映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2010年01月18日

『刑事コロンボ 完全版 Vol.19』「ルーサン警部の犯罪」

Fade in to Murder

これもかなり風変りな演出になっている。前回の『さらば提督』のように素人くさい映像というのではないが現実のコロンボ警部、とTVドラマの中の登場人物であるルーサン警部という虚実の警部二人が実際の殺人事件の追う者と追われる者という立場ながら仲良く推理をしていく、という演出である。ここでルーサン警部をTVの中で演じるウォード(ウィリアム・シャトナー)が「もし私がルーサン警部と言う立場でウォードに嫌疑をかけるなら」という奇妙な論理を繰り広げコロンボもこれに乗って話を続ける。しかもウォードは彼のアリバイに関わるビデオ装置をコロンボに見せたり、様々な種明かしとも思える供述をしていく。一歩間違えばまさしく自分を谷底に落としてしまう綱渡りをしてみせるのだ。とは言え、彼の言葉自体が事件解決を産んだわけではなく無論コロンボは全て彼の話の前にあらゆる推理と捜査を果たしてしまっているのである。TVドラマで人気者のルーサン警部はコロンボの上を行くような犯罪を行ったわけでもない。最後の最後まで虚像のルーサン警部として芝居をする彼にコロンボが怒りを含んで「これはあなたが犯した現実の殺人なのですよ」と言うとウォードは「彼は同情される立場なのだ。君は判ってくれると思った。同じ警部なのだから」と返しコロンボはこれには苦笑する、という具合。
なんだか狐につままれたよう、というのはこういうことなのか?ウォードはまるで現実と虚構が判らなくなてしまったかのようだ。コロンボ自身がワルノリして彼に付き合っていたんだから彼ばかり責めるわけにもいかないだろう。あんなに怒る資格はないぞ。

トリック自体かつての面白さも薄れ加減で演出の風変わりさでなんとかドラマの新鮮味を保っている、というところなんだろうか。前回『さらば提督』での奇妙さはコロンボシリーズの終焉を意味していたのかもしれない。
アメリカのTVドラマというのがどういう形式なのか知らないがコロンボシリーズはこのドラマで第6シーズンを迎えておりこの一年では僅か3作しか作られていない模様である。これが翌年の第7シーズンで5作になっているのだからこの第6シーズンと言う時期は混迷の時期だったのか。と言う台詞は残りの2作を観てからにしよう。
コロンボを演じるピーター・フォークの表情が前回からこの第6シーズンに入って急激に年を取ったように感じてしまうのだ。今回は特にコロンボの絶妙な演技の魅力が失われてしまったかのように感じる。せめてもの救いはウィリアム・シャトナーの演技が奇妙過ぎてピーターの方にあまり目がいかないことかもしれない。

なんだか少し寂しくなってきてしまった。あの素晴らしい輝きはもう観ることができないのか。
とはいえ作品はまだ7作もある。私の失望は時期尚早かもしれない、ことを願いつつ。

『スタートレック』でもスポックに喰われいまいち冴えないのが印象的な艦長ことウィリアム・シャトナーだが、本作の冴えなさぶりはこちらが恥ずかしくなるほど。背が低いのでかかとの高い靴を履いている為に本当はコロンボと同じ身長なのに5センチ高いことになる、って。
そう言う設定にされてしまうのが可哀そうだなあ。別にかまわないのに。ハンサムだとは思うのにどこかいつもスマートになれないウィリアムなのである。(註:太ってるって意味じゃないよ)

監督:バーナード・L・コワルスキー 脚本:ルー・シャウ ピーター・S・フェイブルマン 出演:ピーター・フォーク
第6シーズン1976〜1977年アメリカ


posted by フェイユイ at 22:59| Comment(0) | TrackBack(1) | 刑事コロンボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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ルーサン警部の犯罪
Excerpt: ウィリアム・シャトナーを犯人役に据えた作品。テレビ界の「大物」を起用したせいか、コロンボとの掛け合いの中で存在感を強調しすぎている感じです。カーク船長のファンには期待値が高すぎるかもしれません。
Weblog: 映鍵(ei_ken)
Tracked: 2010-04-04 19:16
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