映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2009年11月10日

『ピーターラビットとなかまたち こねこのトムとこぶたのピグリン編』ダイアン・ジャクソン

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The World of Peter Rabbit and Friends

少し前にレネー・ゼルウィガーが演じたビアトリクス・ポターの映画を観て思った以上のいい作品で可愛いアニメも共に非常に楽しめた。
それは私もピーターが好きだからなのだろう。ビアトリクスはまさに絵本書きの理想のような生活を送った方のように思えてしまう。(勿論私は絵本書きではないが。もしそうだったらやはり憧れてしまうと思う)

ピーター・ラビットのアニメはTVで放送されていたのをぼちぼちと観る機会が何度かあったのだがどうしてもピーターとベンジャミンの話を観ることが多く、確かにあれは物凄く可愛いし、何と言ってもピーターが主人公なのだから文句はないが一度きりしか見ていないこぶたの話をもう一度観たくてこのDiscを借りてみた。

『ピーターラビットと仲間たち』のDisc2に収録されていて他2話を観ることができた。
またTVで観たのとは違いそれぞれの話の前後にビアトリクス・ポターが緑あふれる風景をスケッチ中に雨が降り出し慌てて家に戻り、留守番をしていたぴーたーと一緒にお茶を飲みながら子供たちに出す手紙の内容を考えるという実写が付いている。なかなか楽しい導入と終わり方である。

まず
「こねこのトムとあひるのジマイマのおはなし」
この物語は何度もTVで観ているが物凄くブラックな怖い話である。
仔猫のトムたち兄妹がいたずらでお母さん猫を困らせる話と着ていた服をアヒルにあげてしまう話は他愛もないのだが、家畜であるあひるのジマイマが自分で産んだ卵を自分で温めて孵したいと思う話が恐怖なのだ。
アヒルは卵を孵すのが下手らしくて鶏が卵を孵すのを自慢げにしているのが気にくわないジマイマは自分でやると決心する。だが飼われている農場の中では自分の思うようには何もできない。
ジマイマは農場の外で一人だけで卵を産み温めようと場所を探す。そこへ現れたのが紳士面した狐で、彼はジマイマとその卵を食べてしまおうと甘い言葉で彼女を騙し自分の家を提供すると言いだしたのだ。
お人よしのジマイマは何も気づかずそこに9個の卵を産み落とす。その途端狐は豹変しジマイマを襲おうとするのだが、勘の鋭い農場の番犬がジマイマを救う。
だが番犬が補佐を頼んだ猟犬たちがうっかりジマイマの産んだ卵を食べてしまうのだ。
ううう。
番犬さんが「これが自然の掟なんだよ」と慰めるのだがなんとも生々しい話で、自分の子供を助けに来てくれた人達が何と自分の子供を食べてしまうというのは狐に食べられるより気持ち悪く感じられるのだが。
ポターの話はこんな風で半端じゃない恐ろしい部分を描いているのである。やらなくてもいいのだが、どうしてもこの辺人間に当てはめて考えてしまいそうな気がする。
「あなたのように親切な紳士はしません」と感謝した相手がこんな恐ろしい計略を持っていて、なんとか逃げだせたかと思えば現実はもっと厳しい、という、苦い話である。
結局ジマイマは農場内で卵を自分で孵すのだが4羽しか孵りませんでした、というまたしてもきつい現実があるのだった。

「ひげのサムエルのおはなし」
またも悪戯仔猫たちの話。一時もじっとしておらず全く言うことを聞かない子供たちにへとへとになる母親だが、そのうちの男の仔猫がとんでもない悪戯心で煙突の中に入り込み、自分よりでかいネズミの夫婦に捕まってプディングにされそうになる、というこれまた怖い話。
仔猫より大きいネズミって考えたくもないのだが、いるんだろうなあ。これもまた擬人化でお母さんの言うことを聞かないとこんな怖い目にあいますよ、というよくある童話なのだが、物凄く太ったネズミと痩せたおかみさんネズミにグルグル巻きにされてプディングにされてしまう、というちょっとユーモラスな光景が怖いやらおかしいやらでやっぱりうまい。
お母さんというのはどこでもがみがみうるさくてでもすぐ子供を心配してメソメソしてしまう。子供たちも言うこと聞かないくせに危なくなるとお母さんに助けを求める。そんなもんですね。

「こぶたのピグリン・ブランドのおはなし」
さてさてお目当てのこぶたの話。
うーん、豚たちがあまりにお馬鹿で心痛い。この話が一番印象的だったのはやはり物凄く怖かったからで、なんだかピーターラビットの話ってみんな怖いんだねえ。この物語は特にもう物凄く怖かった。
農場にいるお母さん豚が子豚達を世話しているんだけどある日、もう面倒みきれないと言って子供たちを他の農場や市場にいかせるの。これってどういう運命なの。だって豚の運命ってもう決まっているよね。ある程度大きくなってよそに行くっていうのはさ。
泣きながら荷車に乗っている子豚たちが憐れな(いや私だってちゃんと食べてますからね。別に偽善的になるつもりはない。ないが)
そして主人公ピグリン・ブランド(なんつー名前)とアレキサンダーは二人で市場へ行きなさいとお母さんに言われる。
ピグリンは結構賢い子なんだけどアレキサンダーは食いしん坊でそそっかしく落ち着きがないの。大王の名が泣くよ。
お母さんは二人にポターさんからもらったという通行許可証を渡すのだが、これがないと豚が勝手に出歩いて市場へ行くことは許されていないのである。
アレキサンダーは何も考えてないがピグリンは市場へ行くと皆にじろじろ見られるのが嫌だ、自分だけの家を持ってその庭にジャガイモを植えて暮らしたい、と願うのである(ここんとこスタインベックの『二十日鼠と人間』みたい)
彼らが市場へ行くってことはすぐではなくてもいつかは食料となるわけでそれが未来だとしながらそこへ向かって行く、というこれもまたブラックで人間たち、特に私らのような豚的人間たちにとっては恐ろしい表現ではないか。
だがピグリンたちはその未来の虚しさを知りながらもそこを目指すしかない運命を背負うしかない。彼らはそれを把握しながらも打破できないでいる。彼らには結局食べること、寝ることなどの目の前の問題が重要で流されてしまうのである。
しかしここでピグリンは自分よりもっと運命に翻弄されているような少女豚に出会うことで力強く生きること、逃げ出すことを決心する。
いまいち状況がよくつかめていない少女豚を励ましながらピグリンは人間の家を脱出する。
あの橋を越えれば自由になれる。
だがそこに辿り着く前に別の人間に出会ってしまった。彼は挙動不審な豚たちを尋問し調べるからそこで待ってろと脅して行く。
多分それまでのピグリン達はそう言われると動けなかったのかもしれない。
だが今のピグリンは勇気と知恵を絞り、人間が戻ってこれない距離を見計らって自由への橋へと走り去る。
少女豚と共にピグリンは願いだった自由をつかんだのだ。

ああ怖かった。
どの場面もなんだか怖いのだ。ピグリンたちの運命は食べられる為に生きている、ということだから。
市場へ行くことは一人前になって食されるという仕事につくことだ。
それを感じながらピグリンはそこへ向かっている。食べれば太るのだが、勧められるままに食べてしまう。
出会った少女豚は彼よりもっと楽天的で逃げなきゃと言いながらよく判っていない。
なんだかもう現実をここまで違う世界に変化させて表現できるってどういうんだろうと思いながらぞくぞくと恐怖を感じながら観てしまう。
人間たちは「よく太ってきたわい」とにたついている。
ピグリンが少女の手を取って自由への橋へ走りだした時はどんな映画よりどきどきしてしまった。
二人がジャガイモと花でいっぱいの一軒家に住めただろうと信じたい。
子供たちも市場へ行かなくていいのだと。

監督:ダイアン・ジャクソン
1992年イギリス


ラベル:アニメ
posted by フェイユイ at 22:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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