆どが目の演技だったグルヌイユは格別だが、セバスチャンも目で語る場面が多い。
セバスチャンの嘔吐シーン。その後のまなざし。
謝罪の昼食シーンではセバスチャンは知り合ったチャールズに強い興味を示して彼がどう感じているかどう言動するのか見極めようと見つめている。友人たちのふざけた質問に真面目に美しい答えをするチャールズを見るセバスチャンはもう彼を好きになってしまった。
夏休み帰宅しているチャールズに大怪我を嘘をついて彼を呼び寄せたセバスチャンの甘えた目。ジュリアとチャールズと3人で話をする時は妹をちょっと煩わしく見てチャールズにはほほ笑む。
そしてママに誘われる夕食シーンは格別に好きなところ。チャールズに話しかけるママにやや恐怖も持ちながら警戒している。チャールズが答えると彼に視線を移す。
ブライディーが「弟は充分なもてなしを?ワインは出したかな」という場面でまた兄を警戒しているがチャールズが「はい気を使ってくれました」というのでほっとした視線を送る。
続いてブライディーが「酒は男の絆を作る」というので意味ありげな眼を。ブライディーの趣味を聞いて笑う目をする。
ママがチャールズに「趣味は」と聞くのをセバスチャンが「酒」と答えママにたしなめられてしょんぼり伏し目に。
ママがセバスチャンの仲間を問うと不安げにチャールズに絵を描いてと言うとチャールズがとても嬉しそうに承諾するのを見てがっかりし動揺する。それはセバスチャンが「パパにイタリアへ遊びにおいで」と誘われていてチャールズもつれて行きたいからなのだ。ママの「お勤めは忘れずに」という言葉で最も白けきった目をする。
ママがチャールズまで礼拝堂に誘うので「彼は無神論者だよ」という時は最大限に反抗的な目に。
この食堂のシーンは彼だけでなく他の人物も皆目で語っているのだが、セバスチャンのまなざしは特別になんて雄弁なんだろう。この演出は無論監督の指示であるわけだが、ベンの視線の送り方、伏せ方、目の光る具合など監督の要求をすべて満たしているんではないだろうか。台詞は僅かずつしかないのにたくさんの思いが込められている一場面である。

そしてヴェネツィア。チャールズとジュリアのキスを目撃して茫然とするセバスチャン。言い訳しようとするチャールズの口を押さえてすべてをあきらめた悲しい目をする。チャールズの心がもう自分から離れたことを彼は感じている。それはもうどうしようもないことだと。

それからのセバスチャンはずっと悲しいまなざしになってしまう。チャールズが彼との関係を呼び戻そうとしてもセバスチャンは失望しきっている。チャールズが彼と同じ世界に住む人間ではないと確信してしまったのだ。いくらチャールズがそう思い込もうとしても違うのだと。
そしてチャールズは現世の人間として妻を持つのだからセバスチャンの感受性は間違ってはいなかったのだ。
 
恋を失うまでチャールズをまっすぐに見つめていたセバスチャンの視線がジュリアとのキスの後からもう彼を見ることが殆どなくなってしまう。時折ふと心が通じ合う瞬間があっても彼はそれが叶わない願いだと確信してしまったのだ。

モロッコで療養しているセバスチャンはチャールズを見ることすらなく(あっても僅かな)チャールズはセバスチャンを失ったことを認識する。
チャールズが去る時もセバスチャンはもう視線を移すことすらしないのだ。彼らの世界が完全に分かれてしまった。

彼らが体験した美しいひと夏を思うとこの最後はあまりにも悲しい。確かにここでヴェネツィアのカーラが言う「あなたには一時期のことでもセバスチャンにはすべてなの」という言葉が表わされているのだ。
(といっても私は本当のセバスチャンには他にも出会いや愛がないとは思えない、と考えるのだが。「本当の」セバスチャン、という言い方もおかしいがこの物語でのセバスチャンということだ。チャールズがいない時もクルトや他の「いい人」との出会いがないなんて信じられない。これはチャールズの物語だから彼がそう思い込みたがっているということもあるし。少なくともチャールズにとってのセバスチャンはここでいなくなってしまう)
だがそれはチャールズ自身のことでもあるではないか。チャールズもまたここですべてを失ってしまったのだ。この後の彼は失ったセバスチャンの思い出を胸に隠した「自分が誰だかわからない、名前がチャールズ・ライダーというだけの男」になってしまったのだから。

ベン・ウィショーが演じるセバスチャンはなんて魅力的なんだろう。まだ幸せだった時、チャールズを初めて招待した時の背をまっすぐにして座っている彼の美しさに見惚れてしまう。少し女っぽく見えてしまう仕草も普通よりちょっと早口で高めのトーンで話すのも。チャールズに恋し、彼を失うのを恐れ、でも生まれつきの貴族的な我儘さと甘えた感情が愛おしく思える。
チャールズを乗せて車を走らせる彼、二人だけの夏の日の思い出、夕暮れにワインを並べて飲み交わす場面は涼しくなった空気すら感じてくるようだ。まるで神話の中のひとつの物語のように酒を飲み詩の言葉を競い合う。
セバスチャンが絵を描くチャールズの肩に手を置いて彼を優しく見降ろしている横顔は暗く影になっているが心には光が満ちている。
これらの美しい時間は作品の中でも僅かでありあっという間に終わってしまう。青春の儚さを思わせる。

ベンのセバスチャンを語り尽くすことは自分ではできそうにもない。ベンん自身にとってもセバスチャンのような青春の一つの偶像を表現できるのはそう長い期間ではないのも確かに違いないが、私にとってはセバスチャン・フライトという(イヴリン・ウォーが書き、ジャロルド監督がさらに作った)存在をベン・ウィショーが演じたことが一つの奇跡にも思えてしまう。彼ら(セバスチャンとベン)に会えたことも私には奇跡だと思え、彼を美しいと感じたこともうれしい。
他の人からは大げさな表現だと思われるだろうけど、私はそう感じている。

まなざしじゃないけど、大学でセバスチャンが最初のチャールズ招待の時、遅れてきた友人がセバスチャンにキスした後、チャールズの話を聞いてる時再び彼がセバスチャンに近寄ろうとするとすばやい動きで彼を手のひらで押しとどめる仕草をするんだけど、あの場面で私は落ちてしまったのだった。その後の表情も含めて。

監督:ジュリアン・ジャロルド 出演:マシュー・グード ベン・ウィショー ヘイリー・アトウェル エマ・トンプソン マイケル・ガンボン
2008年イギリス


posted by フェイユイ at 23:11| Comment(10) | TrackBack(0) | ベン・ウィショー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
原作とこの映画では核の部分が違うように感じましたので、原作ファンの中にはブライヅヘッドはこんな話じゃないと思われる方が居るのも分りますが、映画がまた別の物語を紡いでも構わないじゃないかと思う。

オクスフォードの昼食会で耽美主義者のアントニー・ブランシュがいつものように、という感じでセバスチャンに唇へのキスで挨拶
その後会話の途中で(これもいつもしているようにという感じで)抱き寄せようとするのをセバスチャンが制止するしぐさ・・・・
まさしくそこにいるのはベンではなくセバスチャン!
私もこの場面でハッとさせられました。

この短いシーンだけで、オクスフォード大学耽美クラブのアイドルであるセバスチャンの様子が感じられました。
(もしこれがTVシリーズならそのあたりの描写はもっと観てみたかった所)

嘔吐の後のばつの悪そうな、それでいてなんとなく育ちの良さは消えてはいない様子など細かい部分も見事ですね。
脚本ではすべてを書ききれたとはいえないセバスチャンの抱え込んだ絶望をベンが演技で補ってしまったように感じもしました。

世間であまり高評価ではなかったマシューのチャールズも私はは悪くなかったと思ってます。
最後にブライヅヘッド城で灯された蝋燭を・・もはや美しいだけの幻となったものをそれでも吹き消すことが出来ない。
マシューのインタビューでの答えがチャールズの感情を表しているのだと思いました。
「チャールズが本当に永遠に愛しているのはセバスチャンだけだ」
Posted by ふぇでり子 at 2009年07月20日 21:52
観なおしてたらマシューがとてもいいなあと思って(笑)本当に可哀そうだー。
時代が違ってたらチャールズもセバスチャンへの思いをもっと率直に出せたんじゃないかなあ。
モロッコでセバスチャンと別れた後のチャールズはもう自分が自分でなくなってるんですよね。名前だけの存在で。
やっぱりこれ、チャールズが主人公なのがいいです。
セバスチャンを手放してしまってバカバカ。
あのジュリアのお披露目のパーティでセバスチャンがチャールズに触るじゃないですか。あの時、手を取って二人で出て行くべきでしたね!!
セバスチャンがチャールズに近寄った最後のチャンスだったのにー。
 
ブライズヘッドを去った後のチャールズは思い出の中だけで生きてるのでしょう。あの夏の日々を思い返すだけで。

モロッコでもね。セバスチャンはチャールズがもっと引っ張ってくれることを期待してたんじゃないんですか?何故あんなに簡単に引き下がるかなー。
チャールズってきっとあの時こうすればよかったってばかり思ってるんだろうなあああ。
可哀そうな人です。ぐすん。
Posted by フェイユイ at 2009年07月21日 00:41
話それちゃうんですけど、このストーリーを語るうえで、ゲイでカソリックの人による『セバスチャンは、ゲイである必要がない』という意見があるそうです。でも、そうでなかったら、あの二人だけで過ごした美しい夏のひとときも観られないし寂しすぎる…。

ブライズヘッドのチャールズとセバスチャンのシーンはどれもこれも見入ってしまいますが、今私が特に気に入ってるシーン(コロコロその時によって変わる)は、ジュリアの婚約披露の直前、チャールズがセバスチャンの部屋を訪ねるシーン。心身ともに、傷ついている涙目のセバスチャン。バスルームでチャールズと手と手を重ねるや、もう終わった事…とチャールズを引き離し、別室に行くやチャールズの
『Contra Mumdum』という言葉にホロッという素振りを見せて、チャールズの頬をさわり寄り添うかと思えば、彼を引き離し…。寄せては返す波のような、セバスチャンの心模様が物悲しい。

と、同時にこの時のセバスチャンの忙しいこと。見物ですね。バスから上がり、体吹き吹きグラスを持ちながらタバコを吸い、中途半端にシャツを着て、チャールズに反抗しながらタバコを吸い(この時のピンと伸ばした指さばきがとってもエレガント)、ネクタイ締めて鏡に向かう…。せつないながらも、蝶が舞うようなセバスチャンが、美しい。

やはり、チャールズが全編とおして中途半端な気がします。。やはり、彼の家庭環境からして、もともと誰も愛せない人だったのではないでしょうかねー?

私もマシューとベンの組み合わせ、とても素敵だと思う。マシューも観る度に素敵な役者さんだなと思うようになりました(でも、先日公開になったSFものに出ていて、ちょっとがっかり。作品選んでくださいね。)
Posted by はーや at 2009年07月21日 04:43
「必要がない」っていうのも凄い言い方だなあ。この物語においてって意味ですよね?
原作はおいといて(笑)ジャロルド監督ははっきりとセバスチャンをゲイに描いてますよね。でゆらゆらするチャールズがやっぱり「女」の方へ行ってしまったんで、あーもうこれは駄目なんだって悲しい目をしてる。はーやさんが言われてる名場面のとこ!(あそこはもう凄い素晴らしい!!最高の名場面です!ベンのしぐさの一つ一つも!)
チャールズもセバスチャンも求めているのに、一つになれないの。というのはセバスチャンにとってチャールズという人は自分と違って定まってないと確信してるからで。
チャールズもまだ未練はあるんだけど自分がセバスチャンだけに収まりきれないという不安を持っているから、もう一歩が進めないんですよね。だってさあ(急にブロークンになってしまった^^;)男女だったらあんな状況だったら即ベッドシーンに行くはずでセバスチャンもそれを少し期待してるはずなのに何もないわけでしょ。
セバスチャンが手まで触ってんのに。チャールズはずるいよね。煮え切らない。セバスチャンとは友達でジュリアは恋人にしたいと思って結局どちらも駄目だった。
そういう人は結局思い出の中に生きるしかない駄目な奴だ、とウォーもジャロルドも描いてるんじゃないかと。と言ってもそれが普通の人だと言ってるのではないでしょうか。
つまりそういうチャールズという人物によって「普通の人間」のあいまいさや狡さを描き出していることがとても面白い、と思うのですが。
Posted by フェイユイ at 2009年07月21日 11:11
もう少し追加(笑)
なのでセバスチャンはがゲイである必要はある、と思ったわけです。
この映画ではそう描かれているように思えます。
一方のマシュー=チャールズは揺れ動いてる、けど完全にセバスチャンと同じ世界の人じゃないと。ふたりともそれを判ってるんでモロッコでのチャールズの謝罪とセバスチャンの「君が悪いんじゃない。求めすぎたんだ」となっていくと。

はーやさんが言われてるようにマシューがとても愛情に乏しい家庭に育ったことが父親との間で愛情をはっきり示すようなことをしないで成長したことがチャールズの不安定さや優柔不断になっていると思いますよね。

戻りますがお風呂から上がった時ベンが体をよく拭かないのですごく気になります。ごしごし拭いてあげたくなるんですが。
チャールズってせっかく仲直りしようと思ってセバスチャンも少し心がなびいたのにジュリアの婚約発表でもう動揺してセバスチャンをはねつけるでしょ。「妹と寝たいだけじゃないか」ほんとだよもー!!何のために来たんだか。
Posted by フェイユイ at 2009年07月21日 12:10
セバスチャンとチャールズは、それぞれ自分にないものを求めあってた。セバスチャンはチャールズの無神者という自由の身、画家になりたいというような将来の夢。それに対して、チャールズはセバスチャンの優雅が暮らしと階級、極端ではあるけど家族とのつながり。

セバスチャンは、あの夏を一生体験していきたかったけど、現実的なチャールズはひと夏のことと割り切っていた。

ジュリアから『チャールズ・ライダーが求めるものは何?』という問いがありながらも、今ひとつなんだか消化不良。

本とは違って、せっかく三角関係を軸にするのなら、セバスチャンとチャールズ(+ジュリアももう少し)の感情とか心のかけ引きとかをもって描いてほしかった…というか後半もセバスチャンの見せ場が欲しいだけなんですけどねー。

そう、タオルで体拭き吹きのシーン。背中とか全然拭いてないですよね。バスから上がって、大事な部分を拭いた直後、同じ面でそのまま顔も拭いちゃってるし〜(笑)。



Posted by はーや at 2009年07月22日 20:40
チャールズ・ライダーが求めるものは何なのか私には良く分らなかった。チャールズ自身、画家を目指してしてもそれはセバスチャンの飢餓やジュリアの情熱ほど激烈な欲求をぶつける様なものではないようだ。

彼は彼の欠落を持っているのだけれど、フェイユイ様のおっしゃる「普通の人間のあいまいさや狡さ」で煮え切らない所にとどまり続けてしまう。
セバスチャンとの友情は保ちたいと思い、その身を案じ、モロッコを訪ね、はするんだけれどその身を引きよせる事は出来ない。

自分ではセバスチャンの欠落を埋めることが出来ないと自覚しているのか。
しかし結局妻を捨てて一緒になろうとしたジュリアの欠落を埋めることもまた出来なかった。
彼はその後も失われたあの夏の日のセバスチャンとブライヅヘッドでの思い出だけをいつまでも消せないでいるのだろうかと思う。

体を拭くシーン、せわしいなとは思ったけど
ちらちら見える肌に目が行って拭き方が足りないとか気が付きませんでした。
女性は細かい所観てますねー(って自分も♀だが)
下半身を拭って顔も拭いた・・・欲しいなそのタオル(笑)
Posted by ふぇでり子 at 2009年07月22日 22:06
私は全然ふき方が足りないのにびしょぬれでシャツを着るのが気になって気になって。私がチャールズだったら「あーもう貸しなさい」って言って背中をごしごしふいちゃうんですが。風邪をひきそうで。細いから余計。シャツの上にベスト(っていうのかな)を着るのもぐちゃって感じで。あそこもシャツをきちんとボタンはめてベストを引っ張ってやりたかった(笑)ベン少し寒そうじゃなかったですか?ぶるぶるしてるみたいで。湯ざめもしてたんじゃ。きっと抱きしめたら冷たかったと思います。その寒そうな感じも演技だったのかなあ?だとしたら凄い。

また戻りますがマシューの新作SFって『ウォッチメン』っていうのですか?
どうなんでしょー?私としてはちょっと気になったりもしますが(笑)いつか観てみます。
マシューって結構変な役選ぶ気がします。

ジャロルド監督の作品って割と表面的なとこだけ映して「後は想像してくれ」って感じがします。駆け引きを細やかに描いていく、って感じじゃないんですね。
『キンキーブーツ』も「あれえ、チャーリーとドラァグクイーン・ローラはどうにかならないの?」と物凄く不満が残りましたから(笑)あれでも出演者が「チャーリーとキスしてもよかったのに」と言ってました確か。
Posted by フェイユイ at 2009年07月23日 01:41
バスから上がった後、チャールズがセバスチャンに『You are shaking(震えてるじゃないか)』って言ってるので、セバのアル中が進んで、体がブルブル。

と同時に、副音声の監督のコメンタリーで、二回だか取り直したような事言ってましたから、本当に体が冷えてブルブル?

あのシーンはバスから上がって、鏡を見る一歩手前まで、切れ目なしのワンショットなんですよね。ベン見事です。

そう、マシューの新作は『ウォッチマン』です。ポスターでは、仮面つけちゃってるし、一見マシューだとわからないですよね。っていうか、ずっと仮面つけたままなのかな?美しい顔、隠しちゃってもったいないー。

Posted by はーや at 2009年07月23日 08:11
あ、チャールズ言ってましたね^^;そうでした、アル中もだった!それでイライラしてんですね、あそこ。
舞台みたいですよね。しかも場所も移動しながらの演技。カメラやマシューとの関係も複雑に作用していくわけですから(しかも狭い場所)あの場面は難しかったでしょうねえ。

マシューみたいにほんとの美形は案外自分の美貌を隠そうとしてるんじゃないでしょうか。ハンサムだけが取り柄じゃない!とか(笑)
『ルックアウト/見張り』も髭で随分イメージ変えてたしなー。
Posted by フェイユイ at 2009年07月23日 10:10
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