映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2006年09月03日

「モンスター」パティ・ジェンキンス

モンスター2.jpg

DVDで映画を観ていると途中でやめることもできる。お茶を淹れたり冷蔵庫を開けてみたり。
そんなことをするのも忘れてむさぼるように観てしまった。

一体何がそんなに惹きつけてくるのか。一言では言えない。リーは何なのかどうすればよかったのかと問われても答えは見つかりそうにない。

リーはセルビーに会わなければよかったのかもしれない。でもやっぱり彼女に会えたことはリーにとって幸せだったのだと思う。
それまでリーは誰からも本当に好意を持った目で見られたことはなかったんだろう。
絶望の淵にいたリーは死ぬことを決意し「神様、引き止めるなら今よ」と言い、そこにセルビーが現れる。
最初はセルビーがリーを好きになったはずだ。レズビアンではないリーにとってセルビーの問いかけは何の意味があったんだろう。だが初めて彼女を好きになってくれた人間をリーはもう離したくなかった。セルビーは酷く身勝手のように思える。だがそれはまだセルビーが子供に過ぎなくて物事を何も知らないからなのだ。
セルビーにとっては売春も紳士的な男性と愛し合うことで報酬をもらうということに過ぎないのだろう。リーが殺されるかもしれない危険性を常に持ちながら身体をさらけ出しているとは知らないのだ。
セルビーは自分を締め付ける家(父親)から逃げ出し、今度は自分を陥れてしまうかもしれないリーから逃げようとする。
リーにとってはそんな無垢なセルビーの姿は自分がそうでありたかった夢の中の女の子なのかもしれない。だからこそリーはセルビーを憎みはしなかった。

観ている途中で「真夜中のカーボーイ」を思い出した(「カーボーイ」って何?という若者へ。本当はカウボーイなんだけど当時の訳者さんの考えでカーボーイとなったらしい。都会的ってことかな)
背の高い金髪の売春婦(あっちは男・ジョン・ボイトだけどね)と小柄で黒髪の相棒(ダスティン・ホフマン)っていうこと。
ラッツォは足が悪くて、セルビーは腕にギプスをしている。(ここでのシャーリーズはどことなく若いジョン・ボイトに似てる。背が高いせいだろうが、顔が膨れているからかも)
ゲイの話であること、どこか別のいい町に行きたいと願っていること。
でも絶望的に違うのは「カーボーイ」ではジョン・ボイトとダスティン・ホフマンが次第に心を通じて互いを支えあい夢に見た町へ向かうバスに乗り込んだのに「モンスター」の二人にはそうした友情や愛を感じることがなかった。
そうなのだ。この映画が「後でどうなるかは判らないが、愛する二人は遠い街へ旅立った」という結末にすればいずれ警察に捕まって離れ離れになるとしても夢を見させてくれたはずだ。
だが現実はそうではなかった。

セルビーの問いかけにすべての愛を賭けたリーに対してセルビーのその時だけの安堵感を求める態度には苛立ちを覚える。だがどうしようもない。
リーの選ぶ堅気の仕事はやや無理がありすぎる。私がアメリカの仕事事情をしらないのかもしれないがもう少し地道な(低賃金ではあるだろうが)仕事を選ぶ方法もあったのではないだろうか。でもどうしようもないのだろう、リーにとっては。
結局答えを見つけることはできない。

この映画は素晴らしい美貌とスタイルのシャーリーズが10キロ以上の増量をして顔も皮膚が赤くはれたようになっている。他の映像で観る彼女と言われなければ絶対に判らないほど変貌している。おまけに話し方と言いしぐさと言い何かに取り付かれたかのような演技である。
またシャーリーズ自身が少女時代に父親方暴力を受け、それを見た母親が父親を撃ち殺すという辛い体験をしているということで主人公のリーに自己投影をしたとも思える。
だがいくら変貌したとはいえ、元の美形も時々感じられるのも確かですらりと背が高いのは変わらないのだしセルビーを抱っこする場面なんかかっこいいなあ、などと思ってしまった。
それにしても出会ったセルビーがもっと大人でリーをうまく導いてくれたら、などと思うのは詮無い事だな。

一番最初に書いた言葉だがどうしてこれをむさぼるように観てしまったのか。その答えも上手く言えない。

セルビーからの見返りはなくてもリーはセルビーを愛さずにはいられなかった。そして何とか彼女との生活を持続したいと努力し続けた。間違った方法ではあったけど。
これほどまで愛を求めてもがき苦しむリーの姿を私はどうしても目が離す事ができなかったのだ。

監督・脚本:パティ・ジェンキンス 出演:シャーリーズ・セロン、クリスティーナ・リッチ、ブルース・ダーン
2003年アメリカ

Gyaoで視聴しました。10月1日の正午まで観れるそうですよ。


ラベル:殺人 同性愛
posted by フェイユイ at 22:44| Comment(2) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
シャーリーズ・セロン、その自身の生い立ち(事件)も半端でない辛い経験ですよね。普通でない過酷な状況下での子供の気持ち=実在の犯人の役に、共感した上での演技であると思います。本当に素晴らしい演技で眼が離せなくて、リーの気持ちが胸に詰まって。。
家庭や環境の子供への暴力・・子供に罪はないのに。このような“モンスター”が創り上げられてしまう現実。犯罪者が生まれるには必ず、そこに重苦しい背景がありますよね。。
なんと!この場ですいません。。(T_T)レンフロが!ブラッド・レンフロが!!死んでしまいました。。応援していたのに。寂しい環境の幼少時代の彼、色々事件を起こしましたがこれから☆長い人生をいくらでも豊かにしていって欲しかったのに。(涙・涙)。。でも、私は彼の寂しげな瞳を一生忘れないでしょう。。。
Posted by フラン at 2008年01月16日 15:43
シャーリーズ・セロンが演じたキャラクターも素晴らしかったですが、この話が女性同性愛者だということにも惹かれました。ただその愛がリーの一方的なものになってしまうのが残念でした。差別されているとはいっても男性同性愛はかなりの数の映画になって名作も多いですが女性同性愛はわずかでしかも犯罪(『あるスキャンダルの覚え書き』みたいな)という形で使われたり、飾り程度だったり、性描写ばかりだったり、というのはやはり女性映画監督があまりにも少ないからでしょうね。男性で女性同性愛を描くのは難しいのかもしれません。
これから少しずついい作品も増えていくのでは、と期待してはいるのですが。

ブラッド・レンフロの死、ネットニュースで見ましたがすみません、私は彼のことを全く知らなかったのです。出演作一覧を見てもまったく観てないか記憶に残ってないのですね。
最近何度となく『ゴールデンボーイ』を観ようかと思っていたところだったのですが。
とても魅力のある方だったのですね。それにしても美貌の子役という人は不幸な道を歩むことになるのでしょうか。悲しいですね。
冥福をお祈りします。

Posted by フェイユイ at 2008年01月17日 01:02
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