

色んな生き方がある。どの生き方がいいのかは本人がこれでよし、と思うかってことなんだけど。
本作のヒロイン佐知は低きに水が流れるが如くの生き方で自分を主張せず運命に身を任せながらもその時その時を懸命に生きていく、という今ではちょっと珍しくなってしまった女性像だが、かつての日本女性の典型というか少なくとも理想の女性だった。しかも夫である大谷が言うように「何を考えているのか判らない。何か隠していることがある」不気味さ、言いかえればミステリアスもある。且つ器量がよくて明るい気性なら佐知のような3人の男から菩薩のように思慕される。
咥えるに佐知はややエキセントリックでもある。結構なにを言いだすかなにをやり始めるか判らない。始め辻を好いてていきなり大谷と結婚してしまう。突然居酒屋に押し掛けて働きだし店の看板娘(既婚子持ちでありつつ)になってしまう。夫を助ける為、弁護士・辻と「大谷に言えないようなこと」をやってしまおうと町のコールガールからルージュを買ったりする、風変わりな女性でもある。
何事にも抵抗せず、自由気ままにふるまっている。
比較してしまうのが先日観た成瀬巳喜男監督『放浪記』のふみ子である。彼女は運命にも男にも絶えず挑みかかり戦い続け傷つき苦悩する。佐知と違って男からも女からも嫌われる確率が高そうだ。反面強く支持されもしそうな女性である。
できるなら佐知のような生き方の方が本人も周囲の人間も傷つかずしんなりと暮らしていけそうだ。だからこそこういう素直な女性を鑑とする価値観が日本にあるのだろうが、そういう生き方にどこか反発していったからこそふみ子のような女性の生き方を目指す時世になったんだろう。反発する、というのはもっと自己を出したい、ということだ。佐知のように男に添って生きるだけの生き方に疑問を持ったのがふみ子の生き方なのだが、男や運命に反抗し生きることはやはり傷つき疲れることになるのだ。
佐知のようにしなやかに抵抗せず生きるのとふみ子のように文句をぶちまけながら戦い血を流して生きるのとどちらを選ぶかはその人それぞれである。とは言え、普通の女性ならその二つの折り合いをつけながらしたたかに生きていってるんではなかろうか。
私自身は佐知のような生き方をしながらふみ子のような生き方でありたいと願っている。
さて本作の出演者については、浅野忠信の大谷は彼のこれまでの役の中でも際立った演技だと思う。情けない男でありながら女がすぐ惚れてしまう色男を感じさせる。
佐知の松たか子。私は彼女の顔はTVで見るのだが、演技というのは映画として初めて観るようだ。佐知が夫の犯罪を居酒屋夫婦から聞かされ笑うという箇所が最初にあり夫婦もつられて笑うのだが、これは相当難しい演技になる。実を言うと松たか子のこの笑いが納得いかず一度観るのを止めてしまったのだ。2度目観て難しいのだろうと我慢したが終始彼女の佐知というのが私にはしっくり感受できなかった。
工員の妻夫木聡も弁護士の堤真一もいいとは思えなかったので私には合わない映画だったのだ。浅野だけがいいと思えるのも困ってしまう。
広末という人もほぼ初めての気がするが、彼女は良かったし、綺麗だった。心中未遂後、広末演じる女が佐知に会って「ふふん」という顔をするのが好きに思えたのは私が佐知が嫌いだからなんだろう。
戦う女性より癒しの女性を求めるのはいた仕方ないかもしれないが私は反抗してみたい。
佐知が万引きで捕まった場面に新井浩文がちょこっと出てたよ。
監督:根岸吉太郎 出演:松たか子 浅野忠信 室井滋 伊武雅刀 広末涼子 妻夫木聡 堤真一 光石研 山本未來 鈴木卓爾 新井浩文
2009年 / 日本