映画・ドラマ・本などの感想記事は基本的にネタバレです。ご注意を

2006年09月23日

「シリアル・キラー アイリーン」ニック・ブルームフィールド

少し前に記事にした「モンスター」のモデル、というかその人アイリーン・ウォーノスのドキュメンタリー映画である。
この記事はこの映画及び「モンスター」両方のネタバレになります。


「モンスター」で美しいシャーリーズ・セロンが白熱の演技と肉体改造を見せた連続殺人事件の本人とは実際に見たらどうなのだろう、映画は本当なのか、ドキュメンタリーを観れば真実が見えるのでは、と思ったのだが実際は逆でドキュメンタリーの方が謎だらけで一体何が真実なのか、ますます判らなくなってしまったのだ。

映画というのは、特にハリウッド映画というのは明確な論理展開をもって映像に仕上げてくるのが世界一なわけで映画「モンスター」を観ていてアイリーンが何故このようになったのか、という悲しい疑問はわいてきても彼女の行動が最初は正当防衛であり次からはそうでなくなっていく、という事がはっきりと描かれていた。
ドキュメンタリーで一番問題になっていたのは(と思うんだが)その彼女の殺人が正当防衛かどうかなのだが、これがさっぱりわからないのだ。
アイリーンは口を開くたびに違う証言をするので撮影者であるニック・ブルームフィールドも観客も混乱に陥ってしまう。
同情すべきか否か見当すらつかない状況に陥る。「羅生門」では違う人がそれぞれに違う証言をするが、彼女は一人で違う人間になってしまう。
ただそれだからこそ現実は映画と違ってすべてが明確ではなく何が真実かそうでないか判断するのは難しいのだと知る。
やはり映画というのは計算されて作り上げられたものであって(だからおもしろいのだが)現実と言うのは空しい繰り返しや無駄、無意味なもの、思ったように行かないもの、唐突に起きることが組み合わされているものなのだ。
すべてがなんとも劇的でなくだらだらと続いていく。
裁判の場面も現実のものは芝居ではない空虚な感じが付きまとう。

これを観ると主演のシャーリーズ・セロンがまったくもって本物のアイリーンを研究しなりきっていると感心する。
だけど勿論映画は観るものが納得しやすく作り上げられているもので、本物のアイリーンの方がもっと女性的な感じがする。

辛いのは本物のアイリーンが受けた幼児・少女期の虐待だ。特に赤ん坊の彼女を見捨てていった母親を絶対に許さない、という語気を強めた言葉には彼女の心の傷の深さを思い知らされる。実際の肉体的虐待を与えたのは他の祖父や男達だが彼女にとって見捨てていった母親というのが元凶という思いが強いのだろうか。
話す内容を聞いて(読んで)いても知性は感じるのだが、もうすでに精神は崩壊してしまっていると思われる破綻した会話が続く。
映画にも登場する女性の恋人の話の時はうれしそうな顔をするのが悲しい。映画以上に本当の恋人は彼女に対して冷酷で彼女を金儲けの対象にしたのだが、映画と同じかそれ以上にアイリーンの恋人への想いは強いようだった。
激昂する時もあれば楽しそうに笑う時もあるアイリーンの表情。
真実というのはますます判らなくなってしまうことであった。

ある女性がアイリーンが同性愛者というので「昔は同性愛者なんていなかった。ゲイなんて言葉もなかったしね。あなたは知ってるの?」と映画監督であるニック・ブルームフィールドに聞くと「僕はイギリス人だからね」というのがちょっとおかしかった。そういうのだけ感心してるのであった。なるほど。


ラベル:犯罪
posted by フェイユイ at 00:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 北米 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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