
La Caduta degli dei:The Damned
こういう映画を観ると一体映画って何だろう、などと今更ながらなことを考えてしまう。これを観てストーリーがどうだとかクライマックスがどこだとかテーマだとかモラルだとかそういうことだけを明確に伝達している作品など何の意味もないようにすら思えてくる。
一体何がどうだというのだろう。無論この作品と時代背景などを仔細に考慮して深淵に追及していくことも悪いことではないだろうが、それがさほど重要なことではないのではないか。映画には正確な答案など無意味だという気がしてくるのだ。
この映画を観てまず皆思うのは「退廃美」という言葉であってもうそれだけで充分なのだろう。
つまりこの時代と貴族階級に退廃を観るのではなく、退廃を描く為にこの時代と貴族たちであるのだろうから。
登場してくる人物造形が素晴らしくて、いやもうどの人を観ても唸ってしまうのだが、まずはヘルムート・バーガーの美しさを今やっと知ったかのような気がした。昔観た時は確かに美形だろうけど、どこか腐ってしまったような顔立ちだと思ってたのだが(ファンの人、すまん)今観るとこんな美しい顔ってあるんだと物凄く遅れて見惚れてしまうのだから、情けない。自分が若いせいでよく判ってなかったんだろうが、慄いてしまうような若さが溢れた美貌で彼の顔が画面にある度にヴィスコンティ監督がいかにこの美しさを刻んでおこうかと願っているかのように感じられてしまうのだ。少女を愛する顔も母親に甘えそして憎しみを持ち表情もあまりに甘美ではないか。ディートリヒに扮した女装した姿もいかにも貴族の青年らしい上品で気取った仕草物腰と脆弱な行動も突然なりきってしまうコスチューム的なナチス軍服もヴィスコンティが彼に演じて欲しいがための一連の物語と演出に過ぎないのにここまで作り上げてしまうのはやはり貴族的な傲慢さと贅沢なのだろうか。
ユダヤ人少女の幼いのに不思議な色香を感じさせるまなざし。突撃隊兵士たちの放埓な馬鹿騒ぎの中にいる兵士たちの完璧な若々しさと肉体美。アッシェンバッハのうすら笑いとともに行われる陰謀の数々。翻弄される若者ギュンターの動揺。権力を欲し権力によって抹殺されるフリードリヒ(平民ということで自己卑下しているが大王の名前というのは皮肉?ニーチェの名前でもある?)そして息子マルティンの精神と人生を歪ませてしまう破壊的な威力を持つ母親ソフィーをイングリッド・チューリンが演じている。
観る者はそうした大きな権力を持つ上流階級の美しく彩られているが腐敗した精神によって行われる様々な行為に危険な味と匂いを感じながらそれに酔い痴れてしまう自分をまた恐れるだろうか。
この映画で知るのは教訓でも美談でもなくいかがわしい欲望によって成立している世界に憧れてしまう自分ということなのか。例え道に外れたことであっても美しいと感じてしまうものに陶酔してしまうのが人間というもの少なくとも自分がそうなのだと気づいてしまうのだ。
まあそういうこともこの年になれば重々判ってはいるのだが。
ここまで重厚な耽美に酔わせてくれる作品というのも今ではあまり望めないものになってしまったようだ。こうした素晴らしい作品を観て暫しその世界に浸れることが喜びである。
監督:ルキノ・ヴィスコンティ 出演: ダーク・ボガード ヘルムート・バーガー シャーロット・ランプリング イングリッド・チューリン ウンベルト・オルシーニ
1969年 / イタリア/西ドイツ/スイス
ちょっと前に最近のヘルムート氏の画像を拝見したところ、名前が記されてなかったら誰だかわからない感じでした。(たまたまその写真がそうなだけなのかもしれませんが)
ただ、生活態度なんかは昔と大げさに変わってないみたいで、基本的には馬鹿というかあんまり頭良くない(笑)
ヴィスコンティに対してはいわゆる女役をしていたけれど今ベッドに連れ込む少年に対しては男役だそうです(笑)
そういえばやはり最近、近年のビョルン・アンドレセン画像も見たけれど知的で厳しい芸術家の老人といった印象の姿で、ベニスに死すの頃より私は好もしく見えました。
写真見てみました。確かにビョルンは年取った方が素敵ですね。
ヘルムートさんってずーっと変わらなかったのですねー。それもまたいいでしょう(笑)