映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2010年01月29日

『青いパパイヤの香り』トラン・アン・ユン

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L'ODEUR DE LA PAPAYE VERTE

昨日と同じくトラン・アン・ユン監督作品。絶えず苦痛に呻き血が溢れ出る昨日と違い、静謐で美しい玉を見てるかのような本作なのだがその実どこまでもゆったりとして曖昧な表現はまったく同じなのであった。

ベトナムを舞台としながらまるで異空間にいるように思えるのはやはりセットで作られた世界だからだろうか。地面を造形するのは人間には難しいのかもしれない。(何故わかってしまうんだろう。本当の地面は柔らかいものなのか。作品の中の道路はいかにも固そうなんだ)
人工美として表現されるその世界はそのまま夢の中のベトナムなのであろうか。そう言えば少女期のムイの世話を焼いてくれるメイドの女性が「お前は夢を見ていたね」と言う台詞がある。
物語は2部に分かれており、最初は小さな少女ムイが御屋敷の小間使いとして働く姿を描きながらその家の悲劇を描いていく。次に10年後、別の家で働くことになったムイが美しく成長しその家の若い主人と親しくなっていく様子がどちらも淡々と美しく映し撮られていく。
どちらの家も楽器を演奏する男性がいてその音楽が流れている。人工的に作られた暑いサイゴンの情景が描写される。
軽い風が吹く中地べたに座り込んで野菜を切り料理をし、地を這う蟻を見つめるのが好きなムイ。
少女のムイに優しく接してくれる同じメイドの女性やその家の女主人。特に女主人はムイと同じ年齢の娘を幼くして亡くしておりその姿をムイと重ね慈しんでくれるのだった。
成長したムイは新しい主人となった男性の婚約者から嫉妬を受けてしまう。主人は婚約者からムイへと愛情を移してしまったのだ。

前の女主人の夫は一体何をやっていたのか。本当に自分の妻を疎ましく思っていたのか。何か秘密があるのか。ゲイだったのかもしれないしね。ムイをいじめる男の子の気持ちも結局わからずじまい。
成長したムイに好意を寄せる男性も婚約者を無視するような態度をとって別れるなどろくでもない男でムイに対する気持ちがどんなものなのかなどは疑ってしまう。字を教えていることで自己満足しているだけの男なのかもしれない。
だがムイはどんな時も流れに身を任せるようにしながら凛として生きて来たのだ。その男がどんな人間であったとしても彼女の美しさを汚すことはできないだろう。
ムイが最後に読む詩の言葉「どんなに水が渦巻いても桜の木は凛として佇む」(というようなもの)が彼女の存在を表現しているに違いない。

作られたベトナムの街の雰囲気の心地よいこと。きっと本当は暑くてたまらないんだろうけど映像ではその激しさが多分緩やかなものになっているのかもしれない。
ムイの見つめるまなざしと滴るような緑がうっとりとした時間を感じさせる。
大人になったムイも綺麗だけど、やはり少女のムイに心惹かれてしまう。慣れない屋敷の中で男の子の悪戯を我慢しながら裸足で健気に食事を運び、家の掃除をするムイ。そんな忙しい間でも虫を見つめたり切り開いたパパイヤの中の種を見て驚きを覚えるムイ。屋敷の長男の友人に恋心を覚え、優しい女主人の花瓶を割ってしまいその破片を頬に当てるムイ。小さくてかわいらしいムイに誰もが惹かれてしまうだろう。

作品に登場する男性はどの人物もまるでその心情が判らないのだが、たった一人自分の気持ちを表現するのが屋敷の大奥様をずっと愛し続けている老人である。
何かの理由で彼は愛しい人(今はもう同じお婆ちゃんなわけだが)に会うことができないという。彼女が引越しをしてもずっと後を追い続けてきたという彼だけが本作で心を表した男性であった。

監督:トラン・アン・ユン 出演:トラン・ヌー・イェン・ケー リュ・マン・サン グエン・アン・ホア クエン・チー・タン・トゥラ
ヴォン・ホイ
1993年 / フランス/ベトナム


ラベル:女性 少女
posted by フェイユイ at 22:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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