映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2009年09月26日

『羅生門』黒澤明

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何度となく観ており観るたびに感心する作品だがまた観たくなって観賞。やはり面白い。

『羅生門』を思い出すといつも植草甚一さんの書かれた「映画だけしか頭になかった」の中の「羅生門」を思い出す。そのことは以前自ブログの「雑文手帳」のほうに書いていたのでちょっとそこから取りだしてみる(って植草さんの文をだが)
「日本映画は人工の菊であって、そこには真実性なんかないんだと考えていた人たちの腹黒い心を八つ裂きにしたのだった」
これは植草さんが1963年9月20日号のタイム誌から見つけたものなのだそうだが興味のある方は是非植草氏の本を読んでいただきたい。
つまりこれはタイム誌なので当時彼の国の人々は日本映画をそういう風に思っていて黒澤監督の『羅生門』を観て落雷のような感動を覚えた、ということなのである。植草さんも随分嬉しそうな文章だったが、自分もなんだか嬉しくなったしたかをくくって映画館に入った人々がふらふらになって出てきた、という箇所なんかはちょっと自分も同じ思いを味わってみたい気にもなった。映画を観てそんな衝撃を受けるなんて羨ましい状態じゃないか。

さて映画がつくられてから60年近く経った今日観ても昨今の映画に勝るとも劣らない迫力と緻密さが感じられる。
最小限の登場人物と作品時間と舞台設定の中でどの場面も研ぎ澄まされた鋭さを持っている。
ミステリーとしての楽しさ、人間の心理をつく面白さは時代や人種を越えても訴えるものがあるに違いない。

人間の心の不可解さと醜さを嘆きながらも(鬼でさえ人間のあさましさに恐れをなして逃げ出した、なんていうくだり)最後に一筋の希望を見出し雨が上がる。

『羅生門』スタイルは何度も繰り返し多くの人が使っているがやはり面白くなってしまうはずなのだ。
それにしても本作のうまさは格別になってしまうのだろうが、弱い女の面を見せていた妻が突然笑いだし、二人の男の身勝手さをなじる場面は見ものである。
とはいえ3人の当事者の証言が真実か嘘か誰にもわからないように樵の証言もまたすべてが本当なのかは立証できない。赤ん坊の上着をはがした男から問い詰められ反論できない彼はどこかで嘘をついているのだ。それがどこなのかを知ることはできないのだ。
すべての人間が信じられなくなったと苦しむ坊さんは最後に樵が言った「捨てられていた赤ん坊を育てる」という言葉を信じる。ここまで何も信じられなくなったと言いながら樵の善意を信じてしまうのはただもう直感としてそう思った、ということなのだろうか。
土砂降りの雨が上がり明るい日差しの中を歩きだすという光景がそのまま人間の心の明るさを表現しているのだと思いたい。

三船敏郎の男らしさがむんと汗になって匂ってきそうである。京マチ子の美しさは不思議で少女のように見える時もあれば狡猾な年増女のようにも見えてくる。確かに多襄丸の言うようにあの帽子のヴェール(何て言うんだ)からちらりとだけ女の顔が見えるのはどきりとする効果がある。
幾つかの証言から事件の真相はどうだったのか、を考えてしまうわけだが、何といっても気になるのは「女」の本性なのだろう。ある時は弱々しくある時は「他に見たことがないほど」勝気な、ある時は激しく、ある時は艶めかしく、他のふたりの男の本性がどうだったかよりやはり魅力的なのは妻である「女」の描写なのだ。
そして多分誰でもよよと泣き崩れる女の姿よりかっと見開いた目で男の本性を嘲笑う女、白い肌に玉の汗を浮かべ男をじっと見入る女、この男を殺せと叫ぶ女の姿に見入ってしまうのだろう。

黒澤明の特に優れた作品に今更感想を書くのも却って気が引けてしまうが、観てしまうとどうしても唸ってしまわずにはいられない。
暑い日差しの森の中と激しい雨に体も冷えてしまう荒れ果てた羅生門の対比も凄い。

監督:黒澤明 出演:三船敏郎 京マチ子 森雅之 志村喬 千秋実
1950年日本


posted by フェイユイ at 23:53| Comment(2) | TrackBack(0) | 日本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
実を云えば私はこの『羅生門』考えすぎてしまうのか、未だよく意味が理解できてません;テーマ的に。ただただ宮川一夫の映像が素晴らしいです。黒澤という人は画家になりたかった位だから確固とした“画(え)”がアタマの中にあるからその絵コンテ通りの映像造りを実現した宮川という人も凄いと思う。音楽もまたしかりで、役者陣も、、そして総てを纏め上げる監督黒澤明は空前絶後の天才ですね。
女性が神秘的に見えるあれは確か“市女笠(いちめがさ)”というのでは。私もあのコスチュームは、一度してみたいわぁ〜(笑)^^
Posted by フラン at 2009年09月27日 01:03
そうでした、映画の中でちゃんと言ってました、市女笠^^;
この時代の女性の服装って江戸時代より好き、というか自然に受け入れられます。ストレートヘアーだし。

私もまったく判るわけじゃないんですが^^;一つの物事は人によってどうにでも語られてしまう、というのじゃ駄目ですか。歴史にしても。
映画としてはそのことより一人の女性がどのようにも見える、ということを描いているように思えますし、時代的にまだ女というのは弱くて嘘をつきやすい、みたいに思われていたんじゃないかと思うんですが男もおなじこと、というより女以上に嘘をついているじゃないか、ということを暴露してしまったことが衝撃だったとかではないでしょうか。(フランさんからそういうことは判ってるけど、と言われそうですが)

今観ると裁判というものが話題になっているせいもあってより面白く観れるかもしれません。

確かに一つ一つの場面が絵のようです。美し。
Posted by フェイユイ at 2009年09月27日 10:12
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